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夜にはもう由佳は帰宅していた。ランは研究室に居たが、夕食の時間になったので降りてきた。由佳はもう準備を整えていた。
「どうだった?」
つつがなく、と由佳は答え、いただきますをして食べようとしたが、あっ、と小さく言って箸を置いた。
「あゆみちゃんに会ったわよ、あなたが温泉で知り合った。」
えー、とランは目を丸くした。
「その、島田さんの…お兄さんだったんだけど、そのお坊さんに瞑想を習ってるんだって。そんな偶然ってあるのね。」
面白いでしょ、あの子、とランはにこにこしながら言った。
「面白いわね。何カンかわからないけど、すごくカンが鋭いわ。私擬態で姿消してたのに、気配だけで気付かれてたの。」
「私も初対面でいきなり、鹿?って呟かれた。」
「凄いわね。」
「凄いよねぇ。私たちの気配なんて普通感じ取れないよ。」
「やっぱり、仕事でやってる人は違うわねぇ。」
「おい私たちも仕事でやっているんだ。」
「そうだったテヘ…あ、研究終わるの楽しみにしてますね、って言ってたよ。」
「あとでメールでもしとくわ。さあ、召し上がれ。」
「私が用意したんだ。」
夕食後、ランはまた研究室へと戻っていった。由佳はこの前から気になっていたことが気のせいではなかったことを確信していた。ランは人間味が増している。表情や言動のひとつひとつが自分たちとほとんど変わらないくらいのものになっている。簡単に表現するなら、感情的になった、とでもいうのか。クール・ビューティーだった生まれてすぐのランとは、別人みたいだ。まあ、私と漫才じみた会話をするのは昔からだけど。由佳は、もしかしたら種別の問題ではないのではないかという考えに至り始めていた。経験やそれを共にする相手、そうした舞台さえあれば、生きものは必ず成長していくのではないかと。でもそれは、由佳の視点に幾分、虫の視点が混じっているせいかもしれなかった。自分は人間なのか、虫なのか。由佳はいつも考えていた。そして、いつも、こんなこと考えても仕方が無いことだ、で、思考に終止符が打たれるのだ。ヒトか虫かなんてどうでもいいことだ。私自身が存在し続けていることに変わりは無いのだから。
吉田が勿体ぶって言っていた仕事は、結局のところただの人探しで、尋ね人は生存状態であっさり発見することが出来た。なかなか巧妙に行方をくらませていたけれど、由佳にしてみれば落葉を裏返して隠れている虫を拾うようなものだった。仇討の試運転は次回に持ち越しとなった。
「まあいいことなんだけど…こう……なんか悪いやつやっつけたいな。」
「真面目さが狂ってるわよ、あなた。」
その数日後、ランが入れ込んでいた研究がようやく一段落を迎えた。
「なんの研究だったの?」
「えーとね、なんというか…リカバリ薬みたいな。」
いや、OSかな、と、ランは眉間に皺を寄せてぶつぶつ言った。
「要するにね、あなたもこの前言ってたけど私たちの身体って人間のそれとはまるで違うじゃない。」
「うん。」
「だから、もしなにか不測の事態で肉体にボロが出た時にね、他の身体に精神を移しやすくするための基本的なシステムやデータを錠剤にしてみたの。
「そんな…そんなん出来るんですか。」
「出来る出来ないじゃない、やれば出来るんだ。」
むう、と由佳は唸り、ランは勝ち誇った。
「ほら、私の身体ってもとをただせば鹿肉じゃない。そのことが今後、不具合に繋がらないとは言えないからね…念のためにね。」
「あなたのその、生への飽くなき執着って凄いものがあるわね。」
「うへへ…ワダジ、研究、やめたくないぃ…。」
「はいはい。」
ツッコみながらも由佳は、ランも私と似たようなことを考えていたのだな、と思って妙に楽しかった。
「あゆみちゃんに電話しましょう、そしてパーティーを開きましょう。」
「賛成。」
「あゆみちゃん」とは何者なのか?「手を取れ、手を離せ」を読んでみよう!(巧妙な宣伝)




