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由佳はずっと、島田のあとをついて、ジムの中へと入り込んだ。それにしても、本当に別人みたい。身体つきももちろんだけど、歩くリズムとか、身にまとっているオーラとか。凶暴な雨雲みたいなイメージを常に漂わせていたあの島田さんが、鼻詰まりが治っただけでこんなに変わるだなんて、まったく予想だにしない事態だった。由佳は、誰にもぶつからないよう天井近くへと移動して、ロッカールームへ移動した島田が出てくるのを待った。そんなに時間はかからなかった。島田は、プロのアスリートが着るみたいなきちんとしたトレーニングウェアを着ていた。それを着ていると、ほんの数ヶ月前とはまるで違う身体つきになっていることが余計にわかった。島田がストレッチをしていると、島田とほとんど同じくらいの背丈の、黒髪ストレートのバレリーナ体型の女が現れて島田に話しかけた。
「げ。」
思わず由佳は小さな声を出した。が、それはそこそこのボリュームで流れているBGMに消されて、誰かの耳に届くことはなかった。あれほどウキウキしていた島田が、以前、殴り込み行ったときに見せたようなシャープな顔つきに突然変化したのだ。
(なにやってんの、あの人…。)
でも、残念な場面はそこまでだった。島田がかなりきついトレーニングを真剣にやっていることは、筋トレにあまり詳しくない由佳にもすぐにわかった。ウェイトの量もセット回数も尋常ではなかった。トレーナーもさっきまでの優しい様子とは打って変わって、ほとんど完璧にこなしているかに見える島田の、細かいフォームの乱れを厳しい声で指摘しながら、全身を上から順番に鍛えていった。
(プロレスラーにでもなるつもりなのかしら、あの人。)
でもだいぶ恰好いいわ、とラインがちょっとウットリした感じの声で言った。この蜘蛛結構趣味が主婦だな、と、由佳はこっそり思った。
「島田さん、凄いわ。」
トレーニングを終え、ストレッチをしている島田にトレーナーが話しかけた。
「私のトレーニングにここまでついて来れる人、初めてよ。」
本当ですか、と、島田は、由佳がこれまで聞いたことのない、舞台俳優のような声でそう言った。由佳は天井近くで笑いを堪えるのに必死だった。
きっと、地力が凄いんだわ、と、トレーナーはニコニコしながら言った。そうですかね?と、島田は気取った笑みを見せた。
「いやあもう、トレーニング始めてから毎日が楽しくて。」
そう言って頂けると私も嬉しいわ、と、トレーナーは本当に嬉しそうに言った。嘘をつくタイプではないように由佳には思えた。それじゃあ、また来週、と、トレーナーが帰ろうとしたところに、由佳は蜘蛛の糸を吐いてトレーナーの脚を軽く引っ張った。
「あっ。」
転びかけたトレーナーの身体を、島田が支える。そして、なんでもないような調子で、大丈夫ですか?と尋ねる。いちいち面白いわ、と、由佳はこっそりツッコミを入れる。
「なにかが引っかかって…」
失礼、と、島田はトレーナーの靴のかかとの辺りを探る。一部始終を見ていた島田にはそのあたりに違和感があったのだ。気づいたのか気付いていないのかはわからないが、島田は靴に触れた手を何度か握ったり開いたりした。
「ちょっとなんか…ワックスかな。糊みたいなものがついていたようです…見えませんけどね。そんな感触です。」
あら、と、トレーナーは脚を浮かせて踵の裏をちらりと見た。
「もう取れてると思いますよ。」
ありがとうございます、とトレーナーは丁寧な礼をして、じゃあ、と二、三歩歩き具合を確認してから去って行った。島田はトレーナーの背中を見えなくなるまで見送ると、キョロキョロと天井を見渡し、まさに由佳が潜んでいる方に向かって、笑顔で親指を立てて見せた。
(バレてる…。)
由佳は初めて敗北を期したような気がして、すごすごとジムをあとにした。
「凄かったわね、島田さんの筋トレ。」とライン。
「よっぽど性に合っていたのね。まあ、いままで大暴れしてた人だから、正しく発散出来るならその方がずっといいのかも。」
「しかし綺麗な人だったわね、あのトレーナーさん。」
「そうね。人柄もよさそう。人気あるでしょうね。」
「島田さんの恋、叶うと思う?」
うーん、と由佳。
「意外と…あるかもね。」
「その根拠は?」
「トレーニングしてるときの二人の感じ。凄い息合ってたと思うのよね。」
「私もそう思う。」
「ああいうの見てさ、自分もやってみようかな、とか思う?」
「私が筋トレ?…うーん。」
由佳はしばらく考えてみたが、やがてへへっと笑った。
「私、鍛える必要ないと思う。」
そうね、とラインも笑った。




