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ひとつその月の仕事を片付けて、さあ、と研究に取り掛かろうとしたある日、吉田が一人で由佳を訪ねてきた。
「姉さん、少しお時間いいですか?」
「いいわよ。珍しいわね、一人なんて。」
ええ、ちょっと…、と吉田は奇妙な表情で答えた。島田さんがどうかしたの?と、由佳がカマをかけてみると、吉田は驚いた。
「なんでわかったんです?」
だって、と由佳はクスクス笑いながら、言った。
「島田さん以外の誰かがここにわざわざやって来るなんて、他に思いつかないじゃない?」
ああ、と、吉田は納得したように頷き、すすめられるままにソファーに腰を下ろした。コーヒー飲む?と由佳が聞き、いただきますと吉田は答える。由佳はインスタントコーヒーを二つ入れ、自分の方にミルクを落としながら、ミルクと砂糖は?と聞く。いえ、そのままで。
「で、どんなお話?」
ええ、その…と、吉田は歯切れの悪い感じ。
「なんと言えばいいか…。」
「最初から順番に話してくれればいいのよ。」
うむ…、と吉田は考え込んだ。説明下手というより、あまりこういう感じで人に相談をしたことがないという様子だった。
「島田さんが、ジムに通いだしたんですよ…週四で。」
「…いきなり面白いわね。」
「姉さんの薬で鼻詰まりが治ってから、妙に活動的になって…呼吸が楽しい、とか言い出して。呼吸ハイみたいな状態になってですね。」
呼吸ハイ。その単語が由佳にはドツボだったのだが、笑うと余計に話が長くなりそうなので、由佳は必死で真面目に話を聞いてるふりをした。
「初めはジョギングとかだったんす。なのに、ネットでいろいろなトレーニング見てるうちに、筋トレしたくなったみたいで。近所のジムのパーソナルトレーニングを体験してみたらすっかりハマっちまって、会員になって通い始めたんですよね。」
で、そこのインストラクターがもの凄い美人のお姉さんで、島田さんがコロっとイカれちゃったとか?と、由佳は冗談を言った。
「いや、姉さん、シャレにならんです。まさにそういう状態なんです。」
「十代かよ。」
もうね、本当に…、と吉田はため息をついた。
「仕事をしないとか、そんなことはないんです。ただね、妙に溌剌としててね。声も若干トーンが上がった感じで…筋肉ウリの芸人、何人かいるじゃないですか、ちょうどあんな感じで…。」
ちょっと待って、と、由佳は吉田の話を一時停止する。
「その話を、どうして私に聞かせに来るの?」
吉田は一瞬ポカンとして、言った。
「姉さんと会う時の島田さんは、ちょっと雰囲気違うんですよ。だから姉さんがビシッと言ってくれれば、もっとシャンとしてくれるかなと…。」
「私担任じゃないんだから。」
「すいません。」
「まあでも、今度会うことあったらひとこと言っておくわよ。それで…島田さんの恋は、上手く行きそうなの?」
いやどうなんでしょうね、と、吉田。
「正直言って俺ら、誰もまともな恋愛なんかしたことないんで、わかんないんすよね。ただ、島田さんがアクティブなのがとにかく居心地悪くて…。」
「…まあ、そういうの、最初だけじゃない?少し時間が経てば落ち着くわよ。どっちに転ぶかまではわかんないけれど。きっといまの島田さんにとっては、目に見えるものすべてが新鮮なのよ。少しくらい多めに見てあげなさいよ。あれでもあなたたちの為に頑張ってくれてるんだから。」
いやあ、と、吉田はなにか感銘を受けた様子で、こう言った。
「姉さん、なんかお婆ちゃんみたいな悟り感ありますね。」
吉田は褒めていたのだが、由佳はちょっとイラっと来た。由佳の右腕がミミズに変わると、吉田は、すす、すいません、と、慌てふためいて一礼してオフィスを出て行った。まったく、と、右腕をもとに戻して、カップを洗って伏せる。ねえ、と、ラインが口を開く。
「なに?」
「見に行こう、島田さんの恋愛模様、見に行こう。」
やれやれ、と由佳は右手で顔を覆う。
そりゃまあ、興味がなくは、ないけれど。
と、いうわけで、姿を消して島田の事務所の辺りをうろついていると、果たしていそいそと事務所を出る島田を見つけることが出来た。島田を見て由佳は目を丸くした。確かに、腕や肩、首なんかがちょっと逞しくなり、身体も分厚く、脚も若干太くなっているようだ。いつも野暮ったい、よれよれの黒いスーツだったのに、真っ青なシャツにライトブルーのジャケットを合わせ、黒いチノパンを履き、コンバースっぽいスニーカーを履いていた。あれ、島田さんよね、と、由佳はラインに聞いた。たぶんそうだと思う、とラインは答えた。




