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(とりあえず、私の話を聞いてもらえないかしら。)
蜘蛛は人差し指を左右に振るみたいに前脚を振りながらそう言った。聞きたいわ、と、少女はヤケ気味に答えた。
(興味があるわね、いまの状況すべてに。)
うん、と、女郎蜘蛛は頷くような仕草をして、話し始めた。
「そもそも、この建物っていうのはね…都内に本社がある、大手製薬会社の研究施設だったのね。で、そんな会社がどうしてこんな、辺鄙な街の県境の山の中に研究施設を作らなきゃいけなかったのかというと、当然、絶対に人に知られてはいけない、極秘の研究をここでしてたわけね。どんな薬かというと…これは私の実感としての意見でしかないのだけど、人間の肉体構造を根本から変えるための薬を作っていたんじゃないかと思うのよ。どうしてそんなことするのかって?病気をしない身体を作るためよ。ウィルス、菌、そんなものが、全く反応しなくなる薬を完成させようとしていたのね。まだ、日本の経済が大きな力を持っていた時代のことよ。私はそのころ、この窓のところに巣を張ったの。で、今みたいになにもかもきちんと管理される時代じゃなかったから、廃棄物―失敗した薬なんかをそこら辺の窓からぽいぽい捨てたりしてたわけね。
で、そのうちのひとつが、私の巣に引っかかったわけ。」
少女はいまでは本当に、この蜘蛛に途方もない興味を抱いていた。いったい私は、これからなにを聞かされようとしているんだろう?
「悩んだんだけど…私ちょっと食べてみたのね、それを。少しの間気を失って、気が付いた瞬間には自分の身体が大きくなっていることに気付いたわ。それから…なんと言えばいいのかしら?なにかこう、全身に新鮮な空気が充満しているような、生気に満ちた感じとでも言うのかしら、そんなものを感じたの。それで、それから一週間くらい、その薬だけを食べ続けた。少しずつね。そのうち気を失うこともなくなって、様々な変化がすぐに訪れるようになった。視覚、嗅覚、聴覚の変化は凄まじかった。世界とはこんなにも、色鮮やかで賑やかで香しいものだったのかって、私は感動して涙を流したわ。本当に涙を流したのよ。それからというもの私は、虫たちの体液を啜りながら新しい薬が捨てられるのを待った。そのうちに人間の言葉がある程度わかるようになった。どうやら、マウスによる実験で効果を得られなかった薬は廃棄されることになっているらしかった。私は、自分に知能というものが生まれたことを知った。それからの薬にあまり違いはなかったわ。ただ、いろんな調整がなされて、効き目はきちんとあるけれど、多めに食べたからといって身体に変調をきたすことはなくなっていった。そのころには、捨てられた薬を集めて私は独自に研究を始めていた。」
研究、と少女は思わず相槌を打った。蜘蛛は、教授のように頷いて話を続けた。
「そうよ、効能の差や、副作用の種類、体質への変化の過程…私は自分の巣にかかった虫たちを実験体にして、いろいろなことを試したわ。もちろん、彼らに許可は取ったわよ。もし実験が成功したら、逃がしてあげるって約束してね…でも、結果的に誰も生き残れなかった。私は彼らを食べた。するとね、驚くべきことに…彼らの遺伝子は私に吸収された。」
「遺伝子が、吸収…?」
「そうよ、彼らに調合して与えた薬は彼らの遺伝子を記録し、私に伝えたの。バブルが崩壊して、研究所が閉鎖を余儀なくされ、なにもかもがなかったことになっても、私はここで研究を続けた。いま私は、見た目はただの蜘蛛だけど、百匹の虫の遺伝子を持っている。それを、必要に応じて使用しながら、いまだにこうして生き延びている。でも私、もっとこの研究を効率よく続けたいのよ…それには、この姿で居ることはとても不都合というわけなの。」
「つまり、あなたは私を…。」
「そう、私の研究材料にしようとしているわけ。それだけじゃないわ。私はあなたの身体の中に入って、あなたと意識を共有する。虫の力を使って、あなたの復讐を遂げさせてあげる。その代わりあなたは、私の研究に手を貸すの。そうして私たち二人は、どんな命が見たこともない領域を目指すのよ。どう?面白いと思わない?」