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は?と、島田はそれまでの緊張も忘れて間抜けな声を出した。島田の後ろで縮こまっていた部下たちも同様だった。
「私、いまの仕事に満足してないんです。だけど、戸籍が無いからああいう仕事しか出来なくて。だから、もっと自分の能力を生かした仕事をしたいなとずっと考えていたのよ。だから―非公式の探偵業なんか始めたいなとか思って。」
「…はぁ。」
「で、そういう仕事をするにはツテがいるでしょ。私そんなルートに知り合い居ないんです。だから、あなたたちに宣伝と窓口をお願いしたいというわけなんです。あ、通うの面倒臭いんで、オフィス件住居的な物件をお願いします。あ、不動産とか…扱ってますよね。」
「…扱っています。」
島田は脱力してなにも考えられなくなった。降伏した手前、すべて飲むしかないことはわかっていた。だけど、こんなことになるなんて…。
(なにもかも予想外だ、この女。)
島田さんの事務所はあの街にあるの?と、千佳はお構いなしに話を続ける。そうだ、と島田は答える。
「名刺とかあるかしら?私はないけど。」
ある、と島田は自動的に答え、懐から出して千佳に渡した。千佳はそれを受け取り、意外と普通の名刺なのね、とひとりごとを言った。いまどき凝ったものは流行らないからな、と島田は律儀に答えた。
「どれだけあれば開業出来る状態になりますか?」
島田は悩んだ。確かに、公には出来ない人探し、或いは、警察が取り合ってくれない行方不明者など、客には不足しないだろう。だけど、この女に成果が期待出来るだろうか?敵としては完敗だが、そっちの方の能力は未知数だった。けれど、そんなことを口にして俺は無事で居られるだろうか…?あ、と千佳が急に声を出した。島田は思わず少し身を引いた。
「そうよね、私にそんなことが出来るかどうか、わからないわよね。」
そう言いながら千佳は島田の前からすーっと姿を消した。島田含め、部下たちは唖然とした。それから、と島田の背後に姿を現した千佳は、すぐそばにある病室のドアを指さした。
「このドア、閉まってますよね?」
「…ああ。」
「よく見ててくださいね。」
千佳はドアの前に立つと、ドアに吸い込まれるように消えていった。それから、部屋の中からドアを開けて、再び彼らの前に現れた。
「それから…」
もういい、と、島田は制止した。
「もう十分だ。それ以上見せられたら頭がおかしくなる。」
ふふっ、と千佳は笑った。
「あんたの能力は理解した。オフィスの方は三日もあれば用意出来る。客の方もそんなに時間はかからないだろう。来週には開業出来る。」
千佳は頷いた。じゃあ、家賃とか、お給料とか、その辺の話は詳細が決まってからにしましょう。では今日は解散ということで。
島田は思わずほっと息をついた。千佳は島田の前に立ち、右手を差し出した。島田は反射的に握り返そうとしたが、さっきのムカデを思い出して躊躇した。千佳はクスっと笑った。
「大丈夫、いまは毒とか牙は在りません。普通の右手です。」
島田は冷汗をかきながら千佳の手を握り返した。それまでの人生で一番恐ろしい握手だった。
「そうだ、わかってると思うけど…これからはクリーンな仕事だけをするようにしてくださいね。善悪の判断は出来るわよね?もしもルール違反をしたら…」
最高に怖い思いをしてから死んでもらいますからね、と千佳は笑顔で言った。島田たちは震えあがった。
「今週末に、あなたたちの事務所に顔を出します。」
と、千佳は最後に言った。
「その時までにはオフィスだけでも整えておいてくださいね。その日からそこに生活を移しますから。」
「わかりました。」
と島田は答えた。思わずですます調になっていることになど気づきもしなかった。では、そういうことで、と、千佳は先にその場をあとにした。そして、慌てふためいてその場を去る島田たちの様子を、異常な聴力で聞きながら笑っていた。
島田は、車に戻り汗を拭った。事務所に電話をかけ、心当たりの物件を指定して、明日にでもハウスクリーニングを入れて、電気、ガスなどの契約を済ませるように指示をした。それから、武器やドラッグなどの扱いは今日限りで止めるように、と。電話を受けたものは驚いたが、島田の言うことは絶対だった。わかりました、と答えて電話を切り、早速行動を開始した。
あなたと居ると退屈しないわね、と、帰宅して早速飛び込んだバスタブの中で、ラインが言った。楽しまなきゃ損、と千佳は手のひらで湯をすくいながら答えた。
「生活の充実。リア充。」
ラインは呆れ笑いをした。長い一夜がもうすぐ明けようとしていた。




