生物創造は許されるのか
俺は川辺へしゃがみ込み、流れる水へそっと手を入れる。
冷たい。
ちゃんと冷たい。
水は指の隙間を滑るように流れ、触れた場所から小さな波紋が広がっていく。
その様子をぼんやり眺めていると、なんとなく思った。
「……魚、いねぇのな」
いるわけがないとは思っていたが、川のオプションみたいな感じで勝手に泳いでいたりしないだろうかと、少しだけ期待していた。
だが、透き通った水の中には何もいない。
俺は川の上流へ視線を向けた。
滝は白糸を垂らすように流れ落ち、光を纏う飛沫が舞う。
景色としてはかなり完成度が高い。
だけど、足りない。
そこに“命の気配”がないせいだろうか。
水は流れているが、それは自然現象でしかなく、生き物が持つ予測不能な動きが無いせいで、世界全体が少しだけ静かすぎるのだ。
「魚……欲しいな」
口に出した瞬間、頭の中へ川魚のイメージが浮かんだ。
細長い身体。
銀色の鱗。
水中を群れで泳ぎ、光を反射しながら流れへ逆らう生き物。
それを思い浮かべたところで、俺はふと動きを止めた。
「……いや、待て」
川面を見つめたまま、眉が寄る。
今まで作ってきたのは、地面だった。
岩だった。
服だった。
建物だった。
山や川も、結局は景色だ。
だが魚は違う。魚は自ら動き、意思を持っている。
生きている。
そこへ思い至った瞬間、妙に躊躇いが生まれた。
「生き物って……作っていいのか?」
自分でも変な疑問だと思った。
今更だ。
山を生やし、滝を落とし、神殿まで建てておいて、何を言っているのかという話である。
だが、それでも何かが違う気がした。
景色は景色だ。
けれど生き物は、“存在”そのものだ。
俺は川辺へ膝を付き、水面を見つめた。
流れる水は静かだった。
魚が居れば、もっと違う景色になるだろう。
跳ねる音がするかもしれない。泳げばそこには波紋が広がる。目に入らずとも、水中へ影が走る。
たぶん、その方がずっと綺麗だ。
だが同時に、その魚は“生きる”事になる。
生きる。
俺は眉間を掻きながら空を見上げる。そこには変わらない白い世界が広がっている。
この妙な世界で“生き物を作る”という行為は、景色を作るよりずっと重い。
魚を作ったとして、そいつは何を考えるのか。考えないのか。
腹は減るのか。食料はどうする? その食料となる生命は?
魚は死ぬのか。世代交代はするのか。増え過ぎたらどうする?
俺はそこまで決めなければいけないのか。
「……いや待て待て、重い重い」
思わず頭を抱える。
急に世界設定みたいな話になってきた。
俺はもっとこう、綺麗な景色を作って「おぉー!」ってテンション上がってるくらいの感覚だったのに、生き物を考え始めた途端、一気に責任みたいなものが発生している気がする。
そもそもだ。
俺にそんな事を決める資格があるのか。
いや、資格ってなんだ。
創世者っぽい力を持ってる時点で、たぶんやれって事なのだろう。
でも、それとこれとは別だ。
俺はただの高校生だったはずなのだ。
たぶん。曖昧だけど。
少なくとも、生態系設計とか命の創造とか、そんな重そうな案件を任されるタイプでは絶対に無かった。
「いやでも……魚くらいなら?」
川を見ながら呟く。
魚。
そこまで高度な存在じゃない気がする?
魚はセーフ?
イヤイヤ、何を基準にセーフなんだ。
例えばだ、花の周りに蝶が飛んでたら優美でいいよな。
でも蝶も生きてる。
いや、言ったら木だって花だって生きてるし。
だったらセーフなんじゃ?
「……いや分かんねぇよ」
自分で自分へ突っ込みながら、俺はそのまま後ろへ体を倒し、草の上に大の字になった。
柔らかな草の感触が背中を支える。
滝の音が遠くで響いている。
白い空を見上げる。
空はまだ白いままだ。
なのに世界は少しずつ賑やかになっている。
風が吹く。
水が流れる。
花が揺れる。
そこまで出来ているのに、生き物だけが居ない。
それが妙に不自然にも思えた。
「……蝶くらいなら良くないか?」
花を見ながら呟く。
蝶は花へ止まり、羽を揺らしながら飛び回る。
景色として完璧だ。
だが、蝶を許可すると次は鳥が欲しくなる。
鳥が飛べば、今度は森が欲しくなる。
森を作れば動物が必要になる。
動物が増えれば、当然人間の話へ近付いていく。
そこまで考えた瞬間、俺は弾かれたように起き上がり顔を覆った。
「うわぁ……勘弁してくれ、、、」
人の創造。
その可能性は思い付きたくもなかった。
魚や蝶を考えていた時とは、明らかに違う感覚がある。
もし人を作ったらどうなる。
そいつは喋るのか。
考えるのか。
笑うのか。
泣くのか。
俺をどう見る。
創造主?
神?
それともただの変な金髪男か。
「いやいやいやいや」
思わず首を振る。
人は違う。人は駄目だ。そもそも人なんか作る気はない。
そんな発想は最初から無かったし、これから先もたぶん無い。
こんな世界だ。俺みたいに突然現れる存在や、気付けば生まれていた何かがあってもおかしくないとは思う。
だが、自分の手で人を生み出すなんて話は別だ。
「……って、何で人の話になってんだよ」
俺は額を押さえる。
作ろうとしていたのは蝶であって、人じゃない。蝶だ。
空を飛んで、花の周りをひらひらしている、あの蝶だ。
そこまで考えてようやく、自分の思考が随分と飛躍していた事に気付いた。
考えを戻そう。
もし蝶を作ったとして、その蝶が死んだ場合、死という概念を俺が与えた事になる。
魚は? 魚を作れば、その魚は生きる。@@生きるなら、その先がある。増えるのか? 増えたら何を食べる。
例えばうさぎを作ったら? 狼も必要になる?
「待て待て待て待て」
どんどん面倒臭い方向へ思考が転がっていく。
俺は頭を掻き毟った。
最初は楽しかったのだ。
神殿を作って、水を流して、「うおぉ神っぽ!」とかやっていた頃は、純粋にテンションで押し切れていた。
だが、生き物は違う。
景色じゃない。
そこに“生きる”が発生する。
「いやでも、魚いない川って寂しいんだよなぁ……」
川を見れば、やはり物足りなさを感じる。
完璧な景色なのに、完成していない。
あと一歩なのだ。
ほんの少しだけ、命の動きが欲しい。
「……いや、でもなぁ」
俺はまた唸った。
作りたい。
でも怖い。
でも作りたい。
でも責任重そう。
いやでも、創世者ってそういうもんでは?
いや知らねぇけど。
そもそも俺、本当に創世者なのか?
そんなグダグダした思考が延々と頭の中を回り続け、気付けば俺は川辺で一人、真顔のまま長時間うんうん唸る怪しい男になっていた。
魚を作るだけの話だったはずなのに、いつの間にか生と死だの寿命だの食物連鎖だのと、妙に重苦しい話へ突入してしまっている。
いや、考えるべきなのだろう。
たぶん。
きっと。
創世者とかいう単語が頭の中にちらつく以上、本来ならそういう部分まで責任を持たなければならないのかもしれない。
だが、だからといって、いきなり完璧な生命設計図みたいなものを組めと言われても無理だ。
俺はただの男子高校生だったはずで、少なくとも、生態系管理シミュレーションなんて高尚な趣味を持っていた覚えはない。
「……いや、待てよ」
ふと、思考が止まった。
俺は膝へ肘を乗せたまま、ぼんやり川を眺める。
自分は腹が減らないし、疲れる事がない。そして今のところ、老いる気配も死ぬ気配も無い。
なら。
「俺と同じにすればよくね?」
呟いた瞬間、自分でも少し目を見開いた。
寿命があるから、生死を考える。
死ぬから、次世代を考える。
食事が必要だから、食物連鎖を考える。
なら最初から全部いらない。
老いない。
死なない。
増えない。
飢えない。
「……あれ、それなら別に問題なくないか?」
少なくとも、今まで考えていた面倒臭さは一気に消えた。
蝶はただ花の周りを飛ぶ。
魚は川を泳ぐ。
鳥が空を舞う。
うさぎが草原を跳ねる。
ただ、それだけ。
食べる必要がないなら、食物連鎖で食い食われがない。故に争いがない。
死なないから、子孫を残す必要もない。
増えも減りもしない。
「なんだよ、めっちゃ平和じゃん」
俺は少し笑った。
急に視界が開けた気がした。
そうだ、別に現実と同じである必要はない。
ここは俺が作る世界なのだ。
だったら、俺の都合のいい世界で構わない。
「よし」
立ち上がる。
さっきまでの躊躇いはかなり薄れていた。
もちろん、完全に消えたわけではない。
生き物を作るという行為そのものへの引っ掛かりは、まだ胸の奥に残っている。
だが、それでも。
それでも、この静かすぎる世界へ命の動きを加えたいと思った。
俺は川へ視線を向けた。
「魚」
その瞬間、水面の下を銀色の影が走った。
一匹。
二匹。
いや、群れだ。
細かな光を散らしながら、小魚たちが流れへ逆らうように泳ぎ始める。
「おぉ……!」
思わず声が漏れた。
一気に景色が変わった。流れるだけだった川に、生きた動きが生まれる。
魚が跳ね、水面へ輪を作り、その波紋が陽光を反射して煌めいた。
「すげぇ……」
俺は川を覗き込む。魚たちは逃げるでもなく、自然に群れを変えながら泳いでいた。
綺麗だ。
それが第一印象だった。
次に、妙な達成感が込み上げる。
世界が完成へ近付いているという、そんな感覚があった。
「じゃあ次……蝶」
花畑の上へ視線を向ける。
すると、ふわりと白い羽が舞った。
続いて青。
黄色。
淡い橙。
色とりどりの蝶が花々の間を漂い始める。
風へ乗るように羽ばたき、ときおり花弁へ止まり、また次の花へ移っていく。
景色が一気に華やぎ、静止画だった世界が、少しずつ動き始めている。
「うわ、いい……めっちゃいい……」
思わず笑ってしまう。
蝶が飛ぶだけで、こんなに世界の印象が変わるとは思わなかった。
なら、もっとだ。もっと世界を満たしたい。
「森」
神殿の背後、山の裾野へ向かって緑が広がる。
一本、また一本と木々が根を張り、枝葉を広げ、やがて山裾を覆う森となった。
森の手前にはなだらかな草原が続き、神殿から見れば、白い石畳の先に草原があり、その向こうに森があり、さらに奥で山が静かに控えている。
俺は思わず駆け出し、草原を横切って森の袂まで向かった。
風が通り葉擦れが鳴った。その時、枝葉の隙間から光が零れ落ちる。
その光景に息を呑んだ瞬間、今度は自然と次が浮かんだ。
「うさぎ」
草原の奥で、白い何かが跳ねた。
長い耳。
丸い尾。
柔らかな毛並み。
数匹のうさぎが草を蹴りながら駆け回り、途中でぴたりと止まって周囲を見回す。
「かわっ……」
思わず変な声が出た。
何だこれ。めちゃくちゃ可愛い。
一匹がこちらを見る。赤い瞳が瞬くのが見えた。
そのまま警戒心低く、何事もなかったかのように跳ねていく。
「いや待て、可愛すぎるだろ」
思わず頬が緩む。
世界が一気に賑やかになった。
川には魚。
花には蝶。
森にはうさぎ。
そして空を見上げる。
「鳥も欲しいな」
その言葉に応えるように、白い空へ影が走った。
翼が広がる。
数羽の鳥が高く舞い上がり、旋回しながら空を滑っていく。
囀りが響く。
風が抜ける。
俺は思わずその場でくるりと周囲を見回した。
「うわぁ……」
何も無かった世界だ。
上も下も分からない白だけの空間だった。
そこへ今、川が流れ、森が揺れ、生き物が駆け回っている。
あまりにも一気に世界が変わってしまい、現実感が少し追い付かなかった。
だが同時に、気になる事もある。
俺は白い空間の方へ目を向けた。
世界の外側。
未完成の領域。
あそこへ生き物が向かえばどうなる。
永遠に白の中を彷徨うのか。
それは嫌だった。
「……白い空間には行かないように」
考える。
命令ではなく、もっと自然に。
危険だから近寄らない、みたいな感覚でいい。
鳥も。
魚も。
うさぎも。
本能的に、この世界の内側だけで生きるように。
そうイメージした瞬間、どこか世界全体へ薄い膜が張られたような感覚があった。
境界。目には見えず、だが確かに存在している。
俺は少し歩き回り、様子を見る。
うさぎは草原から出ない。
蝶は花畑の周囲を漂う。
鳥も、白の境界付近へ近付くと自然に旋回して戻ってきた。
「よし」
上手くいった。
俺は満足して大きく息を吐く。
滝が流れる。
鳥が鳴く。
森が揺れる。
蝶が舞う。
魚が跳ねる。
世界が、生きている。
その光景が嬉しくて仕方がなくて、俺は思わず笑いながら両手を広げた。
「すっげぇ! 俺、めちゃくちゃ神っぽい事してる!」
テンションが上がる。実際かなり楽しいので仕方がない。
思い描いたものが、そのまま形になるのだ。
しかもちゃんと美しい。
最高だ。
だが。
ほんの一瞬だけ、笑い声が弱まった。
俺は草原を跳ねるうさぎを見つめる。
蝶が花へ止まる。
魚が流れを泳ぐ。
みんな穏やかだ。
争わない。
飢えない。
死なない。
俺がそう決めた。
俺の理想だけで。
「……まぁ、平和だからいいよな」
小さく呟く。
その声は、少しだけ言い訳っぽかった。
もちろん、不幸になるよりはいい。
苦しまない方がいい。
そう思う。
だが同時に、こいつらは自分で選んで生まれたわけではないのだという感覚が、胸の片隅へほんの少しだけ残った。
俺が作った。
俺の都合で。
俺が“こうあれ”と思った通りに。
その事実だけが、滝の音の奥で小さく引っ掛かっていた。
けれど、草原を駆けるうさぎを見ていると、不思議と後悔だけは湧いてこなかった。
魚は気持ち良さそうに流れへ乗り、蝶は花の周りを舞い、鳥は高く空を旋回している。
少なくとも今、この世界は綺麗だ。
「……ま、作ったからには最後まで付き合うし」
俺は苦笑しながら、風に揺れる森を見渡した。
「せっかくだし、最高の世界にしようぜ」




