歴史を創造しよう
まず近付いたのは、大岩だった。
最初に作った岩。自分が“移動している”事を確認するために置いた目印。
俺はその一つへ近付き、軽く叩く。
ゴツ、と鈍い音が返ってきた。
「……なんかもう、妙な愛着があるな」
今となっては必要ない。
神殿を作った今、こんな場所に岩が三つも転がっているのは普通に邪魔だった。
景観的にも微妙だ。
だが。
「動かすの違う気がするんだよな……」
俺は腕を組む。
この岩は、俺が初めて“世界へ干渉した証”だ。
地面を作って歩き、不安になって本当に移動しているのか確かめたくて作った。
そう考えると、ただの岩ではない気がした。
俺は少し離れて眺める。
神殿前に唐突にある三つの岩。実にバランスが悪い。
でも――。
「……まぁ、いいか」
俺は苦笑した。
綺麗に整えすぎるのも違う。始まりの痕跡は、少しくらい不格好な方がいい気がした。
だから俺は、岩だけはそのまま残す事に決めた。
邪魔だろうと不格好だろうとも、きっと、これは動かしちゃいけない。そんな気がした。
次に視線を向けたのは鏡だった。
岩へ無造作に立て掛けられている姿見。最初に自分の姿を見た鏡。
俺は鏡の前へ立つ。
そこには、金髪碧眼の男が映っていた。
白金にも見える金の髪は柔らかく波打ちながら肩へ流れ、空を映したような青い瞳は、まるで光そのものを閉じ込めたように透き通っている。
白い衣を纏ったその姿は、人というより天使に近かった。
神話の絵画や宗教画に描かれる使者がいるとすれば、きっとこんな姿なのだろう。
今見ても、自分って感じがしない。
だが、それでも。
最初よりは“俺”になってきている気がした。
「……お前、誰なんだろうな」
鏡へ問い掛けるが返事はない。
当たり前だ。
それでも、視線を逸らしたくはなかった。
この鏡は大事だ。
自分が誰か分からない中で、初めて“自分の形”を見せたものだから。
だから雑に置いておくのは嫌だった。
俺は神殿へ鏡を持って戻り、改めて神殿入り口を眺める。
広い階段。
白い柱。
静かな空間。
その一角へ、自然に鏡を飾れる場所をイメージする。
白い台座。
薄い水盤。
鏡を守るような半円形の柱。
すると石床が静かに変化した。
床が盛り上がり、白い台座が生まれる。その周囲を囲うように浅い水が満ちた。
「おぉ……」
思ったより神秘的になった。
俺は鏡を慎重に持ち上げ、台座へ置いた。
鏡は静かにそこへ収まる。
まるで最初からそこに置かれるために存在していたみたいだった。
「……うん、これだな」
俺は満足げに頷いた。
次に拾い上げたのは日記だった。
地面へ投げたせいで少し汚れてる。
俺は表紙を軽く払う。
「……悪かったって」
なんとなく謝罪が口に出る。
三日も続かなかった日記。
だが、そのおかげで俺は、自分が普通の男子高校生だった事を知れた。
自分の顔も、親も、友人も、学校すら、全部ぼやけている。それでも、“そういう人生を送っていた”感覚だけは残った。
だからこれは、今ある記憶の中で一番過去に近い。
なら、ちゃんとしまっておきたい。
俺は神殿内部へ移動した。
静かな部屋。
本を置く場所。
そんなイメージを思い浮かべる。
すると神殿奥の壁がゆっくり形を変え、小さな書庫のような空間が生まれた。
高い本棚。
白い机。
柔らかな椅子。
静かな灯り。
「……おぉ」
普通に落ち着きそうだった。
俺は書庫へ入り、その中央の棚へ日記を置く。
書棚はがらんどうで、置かれた唯一の一冊だった。その日記もたったの数ページ。
それでも、この世界で唯一、自分の過去へ繋がるもの。
俺はしばらくそれを見つめ――静かに書庫を出た。
最後に残ったのは知識の木だった。
俺は木の元へ足を向ける。
白いその木は、風もないのに静かな枝葉を立てる。
そこへ実る知識の実。
俺は木を見上げ――そして、視線を落とした。
「あ」
木の根元へ、齧りかけの実が転がっている。
一口だけ齧って、放り投げた実。
それも一つじゃない。
ぽつり、ぽつりと幾つも落ちていた。
俺は思わず頭を抱える。
「うわぁ……やっっっちまってるなぁ……」
完全に散らかした部屋を見つけた時の気分だった。
記憶を取り戻せるかもしれない。
そう思って夢中になって。
違う、また違う、今度こそっと思って。
それでも駄目で。
苛立って、焦って。半ば八つ当たりみたいに放り投げた。
その結果がこれだ。
俺はしゃがみ込み、一つ拾い上げる。
齧られた断面は、まだ瑞々しい。
時間の概念が曖昧だから腐らないのか、それともこの木そのものが特殊なのか。
よく分からない。
ただ。
その実を見ていると、あの時の自分が妙にはっきり蘇る。
分からなくて。
不安で。
何とかしたくて。
必死だった。
「……まぁ、必死だったんだよな」
ぽつりと呟く。
格好悪い、かなり格好悪い。だが、消したいとは思わなかった。
これは俺が最初に足掻いた痕跡だ。
だったら無かった事にはしたくない。
俺はしばらく考え込み――やがて、小さく頷いた。
「なら、ちゃんと片付けるか」
投げ捨てたままなのが嫌なのだ。
だから俺は、木の周囲へ小さな白い器を幾つか作り出した。
浅い石皿。
水盤のようにも見えるそれを、木の根元へ静かに並べていく。
そして齧りかけの実を、一つずつそこへ置いた。
まるで供物みたいだった。
「……なんか、こうすると急に意味ありげだな」
苦笑する。
だが悪くない。失敗を隠すより始まりとして残す方が、この場所には似合っている気がした。
俺は改めて知識の木を見上げる。
この木だけは、他と違う。
重要度が、危険度が違う。
「……これ、絶対やばいよな」
この木は、俺の知識を蓄える。
つまり、俺そのものに近い。
もし誰かが俺と同じように突然現れたり、もしこの世界に他人が生まれりしたら、、、。
これだけは絶対に触れさせられない。
俺は木の周囲へ視線を巡らせる。
そして静かにイメージを広げた。
白い庭園。
木を囲う水路。
低い柵。
静かな空気。
そして――拒絶。
許された者しか近付けない。
そんな“世界のルール”を思い描く。
すると木の周囲へ石畳が広がり、水路が生まれ、白い花々が咲き始めた。
思いの外3つの岩までその範囲へ入り、いい感じの高低差のある庭園になった。
だが、それ以上に。
空気が変わる。
木へ近付こうとすると、自然と足が止まるような感覚。
本能的な拒絶。
侵入を許さない領域。
俺はそれを見て、小さく息を吐いた。
「……よし」
神殿。
岩。
鏡。
日記。
知識の木。
気付けば、この世界にも少しずつ“歴史”が出来始めていた。




