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記憶を創造しよう

願えば叶う立場なら、事は簡単。自分の記憶が戻るよう、願えばいい。


僕は集中して願った。


記憶が戻るようにと。


だが、願っても願っても、何一つ思い出せない。


いったいどうして。


願えば地面が出来た。服もある。岩も出来た。それなのに何故記憶が戻らない?


願う力が足りない?願い方が間違ってる?


そこに岩!


願えばそこに岩がある。


ここにも岩!


当然の様に、岩がある。


僕の記憶、戻って!


願ってみても、記憶は戻らない。


何がいけない? 何が足りない? 何が間違っている?


僕は頭を掻き毟り、岩から飛び降りた。今願った岩を触り、確かにある事を確認した。


岩は出来た。地面もある。服も着ている。でも、記憶は戻らない。何でだ?


岩のゴツゴツとした触り心地を指でなぞる。ザラッとした岩の表面が指に刺さる感じがする。


岩、地面、服、記憶・・・・。


そしてハタと気付く。


岩はザラザラしてる。地面は踏みしめてる。服は着てる。じゃあ記憶は?


記憶は触れない。


もしかして、無形物の願いは叶わない?


強く願う。


頭を良くしたい。

そうすれば劇的な解決策が思いつかもしれない。


思いつかない。


強く願う。


足が速くなりたい。

この世界を果てを確認しに行けるかもしれない。


走ってみる。さっきより早くなった気がしない。


これはやっかいだ。


形ある物しか願いが叶わない。これでは記憶が取り戻せない。


僕はその場で頭を抱えてしまった。


安易に考えすぎたようだ。記憶に形がある分けない。一体どうしたらいいんだ。


・・・でも待てよ。逆を言えば記憶を形に出来れば、記憶を取り戻せるって事か?


たとえばそう、日記。


思うと手元に日記帳があった。


僕は思わず歓喜してその本を空に掲げた。


この考え方は正解だ!


黒い表紙、少しくたびれた角、手に馴染むくらいの厚さ。


どう見ても“使われた日記帳”だった。


「できた……」


思わず声が漏れる。


嬉しかった。


今までよりずっと。


ただ物を作れたからじゃない。


これは“記憶へ近づくための形”だった。


つまり、自分の考え方は間違っていない。


形にできる。


辿れる。


完全な空白じゃない。


その事実に、少しだけ救われた気がした。


俺は急いで表紙を開く。


紙の擦れる音がやけにはっきり響いた。


中には文字が書かれていた。


だが。


内容が、妙にどうでもいい。


『今日から日記始めてみる』


『コンビニの新作パン普通だった』


『数学めんどい』


そんな短い文ばかりが並んでいる。


途中から文字も雑になっていた。


『三日坊主になりそう』


その下にはさらに殴り書きみたいな文字で、


『いやもう無理』


そこで終わっていた。


「…………」


俺は無言でページを見下ろす。


薄い。


内容が驚くほど薄い。


その瞬間、不意に脳裏へ光景が流れ込んできた。


笑い声。


夕暮れ。


制服姿の少年。


友人らしき誰かと歩きながら、


『日記ぃ?あー、書いてねぇや』


笑いながら話す自分。三日どころか一日も続かねぇやと大爆笑している。


「ふざけんなぁああぁっ」


俺は思わず日記を投げつけた。


そうだった。俺はそういう奴だった。割といい加減で、小ずるい、普通の男だ。


特別目立つわけでもない。


派手でもない。


教室の隅というほど暗くもなく、中心人物というほど明るくもない。


普通。


驚くほど普通。


その光景と一緒に、さらにいくつものイメージが浮かぶ。


住宅街。


中流家庭らしい家。


朝の通学路。


見慣れているはずの学校。


教室。


机。


窓際。


友人。


笑い声。


スマホ。


コンビニ。


そんな断片が次々に頭へ浮かんでは消えていく。


そうだ、俺はなんてことない平和な世の中で、些細な不満を抱え、当たり前の幸せを享受し、笑い怒りいじけ、でも泣くのは恥ずかしい、そんなどうでもいい矜持を持った、どこにでもいる、ごく普通の男子高校生だったはずだ。


目が覚めるように常識が芽生える。空は白じゃないし、大地は丸いはず。重力があってこそ、人は立っていられるはずだ。


次々とごく当たり前だった事を思い出し、ここの異常性を理解する。


だが、変わらず自分が誰かわからない。


常識は理解した。だが、自分の周りの風景や人々が、全部、ぼやけていた。


薄モヤのかかる中を覗き込むように、そこに輪郭はあるのによく見えない。


家の形が思い出せない。


学校の名前も分からない。


友人の顔も曖昧だ。


親の声も、自分の姿かたちすらわからない。


ただ、“そういうものがあった”という感覚だけが残っている。


輪郭はイメージ出来るが、結局自分が何処の誰なのかがわからない。


投げ捨てた日記を睨みつける。


期待した。


これを開けば全部戻るんじゃないかって。


なのに返ってきたのは、“日記が続かなかった自分”だけだ。


「役に立たない。なんだこいつ。役に立たな過ぎだろっ」


思わず日記を踏みつけようとしたけど、思いとどまる。


いや、常識は取り戻した。これは日記に触れたおかげだろう。


ここは異常過ぎる。


そんな世界を、日記すら続けられない自分がどうにかする。


無理がありすぎるだろ。


そして日記すら続けられない俺はどこのどちら様で、どうしてどうやってここにいる?


何が起きた。


分からない。


記憶が戻ればそれも分かるようになる気がする。


記憶。記憶。記憶。


思い出すことが重要だ。


俺は腕を組んでその場をグルグルあるき出す。


どうしたらいい??


、、、そうだ、たとえばそう、俺の記憶の実みたいなのを、強引に作るって言うのはどうだ?


そう木だ。


木に実がなっていて、それに記憶が入っている。食べる事によって思い出す。


その時だった。


視界の端へ、色が映り込んだ。


俺は顔を上げる。


数歩先、そこに一本の木が立っていた。


今までなかった細い幹、鮮やかな葉。


そして枝には赤い実がいくつも生っている。


白しかなかった世界で、その色だけが異様に目立っていた。


この考え方は正解!!


俺はゆっくり木に近づき、枝へ手を伸ばす。


赤い実をもぎ取る。


少し冷たい。


そして、そのまま口へ運んだ。


しゃく、と音が鳴る。


甘い。


少し酸味がある。


果汁が舌へ広がる。


その瞬間、脳裏に浮かぶのは、足を交互に動かすと、前に進めると言う事だった。


「、、、は?」


全部食べてみても、それ以上のことを思い出す事はなかった。


「おいおい、ついさっき知った事じゃないか。これじゃ駄目だ。他の実はどうだ?」


――岩があると、自分が移動したと分かる。


「……いやいやいやいや、、」


三つ目。


――服は身体を隠すもの。


四つ目。


――裸は恥ずかしい。


「そうじゃねぇだろ……!」


思わず叫ぶ。


俺は半目になりながら木を見上げる。


目の前の木には残り5個ほどの実しかない。


実一個に対して一つの記憶って事は、どうやら、自分が今知っている事しか、実にならないらしい。


現に、今目の前で一個実がなった。


それを食べると今気付いた事が脳裏に浮かぶ。


これじゃあ、今の俺の知識の実でしかない。


過去の記憶には、まったく繋がらない。


俺は無言で空を見上げた。


白かった。


どこまでも白いその空が、今は少しだけ腹立たしく見えた。


俺は木の幹へ後頭部を預けたまま、大きく息を吐いた。


白い空が視界いっぱいに広がる。


どこまでも白い。


雲もない。


太陽もない。


なのに明るい。


その不自然さが、今さらみたいに気持ち悪かった。


「……なんなんだよ、この世界」


呟きながら、俺は手の中の実を弄ぶ。


知識は増えている。


それは分かる。


最初は“歩く”ことすら曖昧だったのに、今は違う。


“普通の常識”はちゃんと理解でき、生活に必要な知識は取り戻した。


そんな俺には、ここの異常さが際立つくらいに分かる。


俺は半分ほど残っていた実を放り投げた。


赤い実は地面へ転がり、そのまま静かに止まる。


周りには先程齧った他の果実も転がっている。


時間が止まっているみたいだった。


そう、俺は長い時間、ここにいたはずだ。にも拘らず、腹が減らない。


さっき、大分歩いた筈だ。それなのに疲れも無い。


時間の観念がない。空腹感が無い。疲労感が無い。空が無い。大地が無い。建物が無い。植物が無い。人がいない。


「あ、あ、あ~。なんだろなぁ。な~んで俺はこんな所でこんな事になってるんだっけなぁ」


思い出せそうで、思い出せない。こう、薄皮一枚が邪魔をして抜け出せないような嫌な感覚。


振り出しに戻った気分だ。



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