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痕跡を創造しよう

少年はゆっくりしゃがみ込み、指先で地面に触れた。


それは冷たくて、つるりとしている。


つるりとしている?


地面がつるりとしている?? それは地面と言わないのでは、、、地面はもっと、そう、ザラザラで、茶色い。


思った瞬間、足元に、色が生まれていた。


茶色。


白しかなかった世界に、初めて現れた別の色。


乾いた土、細かな石、ざらついた感触。


少年は砂をすくい上げた。


ざらざらしている。


指の隙間に粒が入り込む。


そのあまりにも確かな感触に、少年はしばらく動けなかった。


忘れていた、こういうものを。


触れられるもの。確かに存在するものを。


そう、こうゆう存在は確かにあった。


ごく普通に。触れられるものが、確かに存在するものが幾つも幾つも。


だけど、名前は分からない。思い出せない。


でも、安心した。


自分が触れた分だけ形を変えるその感触は、白しかなかった空間とはまるで違っていて、ただそれだけのことなのに、胸の奥に張りついていた不安を少しずつ剥がしていく。


やがて僕はゆっくり立ち上がった。


足裏に重さが乗る。踏み締める感覚がある。


それが嬉しくておそるおそる一歩を踏み出した。


土が沈むと小さな音がする。


音、そういえば音すらなかったことに気付きもしなかった。


次はもう少し強く歩く。


ざっ、と乾いた感触が返ってくる。


今度は歩くだけでは足りなくなった。


僕は駆け出した。


土を蹴る、身体が前へ進む。


そのたびに足裏へ衝撃が返ってきて、自分がちゃんと“動いている”のだと分かる。


それがたまらなく新鮮だった。


何度も地面を踏み締めながら走った。


時折わざと強く跳ね、着地の衝撃を確かめる。


土がザっと音を立て、砂埃が舞う。


何も分からないままだったのに、その瞬間だけは、自分がちゃんと存在している気がした。


けれど。


しばらく走ったあと、違和感を覚えた僕の足は、ゆっくり止まっていった。


顔を上げる。


白。


どこまで行っても白。


続く地面のその先は、白しかない。


境界がない。


目印もない。


走ったはずなのに、景色が変わっていない。


僕はゆっくり振り返った。


そこにも同じ景色が広がっていた。


白い空と果てのない土。


ただそれだけ。


走った。かなり走ったはずだ。


なのに、ちゃんと進めているのか分からない。


白しかない世界は、距離すら曖昧にする。


どこにいるのか分からない。


どこへ向かっているのかも分からない。


それは、思っていた以上に恐怖を感じ、無意識に自分の腕を掴む。


確かめるように。


そこにいる、と。


存在している、と。


けれど視界には、自分以外に何もない。


慄きに足元を見つめていると、ふと気付いた。足跡だ。撥ねた土は薄く確かにそれを残していた。


足跡、自分が走ってきた痕跡。


痕跡。


そうだ、痕跡だ。


なにをぼんやりしていたんだろう。


自分が進んだ跡を残さないなら、こんな白い空間、何も残るはずがないじゃないか。


何か跡に残るような物を置いて行こう。


そうすれば自分がどれだけ歩いたのか分かる。


そして自分を見て気付いた。


何もない。


僕は何も持っていない。


そう、服さえも着ていない。


何故そんな事に気付かなかったのだろう。服という存在自体を忘れていた。


そして、気付いてしまったら猛烈に恥ずかしい気分になった。


何もない真っ白な空間。


それこそ地面すらなかったこの空間で、裸体を晒す事に何の問題がある訳でもないが、裸体を空間に晒しているという想いが、ただひたすらに恥ずかしい。


僕は心の底から、服を望んだ。


すると何も着ていなかったはずの体に、柔らかな生地が纏わり付いていた。


腰の部分でしっかりと縛られているその生地は、体を大きく動かしても、ずれる事はなく、僕を安心させた。


人心地ついた僕は先ほど思った痕跡を作るという考えを思い出した。


僕が今ここに居るという、痕跡を残したい。どうしたら残せる?


足跡をもっとはっきり残す?


ダメだ。そんなの意味がない。


服を置いていく?


絶対にダメだ。というか、イヤだ。それにやっぱり目立たない。


目立つ痕跡・・・。


自分がここにいたという証。


白の中でも分かるもの。


目立つもの。


大きな――


岩だ。岩がいい。灰色のゴツゴツした岩。僕の背の高さくらいの岩。この何もない白い空間でなら、どこからでも確認できるはずだ。


思うとそこには岩があった。地面から岩が突き出している。


やはりだ。


思っただけで、世界が変わった。


しかも今度は、大地を作った時より自然だった。


頭の中に浮かんだイメージが、そのまま形になったみたいに。


僕は恐る恐る岩へ近づく。


手を触れる。


硬い。


冷たい。


押してもびくともしない。


確かにそこに存在していた。


そして、それは白の世界の中で、初めて“景色”と呼べるものだった。


僕はゆっくり後ろへ下がる。


数歩。


さらに数歩。


そして振り返る。


岩はそこにあった。


白の中に、たった一つだけ異物みたいに。


「……ある」


思わず声が漏れる。


僕は次の瞬間、駆け出していた。


一直線に。


土を蹴り、どれくらい進んだのか分からない程遠くへ走る。


そして不意に足を止め、勢いよく振り返る。


白の世界。


その中に、小さくだが確かに岩が見えた。


「あ……」


目がわずかに見開かれる。


距離がある。


離れている。


自分はちゃんと移動したのだ。


当たり前のはずのその事実に対して急に実感が持て、その場に立ち尽くしたまま、遠くの岩を見つめ続けた。


何もない世界の中で、初めて“ここではない場所”が生まれていた。


岩が見える。


それだけで妙に嬉しくなって、僕はまた走り出していた。


今度は真っ直ぐではない。


右へ曲がり、左へ折れ、意味もなく遠回りしながら土を蹴る。


走って、振り返って、岩を探す。


ちゃんとある。


なら自分は移動している。


その確認が楽しくて仕方なかった。


白しかなかった世界に、ようやく“距離”が生まれた気がした。


僕は思わず笑う。


声が漏れる。


それすら初めてのことみたいだった。


走る。


飛ぶ。


着地する。


土が沈む。


また走る。


右へ。


左へ。


遠くへ。


ひたすら走る。


そして振り返る。


岩が見えた。


ちゃんとある。


そこではたと気付く。変わってない。


遠くにあるその岩は、しかしさっきも変わらずあった。


距離の違いで大きくも小さくも見えるが、それは変わらずあるだけだった。


右に移動し横を見る。そこには変わらず岩がある。


左に移動し横を見る。そこには変わらず岩がある。


見えてる景色が変わらない。岩しかない。離れたり近づいたりすれば、大きく見えたり小さく見えたりするが、右に移動しても変わらない。左に移動しても変わらない。何一つ変わらない。


そうか、方向があるのか。


そんなことすら忘れていた。


岩へ戻り、そのままよじ登った。


ごつごつした表面が手へ刺さる。


硬い。


本物だ。


僕は頂上へ立ち、白い世界を見渡した。


何もない。


けれど、そこには確かに“自分が創造したもの”が存在していた。


この世界は一体何なのだろう。そして僕はどうしてしまったのか。


歩くということを忘れていた。距離という物を忘れていた。方向があると忘れていた。


色がなかった。地面がなかった。何もなかった。


だが、それらは今ここにある。自分が望んで、降って湧いたかのように。


――これはやっぱり創世者の力だよな。


ぼんやりとその言葉が脳裏へ浮かぶ。


「……そうせい、しゃ?」


それと同時に僕は疑問を呟く。


創世者。


言葉は分かる。意味も、わかる。願いを形にする者。世界へ現実を与える者。


今自分が行った事柄は、明らかにそれに値する。ならば、、


「僕が創世者?」


だが、その言葉へ強烈な違和感があった。


いや、創世者であることは何となく合っていることは理解できる。


少なくとも、今の自分を表す言葉としては、一番しっくり来た。


でも、何かがおかしい。


創世者。


世界を作る者。


そこまではいい。


僕が創世者。


沸き立つ違和感、でもそれを抑えて考える。


じゃあ何故、創世者の僕はこんな真っ白な場所で一人なんだろう。


何故、記憶がない。


考え悪ねた僕は、白い地平線に目をやる。視線の位置が高くなっても見える景色は変わらない。


どこまで続いているのか。


分からない。


本当に僕は分からない事だらけだ。


何故ここに居るのか分からない。


ここが何処だかすら分からない。


それなのに、ここを直さなければと心が訴える。


だけど何をどう直すのかは分からない。


でも一つは分かった。僕は創世者だ。


創世者であることに違和感を覚え、なぜか釈然とせず、しかも何か思い出さなくてはいけない事がある気がするという曖昧さだが、それでも僕は創世者だ。


そう、願えば叶う人なんだ。



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