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神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


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幕間 民は本物の剣神セレスティアを見た

 王都南街道沿いの復興拠点には、夕方になっても人が残っていた。


 壊れた橋。


 積まれた木材。


 泥に汚れた天幕。


 炊き出しの鍋。


 回収された守り札。


 祠だった木材。


 そして、祠の跡地に立てられた仮の木碑。


 そこには、まだ荒い字でこう書かれている。


 剣神セレスティアの祠はいらない。


 本人は、現世にいる。


 祈る前に、橋を直せ。


 供物にする前に、子どもへ食わせよ。


 死者を忘れず、復興を続けよ。


 その文字を、民たちは何度も見た。


 最初は、戸惑いがあった。


 祠を壊された。


 せっかく感謝を形にしたものを、壊された。


 怒りではない。


 不満でもない。


 ただ、どう受け止めればよいか分からなかった。


 だが、時間が経つにつれて、少しずつ分かってきた。


 祠に置かれていた豆は、炊き出しの鍋に入った。


 祠に置かれていたパンは、子どもたちに配られた。


 祠に置かれていた果実は、負傷者の食事になった。


 祠の木材は、橋の補修材として仕分けされた。


 銀貨は、守り札の返金と復興費に回された。


 祈りの場所だったものが、生活の中へ戻っていった。


 それを見て、民たちはようやく理解し始めた。


 剣神セレスティアは、感謝を拒んだのではない。


 感謝を、使える形へ戻したのだ。


 中年の女性は、炊き出しの鍋をかき混ぜていた。


 昼間、セレスティアに声をかけた女だった。


 祠を建てた者の一人でもある。


 彼女は、鍋の中の豆を見ていた。


「供物にするより、こっちの方がいいのかね」


 隣の若い母親が言った。


「子どもが食べていますから」


「そうだね」


「剣神様は、食べさせろって言いました」


「ああ」


 女は、少し笑った。


「剣神様なのに、随分はっきり言う方だったね」


「祈るな、橋を直せって」


「ゴルド親方はもっと荒かった」


「拝む暇があるなら瓦礫を運べ、でしたね」


 二人は少しだけ笑った。


 その笑いは、祠を壊された悲しみを消すものではない。


 だが、動き出すための笑いだった。


 炊き出しの列には、子どもたちが並んでいる。


 一人の少年が、椀を受け取りながら木碑を見た。


「母ちゃん」


「何だい」


「剣神様って、どこにいるの」


 母親は、少し考えた。


 以前なら、祠を指していたかもしれない。


 あそこにいらっしゃる、と。


 だが、今は違う。


「白樹の森に帰ったよ」


「祠にはいないの」


「いないって、ご本人が言ってた」


「本人?」


「ああ」


 少年は椀を両手で持ち、目を丸くした。


「神様なのに、本人が来たの」


「来たよ」


「祠を壊しに?」


「祠を壊して、豆を鍋に入れさせて、木を橋に使えって言って帰ったよ」


 少年は、しばらく考えた。


「変な神様だね」


 母親は笑った。


「そうだね」


 近くで聞いていた老人が言った。


「変な神様じゃない」


 少年が老人を見る。


「じゃあ何」


 老人は、泥のついた手で杖を握っていた。


 橋の補修作業で、若い者に混じって木材の選別をしていた男だった。


「本物の剣神だ」


「本物?」


「そうだ」


 老人は、木碑を見た。


「偽物の神なら、祠を喜ぶ」


「どうして」


「そこに人が集まるからだ」


「うん」


「金も集まる」


「うん」


「偉そうにできる」


「うん」


「だが、あの方は祠を壊した」


「うん」


「供物を飯にしろと言った」


「うん」


「石があるなら橋を直せと言った」


「うん」


「それは、祀られたい神ではない」


 老人は、ゆっくり言った。


「本当に斬るべきものだけを斬る神だ」


 少年は、よく分からない顔をしていた。


 だが、椀の豆を食べた。


「うまい」


「なら、それが剣神様への感謝だ」


「食べることが?」


「食べて、働けるようになることがだ」


 少年は、椀を抱えたまま木碑を見た。


「じゃあ、明日、木を運ぶ」


「お前は小さいから、水を運べ」


「うん」


 老人は、少し笑った。


 祠の前で祈っていた時より、少年の目は生きていた。


 それでよいと思った。


 復興拠点の端では、商人が返金作業をしていた。


 顔はまだ青い。


 帳簿を広げ、守り札を買った者の名を確認し、銀貨を返している。


 ルシェルから派遣された記録官が横に座り、厳しく確認していた。


「次」


「はい」


「購入者、南街道第三天幕のハルダ」


「はい」


「銀貨一枚返金」


「はい」


「返金済みの印」


「はい」


 商人は、額の汗を拭った。


 列の後ろから、誰かが言った。


「返すだけで済んでよかったな」


 商人は何も言えなかった。


 本当にそうだった。


 剣神セレスティアは怒鳴らなかった。


 神罰も下さなかった。


 黒星で斬ることもしなかった。


 ただ、聞いた。


 誰が許可したのか。


 誰が責任を取るのか。


 その問いが、商人には一番怖かった。


 守り札を売る時、責任のことなど考えていなかった。


 人々が安心する。


 自分も儲かる。


 復興地には金が必要だ。


 そう言い訳していた。


 だが、札を買った者が病に倒れたら。


 札を買った者が橋から落ちたら。


 札を買った者が死んだら。


 その時、剣神の名を借りた自分は何をするのか。


 何もできない。


 何もするつもりがなかった。


 そのことを、セレスティアは見抜いた。


 商人は、返金を続けながら木碑を見た。


 剣神セレスティアの祠はいらない。


 本人は、現世にいる。


 現世にいる。


 その一文が、妙に重かった。


 遠い神なら、好き勝手に名前を使えたかもしれない。


 だが、本人が来る。


 本人が問う。


 本人が壊す。


 そして、本人が許すかどうかを決める。


 商人は、小さく呟いた。


「本物は、怖いな」


 隣の記録官が言った。


「怖いだけですか」


 商人は、少し考えた。


「いえ」


「では」


「逃げ道がないのです」


 記録官は、筆を止めずに言った。


「よいことです」


「はい」


「次」


「はい」


 商人は返金を続けた。


 守り札は、次々に箱へ入れられていく。


 後で焼却するのではない。


 記録資料として一部を保存し、残りは削って木材へ戻すことになっていた。


 剣神守りだった板は、橋の補助杭を測る目印へ使われる。


 それもまた、セレスティアの指示だった。


 意味を剥がし、物へ戻す。


 祈りの札ではなく、ただの木片へ。


 そこからまた、復興へ。


 商人は、その処理を聞いた時、なぜか胸が痛んだ。


 自分が作った偽りの意味が、削られていくようだった。


 だが、それでよいと思った。


 橋のそばでは、若者たちが木材を運んでいた。


 祠の木材も、混じっている。


 最初に祠を作った男が、気まずそうにその木を持っていた。


 別の男が言う。


「お前、祠作りは上手かったな」


「やめろ」


「いや、本当に丁寧だった」


「だから余計に恥ずかしい」


「今度は橋だ」


「分かってる」


 男は、祠だった木を橋の補修場所へ運んだ。


 そこにバルドがいた。


 ゴルドの息子。


 礼儀正しいが、目は鍛冶師だった。


 石材の具合を見ながら、木の長さを測っている。


「その材はこちらへ」


「はい」


「祠の柱材ですね」


「……はい」


 男は、少し身を縮めた。


 バルドは責めなかった。


「良い材を選んでいます」


「え」


「祠としては不要でしたが、材としては良い」


「そうですか」


「木目も悪くない。橋の補助材に使えます」


 男は、目を伏せた。


「剣神様へ失礼をしたと思っていました」


 バルドは、木材を確認しながら言った。


「失礼だったのは、祠という形にしたことです」


「はい」


「木を選んだ目は悪くありません」


「はい」


「なら、次は橋を作ってください」


 男は、顔を上げた。


「はい」


 バルドは少しだけ笑った。


「父なら、もっと荒く言います」


「ゴルド親方なら」


「祠なんざ作る手があるなら、最初から橋を直せ、と」


 男は苦笑した。


「言いそうです」


「言います」


 バルドは、材を置く位置を指示した。


「ここへ」


「はい」


「ここからは、祈る場所ではなく、人が渡る場所を作ります」


 男は、深く頷いた。


「はい」


 夜になり、復興拠点では小さな焚き火がいくつも灯った。


 祠があった場所に、人は集まらなかった。


 代わりに、炊き出しの鍋の周りに人が集まった。


 壊れた橋の前に職人が集まった。


 負傷者の天幕に、看護の者が集まった。


 返金作業の机に、商人と記録官が残っていた。


 仮の木碑の前には、誰も祈らなかった。


 だが、何人かが立ち止まって文字を読んだ。


 剣神セレスティアの祠はいらない。


 本人は、現世にいる。


 祈る前に、橋を直せ。


 その文字を読んでから、また持ち場へ戻っていく。


 それが、祠よりも正しい気がした。


 天幕の中で、怪我をした老人が若者に言った。


「見たか」


「何をです」


「剣神様だ」


「見ましたよ。綺麗でしたね」


「そこじゃない」


「では」


「剣を抜かなかった」


 若者は、少し考えた。


「土台を削る時、短剣は抜きましたが」


「黒い大剣は抜かなかった」


「はい」


「神剣で祠を叩き斬ることもできただろう」


「でしょうね」


「でも、やらなかった」


「はい」


「必要な分だけ壊した」


 老人は、天幕の布越しに木碑の方を見た。


「本物の剣神は、全部を斬らないのだな」


 若者は、その言葉を覚えた。


 本物の剣神は、全部を斬らない。


 必要なものだけを斬る。


 祠は壊した。


 善意は残した。


 供物は食事にした。


 木材は橋にした。


 商人は斬らず、返金させた。


 民には跪かせず、働かせた。


 その姿は、神話の神とは違った。


 もっと近い。


 けれど、近いからこそ誤魔化せない。


 若者は、ぽつりと言った。


「本物は、都合よく願いを叶えてくれませんね」


 老人は笑った。


「そうだ」


「でも」


「でも?」


「見ている気がします」


「何を」


「何をするかを」


 老人は頷いた。


「だから怖い」


「はい」


「だから、ありがたい」


 若者は、少しだけ笑った。


「明日、橋の作業に戻ります」


「足は」


「大丈夫です」


「無理はするな」


「交代してよいのですよね」


「そうだ。剣神様もそう言った」


 天幕の外では、子どもたちが水を運んでいた。


 小さな桶を両手で持って、炊き出しのところへ運ぶ。


 その一人が、木碑の前で立ち止まる。


 文字は全部読めない。


 だが、最初の一文だけは、何度も大人に読んでもらったので覚えている。


 剣神セレスティアの祠はいらない。


 本人は、現世にいる。


 子どもは、空を見上げた。


 神様なのに、どこか遠い空にいるのではない。


 白樹の森でご飯を食べる。


 グランガルドで火酒を飲む。


 ゴルド親方にバカ姫と呼ばれる。


 そして、祠が建てられたら壊しに来る。


 子どもは、それを想像した。


 少し怖い。


 けれど、面白い。


 桶の水がこぼれそうになり、慌てて持ち直す。


「祈る前に、水を運ぶ」


 子どもは、小さく呟いた。


 そして、走った。


 翌朝。


 復興拠点では、祠があった場所に人が集まっていた。


 祈るためではない。


 記録碑に刻む名を集めるためだった。


 橋の補修に参加した者。


 炊き出しをした者。


 負傷者を運んだ者。


 守り札を返金した者。


 祠の木材を橋材に直した者。


 邪神戦争で亡くなった者。


 名が分からない者。


 それらを、記録官が聞き取っている。


「氏名は」


「ダナです」


「役目は」


「炊き出しです」


「昨日の豆を」


「はい、供物だった豆です」


「記録します」


 別の者が来る。


「名前は」


「分かりません」


「誰のことですか」


「豪雨の日に、橋のそばで子どもを助けて流された人です」


「氏名未判明ですね」


「はい」


「場所は」


「南街道旧橋の北側」


「役目は」


「子どもの救助」


「記録します」


 記録官は丁寧に書いた。


 氏名未判明。


 南街道旧橋北側にて、子どもを救助した者。


 探索継続対象。


 忘却せず。


 それを見た民たちは、少し静かになった。


 祠ではなく、記録碑。


 その意味が、少し分かった。


 祈るよりも、名前を探す。


 供物を置くよりも、役目を記録する。


 神へ願うよりも、死者を忘れない。


 その作業は地味だった。


 だが、確かに何かを支えていた。


 昼頃、白樹の森から正式通達の写しが届いた。


 王印と世界連合の印がある。


 そこには、昨日の方針が明文化されていた。


 剣神セレスティアは祀られない。


 剣神セレスティアの祠、神殿、御神体、聖遺物化を禁ずる。


 剣神の名を用いた守り札、祈願札、加護札、商業的利用を禁ずる。


 剣神への供物は不要。


 感謝は、復興、記録、食事、救護、労働、学びとして示すこと。


 死者を利用せず、記録せよ。


 祈る前に、各々の持ち場に立て。


 復興拠点の者たちは、その通達を読んだ。


 ある者は笑った。


 ある者は困惑した。


 ある者は、ほっとした。


 そして、誰かが言った。


「なら、働くか」


 その言葉で、皆が動き始めた。


 橋へ。


 炊き出しへ。


 記録机へ。


 負傷者の天幕へ。


 瓦礫の山へ。


 その日、祠の跡地には、一枚の板が追加された。


 祈願受付なし。


 復興作業受付はこちら。


 矢印が、橋の方へ向いていた。


 バルドがそれを見て、少し笑った。


「父上が見たら、褒めるかもしれません」


 記録官が言った。


「ゴルド親方が褒めますか」


「多分、鼻を鳴らします」


「それは褒めているのですか」


「父上の場合は、大体そうです」


 その夕方。


 復興拠点の民たちは、改めて昨日のことを話していた。


 剣神セレスティアは、美しかった。


 剣神セレスティアは、怖かった。


 剣神セレスティアは、優しかった。


 剣神セレスティアは、容赦がなかった。


 剣神セレスティアは、祠を壊した。


 剣神セレスティアは、豆を鍋に入れた。


 剣神セレスティアは、商人を斬らなかった。


 剣神セレスティアは、跪くなと言った。


 剣神セレスティアは、橋を直せと言った。


 その全てが、本物だった。


 民は、思った。


 遠い祠に閉じ込めるには、あまりにも生きている神だった。


 願えば何でも叶える神ではない。


 失敗を帳消しにしてくれる神でもない。


 責任を預かってくれる神でもない。


 だが、最後の一点で、世界を侵すものを斬る神。


 それ以外では、食べろ、働け、記録しろ、休め、次へ渡せと言う神。


 民は、本物の剣神セレスティアを見た。


 だから、祠を作る手を止めた。


 その手で、橋を直すことにした。


 夜。


 仮の木碑の前には、もう供物はなかった。


 祈願札もない。


 銀貨もない。


 ただ、小さな灯りが一つ置かれている。


 それは祈りの灯ではない。


 夜でも文字が読めるように置かれた灯だった。


 木碑の文字が、淡く照らされている。


 剣神セレスティアの祠はいらない。


 本人は、現世にいる。


 祈る前に、橋を直せ。


 供物にする前に、子どもへ食わせよ。


 死者を忘れず、復興を続けよ。


 その下に、誰かが小さく書き足していた。


 本物を見た。


 だから、働く。


 翌朝、それを見た記録官は、消そうか迷った。


 だが、しばらく見てから、そのまま残した。


 少なくとも、仮の木碑の間だけは。


 民は、本物の剣神セレスティアを見た。


 そして、祈るより先に、自分の持ち場へ戻った。

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