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神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


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第69話 支配の王冠

 七十二時間のうち、三十時間が過ぎた。


 邪神の座の奥で、黒い王冠が浮かんでいた。


 王冠。


 そう見えた。


 だが、それは金属ではない。


 権威の象徴でもない。


 邪神の支配理が形を取ったものだった。


 生者も。


 死者も。


 魂の座も。


 神々も。


 世界そのものも。


 すべてを一つの理に収めようとする、邪神の中枢思想。


 乱れを許さず。


 迷いを許さず。


 眠りを許さず。


 終わりを許さず。


 すべてを邪神の内に置く理。


 それが、黒い王冠だった。


 剣神セレスティアは、黒星を構えた。


 剣聖セレスティアは、無銘の白刃を構えた。


 二人のセレスティアが、邪神の支配理へ向き合う。


 邪神が言った。


『世界は乱れている』


「はい」


『生者は争う』


「はい」


『死者は忘れられる』


「はい」


『神々は見守るだけ』


「はい」


『ならば、我が統べる』


「違います」


 セレスティアは、即答した。


 邪神の理が揺れる。


『なぜ違う』


「統べるとは、世界を奪うことだからです」


『奪うのではない。整えるのだ』


「違います」


『迷いをなくす』


「違います」


『苦痛をなくす』


「違います」


『死を意味あるものにする』


「違います」


『役目を与える』


「違います」


 黒い王冠から、無数の鎖が伸びる。


 その鎖の先には、生者と死者の幻があった。


 泣く子ども。


 倒れた兵。


 名を失った死者。


 封印に関わった者。


 避難路を走る民。


 竜脈を支える竜。


 海底で霊流を繋ぐ巫女。


 槌を振るうドワーフ。


 名簿を読む記録官。


 すべてが、王冠へ繋がれようとしている。


『皆、役目を欲する』


「違います」


『役目があれば、迷わぬ』


「違います」


『役目があれば、死も無駄にならぬ』


「違います」


『役目があれば、苦痛にも意味が生まれる』


「違います」


 セレスティアは、一歩踏み込んだ。


「意味は、与えられるものではありません」


 黒星が低く鳴る。


「まして、邪神が死者へ押しつけるものではありません」


 閃白が白く澄む。


「生者が選び」


 解白が淡く光る。


「死者は眠る」


 剣聖セレスティアが、短く言った。


「役目は終わる」


 その一言に、黒い王冠が軋んだ。


 邪神が、剣聖セレスティアへ向いた。


『残渣』


 剣聖セレスティアは答えない。


『お前こそ、役目によって立っている』


 剣聖セレスティアは、白刃を静かに下ろした。


『邪神戦争を終わらせる』


『その想いがあるから、ここにいる』


『ならば、役目だ』


 剣聖セレスティアの光が、わずかに揺れた。


 セレスティアは、それを見た。


 邪神の言葉は、完全な嘘ではない。


 前世セレスティアの残渣は、確かに想いによって立っている。


 邪神戦争を終わらせるという想い。


 だからこそ、剣神の眷属として一時的に顕現した。


 邪神は、そこを突いている。


 役目。


 願い。


 意志。


 縛り。


 その境界を腐らせようとしている。


 セレスティアは、解白へ意識を向けた。


「解白」


『境界確認』


 淡い糸が伸びる。


 剣聖セレスティアの残響と、邪神の支配理の間。


 そこに黒い糸が絡もうとしている。


 邪神は、剣聖セレスティアの想いさえ、役目の鎖へ変えようとしていた。


「させません」


 セレスティアは閃白を振るった。


 白い線が、黒い糸を祓う。


 解白が結び目をほどく。


 黒星が王冠から伸びる鎖を押さえる。


 剣聖セレスティアは、静かに顔を上げた。


 そして、言った。


「役目ではない」


 邪神が歪む。


『では何だ』


「終わらせたい」


『同じだ』


「違う」


 剣聖セレスティアは、無銘の白刃を構えた。


「終われば、眠る」


 その声は、とても静かだった。


 だが、邪神の座の深層に届いた。


「役目なら、終わらない」


「想いだから、終われる」


 セレスティアは、その言葉を聞いて胸が震えた。


 剣聖セレスティアの残響は、人格ではない。


 だが、今の一言は確かに彼女のものだった。


 役目ではない。


 想いだから、終われる。


 邪神の王冠が、黒く軋む。


『終わることに何の価値がある』


 剣神セレスティアは答えた。


「終われるから、次へ渡せます」


『次など不確かだ』


「はい」


『次は失敗する』


「はい」


『次は忘れる』


「はい」


『次は争う』


「はい」


『ならば、我が永続させる』


「違います」


 セレスティアは、黒い王冠を見据えた。


「永続は、救いではありません」


 黒星が重く沈む。


「終わらない役目は、鎖です」


 閃白が白く走る。


「眠れない死は、冒涜です」


 解白が淡く広がる。


「選べない生は、支配です」


 剣聖セレスティアが、無銘の白刃を合わせた。


「終わらせる」


 二人の刃が、同時に動いた。


 黒星が、王冠から伸びる鎖を押さえる。


 閃白が、鎖に絡む濁りを祓う。


 解白が、役目と魂の座を結ぶ黒い結び目をほどく。


 剣聖セレスティアの白刃が、死者の側から王冠へ拒絶を刻む。


 邪神が叫んだ。


『統べねば、世界は乱れる』


「乱れてよいのです」


『苦しむぞ』


「苦しみます」


『失うぞ』


「失います」


『それでもか』


「それでもです」


 セレスティアは、さらに踏み込んだ。


「完全でなくとも、世界は自ら立ちます」


 王冠が黒い光を放つ。


 その光が、セレスティアの神格へ絡もうとした。


 支配の理。


 剣神すら、世界を統べる神にしようとする誘惑。


 すべてを自分で決めればよい。


 すべてを自分で支えればよい。


 すべてを自分で終わらせればよい。


 そうすれば、誰も迷わない。


 誰も失敗しない。


 誰も間違えない。


 セレスティアの内側に、その誘惑が一瞬だけ入る。


 強い。


 あまりにも強い。


 真神格に至った今のセレスティアなら、それができてしまう。


 世界を直接支配することも。


 邪神を斬った後、神として全てを管理することも。


 生者の迷いを減らし、死者の記録を整え、争いを止めることも。


 できてしまう。


 だからこそ、危うい。


 黒星が重くなった。


『主』


 閃白が鋭く澄んだ。


『戻ってください』


 解白が淡く震えた。


『支配誘惑、侵入』


 セレスティアは、目を閉じなかった。


 誘惑を見る。


 見た上で、否定する。


 白樹の森の食卓。


 王妃の食事予定表。


 ルシェルの記録板。


 ミレーヌの名簿。


 王の静かな指揮。


 ゴルドの看板。


 硬い干し肉。


 それらが、胸の奥に浮かぶ。


 世界は、不完全だ。


 それでいい。


 不完全だから、食事を用意する者がいる。


 不完全だから、記録する者がいる。


 不完全だから、名を探す者がいる。


 不完全だから、怒鳴る鍛冶師がいる。


 不完全だから、帰る場所がある。


 セレスティアは、静かに言った。


「わたくしは、世界を統べません」


 黒い光が揺らぐ。


「神は干渉しない」


 黒星の重さが安定する。


「神は謀らない」


 閃白の白さが戻る。


「神は祈らない」


 解白の震えが収まる。


「神は群れない」


 セレスティアは、黒い王冠へ刃を向けた。


「そして、神は支配しない」


 その言葉と同時に、黒星が王冠の鎖を押さえ込んだ。


 閃白が、王冠の表面を走った。


 解白が、支配と救済を結びつけた邪神の結び目をほどいた。


 剣聖セレスティアの白刃が、死者側から王冠の内側へ入る。


 二つのセレスティアが、同じ一点を見た。


 支配理の芯。


 世界を一つに統べようとする邪神の核の外殻。


「終わるべきものだけ」


 剣神セレスティアが言う。


「終われ」


 剣聖セレスティアが続けた。


 二つの刃が通った。


 黒い王冠に、亀裂が入る。


 音はない。


 だが、世界が震えた。


 地上。


 白樹の森の泉が大きく波打った。


 黒い光が一瞬、王冠の形を取って浮かぶ。


 次の瞬間、それに亀裂が走った。


 ルシェルが叫ぶ。


「邪神支配理に亀裂!」


 王が立ち上がる。


「各地の状況は」


 報告が飛び込む。


「グランガルド、地震一時増大、炉は維持!」


「海底楔、渦増大、霊流維持!」


「竜の谷、竜脈反動増大、支援継続!」


「草原、竜巻移動、避難路第二へ誘導中!」


「人間王国、豪雨継続、記録班維持!」


 王は即座に命じた。


「全て継続」


「はい!」


 ミレーヌは、名簿を握る手に力を込めた。


「役目を終えた者」


「眠るべき者」


「探索継続対象」


「忘却せず」


 声は震えない。


 王妃は、読み手たちへ食事を配る。


 ルシェルは、記録する。


 誰も、王冠の亀裂に見惚れて止まらない。


 世界は、自分の持ち場を守っている。


 グランガルド。


 鍛冶場の看板が、ついに豪雨で半分剥がれた。


 弟子が叫ぶ。


「親方! 看板が!」


 ゴルドは一瞬だけ見た。


 文字の一部が流れている。


 バカ姫。


 地上組は支えろ。


 干し肉。


 それだけが残っていた。


 ゴルドは鼻を鳴らした。


「十分読める!」


「はい!」


「杭を打て!」


「はい!」


 槌が鳴る。


 青白い炉の火が跳ねる。


 地震で鍛冶場が軋む。


 だが、槌音は止まらない。


 邪神の座。


 黒い王冠は、亀裂を抱えながらもまだ崩れない。


 邪神が低く言う。


『見事だ』


「褒め言葉は不要です」


『褒めてはいない』


「でしょうね」


『だが、お前は理解していない』


「何をですか」


『支配しない神は、やがて見捨てた神と呼ばれる』


「はい」


『助けられるのに助けなかったと恨まれる』


「はい」


『動けるのに動かなかったと責められる』


「はい」


『祈りに応えなかった神は、やがて憎まれる』


「はい」


『それでも干渉しないか』


「はい」


 セレスティアは、即答した。


 邪神はさらに囁く。


『ミレーヌが死んでもか』


 セレスティアの神格が、わずかに揺れた。


『王妃が倒れてもか』


「……」


『ルシェルが記録を抱えて死んでもか』


「……」


『ゴルドが炉に潰されてもか』


「……」


『お前の帰る場所が消えてもか』


 黒星が重くなる。


 閃白が鋭く澄む。


 解白が震える。


 剣聖セレスティアも、わずかにセレスティアを見た。


 これは、セレスティアの痛みだった。


 真神格へ至っても。


 神は祈らないと悟っても。


 神は干渉しないと決めても。


 家族を失う恐れは消えない。


 帰る場所を失う恐れは消えない。


 邪神は、そこを突く。


 セレスティアは、長く息を吐いた。


 邪神の座に空気はない。


 だが、呼吸する。


 地上を思い出すために。


「怖いです」


 邪神が静まる。


「ミレーヌを失うのは怖い」


「お母様を失うのも怖い」


「お父様も、ルシェルも、ゴルド親方も」


「白樹の森も、グランガルドも、世界も」


「失いたくありません」


 邪神の王冠が、黒く光る。


『ならば支配しろ』


「いいえ」


『守れるぞ』


「いいえ」


『全てを自分で抱えればよい』


「いいえ」


 セレスティアは、涙を流さない。


 だが、心は痛んでいた。


 痛みを消さない。


 恐れを否定しない。


 その上で、刃を揺らさない。


「わたくしは、家族を愛しています」


『なら』


「だからこそ、神の理で支配しません」


『死ぬかもしれぬぞ』


「はい」


『後悔するぞ』


「はい」


『それでもか』


「それでもです」


 セレスティアは、黒星を構え直した。


「愛していることと、支配することは違います」


 閃白が白く輝く。


「守りたいことと、選択を奪うことは違います」


 解白が淡く広がる。


「失いたくないことと、世界を自分の所有物にすることは違います」


 剣聖セレスティアが、短く言った。


「帰る」


 セレスティアは、少しだけ微笑んだ。


「はい。帰ります」


『帰る場所が残っていればな』


 邪神が嗤う。


 その瞬間、地上で大きな揺れが起きた。


 白樹の森の王宮が軋む。


 古記録庫の棚が倒れる。


 ミレーヌの頭上へ、重い書架が傾いた。


 王妃が叫ぶ。


「ミレーヌ!」


 ルシェルが走る。


 だが、距離がある。


 ミレーヌは名簿を抱えたまま、動けない。


 その一瞬。


 白樹の森の精霊が、棚の下に光を差し込んだ。


 完全には止められない。


 だが、落下がわずかに遅れる。


 横から、記録官二人が飛び込んだ。


 ミレーヌを押し出す。


 棚が落ちた。


 轟音。


 紙が舞う。


 ミレーヌは床に倒れた。


 腕に擦り傷。


 だが、命はある。


 記録官二人も、片方が肩を痛めたが生きている。


 王妃が駆け寄る。


 ルシェルが名簿を拾う。


 ミレーヌは、震えながらも言った。


「読み上げを……」


 王妃が抱きしめた。


「あなたは交代です」


「でも」


「命令です」


 王の声が大広間から届いた。


「読み上げは別班が継続」


 すぐに、隣の記録官が名簿を受け取る。


 声が続いた。


「氏名未判明」


「七十年前、白樹の森封印補助に関与した者」


「探索継続対象」


「忘却せず」


 読み上げは止まらなかった。


 邪神の座。


 セレスティアは、その全てを感じていた。


 心が裂けそうになる。


 今すぐ戻りたかった。


 ミレーヌのもとへ。


 白樹の森へ。


 だが、地上は立った。


 精霊が支えた。


 記録官が飛び込んだ。


 王妃が抱きしめた。


 ルシェルが名簿を拾った。


 別班が読み上げを続けた。


 世界が届いた。


 セレスティアは、目を閉じなかった。


「見ましたか、邪神」


『……』


「わたくしが戻らなくても、地上は立ちました」


 黒星が重く鳴る。


「ミレーヌは守られました」


 閃白が白く澄む。


「名簿は拾われました」


 解白が淡く光る。


「読み上げは続きました」


 セレスティアは、黒い王冠を見た。


「これが、わたくしが支配しない理由です」


 邪神の王冠が、初めて大きく揺らいだ。


『偶然だ』


「違います」


『次は死ぬ』


「かもしれません」


『それでも戻らぬか』


「戻りません」


『薄情な神だ』


「現世神です」


 セレスティアは、一歩踏み込んだ。


「地上を信じると決めた神です」


 剣聖セレスティアが白刃を合わせる。


「終わらせる」


「はい」


 二人のセレスティアが、黒い王冠へ刃を通した。


 今度は、深く。


 支配の理の芯へ。


 黒星が鎖を押さえ潰す。


 閃白が支配を救済と偽る濁りを祓う。


 解白が、愛と支配を結びつける邪神の結び目をほどく。


 無銘の白刃が、死者の側から王冠の内側を開く。


 セレスティアは、終焉を通した。


「終わるべきものだけ、終わりなさい」


 黒い王冠が砕けた。


 破片は闇へ散らず、白い灰となって消える。


 邪神の支配理が、一つ崩壊した。


 地上。


 白樹の森の空で、黒い雲が一瞬だけ裂けた。


 雨は止まない。


 雷も消えない。


 だが、雲の向こうに、細い光が見えた。


 ミレーヌは王妃に抱かれたまま、その光を見た。


「お姉様……」


 王妃は、娘を抱きしめる。


「戦っています」


 ルシェルは、震える手で記録した。


 決戦第三十四時。


 古記録庫棚崩落。


 ミレーヌ軽傷。


 記録官二名により救出。


 読み上げ中断なし。


 白樹上空、黒雲に一時的裂け目。


 邪神支配理に重大損傷の可能性。


 グランガルドでは、ゴルドが空の裂け目を見て鼻を鳴らした。


「やったか」


 弟子が問う。


「剣神様がですか」


「まだだ」


 ゴルドは槌を握り直す。


「でも一つ砕いた」


「はい!」


「なら、こっちも一本打つぞ!」


「はい!」


 邪神の座。


 黒い王冠が砕けた奥に、邪神本体の核がさらにはっきりと見えた。


 だが、同時に邪神の気配が変わる。


 これまでのような誘惑や理屈ではない。


 もっと深い。


 もっと冷たい。


 もっと古い。


 世界外の理、そのもの。


 邪神が言った。


『支配を拒むか』


「はい」


『ならば、次は滅びだ』


 邪神の核が、黒く開いた。


 そこから現れたのは、何もない闇だった。


 支配ではない。


 利用でもない。


 完全性でもない。


 ただ、世界そのものを無価値と見なす理。


 滅び。


 セレスティアは、黒星を握り直した。


 剣聖セレスティアの光が、さらに薄くなる。


 しかし、まだ立っている。


 七十二時間のうち、三十四時間。


 第二日は、ついに邪神の滅びの理へ入った。


 地上は傷つきながらも立っている。


 剣神セレスティアは、帰る場所を信じたまま、次の深層へ刃を向けた。

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