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神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


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第64話 封印地外縁

 封印地外縁の空は、灰色だった。


 雲があるわけではない。


 空そのものが、薄く濁っている。


 世界の内側と、世界の外の理が擦れ合う場所。


 そこでは、光ですら少し重くなる。


 セレスティアは、灰色の大地に立っていた。


 背には黒星。


 左腰には閃白。


 背には解白。


 三振りの神剣は、静かに震えている。


 恐れているのではない。


 ここが、邪神の座に最も近い地上であると理解しているのだ。


 遠くには、三本の巨大な柱が見える。


 アルディス柱。


 メルゼア柱。


 ロウガン柱。


 三賢者が、生命と魂と名を代価にして立てた封印の柱。


 七十年前から、邪神本体を世界の外縁へ縛りつけてきた柱。


 今、その三本は、限界に近かった。


 アルディス柱には、境界を裂くような歪みが走っている。


 メルゼア柱には、黒い魂流が絡みついている。


 ロウガン柱は半壊した上部を抱えたまま、なお神格圧を受け続けている。


 それでも、立っている。


 砕けずに。


 倒れずに。


 最後の反発を起こす時を待つように。


 解白が淡く告げた。


『三賢者柱、反発前予兆あり』


「はい」


『アルディス柱、境界収縮率上昇』


「はい」


『メルゼア柱、魂流逆転圧上昇』


「はい」


『ロウガン柱、圧受け限界域。ただし根元保持』


「はい」


 セレスティアは、神眼を開いた。


 深く開きすぎない。


 必要な層だけを見る。


 封印線。


 三賢者柱。


 外縁の裂け目。


 邪神の座へ続く黒い奥行き。


 そこにある邪神本体の気配。


 まだ、完全には固定されていない。


 深い。


 揺れている。


 逃げるというより、世界外の理として位置を定めない。


 今入れば、追う形になる。


 だから、まだ入らない。


 決戦開始まで、あと二十三時間半。


 封印限界まで、あと三日と二十三時間半。


 セレスティアは、外縁観測点へ向かった。


 そこには、白樹の森、人間王国、十の森から派遣された監視術師たちがいた。


 彼らは、セレスティアに近づきすぎない距離で頭を下げた。


 祈らない。


 跪かない。


 ただ、敬意を示す。


 セレスティアも頭を下げた。


「これまでの監視、ありがとうございます」


 監視隊長の老術師が答えた。


「我らは、見ていただけです」


「見ることは、守ることです」


 老術師は、少しだけ目を伏せた。


「剣神様」


「セレスティアで構いません」


「では、セレスティア様」


「はい」


「現地の封印線記録をお渡しします」


 厚い記録束が差し出される。


 紙は少し黒ずんでいる。


 封印地外縁の圧に晒され続けたためだろう。


 ルシェルが見たら、保存状態について細かく指摘しそうだ。


 セレスティアは、ふとそんなことを思った。


 地上の錨。


 こんな場所でも、弟の記録癖を思い出す自分がいる。


 悪くない。


 セレスティアは記録を受け取った。


「確認します」


 観測点の石卓に、封印線図を広げる。


 アルディス柱。


 メルゼア柱。


 ロウガン柱。


 各柱に流れる力の変化。


 邪神本体の圧の推移。


 竜脈支援の強弱。


 海底楔霊流の緩衝具合。


 封印杭の打設位置。


 死者名簿読み上げによる魂流安定の記録。


 全てが記されていた。


 粗い部分もある。


 欠けた記録もある。


 だが、十年近く、世界が積み上げた記録だった。


 セレスティアは、それを丁寧に読んだ。


 解白が淡く補足する。


『ロウガン柱根元、昨日の霊流処置により安定』


「はい」


『アルディス柱外側境界圧、増加傾向』


「外から押されていますね」


『はい』


『メルゼア柱、死者名簿読み上げに反応あり』


「名が、逆流を抑えています」


『はい』


 黒星が低く言う。


『地上は立っている』


「はい」


 閃白が澄んで続ける。


『まだ届いています』


「はい」


 セレスティアは、記録束を閉じた。


「現地確認の報告を送ります」


 白樹の森へ、短い光文を送る。


 封印地外縁より、白樹の森へ。


 剣神セレスティア、到着済み。


 神格圧抑制、安定。


 黒星、閃白、解白、健在。


 三賢者柱、反発前予兆あり。


 アルディス柱、境界収縮率上昇。


 メルゼア柱、魂流逆転圧上昇。


 ロウガン柱、圧受け限界域。ただし根元保持。


 邪神本体座標、未固定。


 決戦予定時刻まで待機。


 食事、未摂取。


 後ほど摂取予定。


 送信後、セレスティアは少しだけ目を細めた。


 食事、未摂取。


 これを書かなければ、白樹の森から即座に追記が来る。


 そう確信していた。


 案の定、すぐに返答が届いた。


 白樹の森より。


 王妃より。


 食事予定時刻を報告すること。


 ルシェルより。


 報告受領。食事摂取後、再報告願います。


 ゴルド親方より。


 干し肉を食え。


 セレスティアは、灰色の空を見上げた。


「早いですわね」


 黒星が低く鳴る。


『当然だ』


 閃白が澄んで言う。


『皆、主を見ています』


 解白が淡く告げる。


『地上錨、通信状態良好』


 セレスティアは、携行袋を開いた。


 干し肉。


 保存菓子。


 柔らかい豆パン。


 白樹の乾燥果実。


 ロウガン・エルドの豆の塩煮。


 白樹水。


 ゴルドの砥布。


 灰色の大地。


 邪神の座の手前。


 そこで、セレスティアは干し肉を手に取った。


 噛む。


 硬い。


 やはり硬い。


 ここまで来ても硬い。


「親方、本当に硬いですわ」


 黒星が低く言った。


『よい』


 閃白が続ける。


『地上の味です』


 解白が淡く言う。


『食事摂取、確認』


 セレスティアは、追加報告を送った。


 封印地外縁より。


 食事摂取。


 干し肉。


 保存菓子。


 白樹水。


 干し肉は硬いです。


 返答は、またすぐに来た。


 白樹の森より。


 王妃より。


 よろしい。


 ゴルド親方より。


 当たり前だ。


 ミレーヌより。


 ちゃんと食べてくれて安心しました。


 セレスティアは、少しだけ笑った。


 封印地外縁の重さが、わずかに和らぐ。


 食事とは、不思議なものだ。


 神格の栄養ではない。


 戦力にもならない。


 だが、戻る場所を思い出す。


 それが必要だった。


 時間は進む。


 決戦開始まで、あと二十時間。


 封印地外縁に夜はない。


 だが、空の濁りが少し濃くなった。


 監視術師たちは交代に入る。


 白樹の森から、死者名簿の読み上げが始まったという報告が届く。


 人間王国でも同じ。


 完全な名。


 役目だけ分かる者。


 場所だけ分かる者。


 未判明の者。


 全てを読み上げる。


 名が分からない者については、こう読む。


 氏名未判明。


 七十年前、封印補助に関与した者。


 探索継続対象。


 忘却せず。


 それだけでも、メルゼア柱の黒化はわずかに薄くなる。


 セレスティアは、神眼でそれを確認した。


「効いています」


 解白が淡く言う。


『魂流安定。名の回復作業、有効』


 閃白が澄んで言う。


『死者を物語で上書きしなかった成果です』


 黒星が低く鳴る。


『地道な戦いだ』


「はい」


 セレスティアは、遠くのメルゼア柱を見た。


 神の一太刀ではなく、記録が支えている。


 名を呼ぶ声が支えている。


 それが、今の世界だった。


 決戦開始まで、あと十六時間。


 アルディス柱が一度、大きく揺れた。


 境界封印が外側から押された。


 邪神が試している。


 現地術師たちが緊張する。


 竜脈支援を増やすべきか、海底楔を回すべきか、白樹の森から問い合わせが入る。


 セレスティアは神眼で見る。


 アルディス柱の外側。


 黒い圧が、境界の継ぎ目に爪を立てている。


 ここで力で押し返すと、境界が裂ける。


 流す必要がある。


 セレスティアは指示を送った。


 アルディス柱外側境界圧。


 押し返さず。


 海底楔霊流を薄く回し、圧を滑らせる。


 封印杭追加不要。


 竜脈支援、現状維持。


 白樹の森から、即座に各地へ指示が飛ぶ。


 海底楔から霊流が流れる。


 アルディス柱の歪みが、わずかに和らぐ。


 監視術師たちが息を吐いた。


 セレスティアは、黒星に手をかけていなかった。


 まだ、斬らない。


 まだ、世界が届いている。


 決戦開始まで、あと十二時間。


 封印地外縁の大地が、小さく震えた。


 地震ではない。


 邪神本体の圧が、世界の内側を叩いた振動。


 遠くのロウガン柱が、低く鳴る。


 石ではなく、神格が鳴っている。


 監視術師の一人が膝をついた。


 セレスティアは、そちらへ歩きかけた。


 だが、老術師が先に支えた。


 別の術師が白樹水を飲ませる。


 さらに別の術師が交代札を出す。


 隊長が言う。


「交代だ。無理をするな」


 膝をついた術師は悔しそうに頷く。


 セレスティアは、足を止めた。


 行かない。


 彼らが支えている。


 自分が駆け寄らなくても、現地は現地で立っている。


 黒星が低く言った。


『よく止まった』


「はい」


 閃白が澄んで続ける。


『世界が立っています』


「はい」


 解白が淡く言う。


『過干渉なし』


 セレスティアは、静かに息を吐いた。


 決戦開始まで、あと八時間。


 白樹の森から、王の通信が届いた。


 各地、維持体制へ完全移行。


 死者名簿読み上げ、継続。


 海底楔、安定。


 竜脈、安定。


 封印杭、異常なし。


 草原避難路、稼働中。


 備蓄、問題なし。


 ミレーヌ、読み上げ担当第一交代終了。


 王妃より。


 次の食事を摂ること。


 ゴルド親方より。


 砥布で剣を拭け。


 セレスティアは、携行袋から砥布を取り出した。


 ゴルドが渡した布。


 荒いようで、よく見ると丁寧に織られている。


 セレスティアは、黒星を抜いた。


 灰色の空の下、黒い大剣が静かに光る。


 刃こぼれなどない。


 神剣だから当然だ。


 だが、セレスティアは砥布でゆっくり拭いた。


 次に、閃白。


 白い刃を丁寧に拭く。


 そして、解白。


 小さな神剣を、指先で扱いながら拭いた。


 解白が淡く言う。


『清掃の必要性は構造上なし』


「親方の指示です」


『ならば必要』


 黒星が低く鳴る。


『剣を見る』


 閃白が澄んで続ける。


『自分を見る』


 セレスティアは、黒星の刃に映る自分を見た。


 影のない身体。


 虹色の神眼。


 真神格へ至った剣神。


 だが、そこに映っているのは、帰る場所を持つ自分だった。


「わたくしは、神だけになっていませんね」


 黒星が答える。


『なっていない』


 閃白が言う。


『なっていません』


 解白が告げる。


『帰還意思、安定』


 セレスティアは頷いた。


 決戦開始まで、あと四時間。


 三賢者柱の光が変わり始めた。


 アルディス柱の白が濃くなる。


 メルゼア柱の青白い光が深くなる。


 ロウガン柱の根元に、金色の線が走る。


 最後の反発の前兆。


 三賢者が、最後にもう一度立とうとしている。


 セレスティアは、封印地外縁の境界へ歩いた。


 監視術師たちは、それ以上近づけない。


 ここから先は、真神格の剣神が立つ場所だった。


 黒星が低く言った。


『近い』


「はい」


 閃白が澄んで言う。


『邪神の座標が揺れています』


「まだ固定されていません」


 解白が淡く告げる。


『反発最大化まで、推定四時間』


「はい」


 セレスティアは、白樹の森へ報告を送った。


 封印地外縁より。


 三賢者柱、最後の反発前兆確認。


 アルディス柱、白光増大。


 メルゼア柱、魂流反転抑制強化。


 ロウガン柱、根元金線発生。


 邪神座標、未固定。


 決戦予定時刻まで四時間。


 神格圧抑制、安定。


 食事、摂取済み。


 剣の清拭、完了。


 白樹の森から返答が来る。


 王より。


 承知。


 王妃より。


 食事確認。


 ルシェルより。


 報告受領。全項目確認。


 ミレーヌより。


 死者名簿、読み上げ継続中。待っています。


 ゴルド親方より。


 よし。あとは斬れ。


 セレスティアは、その短い言葉を見て、静かに笑った。


 よし。


 あとは斬れ。


 ゴルドらしい。


 決戦開始まで、あと一時間。


 空が黒くなった。


 封印地外縁の空だけではない。


 世界各地で、空の色が変わり始めたと報告が届く。


 白樹の森では、精霊灯が明滅。


 グランガルドでは、炉の火が青白く揺れる。


 海では、潮が逆巻く。


 竜の谷では、竜脈が軋む。


 草原では、風が渦を巻き始める。


 まだ、戦いは始まっていない。


 だが、神々の戦いの前兆が、世界へ漏れ始めていた。


 監視術師たちは震えていた。


 だが、逃げない。


 セレスティアは、彼らを見た。


「退避してください」


 老術師が首を横に振る。


「観測班は、外縁線の後方まで下がります。完全撤退はしません」


「危険です」


「承知しています」


「なぜ」


「我々にも、見る役目があります」


 老術師は、震えながらも言った。


「あなたが邪神の座へ入った後、地上へ伝える者が必要です」


 セレスティアは、しばらく黙った。


 そして、頭を下げた。


「お願いします」


 老術師も頭を下げた。


「承りました」


 決戦開始まで、あと十分。


 三本の柱が、同時に震えた。


 アルディス。


 メルゼア。


 ロウガン。


 柱の亀裂から、白い光が噴き出す。


 最後の反発が始まろうとしている。


 邪神の座が、黒い裂け目として固定され始める。


 これまで揺れていた奥行きが、一点に定まっていく。


 セレスティアは、黒星を抜いた。


 次に、閃白を抜いた。


 解白が背で淡く光る。


 三振りの神剣が、真神格へ重なる。


 黒星が低く言う。


『主よ』


「はい」


『帰るぞ』


「はい」


 閃白が澄んで言う。


『終わらせて、帰りましょう』


「はい」


 解白が淡く告げる。


『邪神座標、固定率上昇。進入可能まで、十』


 セレスティアは、灰色の大地に立つ。


 祈らない。


 願わない。


 謀らない。


 群れない。


 干渉しない。


 ただ、在る。


 そして、最後の一点に刃を入れる。


『九』


 白樹の森では、ミレーヌが死者名簿を読み上げている。


『八』


 グランガルドでは、ゴルドが封印杭の前で腕を組んでいる。


『七』


 海底では、巫女たちが縄で身体を結び、霊流を支えている。


『六』


 竜の谷では、老竜と若竜が竜脈に爪を立てている。


『五』


 草原では、獣人たちが避難路へ子どもを導いている。


『四』


 人間王国では、記録官たちが雨に備え、紙を防水布で覆っている。


『三』


 三賢者の柱が、最後の力を絞る。


『二』


 邪神の座が、黒い一点として開く。


『一』


 セレスティアは、一歩踏み出した。


「剣神セレスティア」


 黒星が重く鳴る。


「黒星」


 閃白が白く澄む。


「閃白」


 解白が淡く光る。


「解白」


 セレスティアは、黒い裂け目を見据えた。


「邪神の座へ、参ります」


『零』


 世界が、一瞬だけ静止した。


 次の瞬間、セレスティアは邪神の座へ入った。


 同時に。


 地上の空が割れた。


 豪雨が降り始めた。


 遠い草原に、竜巻が立った。


 山脈が揺れた。


 海が逆巻いた。


 白樹の森の精霊灯が、一斉に明滅した。


 グランガルドの炉の火が、青白く跳ねた。


 竜の谷の竜脈が、低く唸った。


 誰かが叫んだ。


「邪神が出たのか」


 白樹の精霊王の声が、世界へ響いた。


「違う」


 その声は、厳かだった。


「剣神と邪神が、世界の外縁でぶつかったのだ」


 人々は、空を見た。


 雨の向こう。


 黒い雲の奥。


 見えない場所で、神格と神格が衝突している。


 軍勢と軍勢の戦いではない。


 剣士と剣士の戦いでもない。


 これは、神々の戦いだった。


 白樹の森で、ミレーヌは震える手で死者名簿を握りしめた。


 だが、読み上げを止めなかった。


 グランガルドで、ゴルドは叫んだ。


「槌を止めるな!」


 海底で、巫女たちは荒れる水の中、霊流を繋いだ。


 竜の谷で、老竜が吼えた。


「骨を支えろ!」


 草原で、獣人たちは竜巻を避けながら避難路を守った。


 人間王国で、記録官たちは豪雨の中、紙を守りながら名を読み続けた。


 世界は震えていた。


 だが、立っていた。


 剣神セレスティアは、邪神の座へ入った。


 七十二時間の神々の戦いが、始まった。

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