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神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


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第7話 黒星完成、看板増殖

 黒星の作剣が始まってから、七日が過ぎた。


 その間、セレスティアは毎朝ゴルドの鍛冶場へ通った。


 朝食は日に日に重くなった。


 肉。


 卵。


 豆。


 魚。


 黒パン。


 山羊乳。


 さらに、三日目からは骨付き肉の煮込みまで加わった。


 宿の女将は、毎朝楽しそうに料理を運んできた。


「ゴルド親方からだよ。姫さんは今日は黒星の返しを見るから、肉を増やせってさ」


「ゴルド親方は、わたくしを戦場へ出す前の軍馬か何かだと思っていませんこと?」


「剣士だと思っているんだろうね」


「それは否定できませんわ」


 セレスティアは文句を言いながらも食べた。


 食べなければ、ゴルドに怒鳴られる。


 それに、実際に身体は変わってきていた。


 黒星の作剣は、鍛冶場だけの作業ではなかった。


 セレスティア自身も、毎日魔力を流した。


 剣炉へ。


 黒星の芯へ。


 中央芯へ。


 左右芯へ。


 受け流しの魔力。


 返しの魔力。


 振り下ろすための魔力。


 踏み込みの軸を整える魔力。


 それらを、細く、深く、何度も通した。


 そのたびに、黒星はセレスティアを覚えていった。


 同時に、セレスティアも黒星を覚えていった。


 まだ柄もない。


 まだ刃も研がれていない。


 だが、黒星の気配が身体へ馴染んでいく。


 背に負う前から、もう背中に重みが戻ってきているようだった。


 七日目の朝。


 セレスティアがゴルドの鍛冶場へ向かうと、入口の前で足が止まった。


 看板が増えていた。


 最初は一枚だった。


 バカの剣のみゴルド対応。


 次に二枚目が増えた。


 バカじゃない剣は弟子対応。


 さらに三枚目。


 バカ判定終了。


 そこまでは覚えている。


 だが今朝は、明らかに枚数が違った。


 四枚目があった。


 黒星作剣中につき、バカ姫優先。


 五枚目もあった。


 バカ姫の食事確認済み。


 六枚目もあった。


 バカ姫に剣を触らせるな。完成まで我慢。


 セレスティアは、しばらく無言で立っていた。


 朝の鍛冶町の喧騒が遠くなる。


 通りすがりの職人が看板を見て、セレスティアを見て、何も見なかったことにして歩き去った。


 入口を掃除していた若い弟子が、セレスティアに気づいて顔を強張らせた。


「お、おはようございます、姫様」


「おはようございます」


 セレスティアは微笑んだ。


 実に王女らしい微笑みだった。


 弟子の顔色がさらに悪くなった。


「看板が増えておりますわね」


「はい」


「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚」


「はい」


「六枚ありますわ」


「はい」


「この鍛冶場は、剣を打つ場所ですの? それとも掲示板ですの?」


「ぼ、僕には判断しかねます」


「でしょうね」


 セレスティアは四枚目を見た。


 黒星作剣中につき、バカ姫優先。


 内容は分からなくもない。


 ゴルドが自分の剣を優先しているということだ。


 だが、表現に問題がある。


 五枚目。


 バカ姫の食事確認済み。


 これは完全に余計である。


 六枚目。


 バカ姫に剣を触らせるな。完成まで我慢。


 これは、昨日の自分の行動が原因だろう。


 昨日、黒星の剣身がほぼ形を成したとき、セレスティアは思わず手を伸ばした。


 まだ熱が残っていた。


 ゴルドに怒鳴られた。


 触るな、と。


 セレスティアは反省した。


 少しだけ。


「ゴルド親方は中に?」


「はい」


「そうですか」


 セレスティアは扉へ向かった。


 その直前、七枚目の看板が扉の内側に掛かっているのに気づいた。


 バカ姫、抗議は作業後。


 セレスティアは、静かに目を細めた。


「……先回りされておりますわ」


 扉を開ける。


 鍛冶場の中は、すでに熱気に満ちていた。


 剣炉には、強い火が入っている。


 赤い炎の奥に、白銀の魔力が混じっていた。


 火の色は、作剣初日とはまるで違う。


 今やその炎は、完全にセレスティアの魔力を覚えていた。


 炉が彼女を拒まない。


 むしろ、近づくだけで火がわずかに揺れる。


 鍛冶場の中央には、黒星があった。


 まだ完成ではない。


 だが、もう素材でも芯でもなかった。


 大剣だった。


 黒銀の剣身。


 厚く、重く、広い刃。


 だが、ただ鈍重なだけではない。


 剣身の内側には、三つの芯が通っている。


 中央に破壊の芯。


 左右に制御と受け流しの芯。


 表面には、細い魔力導線がほとんど見えないほど緻密に刻まれている。


 黒星。


 その名にふさわしい、星のない夜を思わせる大剣だった。


 セレスティアは息を呑んだ。


 文句を言うために入ってきたはずだった。


 だが、黒星を見た瞬間、すべて吹き飛んだ。


「……美しい」


 それは宝石のような美しさではなかった。


 白樹の森の花のような美しさでもなかった。


 武器としての美しさ。


 斬るための線。


 受けるための面。


 砕くための厚み。


 背負うための重み。


 戦場に立つための形。


 前世の黒星を思い出す。


 だが、違う。


 前の黒星は、もっと荒々しかった。


 重く、強く、破壊そのもののような剣だった。


 今目の前にある黒星は、それに緻密さが加わっている。


 重いのに、魔力の通り道が細い。


 無骨なのに、隙がない。


 破壊の剣でありながら、守るための構造を持っている。


 今生の黒星。


 ハイエルフ王女セレスティアのための黒星だった。


「顔が緩んでいるぞ」


 ゴルドの声がした。


 セレスティアは顔を上げた。


 ゴルドは剣炉の前に立っていた。


 髭には煤がつき、額には汗が浮かんでいる。


 目の下には疲労の影もあった。


 だが、その目は燃えていた。


 五十一年眠っていた鍛冶師の目ではない。


 剣を打つ者の目だった。


「ゴルド親方」


「あん?」


「看板については、後ほど正式に抗議いたしますわ」


「作業後にしろと書いてあっただろうが」


「読みましたわ」


「なら黙れ」


「はい」


 セレスティアは素直に頷いた。


 黒星の前では、抗議など後回しでよかった。


 ゴルドは黒星の剣身を見下ろす。


「今日は仕上げだ」


 鍛冶場の空気が引き締まった。


 弟子たちが一斉に動きを止める。


 古参の職人が、静かに深呼吸した。


 若い弟子たちも緊張している。


 黒星が完成する。


 それを誰もが理解していた。


 ゴルドはセレスティアを見た。


「昨日までで剣身は決まった。芯も通った。魔力の道も入れた。今日は柄を合わせ、重心を決め、最後にお前の魔力で目を覚まさせる」


「目を覚まさせる」


「剣は形になっただけでは、まだ剣じゃねぇ」


 ゴルドは黒星を指した。


「使い手が握って初めて剣になる」


 セレスティアは静かに頷いた。


「はい」


「だが、その前に言っておく」


「何でしょう」


「前の黒星とは違う」


「分かっております」


「分かっているつもりでは駄目だ。前の感覚で握れば、剣に引っ張られる」


 ゴルドの声が低くなる。


「今度の黒星は、お前の魔力に応える。応えすぎるくらいにな」


「応えすぎる」


「ああ。重心が生きている。中央芯が前へ出る。左右芯が受けを支える。お前が無意識に魔力を流せば、剣の方が勝手に動きたがる」


「危険ですわね」


「だからバカの剣なんだ」


「そこに戻りますのね」


「事実だ」


 セレスティアは、黒星を見た。


 危険。


 たしかに危険だ。


 剣が使い手に応えすぎる。


 普通なら失敗作と言われかねない。


 だが、セレスティアには分かった。


 それこそが必要だった。


 今生の自分は、剣を魔力で緻密に制御する。


 ならば、剣も鈍くてはならない。


 ただ頑丈な大剣では足りない。


 自分の魔力に追従し、重さを保ったまま、刃筋を支え、反動を返す剣。


 そんなものは普通ではない。


 バカの剣。


 ゴルドの表現は乱暴だが、正しい。


 ゴルドは弟子に命じた。


「柄を持ってこい」


「はい!」


 弟子が、黒い布に包まれた柄を運んできた。


 長い。


 普通の大剣より、少し長めの柄だった。


 だが前世の黒星よりは、わずかに細い。


 セレスティアの今生の手に合わせたのだろう。


 ゴルドは布を外した。


 柄の芯は黒鋼。


 外側には、魔獣の革が巻かれている。


 その上に、白銀の細い線が編み込まれていた。


 セレスティアは目を細めた。


「これは」


「お前の魔力を逃がす線だ」


「逃がす?」


「握った魔力が全部剣身へ行けば暴れる。余分な魔力を柄で受けて、手の内へ戻す」


「魔力の戻りを柄にも作ったのですか」


「ああ」


 ゴルドは鼻を鳴らした。


「お前は剣に魔力を流しすぎる癖がある」


「そんなに流しております?」


「流している」


「前世でも?」


「前世でもだ」


「今生では改善しているつもりでしたわ」


「方向が細かくなっただけで、量は大して変わってねぇ」


「……気をつけますわ」


「だから柄で戻す」


 ゴルドは柄を黒星の茎へ合わせた。


 寸分の狂いもない。


 鍛冶場の者たちが息を呑む。


 剣身と柄が噛み合う。


 黒星が、一つの剣として形を成していく。


 ゴルドは小槌を持った。


 大槌ではない。


 仕上げのための槌。


 一打。


 音は小さい。


 だが、鍛冶場全体に響いた。


 二打。


 三打。


 魔力導線が柄へ繋がる。


 四打。


 五打。


 黒星の剣身が、わずかに震えた。


 セレスティアの胸も震えた。


 自分の魔力が反応している。


 まだ触れていないのに。


 黒星が近づいてくる。


 前世の記憶ではない。


 今生の自分の剣として。


 ゴルドが最後の留め具を打ち込んだ。


 黒星が完成に近づく。


 ゴルドは、静かに言った。


「持て」


 鍛冶場が静まり返った。


 セレスティアは一歩進んだ。


 黒星の前に立つ。


 熱はもう落ちている。


 だが、剣からは静かな圧が出ていた。


 重い。


 触れる前から分かる。


 これは軽い剣ではない。


 黒星は、黒星である。


 セレスティアは柄に手を伸ばした。


 右手で握る。


 左手を添える。


 その瞬間。


 黒星が、鳴った。


 音ではない。


 魔力の震えだった。


 黒銀の剣身に、白銀の線が一瞬だけ走る。


 鍛冶場の炎が揺れた。


 セレスティアの髪が、風もないのにふわりと浮く。


 弟子たちが息を呑んだ。


 古参の職人が、震える声で呟く。


「応えた……」


 黒星が、セレスティアに応えた。


 セレスティアは、ゆっくりと黒星を持ち上げた。


 重い。


 当然、重い。


 前世の黒星に近い重みがある。


 だが、違う。


 ただ重いのではない。


 重さの奥に、道がある。


 魔力を通すと、中央芯が前へ出る感覚。


 左右芯が剣筋を支える感覚。


 柄から余分な魔力が戻る感覚。


 剣が手の中で暴れない。


 むしろ、こちらの呼吸を待っている。


 セレスティアは静かに息を吸った。


 構える。


 黒星を構える。


 背に負うための大剣。


 だが今は、両手で持つ。


 鍛冶場の空気が重くなった。


 ゴルドが言う。


「振れ」


 セレスティアは頷いた。


 一歩踏み込む。


 黒星が動いた。


 重い大剣が、空気を裂く。


 だが、ただの豪剣ではない。


 剣身が軌道を外れない。


 魔力が中央芯へ入り、重さを前へ押し出す。


 左右芯が剣筋を支える。


 振り下ろしの終わりに、柄から魔力が戻る。


 反動が消える。


 次の一手へ繋がる。


 セレスティアは、二度目を振った。


 横薙ぎ。


 黒星が重い風を生む。


 だが、剣の返りが速い。


 重さを殺していない。


 重いまま、速い。


 三度目。


 受けの形。


 目の前に仮想の一撃を置く。


 黒星の面で受ける。


 魔力を左右芯へ流す。


 衝撃を逃がし、中央へ戻す。


 そこから、踏み込む。


 黒星が前へ出た。


 セレスティアは止まった。


 鍛冶場の床に、細い亀裂が走っていた。


 弟子たちが固まる。


 セレスティアは、困ったように微笑んだ。


「……少し、踏み込みが強すぎましたわ」


 ゴルドは深くため息をついた。


「だから言っただろうが。応えすぎるとな」


「はい。想像以上でしたわ」


「床を割るな」


「申し訳ありません」


「修理代は王家に請求する」


「それは構いませんが、白樹の森に請求書を送るのは少々目立ちますわ」


「なら働いて返せ」


「わたくし、王女ですのよ?」


「床を割ったバカ姫だ」


「看板が増えそうですわね」


「もう増える」


「やはりですか」


 ゴルドは黒星を見た。


 そして、セレスティアを見る。


「どうだ」


 セレスティアは、黒星を構えたまま、しばらく黙っていた。


 言葉を探していた。


 懐かしい。


 だが、それだけではない。


 前世の黒星を取り戻したわけではない。


 これは新しい黒星だ。


 今生の自分のための黒星。


 ハイエルフの身体。


 精密な魔力制御。


 王女として背負うもの。


 剣士として前へ出る意志。


 それらすべてに応える剣。


 セレスティアは、静かに頭を下げた。


「最高ですわ」


 ゴルドは鼻を鳴らした。


「当然だ」


「前世の黒星とは違います」


「ああ」


「けれど、間違いなく黒星です」


「ああ」


「そして、今のわたくしの剣です」


 ゴルドは少しだけ黙った。


 それから、短く言った。


「そう作った」


 セレスティアは微笑んだ。


「ありがとうございます、ゴルド親方」


「礼はまだ早い」


「黒星は完成しましたわ」


「閃白が残っている」


 セレスティアの目が輝いた。


「はい」


「顔を緩めるな」


「無理ですわ」


「だろうな」


 その時、鍛冶場の外で声がした。


「親方! 看板、書けました!」


 セレスティアは嫌な予感がした。


 ゴルドは当然のように言う。


「出しておけ」


「はい!」


「何を書かせましたの?」


 セレスティアが尋ねる。


 ゴルドは何食わぬ顔で答えた。


「必要事項だ」


「必要事項」


「見れば分かる」


 セレスティアは黒星を専用台へ戻し、鍛冶場の入口へ向かった。


 外へ出る。


 看板はさらに増えていた。


 八枚目。


 黒星完成。床破壊注意。


 九枚目。


 バカ姫、黒星試振りで床を割る。


 十枚目。


 黒星見物不可。バカ姫が調子に乗るため。


 セレスティアは無言だった。


 若い弟子が横で震えている。


 笑いを堪えているのか、恐怖しているのか分からない。


 セレスティアは、静かに振り返った。


 ゴルドは鍛冶場の中からこちらを見ていた。


「ゴルド親方」


「あん?」


「九枚目は不要ではありませんこと?」


「事実だ」


「事実をすべて掲示する必要はありませんわ」


「再発防止だ」


「公文書のような言い方をなさらないでくださいませ」


「床を割る方が悪い」


「それは認めますけれど」


「なら文句を言うな」


「十枚目についても抗議いたしますわ」


「調子に乗るだろうが」


「少しだけですわ」


「だから書いた」


「少しも許されませんの?」


「黒星を持ったお前の少しは信用ならん」


 セレスティアは言葉に詰まった。


 実際、黒星を持った瞬間、もっと振りたいと思った。


 外で振ったらどうなるかも少し考えた。


 広い場所なら、もっと本気で振れる。


 そう思った。


 ゴルドは完全に見抜いている。


 セレスティアは、小さく咳払いをした。


「……では、十枚目は一部妥当と認めます」


「九枚目は」


「不名誉ですわ」


「事実だ」


「もう少し表現を柔らかく」


「床破壊実績あり」


「悪化しておりますわ」


 弟子たちがついに笑った。


 通りすがりの職人たちも、看板を見て笑っている。


 中には、看板を読み上げる者までいた。


「黒星完成。床破壊注意だとよ」


「また増えたのか」


「バカ姫、黒星試振りで床を割る、か」


「あの姫さん、何者なんだ」


「ゴルド親方に剣を打たせたバカ姫だろ」


 セレスティアは、少しだけ頬を引きつらせた。


「ゴルド親方」


「何だ」


「わたくし、この町で完全にバカ姫として認識され始めておりますわ」


「合っている」


「合っておりません」


「黒星を持って床を割った」


「剣の性能確認ですわ」


「だからバカなんだ」


 ゴルドは鍛冶場へ戻る。


 セレスティアも後を追った。


 黒星は専用台に置かれている。


 黒銀の剣身は、静かに光を吸っていた。


 その存在感は圧倒的だった。


 セレスティアは、看板への抗議を一度忘れた。


 黒星がある。


 今生の黒星が完成した。


 それだけで、胸が満たされる。


 ゴルドは黒星の横に立った。


「今日は背負い具も合わせる」


「背負い具」


「ああ。前の黒星より魔力反応が強い。普通の背負い具では、歩いている間に魔力が擦れる」


「それは困りますわね」


「だから専用にする」


 ゴルドは作業台の下から、黒革と魔銀で作られた背負い具を取り出した。


 幅広の革。


 肩と背中に負担を分散する構造。


 魔力を逃がす銀線。


 そして、抜刀時に黒星の重さを妨げない角度。


 セレスティアはそれを見て目を細めた。


「前世のものより、かなり良いですわ」


「前のやつは、お前が無理やり使っていたからな」


「使えておりましたわ」


「肩に痣を作っていた」


「覚えておりましたの?」


「見れば分かる」


 ゴルドは背負い具をセレスティアへ渡した。


「付けろ」


「はい」


 セレスティアは背負い具を装着した。


 黒星を背に負う。


 その瞬間、身体が沈んだ。


 重い。


 やはり重い。


 だが、懐かしい重みだった。


 そして、今の自分に合う重みだった。


 肩だけに負担がかからない。


 背中全体で受けられる。


 魔力を流すと、背負い具の銀線がわずかに光り、黒星の魔力が安定する。


 セレスティアは、ゆっくりと歩いた。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 背に黒星がある。


 それだけで、身体の中心が決まった。


 五十一年前に失ったものが戻ったのではない。


 今、新しく得た。


 セレスティアは目を伏せた。


「……落ち着きますわ」


 ゴルドは鼻を鳴らした。


「だろうな」


「これです。この重みです」


「前とは違う」


「はい。けれど、これが今のわたくしの黒星です」


「ならいい」


 セレスティアは振り返った。


 背の黒星が、わずかに揺れる。


 ゴルドはそれを見て、満足そうに目を細めた。


 ほんの一瞬だった。


 だが、確かに見えた。


 ゴルドが笑っている。


 セレスティアは言った。


「ゴルド親方」


「あん?」


「笑いましたわね」


「笑ってねぇ」


「笑いましたわ」


「気のせいだ」


「五十一年ぶりに剣を完成させたのですから、笑ってもよろしいのでは?」


 ゴルドは黙った。


 鍛冶場も静かになる。


 弟子たちも、古参の職人も、何も言わなかった。


 ゴルドは黒星を見た。


 そして、セレスティアを見た。


「……前の黒星を打った時も、お前は同じ顔をしていた」


「どんな顔ですの?」


「子どもみたいな顔だ」


「失礼ですわ」


「剣を見ると、お前はいつもそうだった」


 セレスティアは、背の黒星に手を添えた。


「今も、そうですか」


「ああ」


「では、変わっておりませんわね」


「いや」


 ゴルドは低く言った。


「前より少し、まともになった」


「本当ですの?」


「少しだけだ」


「少しでも進歩ですわ」


「調子に乗るな」


「はい」


 セレスティアは微笑んだ。


 ゴルドは、作業台へ戻る。


「黒星は完成だ」


 その言葉に、鍛冶場の者たちが静かに頭を下げた。


 誰も拍手はしなかった。


 騒がなかった。


 ただ、それぞれの職人が黒星へ敬意を示した。


 剣が完成した。


 それは、この鍛冶場にとって特別な瞬間だった。


 五十一年ぶりの、ゴルドの剣。


 そして、今生のセレスティアの黒星。


 ゴルドは羊皮紙を広げた。


「次は閃白だ」


 セレスティアの目が輝く。


 ゴルドはすかさず言った。


「顔を緩めるな」


「無理ですわ」


「だろうな」


「閃白はいつから?」


「明日から素材を見る」


「楽しみですわ」


「看板を増やすぞ」


「なぜですの?」


「バカ姫、閃白前に浮かれるな」


「それは撤去しますわ」


「なら浮かれるな」


「難しいですわ」


「なら増える」


 セレスティアは額に手を当てた。


 だが、口元は笑っていた。


 鍛冶場の外では、十枚の看板が朝風に揺れている。


 バカの剣のみゴルド対応。


 バカじゃない剣は弟子対応。


 バカ判定終了。


 黒星作剣中につき、バカ姫優先。


 バカ姫の食事確認済み。


 バカ姫に剣を触らせるな。完成まで我慢。


 バカ姫、抗議は作業後。


 黒星完成。床破壊注意。


 バカ姫、黒星試振りで床を割る。


 黒星見物不可。バカ姫が調子に乗るため。


 ふざけた看板。


 ひどい看板。


 王女の名誉を著しく損なう看板。


 だが、そのすべてが、この鍛冶場に戻った笑いの証でもあった。


 五十一年眠っていた剣炉に火が戻り。


 五十一年笑わなかった鍛冶師が笑い。


 五十一年前に途切れた約束から、今生の黒星が生まれた。


 セレスティアは背の黒星を感じながら、静かに目を閉じた。


 重い。


 温かい。


 懐かしくて、新しい。


 これが、今生の黒星。


 セレスティア・リュミエール・アルヴァレインの大剣。


 剣聖セレスティアを超えるための、最初の一振りだった。

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