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神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


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第60話 名もなき森へ

 邪神封印限界まで、あと二十九日。


 朝の白樹の森は、静かだった。


 だが、その静けさは平穏ではない。


 最終配置へ向かう緊張を含んだ静けさだった。


 王宮の中庭には、転移陣が用意されていた。


 行き先は、名もなき森。


 前世セレスティアの肉体が安置されている場所。


 セレスティア、ここに眠る。


 その一文だけが刻まれた石棺のある場所だった。


 セレスティアは、転移陣の前に立っていた。


 背には黒星。


 左腰には閃白。


 背には解白。


 三振りの神剣は静かだった。


 昨夜、ゴルドに言われた言葉が、胸に残っている。


 前世の身体には会いに行くのか。


 行く。


 戦う前に。


 復讐のためではない。


 罪を背負うためでもない。


 ただ、同じ想いを確かめるために。


 邪神戦争を終わらせる。


 そのために。


 中庭には、王、王妃、ルシェル、ミレーヌ、ゴルドがいた。


 名もなき森へ同行するのは、セレスティアだけではなかった。


 ゴルド。


 黒星と閃白を打った鍛冶師。


 前世セレスティアを知る者。


 そして、今生セレスティアをバカ姫と呼び続ける者。


 ルシェルも同行を申し出た。


 だが、セレスティアは首を横に振った。


「ルシェルは、白樹の森で記録を続けてください」


「しかし、姉上」


「名もなき森へ行く目的は、記録ではありません」


「はい」


「それに、今の白樹の森には、あなたの記録が必要です」


 ルシェルは、少しだけ悔しそうに目を伏せた。


 だが、すぐに頷いた。


「承知しました」


 解白が淡く言った。


『訪問記録は我が担当可能』


 ルシェルは、少し安心したように解白を見た。


「お願いします」


『承知』


 ミレーヌは、セレスティアの手を握っていた。


「お姉様」


「はい」


「前世のお姉様に、よろしく伝えてください」


 セレスティアは、少しだけ目を伏せた。


「はい」


「復活しないことは分かっています」


「はい」


「でも、想いが残っているなら」


「はい」


「ありがとう、と」


 ミレーヌの声が震えた。


「七十年前、守ってくれてありがとう、と」


 セレスティアは、ミレーヌの手を握り返した。


「伝えます」


 王妃は、何も言わずにセレスティアを抱きしめた。


 長い抱擁だった。


 セレスティアは、その温かさを受け取る。


 神としてではなく、娘として。


 王妃は離れると、静かに言った。


「帰ってきたら、昼食です」


「はい」


「予定表通りです」


「お母様、ここでも食事予定ですか」


「当然です」


 ゴルドが横で頷いた。


「当然だ」


 セレスティアは肩を落とした。


「味方がいませんわ」


 黒星が低く鳴った。


『食事は必要』


 閃白が澄んで続けた。


『安定維持です』


 解白が淡く言う。


『帰還後昼食、予定通り』


「分かりました」


 王は、最後に声をかけた。


「セレスティア」


「はい」


「行ってこい」


「はい」


「そして、戻れ」


 その言葉は短かった。


 だが、それで十分だった。


 セレスティアは深く頭を下げた。


「行ってまいります」


 転移陣が光った。


 白樹の森の中庭が白く染まる。


 次の瞬間、セレスティアとゴルドの姿は消えた。


 名もなき森。


 転移陣の光が、古い石畳の上に落ちた。


 森は静かだった。


 白樹の森とは違う。


 ここには、王宮も人の気配もない。


 ただ、背の高い木々が立ち、薄い霧が流れ、鳥の声すら遠い。


 かつて古戦場に近かった場所。


 今は瘴気も祓われ、静けさだけが残っている。


 セレスティアは、ゆっくりと息を吸った。


 空気は冷たい。


 だが、清い。


 邪の気配はない。


 ゴルドが隣で森を見回した。


「変わったな」


「以前、来た時とは違いますか」


「ああ」


 ゴルドは短く答えた。


「前は、まだ匂いが残ってた」


「匂い」


「戦場の匂いだ」


 セレスティアは、何も言わなかった。


 ゴルドは続ける。


「血の匂いじゃねぇ」


「はい」


「終われなかったもんの匂いだ」


「……はい」


「今は、薄い」


 ゴルドは、石室へ続く小道を見た。


「眠り始めたんだろうな」


 セレスティアは、静かに頷いた。


 石室へ向かう。


 道は整えられていた。


 だが、華美ではない。


 花が飾られているわけでもない。


 旗もない。


 像もない。


 祈るための祭壇もない。


 ただ、歩くための道がある。


 崇めず。


 祀らず。


 役目を与えず。


 ただ、眠るための場所。


 それが、名もなき森の石室だった。


 石室の入口には、見張りの精霊がいた。


 小さな光が、セレスティアに気づいて揺れる。


 敵意はない。


 むしろ、静かな敬意があった。


 セレスティアは、精霊へ頭を下げた。


「守ってくれて、ありがとうございます」


 精霊の光が、柔らかく揺れた。


 石室の扉が開く。


 中は薄暗かった。


 灯りは少ない。


 だが、闇ではない。


 石壁に刻まれた清浄の文様が、淡く光っている。


 中央には石棺。


 その上に刻まれた一文。


 セレスティア、ここに眠る。


 セレスティアは、その前で足を止めた。


 ゴルドも止まった。


 しばらく、誰も話さなかった。


 黒星も、閃白も、解白も沈黙していた。


 石棺の中には、前世セレスティアの肉体が眠っている。


 邪神格に使われた身体。


 六十一年、眷属として立ち続けた身体。


 邪神格によって傷を修復され、朽ちることを許されなかった身体。


 そして、今は清められた身体。


 安らかに眠る身体。


 セレスティアは、石棺の前に膝をついた。


 神は跪かない。


 だが、これは祈りではない。


 崇拝でもない。


 過去の自分への礼だった。


「来ました」


 声は小さかった。


「剣聖セレスティア」


 ゴルドが、石棺を見つめる。


 その目は、普段の荒い職人の目ではなかった。


 七十年前の友を見送る者の目だった。


「久しぶりだな」


 ゴルドの声は低い。


「お前がバカだったのは知ってるが」


 セレスティアは、少しだけ目を瞬かせた。


 ゴルドは続ける。


「こっちのバカ姫も大概だ」


 黒星が低く鳴った。


『否定はできぬ』


 閃白が澄んで言う。


『少しだけ』


 解白が淡く言う。


『行動履歴上、該当事例多数』


「三振りとも、今それを言いますの?」


 ゴルドは、少しだけ笑った。


 その笑いで、石室の空気がわずかに柔らかくなった。


 セレスティアは、石棺へ向き直る。


「わたくしは、あなたではありません」


 静かに言う。


「あなたの魂は眠りへ向かいました」


「あなたの人格は、もう戻りません」


「あなたを復活させるために来たのではありません」


 石室は静かだった。


 だが、石棺の奥で、かすかな清浄の気配が揺れた。


 魂の座。


 その最深部に残る、静かな想い。


 邪神さえ気づけなかった残渣。


 絶対に邪神戦争を終わらせる。


 その想い。


 セレスティアは、胸に手を当てた。


「あなたの想いを、邪神へ渡しません」


 黒星が低く沈む。


「あなたの死を、わたくしの罪にしません」


 閃白が澄む。


「あなたの肉体を使った邪神の罪を、あなたに背負わせません」


 解白が淡く光る。


「ですが」


 セレスティアは、静かに頭を下げた。


「邪神戦争を終わらせるという想いは、受け取ります」


 石室の空気が、ほんの少し動いた。


 聖布が、かすかに揺れた。


 風はない。


 扉も閉じている。


 だが、確かに揺れた。


 ゴルドが息を呑む。


 セレスティアは目を閉じた。


 夢のような気配が、胸の奥に触れる。


 声ではない。


 言葉でもない。


 命令でもない。


 呪いでもない。


 ただ、想い。


 終わらせて。


 それだけだった。


 セレスティアは、静かに答えた。


「はい」


 石室が、淡く光った。


 石棺の中。


 前世セレスティアの胸のあたり。


 魂の座の最深部。


 清らかな光が、一瞬だけ灯る。


 邪ではない。


 神格でもない。


 復活の光でもない。


 ただ、想いが応えた光だった。


 解白が淡く告げる。


『魂の座、清浄反応』


 閃白が言った。


『邪神反応なし』


 黒星が低く鳴る。


『願いだ』


 ゴルドは、石棺を見ていた。


 その手が、わずかに震えている。


 だが、彼は泣かなかった。


 泣かずに、静かに言った。


「お前、本当に残ってたのか」


 返事はない。


 返事があるはずもない。


 それでも、ゴルドは続けた。


「よく残った」


 短い言葉だった。


 セレスティアは、ゴルドを見た。


 ゴルドは石棺から目を逸らさない。


「怒りじゃなくてよかった」


「親方」


「怒りなら、邪神に食われてた」


「はい」


「恨みなら、腐らされてた」


「はい」


「後悔なら、鎖にされてた」


「はい」


「でも、こいつは違ったんだな」


 ゴルドは、深く息を吐いた。


「ただ、終わらせたかったんだな」


 セレスティアは頷いた。


「はい」


 ゴルドは、石棺へ向けて言った。


「任せろ」


 その声は低かった。


「こっちのバカ姫は、ちゃんと強くなった」


 セレスティアは、少しだけ苦笑した。


「親方」


「真神格だろうが何だろうが、バカ姫はバカ姫だ」


「今ここで言いますの?」


「言う」


 ゴルドは石棺を見たまま続ける。


「だが、剣は届く」


 黒星が静かに鳴る。


「黒星も、閃白も、解白も、こいつと一緒に行く」


 閃白が白く澄む。


「邪神を終わらせる」


 解白が淡く光る。


「だから、眠ってろ」


 石室の光が、少しだけ柔らかくなった。


 セレスティアは、石棺に手を置いた。


 冷たい石。


 だが、その奥にある肉体は、安らかだった。


 前世の自分。


 もう一人のセレスティア。


 同じ魂ではない。


 同じ人格でもない。


 だが、同じ願いを持つ者。


 セレスティアは、静かに言った。


「ミレーヌから伝言があります」


 石室は静かだった。


「七十年前、守ってくれてありがとう、と」


 かすかな光が揺れた。


「ミレーヌは、あなたの時代には生まれていません」


「ですが、あなたが守ったものの先に、今の白樹の森があります」


「わたくしの家族があります」


「世界があります」


「だから、ありがとう、と」


 セレスティアは、少しだけ微笑んだ。


「わたくしからも、ありがとうございます」


 ゴルドが、横で小さく鼻を鳴らした。


「礼を言われると照れそうなやつだった」


「そうなのですか」


「ああ」


「前世のわたくしが?」


「お前ほどじゃねぇが、似たところはある」


 セレスティアは、少しだけ複雑な顔をした。


「それは、どういう意味ですの?」


「褒めてねぇ」


「親方」


 石室に、小さな笑いが落ちた。


 その笑いは、死者を冒涜するものではない。


 むしろ、死者を人として扱うものだった。


 英雄としてではなく。


 柱としてではなく。


 邪神の器としてでもなく。


 一人のセレスティアとして。


 しばらくして、セレスティアは立ち上がった。


「行きます」


 石棺は静かだった。


 だが、魂の座の奥にあった微かな光は、もう揺れていない。


 落ち着いていた。


 願いは届いた。


 受け取られた。


 それで十分だった。


 セレスティアは、石棺へ深く頭を下げた。


「必ず、終わらせます」


 黒星が低く言う。


『終わらせる』


 閃白が続ける。


『終わらせます』


 解白が淡く言う。


『終焉対象、邪神冒涜理』


 ゴルドが言った。


「邪神戦争を終わらせてこい」


「はい」


 石室を出る。


 名もなき森の空気は、来た時よりも少しだけ軽く感じられた。


 セレスティアは、振り返らなかった。


 死者の眠りを、いつまでも見つめ続けることはしない。


 会いに来た。


 想いを受け取った。


 なら、次へ進む。


 それが、死者を眠らせるということだった。


 転移陣へ戻る道で、ゴルドが言った。


「バカ姫」


「はい」


「軽くなったか」


 セレスティアは、少し考えた。


「いいえ」


「そうか」


「軽くはなっていません」


「おう」


「ですが、重さの場所が分かりました」


 ゴルドは、ちらりとセレスティアを見た。


「どういう意味だ」


「前世のわたくしの想いは、わたくしを縛る重さではありません」


「おう」


「邪神に返すべき責も、わたくしの背にあるものではありません」


「おう」


「ただ、終わらせるべきものが、はっきりしました」


 ゴルドは、短く笑った。


「なら十分だ」


「はい」


 白樹の森へ戻る。


 中庭に光が立つ。


 セレスティアとゴルドが戻ると、ミレーヌがすぐに駆け寄った。


「お姉様」


「ただいま」


「伝えられましたか」


「はい」


「反応は」


「光が揺れました」


 ミレーヌは、泣きそうな顔で笑った。


「そうですか」


「はい」


「よかった」


 セレスティアは、ミレーヌの頭をそっと撫でた。


「ありがとう、ミレーヌ」


「私がですか?」


「あなたの言葉も、届きました」


 ミレーヌは、今度こそ少し泣いた。


 王妃が、静かに二人を見守っていた。


 王は、セレスティアの顔を見て頷く。


「行ってよかったようだな」


「はい」


「迷いは」


「あります」


「よい」


「ですが、刃は揺れていません」


「ならばよい」


 ルシェルが記録板を持って近づく。


「姉上、名もなき森での反応記録を」


「ルシェル」


「はい」


「後で」


「はい」


 解白が淡く言った。


『我が一次記録保持』


 ルシェルは目を輝かせた。


「ぜひ共有を」


『対応可能』


 セレスティアは、諦めたように空を見た。


 帰ってきても、記録からは逃れられないらしい。


 昼食は、予定通り用意されていた。


 王妃は、何も聞かずに温かいスープを出した。


 セレスティアは、それを飲んだ。


 名もなき森で受け取った重さが、少しずつ胸の内に収まっていく。


 食事。


 地上。


 家族。


 それらが、重さを正しい場所へ置いてくれる。


 夕刻。


 白樹の泉の水面に、三賢者の柱が映った。


 ロウガン柱。


 アルディス柱。


 メルゼア柱。


 それぞれの歪みは、さらに深くなっている。


 邪神封印限界まで、あと二十八日。


 セレスティアは、それを見た。


 走らない。


 焦らない。


 だが、見逃さない。


 黒星が低く問う。


『主よ』


「はい」


『終わらせるものは』


 セレスティアは、泉の水面を見つめたまま答えた。


「邪神の冒涜」


 閃白が澄んで問う。


『守るものは』


「世界が自ら立つ時間」


 解白が淡く問う。


『受け取ったものは』


「前世セレスティアの願い」


 ゴルドが、後ろで腕を組んでいた。


「背負うものは」


 セレスティアは、振り返らずに答えた。


「自分の刃の責」


 王が問う。


「祈るものは」


 セレスティアは、静かに言った。


「ありません」


 ミレーヌが小さく聞いた。


「帰る場所は」


 セレスティアは、ようやく振り返った。


「ここです」


 白樹の泉の間に、静かな空気が満ちた。


 邪神封印限界まで、あと二十八日。


 剣神セレスティアは、名もなき森で、もう一人のセレスティアの想いを受け取った。


 復讐ではなく。


 罪ではなく。


 呪いでもなく。


 ただ、終わらせるべきものを終わらせるために。


 最後の一カ月は、静かに進んでいく。

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