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神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


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第32話 神々の剣戟

 古戦場へ向かう朝。


 グランガルドの空は、重く曇っていた。


 鍛冶場の前には、いつものように看板が並んでいる。


 だが、その日の看板だけは、町の者たちも笑わなかった。


 眷属セレスティア再戦。


 邪神格反応、最大値付近。


 黒星・閃白・剣神セレスティア、出立。


 バカ姫、生きて戻れ。


 セレスティアは、その最後の一行の前で足を止めた。


 バカ姫。


 いつもの不名誉な呼び名。


 だが、今日だけは抗議する気にならなかった。


 生きて戻れ。


 それが、この十数年のすべてだった。


 前世は戻れなかった。


 今生では戻る。


 死んで守るのではなく、生きて終わらせる。


 セレスティアは、静かに看板へ一礼した。


「行ってまいります」


 背には黒星。


 大神格位。


 不壊。


 鋭刃。


 重量自在。


 左腰には閃白。


 大神格位。


 永続斬撃。


 破邪。


 聖剣。


 そして、セレスティア自身も神格を得た。


 影なきエンシェントエルフ。


 虹色の神眼を宿す剣神。


 かつてのハイエルフ王女であり、前世の剣聖であり、今は神格を帯びた者。


 だが、ゴルドはいつもと同じ顔で言った。


「飯は食ったか」


「食べました」


「肉は」


「食べました」


「魚は」


「食べました」


「豆は」


「食べました」


「酒は」


「飲んでおりません」


「よし」


「親方」


「あん?」


「戻ったら、火酒を飲んでもよろしいですか」


「勝って戻ったらな」


「約束ですわ」


「飲みすぎるなよ」


「それは戻ってから相談します」


「今から信用ならん」


 いつもの会話。


 それが、ありがたかった。


 ゴルドは、セレスティアの前へ歩み寄った。


 そして、黒星の柄を見た。


「黒星」


 黒星が深く鳴る。


「お前は、あいつを守れ」


 次に、閃白を見る。


「閃白」


 閃白が澄んだ光を返す。


「邪神格だけを斬れ」


 最後に、セレスティアを見る。


「セレスティア」


「はい」


「命を燃やすな」


「はい」


「神格を得たからといって、何でもできると思うな」


「はい」


「お前は神になった。だが、邪神本体と同格になったわけじゃねぇ」


「分かっています」


 セレスティアは静かに頷いた。


 眷属セレスティア。


 それは、邪神本体ではない。


 邪神の眷属の一柱である。


 邪神格の欠片を魂の座に入れられた、死した前世の肉体。


 邪神本体そのものではない。


 だが、軽く見る相手ではない。


 剣聖セレスティアの肉体。


 前世の黒星と閃白。


 六十一年にわたって邪神の封印地を守り続け、負の神格を帯びた可能性のある二振り。


 疲労しない。


 痛みを知らない。


 前世の剣技を保持する。


 そして、背後には邪神本体の意思がある。


 あれは、本体ではない。


 だが、神々の戦いに足を踏み入れる相手だった。


 ゴルドは低く言った。


「眷属は本体じゃねぇ」


「はい」


「だが、本体に繋がっている」


「はい」


「邪神が語りかけてくるなら、耳を貸しすぎるな」


「理解はします」


「許すな」


「はい」


「斬る前に迷うな」


「答えは、十の試練で探しました」


「見つけたか」


 セレスティアは少しだけ沈黙した。


「完全ではありません」


「それでいい」


 ゴルドは言った。


「完全な答えを持っている奴は、だいたい危ねぇ」


「親方らしいですわね」


「答えを探しながらでも、斬るべきものは斬れ」


「はい」


 セレスティアは、古戦場の方角を見た。


 虹色の神眼を、少しだけ開く。


 第四の視界。


 神格と負の神格を見る視界。


 遠く、黒い柱のようなものが見えた。


 封印地。


 その前に立つ、眷属セレスティア。


 前世の黒星。


 前世の閃白。


 そして、魂の座に巣食う邪神格。


 セレスティアは視界を閉じた。


「行きます」


「ああ」


「親方」


「あん?」


「戻ります」


「当たり前だ」


 ゴルドは、いつものように鼻を鳴らした。


「戻って火酒を飲むんだろうが」


「はい」


「なら戻れ」


「はい」


 セレスティアは、グランガルドを出た。


 町の者たちは、道の両側に立っていた。


 誰も大声では騒がない。


 ただ、静かに見送っている。


 黒星の姫。


 武器庫姫。


 酒強姫。


 バカ姫。


 影なき剣神。


 いくつもの呼び名を持つセレスティア。


 その彼女が、今、前世の自分を解放するために古戦場へ向かう。


 古戦場へ近づくにつれ、空は暗くなった。


 草は黒く乾き、木々はねじれ、風は冷たい。


 十年前より、瘴気は濃かった。


 だが、セレスティアの歩みは揺れない。


 黒星は背で静かに沈み、閃白は左腰で澄んでいる。


 神眼の第一視界だけで見ても、空気が歪んでいるのが分かる。


 封印地に近づいたところで、セレスティアは足を止めた。


 黒い霧の向こう。


 そこに、いた。


 死した剣聖セレスティア。


 右手に前世の黒星。


 左手に前世の閃白。


 血に染まった古い戦装束。


 腐敗しない肉体。


 魂のない瞳。


 十年前と同じ姿。


 だが、同じではない。


 邪神格の反応が濃くなっている。


 前世の黒星と閃白も、負の神格を安定させていた。


 眷属セレスティアは、封印地の境界に立っている。


 まるで待っていたかのように。


 セレスティアは、黒星を抜いた。


 重さは、今は羽のように軽い。


 だが、存在としての重みは変わらない。


 左手で閃白を抜く。


 白い刃が、黒い霧の中で静かに光る。


 眷属セレスティアも、動いた。


 前世の黒星を持ち上げる。


 前世の閃白を構える。


 同じ姿。


 同じ構え。


 右手に黒星。


 左手に閃白。


 前世と今生。


 死した剣聖と、神格を得た剣神。


 セレスティアは、静かに言った。


「戻りましたわ」


 眷属セレスティアは答えない。


 魂がないからだ。


 だが、その瞳の奥で、黒い光が揺れた。


 声が響いた。


 眷属セレスティアの口は、ほとんど動いていない。


 だが、声は確かにそこから聞こえた。


「戻ったか」


 低く、深く、世界の外側から滲むような声。


 邪神。


 封印された本体の意思が、眷属を通して語っている。


 セレスティアは、虹色の神眼を一段だけ開いた。


 第五の視界。


 世界の理の綻びを見る。


 声の奥に、封印地の向こう側が見えた。


 巨大な黒い理。


 世界の外から、世界を覗くもの。


 邪神本体。


 だが、ここにいるのは本体ではない。


 目の前にいるのは、邪神の眷属の一柱。


 前世の肉体を器にした、封印地の護り手。


 セレスティアは答えた。


「ええ。戻りました」


「神格を得たか」


「はい」


「影を失い、虹の目を得たか」


「はい」


「では、お前もこちら側に近づいた」


「邪神側ではありません」


「世界の外の理へ触れたという意味では、同じだ」


 セレスティアは黙った。


 邪神の言葉は、嘘ではない。


 神格を得たことで、セレスティアは世界の内側だけに留まる存在ではなくなった。


 邪神という世界の外の理に対抗するために、自分もその外側へ触れた。


 それは事実だ。


 邪神は続ける。


「セレスティア」


「はい」


「お前は我を邪と呼ぶ」


「呼びます」


「ならば問おう」


 黒い霧が揺れる。


 眷属セレスティアが、静かに黒星を構えた。


「お前の正義とは、世界の正義か」


 その問いが、古戦場に響いた。


 十年前、精霊王から聞かされた問い。


 いずれ邪神が問うだろうと言われた問い。


 ついに、それが来た。


 セレスティアは、すぐには答えなかった。


 黒星を構え、閃白を左に置いたまま、邪神の声を受け止める。


 邪神は続ける。


「お前は前世の肉体を奪われた痛みで我を斬るのか」


「……」


「公爵家を滅ぼされた怒りで我を斬るのか」


「……」


「死者を眠らせぬ我を冒涜と呼ぶ」


「……」


「だが、滅びをもたらすのもまた神の役目である」


 封印地の黒い霧が濃くなる。


「命は増える」


「文明は肥大する」


「神々は守ることばかりを選ぶ」


「守られ続けた世界は、やがて腐る」


「終わりが必要だ」


「滅びが必要だ」


「我は滅びを司る」


「それを邪と呼ぶお前の正義は、世界の正義か」


 セレスティアは、静かに息を吸った。


 怒りはある。


 前世の身体を操られた怒り。


 家族を斬られた怒り。


 死者を不死の軍勢にされた怒り。


 だが、それを世界の正義とは呼ばない。


「わたくしの正義が、世界そのものの正義だとは申しません」


 セレスティアは言った。


 邪神の黒い光が揺れた。


「ほう」


「わたくしは、世界のすべてを測れるほど傲慢ではありません」


 黒星が背ではなく、右手の中で重く沈む。


「滅びが必要な時もあるのでしょう」


 閃白が白い線を静かに宿す。


「終わりがあるから、命は進むのかもしれません」


 セレスティアは、眷属セレスティアを見た。


 前世の自分の肉体。


 魂のない瞳。


 そこに巣食う邪神格。


「けれど」


 声が低くなる。


「あなたは、滅びを選ばせてはいない」


 黒い霧が揺れた。


「あなたは、命を終わらせているのではありません」


 閃白の聖剣の光が、わずかに強まる。


「死者を眠らせず、不死の軍勢とし」


「竜を狂わせ」


「魂の座を穢し」


「死した剣聖の肉体を操り」


「家族を、愛した者の身体で斬らせた」


 セレスティアは、はっきりと言った。


「それは滅びではありません」


 黒星が、山のような重さを一瞬だけ宿した。


「それは循環ではありません」


 閃白の白い線が、黒い霧の中へ細く伸びる。


「ただの冒涜です」


 邪神は、笑った。


 古戦場全体が震えるような笑いだった。


「冒涜」


「はい」


「ならば、お前は我を斬るか」


「斬ります」


「世界の正義としてではなく」


「はい」


「お前の在り方として」


「はい」


 セレスティアは、黒星を構え直した。


「破邪」


 閃白が白く輝く。


「葬送」


 古戦場の死者の気配が、わずかに震える。


「守護」


 黒星が盾のように広い気配を持つ。


「終焉」


 剣神セレスティアの神格が、静かに開く。


「わたくしは、終わるべきものを終わらせます」


 邪神の声が、低くなる。


「よかろう」


 眷属セレスティアが踏み込んだ。


 瞬間、古戦場の地面が爆ぜた。


 前世の黒星が振り下ろされる。


 十年前と同じ。


 いや、十年前より速い。


 邪神格が濃くなり、負の神格を帯びた黒星が、黒い星のように落ちてくる。


 セレスティアは黒星で受けた。


 受け止めない。


 真正面ではない。


 角度で流す。


 だが、今回は十年前とは違う。


 黒星は大神格位。


 不壊。


 鋭刃。


 重量自在。


 セレスティアの意思で、受ける瞬間だけ黒星の重さを山のように増す。


 前世の黒星の衝撃を受け、地面へ落とす。


 その瞬間、セレスティアの黒星は羽のように軽く戻る。


 横へ滑る。


 前世の閃白が白ではなく、黒白の線となって喉を狙う。


 負の神格を帯びた閃白。


 斬撃がただ速いだけではない。


 斬られれば魂の表層まで汚染される。


 セレスティアは、閃白で迎えた。


 大神格位の閃白。


 聖剣。


 白い線が黒白の線に触れる。


 音はない。


 だが、世界が裂けるような感覚があった。


 負の神格と聖剣の干渉。


 黒い火花と白い光が散る。


 眷属セレスティアは止まらない。


 黒星。


 閃白。


 黒星。


 閃白。


 十年前と同じ連携。


 だが、神格を帯びた剣戟は、もはや剣士同士の戦いではなかった。


 神々の闘い。


 とはいえ、相手は邪神本体ではない。


 眷属セレスティアは、邪神の眷属の一柱にすぎない。


 だが、器が強すぎる。


 剣聖の肉体。


 負の神格を帯びた二振り。


 魂の座に邪神格。


 それだけで、一柱の神格存在として成立している。


 セレスティアは、黒星を盾として使った。


 前世の黒星を受け流し、衝撃を地へ逃がす。


 前世の閃白を閃白で裂き、負の神格の線を聖剣で祓う。


 斬り返す。


 黒星を軽くする。


 踏み込む。


 当たる瞬間だけ、黒星を重くする。


 眷属セレスティアの肩へ叩き込む。


 轟音。


 死した剣聖の身体が後退した。


 十年前は、ほとんど動かなかった相手が、今は下がった。


 しかし、止まらない。


 痛みを知らない。


 疲労しない。


 肉体が軋んでも構わず、前へ出る。


 邪神の声が響く。


「その力で滅びを否定するか」


「否定しません」


 セレスティアは答えながら、閃白で魂の座へ向かう線を探す。


 神眼を開く。


 第四。


 第五。


 そして一瞬だけ、最後の視界。


 世界の外の理。


 眷属セレスティアの胸の奥に、黒い神格の杭が見えた。


 魂の座。


 そこに邪神格が刺さっている。


 それを斬る。


 だが、前世の肉体ごと壊すのではない。


 邪神格だけを裂く。


 閃白の聖剣なら届く。


 しかし、邪神格も抵抗する。


 前世の閃白が、セレスティアの閃白を止めるように動く。


 前世の黒星が、セレスティアの黒星を押さえにくる。


 まるで、邪神格が理解している。


 自分を斬る刃は、閃白だと。


 セレスティアは黒星を前に出した。


 守護。


 黒星が壁となる。


 だが、壁ではない。


 流れる盾。


 前世の黒星を受け流し、同時に重量自在で一瞬だけ重さを増し、相手の黒星を地へ沈める。


 眷属セレスティアの右腕が下がる。


 そこへ、前世の閃白が走る。


 セレスティアは、自分の閃白を合わせない。


 あえて半歩、前へ出た。


 前世の閃白が肩口を裂く。


 血は出る。


 だが、神格の身体はすぐに回復を始める。


 傷が塞がる。


 痛みはある。


 感じる。


 だが、揺れない。


 眷属セレスティアの動きに、一瞬の隙が生まれた。


 邪神格は、セレスティアが避けると読んだ。


 だが、受けた。


 命を燃やすためではない。


 線を作るために。


 セレスティアは、閃白を返した。


 白い線。


 聖剣。


 破邪。


 永続斬撃。


 閃白が、眷属セレスティアの胸の前に白い線を置く。


 邪神格へ届く線。


 だが、まだ浅い。


 邪神格が黒い光で弾く。


 白い線が歪む。


 邪神の声が笑う。


「届かぬ」


「一太刀では」


 セレスティアは静かに答えた。


「閃白」


 白い線が消えない。


 永続斬撃。


 斬撃は残る。


 邪神格の表層に食い込み、裂き続ける。


 眷属セレスティアが初めて、わずかに身を捻った。


 痛みではない。


 邪神格そのものへの干渉。


 セレスティアは、黒星を構えた。


「黒星」


 黒星が大神格位の深い光を宿す。


「押さえます」


 踏み込む。


 黒星を振る。


 軽い。


 次の瞬間、重い。


 星が落ちるような一撃。


 眷属セレスティアの前世黒星と衝突する。


 負の黒星と、大神格位の黒星。


 黒い火花が散り、古戦場の地面が割れる。


 前世の黒星は強い。


 負の神格を帯びている。


 だが、今生の黒星はそれを超えていた。


 不壊。


 鋭刃。


 重量自在。


 神格を得たセレスティアとの完全同調。


 黒星は、前世の黒星を押し下げた。


 眷属セレスティアの右腕が、初めて大きく沈む。


 セレスティアは左手を動かす。


 閃白。


 二太刀目。


 白い線が、先ほどの線と重なる。


 永続斬撃が、重なる。


 破邪が、深くなる。


 聖剣が、魂の座へ届き始める。


 邪神格が叫んだ。


 眷属セレスティアの口から、声にならない声が漏れる。


 邪神の声が低く歪む。


「セレスティア」


「はい」


「お前は、これを救済と呼ぶか」


 眷属セレスティアが、前世の顔でこちらを見る。


 魂はない。


 だが、顔は前世の自分だ。


「この肉体を斬ることを、救いと呼ぶか」


 セレスティアの虹色の瞳が揺れる。


 一瞬、前世の自分の姿が見えた。


 笑っている。


 ゴルドに黒星と閃白を頼んだ自分。


 邪神戦争へ向かった自分。


 死してなお立った自分。


 その肉体を、今、斬ろうとしている。


 精霊王の声が、記憶の奥で響く。


 影を持つ者たちのために、影なき身で立て。


 ゴルドの声も響く。


 命を燃やすな。


 セレスティアは、静かに答えた。


「肉体を斬ることは救いではありません」


 閃白の白い線が、さらに深く入る。


「魂の座を穢すあなたを切り離すことが、解放です」


「肉体は死んでいる」


「はい」


「魂はない」


「はい」


「ならば、何を救う」


「死を」


 邪神の声が止まった。


 セレスティアは言った。


「前世のわたくしは、死にました」


「……」


「その死を、あなたは奪った」


 黒星が、前世の黒星をさらに押し込む。


「死者は、死者であるべきです」


 閃白が白く輝く。


「死を死として返すこと。それが葬送です」


 邪神格が黒い光を放つ。


 眷属セレスティアの全身から瘴気が噴き出した。


 それは、かつての邪竜の瘴気とは比べものにならない。


 邪神本体に繋がる黒い理。


 眷属の一柱でありながら、神格の圧が古戦場を覆う。


 セレスティアは黒星を盾にした。


 瘴気を受ける。


 受け止めない。


 流す。


 黒星が不壊のまま、黒い理を受け流す。


 閃白が聖剣の光で、流れた瘴気を祓う。


 白い斬撃が残り、黒い理を裂き続ける。


 古戦場に、白い線がいくつも残った。


 それは道だった。


 邪神格へ至る道。


 セレスティアは踏み込んだ。


 眷属セレスティアも踏み込む。


 前世と今生が、真正面からぶつかった。


 黒星同士が衝突する。


 閃白同士が交差する。


 黒と白。


 負と聖。


 死した剣聖と影なき剣神。


 神々の剣戟が、封印地を揺らした。


 だが、勝敗は剣の重さだけでは決まらない。


 眷属セレスティアは、邪神の眷属の一柱。


 どれほど強くとも、本体ではない。


 そして、セレスティアは十の精霊王に認められた神格を持つ。


 黒星と閃白は大神格位。


 剣は届く。


 神格も届く。


 あとは、迷わず斬るだけ。


 セレスティアは、黒星を軽くした。


 羽のように。


 一瞬で間合いを変える。


 眷属セレスティアの前世黒星が、重い一撃を空振る。


 次の瞬間、セレスティアは黒星を山のように重くした。


 横薙ぎ。


 眷属セレスティアの胴を打つ。


 肉体が折れるほどの衝撃。


 だが、壊さない。


 目的は破壊ではない。


 動きを止めること。


 眷属セレスティアの身体が、一瞬だけ硬直する。


 セレスティアは、閃白を両手で握った。


 左腰の剣を、まっすぐ胸へ向ける。


 狙うのは肉体ではない。


 魂の座。


 邪神格の杭。


 神眼で見る。


 第五。


 最後の視界を一瞬だけ開く。


 世界の外の理。


 邪神格の黒い杭が、はっきり見えた。


 邪神の声が響く。


「斬れば、我の一柱は失われる」


「はい」


「だが、本体は残る」


「分かっています」


「これは始まりにすぎぬ」


「それでも」


 セレスティアは、閃白を引いた。


「まずは、ここを終わらせます」


 白い線が走った。


 閃白の聖剣。


 永続斬撃。


 破邪。


 葬送。


 終焉。


 セレスティアの神格と同調した一太刀。


 刃は肉を裂かず、骨を砕かず、魂の座だけを貫いた。


 邪神格の黒い杭へ届く。


 触れる。


 裂く。


 黒い光が爆ぜた。


 邪神の声が、初めて怒りを帯びた。


「セレスティア!」


「お返しします」


 セレスティアは、静かに言った。


「前世のわたくしの死を」


 閃白の白い線が、邪神格を裂き続ける。


 黒い杭が割れる。


 瘴気が噴き出す。


 黒星がそれを受け流す。


 閃白がそれを祓う。


 眷属セレスティアの身体が震えた。


 右手の前世黒星が落ちそうになる。


 左手の前世閃白が震える。


 負の神格が、行き場を失って暴れる。


 セレスティアは、黒星を地面へ突き立てた。


 重量自在。


 黒星を封印杭のように重くする。


 古戦場の地面が沈む。


 逃げ出そうとする負の神格を、黒星が押さえる。


 閃白の白い線が、魂の座から邪神格を引き剥がす。


 黒い光が、眷属セレスティアの胸から抜け出た。


 それは、小さな神のような形をしていた。


 邪神の眷属の一柱。


 前世の肉体を器にしていたもの。


 邪神本体ではない。


 だが、確かに神格を持つ眷属だった。


 セレスティアは、それを見た。


 虹色の神眼で、その理を見る。


 滅び。


 終わり。


 腐敗した循環。


 死を利用する理。


 そして、その奥にある邪神なりの正義。


 セレスティアは、理解した。


 だが、許さなかった。


「あなたの滅びは、死者を眠らせません」


 閃白を構える。


「ですから、終わらせます」


 邪神の眷属が叫ぶ。


 黒い神格が形を変え、セレスティアへ襲いかかる。


 セレスティアは、黒星を抜いた。


 黒星は軽い。


 踏み込む。


 当たる瞬間、重い。


 大神格位の黒星が、邪神の眷属を叩き落とす。


 不壊の剣身が黒い神格を砕き、鋭刃がその外殻を断つ。


 閃白が続く。


 聖剣の白い線が、邪神の眷属の中核を裂いた。


 破邪。


 永続斬撃。


 白い線は消えない。


 黒い神格を裂き続ける。


 邪神の眷属の一柱は、古戦場の上で崩れた。


 邪神本体の声が、遠くなる。


「セレスティア」


「はい」


「いずれ、我と向き合うことになる」


「その時は」


 セレスティアは、黒星と閃白を構えたまま言った。


「あなたの滅びの理と、わたくしの終焉の神格で向き合います」


 邪神の声が、低く笑った。


「よかろう」


 黒い気配が、封印地の奥へ退いていく。


 邪神本体は、まだ封じられている。


 今日斬ったのは、眷属の一柱。


 だが、前世の肉体を縛っていた邪神格は消えた。


 古戦場の黒い霧が、ゆっくり薄れていく。


 セレスティアは、前世の自分の肉体を見た。


 眷属ではなくなった身体。


 魂はない。


 もう動かない。


 ただ、死者に戻った。


 だが、肉体は崩れなかった。


 邪神格に眷属として使われ続けたため、邪神格を討伐しても、その肉体は死んだ時のままの状態で残っていた。


 腐敗しない。


 朽ちない。


 血に染まった古い戦装束も、そのまま。


 傷だらけの身体も、そのまま。


 それは奇跡ではない。


 祝福でもない。


 邪神格に長く縛られた結果、死体が死体として自然に終わることすらできなくなっただけだった。


 セレスティアは、白樹の森から持ってきた聖布を取り出した。


 精霊王の祝福を受けた白い布。


 死者を清め、邪を退け、魂なき肉体に安息を与えるための布である。


 セレスティアは、膝をついた。


 そして、前世の自分の肉体へ、丁寧に聖布をかけた。


 顔を覆う前に、一度だけ見た。


 前世の自分の顔。


 戦場で死に、六十一年もの間、邪神の眷属として使われ続けた顔。


 不思議と、もう恐ろしくはなかった。


 憎しみもなかった。


 そこにあるのは、深い哀れみと、敬意だけだった。


「お疲れ様でした」


 セレスティアは、静かに言った。


「もう、剣を持たなくてよろしいのです」


 聖布が、前世のセレスティアの顔を覆った。


 白い布に、淡い精霊光が走る。


 残っていた邪神の気配が、煙のように薄れていく。


 眷属セレスティアではなく。


 邪神の護り手でもなく。


 ただ、剣聖セレスティアの遺体として。


 ようやく、眠ることを許された。


 しかし、セレスティアは理解していた。


 これで終わりではない。


 この遺体は、ただ墓に置けばよいものではない。


 崇めてはならない。


 祀ってはならない。


 剣聖の遺骸として神殿へ置けば、人は祈る。


 英雄の亡骸として王墓へ置けば、国は意味を与える。


 神格に触れ、不腐敗となった死体は、ただそこにあるだけで信仰を集める。


 信仰は、死者を再び縛る。


 この身体は、もう十分すぎるほど役目を背負った。


 これ以上、剣聖にも、英雄にも、神の器にも、公爵家の遺産にもしてはならない。


 ただ、眠らせなければならない。


 セレスティアは、聖布に覆われた遺体へ深く頭を下げた。


「あなたを、祀りません」


 声は静かだった。


「崇めません」


 古戦場の風が、白い聖布をわずかに揺らした。


「意味を与えません」


 セレスティアは続けた。


「ただ、眠るための場所を探します」


 そのためには、精霊王に相談する必要がある。


 この遺体をどこへ安置すべきか。


 白樹の森か。


 前世の公爵家跡か。


 それとも、どちらにも属さぬ静かな場所か。


 セレスティア一人で決めてはならない。


 一人で背負わない。


 勝手に意味を与えない。


 それが、今生のセレスティアの選んだ道だった。


 セレスティアは、その遺体を魔法で静かに浮かせた。


 乱暴には扱わない。


 戦利品でもない。


 討伐した魔物の残骸でもない。


 前世の自分。


 そして、五十一年遅れで弔われるべき死者である。


 前世の黒星と閃白も見た。


 二振りは地面に落ちている。


 負の神格は弱まり、黒い霧を漏らしている。


 セレスティアは、聖布とは別の封印布を取り出した。


 ゴルドが用意していたものだった。


 邪神性や負の神格を封じ、運搬するための布である。


 セレスティアは、前世の黒星を包んだ。


 次に、前世の閃白を包んだ。


 二振りには、まだ負の神格の残滓がある。


 これは持ち帰る必要がある。


 ゴルドに見せる。


 そして、浄化するか、封じるか、弔うかを決める。


 勝手にはしない。


 一人で背負わない。


 それが今生のセレスティアの戦い方だ。


 その時、セレスティアの虹色の神眼が、地面に残る細い光を捉えた。


 三つ。


 古戦場の荒れた地面。


 黒く焼けた岩陰。


 朽ちた盾の下。


 そこに、微かなミスリルの反射があった。


 セレスティアは、足を止めた。


「……ありましたわ」


 十年以上前。


 最初に眷属セレスティアと斬り合った時、撤退のために投げた三本の投げナイフ。


 ゴルドが用意した、ミスリルの投げナイフ。


 撤退路を作るために使い、そのまま古戦場に残してきた三本だった。


 あの時は、拾う余裕などなかった。


 生きて戻るために、捨てていくしかなかった。


 その空きは、ずっと外套の内側に残していた。


 失った事実を忘れないために。


 撤退した事実を忘れないために。


 生きて戻った意味を忘れないために。


 セレスティアは、黒く焼けた岩陰へ歩いた。


 指を伸ばす。


 一本目。


 刃には、邪神の瘴気がうっすら残っていた。


 だが、閃白の聖剣の光を軽く通すと、それは白い煙となって消えた。


 次に、朽ちた盾をどかす。


 二本目。


 盾の下で、十年もの間、静かに残っていた。


 最後に、割れた石の隙間。


 三本目。


 刃先はわずかに欠けていたが、まだ使える。


 セレスティアは、三本の投げナイフを手の上に並べた。


 小さく、静かに笑う。


「ただいま、ですわ」


 投げナイフは答えない。


 当然である。


 だが、セレスティアには、それらが長い時間を経てようやく戻ってきたように思えた。


 外套の内側には、三本分の空きが残っている。


 セレスティアは、一本ずつそこへ戻した。


 一つ目の空き。


 二つ目の空き。


 三つ目の空き。


 すべてが埋まる。


 十年前の撤退の記憶が、そこで静かに閉じた。


 失ったままにしない。


 拾い直す。


 それもまた、終わらせることだった。


 セレスティアは、聖布に包まれた前世の遺体を見た。


 封印布に包まれた前世の黒星と閃白。


 そして、戻った三本の投げナイフ。


 古戦場で置き去りにしたものを、ようやく持ち帰る時が来たのだ。


 神眼で封印地を見る。


 邪神本体は、まだそこにいる。


 三賢者の封印柱は揺れているが、崩れてはいない。


 今日の戦いで、封印地の歪みは一つ消えた。


 だが、終わりではない。


 邪神本体との戦いは、まだ先にある。


 それでも。


 眷属セレスティアは、もういない。


 前世の肉体は、死者として取り戻した。


 前世の黒星と閃白も、邪神の手から離れた。


 古戦場に残していた三本の投げナイフも、戻ってきた。


 セレスティアは、古戦場に一礼した。


「戻りますわ」


 聖布に包んだ遺体を魔法で丁寧に浮かせる。


 封印布に包んだ二振りも、その横に浮かせる。


 黒星を背に戻し、閃白を左腰へ納める。


 生きて戻る。


 死者を連れて戻る。


 置き去りにしたものを持って戻る。


 今度こそ、何も忘れないために。


 風が吹いた。


 黒い瘴気ではない。


 ただの風だった。


 その風の中に、かすかに声が聞こえた気がした。


 ありがとう。


 誰の声かは分からない。


 前世の自分か。


 公爵家の家族か。


 死者たちか。


 あるいは、この古戦場そのものか。


 セレスティアは、静かに微笑んだ。


 古戦場には、もう眷属セレスティアはいなかった。


 そこに残ったのは、ようやく死を返された剣聖セレスティアの静かな眠りだけだった。


 セレスティアは、グランガルドへ歩き出した。


 火酒を飲むために。


 ゴルドに報告するために。


 精霊王へ相談するために。


 そして、前世の自分を、崇めず、祀らず、ただ眠らせるために。

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