幕間 精霊王たち、新たなる神を見る
白樹の森の最奥。
精霊王の泉。
そこに、十の光が集まっていた。
白。
赤。
黒。
青。
金。
灰。
氷。
風。
眠。
影。
十の森を統べる精霊王たちである。
人の形を取る者。
獣の形を取る者。
影そのものの者。
声だけの者。
夢のように揺らぐ者。
それぞれ姿は異なる。
だが、今この場に集まった理由は一つだった。
新たなる神。
剣神セレスティア。
十の試練を越え、神格を得たエンシェントエルフ。
その神格特性を確認するためである。
白樹の精霊王が、泉の上に立っていた。
「始めよう」
赤樹の精霊王が腕を組む。
「早すぎる娘であったな」
炎のような髪が揺れる。
「怒りを芯にせよと言えば、本当に芯にした。燃え上がらせもせず、消しもせず、剣の中心へ沈めた」
黒樹の精霊王が、影の中から声を出す。
「あれは剣を失っても折れなかった。黒星と閃白を離した時、初めて本当の輪郭が見えた」
青樹の精霊王は、湖面に映る少年の姿で言った。
「過去を掴まなかった。前世の家族が見えた時も、ゴルドの若き日の姿が見えた時も、手を伸ばしかけて止めた」
金樹の精霊王である黄金の鹿が、静かに首を振った。
「すべては救えぬと知りながら、選んだ。あれは王の資質でもある」
灰樹の精霊王は、枯れ枝の杖を鳴らした。
「終わった町を終わらせた。優しさだけではできぬ。冷たさだけでもできぬ」
氷樹の精霊王は、氷の少女の姿で目を伏せた。
「孤独の中で、自分を失わなかった。あの者の中には、叱る声が残っていた」
風樹の精霊王の声が、泉の上を流れる。
「風に逆らわず、乗ることを覚えた。剣で道を作る者が、道に運ばれることを知った」
眠樹の精霊王は、夢の霞の中で囁いた。
「穏やかな夢を拒んだ。幸福な逃避は、時に呪いより甘い。それでも目覚めた」
影樹の精霊王は、セレスティアと同じ顔をした影で微笑んだ。
「己の影を否定しなかった。前世の剣聖も、眷属の残骸も、神となる未来も、すべてを見た上で呑まれなかった」
白樹の精霊王は頷いた。
「ゆえに、神格は成立した」
泉の水面に、セレスティアの姿が映った。
白銀の髪。
虹色の虹彩。
影なき足元。
背には黒星。
左腰には閃白。
その姿は、美しかった。
だが、ただ美しいだけではない。
神格を得た存在特有の、世界との距離があった。
白樹の精霊王が手をかざす。
「神格特性を確認する」
泉の水面に、文字ではなく、概念が浮かんだ。
剣。
破邪。
葬送。
守護。
終焉。
赤樹の精霊王が目を細めた。
「剣神、と呼ぶには広いな」
黒樹の精霊王が答える。
「ただ斬る神ではない。斬るべきものを選ぶ神だ」
灰樹の精霊王が頷く。
「終わらせる神格を持つ。だが、滅ぼす神ではない」
白樹の精霊王は言った。
「第一特性。神剣同調」
泉の中で、黒星と閃白が光った。
黒星は黒銀の深い光。
閃白は白銀と金白の澄んだ光。
「セレスティアは、大神格位へ至った黒星と閃白を完全同調させることができる」
金樹の精霊王が言う。
「剣が強いのではない。剣と神格が一つの循環になっている」
「そうだ」
白樹の精霊王が頷く。
「黒星は、不壊、鋭刃、重量自在」
黒星の像が泉に浮かぶ。
大剣でありながら、重さが一定ではない。
羽のように軽く。
山のように重く。
使い手の意思と神格に従い、重さそのものが変わる。
「黒星は、セレスティアの守護と終焉の意志に反応する。守る時は盾となり、終わらせる時は星を落とす重さとなる」
赤樹の精霊王が笑った。
「実にあの娘らしい。大剣を盾にもするなど、普通の剣士なら笑われる」
白樹の精霊王は淡々と続ける。
「だが、黒星はそれを受け入れた。壊れず、欠けず、自己修復し、重さを変える。守り、受け、砕き、貫くための神剣だ」
次に、閃白が映る。
白い線が泉の上に残った。
消えない。
さらに、その線から金白の光が広がる。
「閃白は、永続斬撃、破邪、聖剣」
白樹の精霊王が言う。
「閃白の斬撃は、一瞬で消えぬ。邪なる理へ食い込み、裂き続ける」
青樹の精霊王が静かに言った。
「流れを断つのではなく、穢れた流れを正す線だ」
「破邪は、邪神性、瘴気、呪い、不死の縛りを祓う」
灰樹の精霊王が続ける。
「聖剣は、その上位。魂の座に巣食う邪神格へ届く。死者を縛る理を斬り、眠らせる」
影樹の精霊王は、意味深く微笑んだ。
「つまり、眷属セレスティアのための剣だ」
泉に、死した前世のセレスティアの姿が一瞬映った。
右手に前世の黒星。
左手に前世の閃白。
魂のない瞳。
邪神格の黒い光。
白樹の精霊王は、静かに手を下ろした。
「第二特性。影無き神体」
泉に、セレスティアの足元が映る。
光を受けても、影がない。
「神格を得たセレスティアは、世界の内側に立ちながら、世界の外の理にも触れている。ゆえに通常の影を落とさぬ」
氷樹の精霊王が言った。
「影がないとは、孤独の証でもある」
「そうだ」
白樹の精霊王は頷く。
「だが、セレスティアは影を知らぬわけではない。影樹の試練で己の影を受け止めている」
影樹の精霊王が言う。
「あの者が危ういのは、影を失ったことではない。影を忘れた時だ」
風樹の精霊王の声が流れる。
「忘れぬための錨がある。家族。森。死者。ゴルド。看板」
赤樹の精霊王が吹き出した。
「看板も錨か」
白樹の精霊王は、真面目に頷いた。
「あれは重要だ」
精霊王たちは、一瞬だけ沈黙した。
黒樹の精霊王が、影の奥から低く笑った。
「あのドワーフは、神を神として扱わぬ。だからこそ、セレスティアを地上に繋ぐ」
白樹の精霊王は続けた。
「第三特性。虹彩神眼」
泉に、セレスティアの瞳が映る。
虹色の虹彩。
翠、金、青、紫、白銀、赤、黒、透明。
いくつもの色が重なり、回る。
「ありとあらゆるものを見る目」
白樹の精霊王は言った。
「ただし、万能ではない。見るには選択が必要である」
泉の上に、視界の階層が浮かぶ。
通常視界。
魔力と精霊。
魂と呪い。
神格と負の神格。
世界の理の綻び。
世界の外の理。
「この目は、邪神の理を見ることができる」
精霊王たちの空気が重くなる。
「邪神と相対した時、セレスティアは邪神をただの悪としては見られぬ」
灰樹の精霊王が言った。
「邪神の滅びの理を見ることになる」
金樹の精霊王が続く。
「滅びもまた世界の機能だと、理解してしまう」
赤樹の精霊王は腕を組んだ。
「その上で斬れるか」
白樹の精霊王は答える。
「それが、最終の問いだ」
泉の水面に、さらに新たな概念が浮かぶ。
神格特性。
破邪葬送。
守護終焉。
神眼選別。
神剣同調。
影無き神体。
白樹の精霊王は、それを一つずつ示した。
「第四特性。破邪葬送」
閃白の光が、死者の軍勢を包む。
不死の兵が膝をつき、黒い瘴気が祓われ、魂が光となって昇る。
「セレスティアは、邪を斬るだけではない。邪に縛られた死者を送ることができる」
灰樹の精霊王が頷く。
「我が森の試練が効いている。終わったものを終わらせる力だ」
「第五特性。守護終焉」
黒星が盾となり、竜息を受け流す。
次の瞬間、山のような重さで邪竜の核を貫く。
「守るために前へ出る黒星。終わらせるために貫く黒星。セレスティアは、この二つを矛盾させずに扱える」
金樹の精霊王が静かに言った。
「すべてを守ることはできない。だが、選んだものは守る。終わらせるべきものは終わらせる」
「第六特性。神眼選別」
虹色の瞳が、無数の線を見る。
魔力。
魂。
呪い。
瘴気。
神格。
負の神格。
その中から、斬るべき線だけを選ぶ。
黒樹の精霊王が言った。
「ここが重要だ。すべて見える者は、すべてに手を出したくなる」
白樹の精霊王は頷いた。
「だが、セレスティアは金樹の試練で選ぶ痛みを知った。見えても、すべてを救おうとはしないだろう」
氷樹の精霊王が、少しだけ首を傾げる。
「だろう、か」
赤樹の精霊王が笑う。
「危うさは残るな」
白樹の精霊王は否定しなかった。
「神格とは、危うさを消すものではない。危うさを知った上で立つものである」
影樹の精霊王が、泉に映るセレスティアを見つめる。
「では、弱点も確認しよう」
精霊王たちは静かになった。
白樹の精霊王は頷いた。
「第一の弱点。救済衝動」
泉に、過去のセレスティアが映る。
前世の戦場。
退路を守るために一人残った剣聖。
魂が尽きるまで剣を振り続ける姿。
「セレスティアは、守るためなら己を削る癖がある」
赤樹の精霊王が言う。
「十の試練で抑えたとはいえ、根は変わらぬ」
白樹の精霊王は続ける。
「第二の弱点。記憶の重さ」
公爵家。
前世の家族。
死者。
三賢者。
瘴気溜まりで葬送した者たち。
「神格を得た今、記憶は薄れない。むしろ、鮮明なまま長い時間を伴う」
氷樹の精霊王が言った。
「耐えがたい時間に、耐えがたい記憶が重なる」
「第三の弱点。邪神の問い」
泉が黒く揺れる。
邪神の影が映る。
お前の正義は世界の正義か。
神となったお前に、滅びを否定する資格があるのか。
滅びをもたらすのも神の役目ではないのか。
風樹の精霊王の声が低く流れた。
「答えを誤れば、剣は届いても、神格が揺れる」
灰樹の精霊王が言った。
「滅びそのものを否定すれば、邪神に論理で崩される」
金樹の精霊王が続ける。
「私情を世界の正義と偽れば、神格が濁る」
白樹の精霊王は、泉に映るセレスティアを見た。
「だが、あの者は答えの入口を得ている」
泉に、セレスティアの言葉が浮かぶ。
滅びそのものは否定しません。
終わるべきものが終わることも、世界の理なのでしょう。
けれど、死者を眠らせず、魂の座を穢し、愛した者の身体で家族を斬らせることは、滅びではありません。
それは循環ではなく、冒涜です。
赤樹の精霊王が頷いた。
「悪くない」
黒樹の精霊王も言う。
「偽りがない。私情を私情と認めている」
灰樹の精霊王は、静かに言った。
「滅びと冒涜を分けた。そこが鍵だ」
白樹の精霊王は手をかざした。
「では、総合する」
泉の水面に、剣神セレスティアの神格が一つの形として浮かぶ。
白銀のエンシェントエルフ。
影なき足元。
虹色の神眼。
背の黒星。
左腰の閃白。
その背後に、五つの神格概念が輪のように巡る。
剣。
破邪。
葬送。
守護。
終焉。
白樹の精霊王が告げた。
「剣神セレスティアの神格は、単なる戦神ではない」
十の精霊王たちは聞いている。
「破邪をもって邪を祓い」
「葬送をもって死者を送り」
「守護をもって生きる者を守り」
「終焉をもって終わるべきものを終わらせ」
「剣をもって、その在り方を世界へ通す神格である」
眠樹の精霊王が、夢の霞の中で言った。
「美しいが、重い神格だ」
「そうだ」
白樹の精霊王は頷いた。
「軽い者には耐えられぬ」
氷樹の精霊王が言う。
「孤独に凍らぬか」
風樹の精霊王が言う。
「役目に縛られすぎぬか」
影樹の精霊王が言う。
「神となった自分に酔わぬか」
赤樹の精霊王が言う。
「怒りを再び炎にせぬか」
青樹の精霊王が言う。
「過去へ沈まぬか」
金樹の精霊王が言う。
「選べぬ痛みに潰れぬか」
灰樹の精霊王が言う。
「終わりを与えることを恐れぬか」
白樹の精霊王は、それら全てを聞いた上で言った。
「だからこそ、あの者には錨が必要だ」
泉の水面に、白樹の森の家族が映った。
王。
王妃。
ルシェル。
ミレーヌ。
次に、グランガルドが映る。
ゴルド。
弟子たち。
鍛冶場。
看板。
赤樹の精霊王が、また少し笑った。
「やはり看板か」
白樹の精霊王は真剣だった。
「あれは、神を地に下ろす言葉である」
黒樹の精霊王が低く笑う。
「バカ姫、飯を食え。神格を得た者への言葉としては、無礼極まりない」
「だが、必要だ」
白樹の精霊王は言った。
「あの言葉で、セレスティアはセレスティアに戻る」
精霊王たちは、誰も否定しなかった。
神は崇められすぎると、地上から離れる。
恐れられすぎると、孤立する。
だが、セレスティアにはゴルドがいる。
神となっても、バカ姫と呼ぶ者がいる。
それは、神格を得たセレスティアにとって、強い錨だった。
白樹の精霊王は、最後に言った。
「眷属セレスティアとの再戦は近い」
泉に、封印地が映る。
黒い霧。
邪神格。
死した前世の肉体。
前世の黒星と閃白。
負の神格を宿した可能性のある二振り。
「剣は届く」
黒星と閃白が映る。
「神格も届く」
影なきセレスティアが映る。
「だが、最後に勝敗を分けるのは、答えだ」
邪神の問いが、再び泉に揺れる。
お前の正義は世界の正義か。
精霊王たちは、しばらく黙っていた。
やがて、影樹の精霊王が言った。
「あの者は、まだ完全な答えを持っていない」
白樹の精霊王は頷く。
「そうだ」
「それでよいのか」
「よい」
白樹の精霊王は、静かに言った。
「答えは、邪神と向き合った時に完成する」
灰樹の精霊王が頷いた。
「終わりは、その場で決めるものだからな」
赤樹の精霊王が笑う。
「では、見届けるか」
白樹の精霊王は、泉の水面を閉じた。
「見届けよう」
十の精霊王たちの光が、少しずつ薄れていく。
最後に、白樹の精霊王だけが残った。
泉の水面には、セレスティアの姿がもう一度映った。
影なき神。
虹の神眼。
黒星と閃白を携えた剣神。
白樹の精霊王は、小さく呟いた。
「セレスティア」
その声は、森の奥へ消えていく。
「影を持つ者たちのために、影なき身で立て」
泉は静かになった。
一方その頃。
グランガルドの鍛冶場の前では、ゴルドが新しい看板を眺めていた。
セレスティア、剣神となる。
神格特性、破邪・葬送・守護・終焉。
黒星・閃白、大神格位。
バカ姫、神になっても調子に乗るな。
古参の職人が、少し困ったように言った。
「親方。神になった方へ、この文言はよろしいのでしょうか」
ゴルドは鼻を鳴らした。
「神になったから書くんだ」
「なぜです」
「あいつが調子に乗らねぇようにだ」
「姫様は、神格を得ても調子に乗らないのでは」
「少しは乗る」
「少しですか」
「その少しが信用ならん」
弟子たちは笑った。
だが、ゴルドだけは封印地の方角を見ていた。
遠い古戦場。
死した剣聖が立つ場所。
前世の黒星と閃白が待つ場所。
邪神が問う場所。
ゴルドは低く言った。
「戻ってこいよ、バカ姫」
看板が風に揺れる。
バカ姫、神になっても調子に乗るな。
その粗い文字は、十の精霊王たちが認めた神格特性とはまるで違う。
だが、セレスティアを地上へ繋ぎ止めるという意味では、どんな祝福にも劣らぬ言葉だった。




