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神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


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第26話 神格とは耐えがたい時間である

 白樹の森の夜は、静かだった。


 人間の町の夜とは違う。


 虫の声も、獣の気配も、葉擦れの音さえも、どこか遠い。


 白い幹の間を流れる精霊光が、淡く揺れている。


 セレスティアは、白樹の泉の前に立っていた。


 背には黒星。


 左腰には閃白。


 二振りは、すでに神格位へ至っている。


 黒星は、不壊と鋭刃を得た。


 壊れず、刃を自己修復する神格位の大剣。


 閃白は、永続斬撃と破邪を得た。


 斬撃を残し、邪を祓い続ける神格位の白き剣。


 剣は揃った。


 だが、使い手であるセレスティアは、まだ神格位ではない。


 精霊王から祝福は受けた。


 だが、それは道を開くものであって、神格そのものではなかった。


 十の森。


 十の試練。


 最低十年の修行。


 それを越えた時、セレスティアは神格を得る可能性がある。


 そして、その前に。


 精霊王は、セレスティアにもう一度問いを与えた。


 神格とは何か。


 それを知らぬまま、試練へ進むことは許されない。


 泉の水面が光った。


 風が止まる。


 白樹の葉が、音を失う。


 淡い翠と白銀の光が重なり、泉の上に精霊王の姿が現れた。


 人のようであり、人ではない。


 若いようであり、古いようであり。


 森そのものが、形を持ったような存在。


 精霊王は、セレスティアを見た。


「セレスティア」


「はい」


「お前は神格を求めると言った」


「はい」


「邪神格を斬るために」


「はい」


「前世の肉体を解放するために」


「はい」


「死んで守るのではなく、生きて終わらせるために」


「はい」


 精霊王は、静かに頷いた。


「ならば、神格の意味を知らねばならぬ」


 セレスティアは、背筋を伸ばした。


「お聞かせください」


 精霊王の声が、森の奥へ広がっていく。


「神格とは、力ではない」


 その言葉は、以前にも聞いた。


 だが、今夜の声はさらに重かった。


「神格を得るとは、神となること」


「神となること」


「そうだ」


 精霊王は続ける。


「神となる者は、不老不死となる」


 セレスティアは黙って聞いた。


「傷は瞬く間に癒え、失った肉も骨も、魂の形に従い再生する」


「超常的な回復」


「そうだ」


「神となる者は、疲労しない肉体を得る」


 セレスティアの胸の奥で、古戦場の眷属セレスティアの姿が浮かぶ。


 疲れを知らぬ死した肉体。


 だが、あれは邪神格による死体の操作だった。


 精霊王の語る神格とは、それとは違う。


「神となる者は、眠らずとも生きられる」


「眠らずとも」


「眠りは不要になる。休息も、食事も、生命維持のためには必須ではなくなる」


 セレスティアは、ゴルドの顔を思い出した。


 飯を食え。


 肉は。


 魚は。


 豆は。


 酒は飲むな。


 あの毎朝の確認は、神格を得れば生命維持の意味では不要になるのかもしれない。


 そう考えた瞬間、胸に妙な寂しさが走った。


 精霊王は続ける。


「神となる者は、尋常ならざる精神力を得る」


「精神力」


「千年の孤独にも耐え、万の声にも壊れず、世界の嘆きを聞いても立ち続ける心だ」


 セレスティアは、目を伏せた。


「神となる者は、無詠唱で魔法を連ねる」


「魔法を」


「言葉を必要としない。意思そのものが法となり、魔力は形を成す」


 それは、圧倒的な力だった。


 不老不死。


 超常的な回復。


 疲労しない肉体。


 眠らずとも生きられる身体。


 尋常ならざる精神力。


 無詠唱で連発できる魔法力。


 それだけ聞けば、誰もが欲しがる力に思える。


 剣士として見れば、究極に近い。


 疲れず、倒れず、癒え続け、魔法を連発できる身体。


 眷属セレスティアとの戦いにも、邪神格との戦いにも必要なものだ。


 だが、精霊王の声は祝福を語るものではなかった。


「だが、セレスティア」


「はい」


「神となることは、死ねないことだ」


 その一言で、泉の空気が変わった。


 セレスティアは、顔を上げた。


「死ねない」


「そうだ」


 精霊王は静かに言う。


「不老不死とは、終わりがないこと」


「はい」


「傷が癒えるとは、倒れて終わることすら許されぬということ」


「はい」


「疲れぬ肉体とは、休む理由を失うこと」


「はい」


「眠らずとも生きられる身体とは、夜の安らぎを必要としなくなること」


 セレスティアの胸が、静かに重くなっていく。


 精霊王は続けた。


「神となる者は、世界に生きる側から、世界を見守る側へ移る」


「見守る側」


「そうだ。人の営みの中に生きるのではない。人の営みを見守る側へ近づく」


「……」


「お前はハイエルフだ」


「はい」


「一万年を生きる種族である」


「はい」


「だが、神格の時間は、それとも違う」


 精霊王の瞳に、深い森の影が映る。


「十年」


「はい」


「百年」


「はい」


「千年」


「はい」


「一万年」


「はい」


「その先も、続く」


 セレスティアは、言葉を失った。


 ハイエルフとして、自分は長命である。


 人間よりもはるかに長く生きる。


 前世の人間だったセレスティアとは、命の感覚が違う。


 それは分かっていた。


 だが、神格はさらに違う。


 長く生きるのではない。


 終わらない。


 それは、祝福なのか。


 それとも、耐えがたい時間なのか。


 精霊王は言った。


「神格とは、耐えがたい時間を得る在り方そのものである」


 セレスティアは、その言葉を胸に受けた。


 耐えがたい時間。


 神格。


 不老不死。


 死ねないこと。


 世界を見守る側になること。


 強くなるだけではない。


 自分が世界から少し外れること。


 セレスティアは、静かに息を吸った。


 父を思う。


 アルヴァレイン王。


 長命のハイエルフである父。


 だが、神ではない。


 いつか自分とは違う時間を歩むかもしれない。


 母を思う。


 エルフィリア王妃。


 抱きしめてくれた腕の温かさ。


 あの温もりすら、いつか遠い記憶になるかもしれない。


 ルシェルを思う。


 生真面目な弟。


 看板を歴史資料にしようとする、少し困った弟。


 ミレーヌを思う。


 抱きついてきた妹。


 十年も行ってしまうのですか、と不安そうに言った妹。


 ゴルドを思う。


 飯を食え。


 酒は飲むな。


 調子に乗るな。


 バカ姫。


 そう言いながら、いつも自分を死なせまいとしてくれたドワーフの鍛冶師。


 ドワーフは長命だ。


 だが、神ではない。


 いつか、ゴルドも自分より先に老いるかもしれない。


 その時、自分はどうするのか。


 神格を得た自分は、同じ時間に立っていられるのか。


 それとも、見守る側へ移ってしまうのか。


 セレスティアは、黒星と閃白を感じた。


 二振りは神格位へ至った。


 黒星は不壊と鋭刃。


 閃白は永続斬撃と破邪。


 剣は、すでに人の武器を超えつつある。


 だが、自分はまだ迷っている。


 迷うこと自体が、まだ人として生きている証のようにも思えた。


 精霊王は、急かさなかった。


 白樹の森は静かだった。


 セレスティアは、前世を思い出す。


 人間の公爵令嬢だった自分。


 剣聖と呼ばれた自分。


 大剣を背負い、左腰に両手剣を差し、邪神戦争の最前線に立った自分。


 退路を守るために剣鬼となった自分。


 身体中を斬られても、魂が尽きかけても、守るべき人のために剣を振り続けた自分。


 そして、死んだ。


 死してなお立っていた。


 その身体を、邪神は利用した。


 魂の座に邪神格を入れ、封印地の護り手にした。


 家族を斬った。


 公爵家を滅ぼした。


 前世の黒星と閃白は、負の神格を宿している可能性がある。


 その全てを終わらせるには、邪神格に届かなければならない。


 邪神とは、世界の外の理。


 世界の理の外側から滲み出した災厄。


 ならば、そこへ届くには、自分も世界の外の理へ至らなければならない。


 神格を得るということは、そこへ手を伸ばすこと。


 世界に生きる側から、世界を見守る側へ近づくこと。


 セレスティアは、拳を握った。


「精霊王」


「何だ」


「神となれば、わたくしはもう普通のハイエルフ王女ではいられないのですね」


「そうだ」


「父や母、弟妹、ゴルド親方と同じ時間を歩めなくなるかもしれない」


「そうだ」


「死ねず、終われず、耐えがたい時間を背負う」


「そうだ」


「それでも、邪神格と戦うには必要」


「必要だ」


「邪神という世界の外の理に対し、わたくし自身も世界の外の理へ至らなければならない」


「その通りだ」


 セレスティアは、目を閉じた。


 すぐには答えなかった。


 即答すれば、軽くなる。


 神格を力としてしか見ていないことになる。


 だから、考えた。


 父を。


 母を。


 ルシェルを。


 ミレーヌを。


 ゴルドを。


 白樹の森を。


 グランガルドを。


 前世の公爵家を。


 三賢者を。


 命を代価に邪神を封じた者たちを。


 死者の軍勢を。


 邪竜を。


 瘴気溜まりで葬送した者たちを。


 眷属セレスティアを。


 前世の自分の肉体を。


 そして、今生の自分を。


 死んで守るのではなく、生きて終わらせる。


 そのために必要なら。


 セレスティアは、目を開けた。


「求めます」


 静かな声だった。


 震えてはいない。


 だが、軽くもない。


「力としてではありません」


 精霊王は、黙って聞いている。


「不老不死が欲しいわけではありません」


「はい」


「眠らずに済む身体が欲しいわけでもありません」


「はい」


「無詠唱で魔法を連発したいからでもありません」


「はい」


「わたくしは、死んで守る道を繰り返さないために、神格を求めます」


 黒星が背で重く沈む。


 閃白が左腰で澄んだ光を返す。


「邪神という世界の外の理に届くために」


 セレスティアは、まっすぐ精霊王を見た。


「そして、前世のわたくしを解放し、生きて戻るために」


 泉の水面が、静かに揺れた。


「わたくしは、神格を求めます」


 精霊王は、長い沈黙の後、頷いた。


「よい」


 その一言で、森の光が少し強くなった。


「だが、覚えておけ」


「はい」


「試練は、お前を強くするためだけのものではない」


「はい」


「神格を得ても壊れぬか」


「はい」


「不老不死の時間に耐えられるか」


「はい」


「死ねない存在となっても、守る意味を失わぬか」


「はい」


「世界を見守る側へ移っても、人を見下さぬか」


「はい」


「邪神という世界外の理に触れても、世界を愛せるか」


 セレスティアは、胸に手を当てた。


「はい」


「十の試練は、それを問う」


「承知しました」


 精霊王は右手を上げた。


 泉から十の光が浮かび上がる。


 白。


 赤。


 黒。


 青。


 金。


 灰。


 氷。


 風。


 眠。


 影。


 十の森を示す光だった。


「白樹の試練は、すでに始まっている」


「何をすればよいのですか」


「まずは、三賢者の記録を読むこと」


 セレスティアは、静かに目を伏せた。


「三賢者」


「彼らは命を対価に封印した」


「はい」


「お前は、その道を越えねばならぬ」


「はい」


「命を燃やした者たちを否定するのではない」


「はい」


「彼らの犠牲の上に立ち、同じ犠牲を繰り返さぬ道を選ぶのだ」


 セレスティアは深く頷いた。


「分かりました」


「白樹の試練は、記憶を受け止める試練」


「記憶」


「前世の記憶。三賢者の記憶。公爵家の記憶。死者たちの記憶。そして、今生の家族の記憶」


「はい」


「神格に至る者は、忘れてはならぬ」


「はい」


「だが、記憶に呑まれてもならぬ」


 セレスティアは、その言葉の重みを理解した。


 前世を思い出すほど、苦しみも増える。


 公爵家の死。


 眷属セレスティア。


 邪神の利用。


 それでも、それに呑まれてはいけない。


 記憶を抱えながら、前へ進む。


 白樹の試練は、そこから始まるのだ。


 精霊王の姿が、ゆっくりと薄れていく。


「セレスティア」


「はい」


「神格とは、耐えがたい時間を得る在り方そのもの」


「はい」


「その時間に耐えるには、力だけでは足りぬ」


「はい」


「愛したものを忘れぬことだ」


 セレスティアの胸が、静かに痛んだ。


「はい」


「そして、失うことを恐れすぎぬことだ」


「はい」


「では、進め」


 精霊王は消えた。


 泉の水面が静かに戻る。


 風が戻り、白樹の葉が揺れる。


 セレスティアは、しばらくその場に立っていた。


 神格とは、力ではない。


 死ねないこと。


 見守る側になること。


 耐えがたい時間を得ること。


 それでも、自分は求めると答えた。


 その答えの重みが、遅れて胸に沈んでくる。


「セレスティア」


 声がした。


 振り返ると、王が立っていた。


 少し離れて、王妃もいる。


 ルシェルとミレーヌも。


 そして、ゴルドも腕を組んで立っていた。


 どうやら、精霊王との対話の一部は聞こえていたらしい。


 ミレーヌの目には涙が浮かんでいた。


「お姉様は、神様になってしまうのですか」


 セレスティアは、少し困ったように微笑んだ。


「まだですわ」


「いつかは?」


「十の試練を越えたら、可能性があります」


「神様になったら、私のお姉様ではなくなるのですか」


 セレスティアは、静かに歩み寄った。


 ミレーヌの前に膝をつく。


 そして、妹の手を取った。


「わたくしは、神格を得ても、あなたの姉です」


「本当に?」


「ええ」


「見守る側になるのに?」


 その言葉に、セレスティアは少し胸を突かれた。


 ミレーヌは幼い。


 だが、核心を突いていた。


 世界を見守る側になる。


 それでも、姉でいられるのか。


 セレスティアは、即答しなかった。


 そして、正直に言った。


「分かりません」


 ミレーヌの目が揺れる。


「でも」


 セレスティアは、手を握る。


「忘れません」


「……」


「あなたのことを。お父様のことを。お母様のことを。ルシェルのことを。ゴルド親方のことを。白樹の森のことを」


 ミレーヌの涙がこぼれた。


「忘れません。だから、わたくしはわたくしでいられるように試練を受けます」


 王妃が、静かに目を伏せた。


 王は、何も言わずに見ている。


 ルシェルは拳を握っていた。


 ゴルドは、ふん、と鼻を鳴らした。


「忘れたら、看板にして思い出させてやる」


 セレスティアは振り返った。


「親方」


「神格だか何だか知らんが、バカ姫はバカ姫だ」


「ひどいですわ」


「それでいいだろうが」


 セレスティアは、少しだけ笑った。


「そうかもしれません」


「そこは否定しろ」


「では、否定します」


「遅い」


 ミレーヌが涙を拭きながら、小さく笑った。


 王妃も微笑む。


 重かった空気が、わずかに緩んだ。


 王が静かに言った。


「セレスティア」


「はい」


「三賢者の記録を用意してある」


「はい」


「白樹の試練として、それを読むのだな」


「そのようです」


「なら、我らも共に読む」


 セレスティアは驚いた。


「よろしいのですか」


「家族だ」


 王は言った。


「お前一人に背負わせるために、帰る場所を守っていたわけではない」


 セレスティアは、胸が熱くなった。


「ありがとうございます」


 ゴルドが横から言う。


「わしにも写しを寄越せ」


 ルシェルが頷く。


「もちろんです。親方にも必要な記録です」


「看板にするなよ」


「内容次第です」


「ルシェル」


「姉上。歴史資料として」


「不要です」


 また、少し笑いが起きた。


 セレスティアは、泉を振り返った。


 精霊王の姿はもうない。


 だが、その言葉は残っている。


 神格とは、耐えがたい時間を得る在り方そのもの。


 強くなるだけではない。


 終われなくなること。


 見守る側へ移ること。


 それでも、人を忘れないこと。


 愛したものを忘れないこと。


 失うことを恐れすぎないこと。


 セレスティアは、黒星と閃白にそっと魔力を送った。


「行きましょう」


 黒星が重く応える。


 閃白が澄んだ光を返す。


「まずは、記憶を受け止めます」


 白樹の森の夜風が、セレスティアの髪を揺らした。


 十の試練。


 その第一歩。


 白樹の試練。


 それは、剣を振ることではなかった。


 記憶を読むこと。


 命を対価にした者たちを知ること。


 そして、自分が同じ道を繰り返さないと決めることだった。


 セレスティアは、家族と共に王宮へ戻った。


 背には黒星。


 左腰には閃白。


 二振りの神格位の剣と共に。


 だが、今夜必要なのは、剣ではない。


 記憶を受け止める心だった。

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