第24話 十の瘴気溜まり
邪竜討伐の翌日。
ゴルドの鍛冶場では、朝から地図が広げられていた。
人間王国の古地図。
邪神戦争末期の軍道図。
補給線の記録。
撤退路。
野戦病院跡。
焼け落ちた村。
封鎖された地下墓地。
魔物の巣となった森。
そして、古戦場周辺に残る瘴気溜まり。
ゴルドは、太い指で地図に印をつけていった。
「ここ」
一つ目。
「ここ」
二つ目。
「ここもだ」
三つ目。
印は増えた。
四つ。
五つ。
六つ。
七つ。
八つ。
九つ。
十。
セレスティアは、その十の印を静かに見た。
「十箇所ですのね」
「ああ」
ゴルドは頷いた。
「補給陣地跡は一つ目だと思え」
「邪竜のいた場所」
「そうだ。あそこで黒星は神格位へ至った。閃白は準神格位へ至った」
「はい」
「だが、閃白はまだ足りねぇ」
セレスティアは、左腰の閃白に手を添えた。
白銀の剣。
準神格位。
特性は永続斬撃。
斬撃の線を残し、邪神性や魔力構造へ継続して干渉する力。
補給陣地跡で、閃白はその特性を得た。
だが、まだ神格位ではない。
眷属セレスティアの魂の座に巣食う邪神格を裂くには、足りない。
ゴルドは地図を叩く。
「この十箇所を回る」
「すべて、邪神戦争の跡ですか」
「ああ。瘴気溜まりだ。邪神に汚染された魔物、不死化した兵、死んでも帰れない連中が残っている」
セレスティアは目を伏せた。
不死化した兵。
かつての人間。
五十一年前、同じ戦場にいた者たちかもしれない。
自分が守ろうとした者。
自分が守りきれなかった者。
邪神の瘴気に囚われ、死してなお歩かされている者。
ゴルドは低く言った。
「斬るだけじゃねぇ」
「はい」
「葬送だ」
「分かっています」
「黒星で穢れを砕く。閃白で瘴気の核を裂く。そして、お前が送る」
「はい」
セレスティアは頷いた。
黒星は神格位へ至った。
不壊。
鋭刃。
壊れず、刃を自己修復する剣。
邪神性を受け、砕き、貫くための剣になりつつある。
閃白は準神格位。
永続斬撃により、斬った邪神性を裂き続ける。
だが、さらに必要なものがある。
邪神性を裂くだけでなく、邪を祓う力。
穢れを断ち、囚われた魂を送る特性。
それがなければ、眷属セレスティアの魂の座から邪神格だけを切り離すことは難しい。
ゴルドは、静かに言った。
「閃白には、破邪がいる」
「破邪」
「ああ。邪神性を斬り、祓い、残さない特性だ」
「永続斬撃で裂き続け、破邪で祓う」
「そうだ」
セレスティアは、閃白を見た。
「この十箇所で、閃白に破邪を得させる」
「ああ」
「そして、神格位へ」
「届かせる」
ゴルドは即答した。
セレスティアは、静かに息を吸った。
「行きます」
「飯を食ってからだ」
「はい」
「肉は」
「食べます」
「魚は」
「食べます」
「豆は」
「食べます」
「酒は」
「飲みません」
「よし」
「まだ食べておりませんが」
「食う前の確認だ」
「親方は本当に徹底しておりますわね」
「命を燃やさずに戦うには、まず飯だ」
「正論ですわ」
その日、鍛冶場の前には新しい看板が立った。
各地瘴気溜まり浄化へ出立。
黒星、神格位。
閃白、神格位到達修行中。
バカ姫、葬送のため深追い禁止。
セレスティアは、最後の一行を見てしばらく黙った。
そして、今回は抗議しなかった。
葬送のため。
その言葉があったからだ。
ただ倒すのではない。
ただ格を上げるのでもない。
囚われた者たちを送るために行く。
ならば、不名誉な呼び名の一つくらい、今日だけは許してもよいと思った。
セレスティアは、黒星を背負い、閃白を左腰に差し、ゴルドと共にグランガルドを出た。
まず向かったのは、焼けた野戦病院跡だった。
そこには、包帯を巻いた死者たちがいた。
兵士。
癒し手。
荷運び。
身元も分からぬ者たち。
皆、黒い瘴気に囚われ、治療を求めるように手を伸ばしてきた。
セレスティアは、黒星を抜いた。
「遅くなりました」
黒星で瘴気を砕く。
閃白で核を裂く。
死者たちは、崩れる直前、ほんの一瞬だけ人の顔に戻った。
癒し手の女性が、涙のような光を残して消えた。
セレスティアは、閃白を胸の前に立てた。
「どうか、安らかに」
閃白の白い線が、野戦病院跡に残った瘴気を裂き続けた。
永続斬撃。
斬撃の線が消えない。
黒い瘴気が、白い線に沿って少しずつほどけていく。
二箇所目は、崩れた軍橋だった。
橋の上には、鎧を着た不死兵がいた。
撤退する味方を通すため、橋を守って死んだ者たちだった。
彼らは今も橋を守っていた。
ただし、守るべき相手も、敵も、もう分からなくなっていた。
セレスティアが近づくと、彼らは槍を構えた。
黒い眼窩が光る。
セレスティアは一礼した。
「通ります」
不死兵が突撃する。
黒星が盾のように構えられる。
槍の衝撃を受け流し、鎧ごと瘴気を砕く。
閃白が核を裂く。
白い線が橋の上に走る。
一人。
二人。
三人。
すべての不死兵を斬り終えた時、古い橋の上に風が吹いた。
セレスティアは呟いた。
「橋は、もう守らなくてよろしいのです」
三箇所目は、竜に焼かれた村だった。
邪竜ではない。
邪神の瘴気に狂った飛竜の群れが襲い、村人たちが魔物化した場所だった。
そこでは、瘴気を浴びた狼や猪が眷属化していた。
かつて家畜だったものもいた。
犬だったものもいた。
セレスティアは、顔を歪めなかった。
悲しみを剣筋に混ぜなかった。
黒星で受け、砕き。
閃白で斬り、祓う。
白い斬撃が残り、村の井戸に絡みついた瘴気を裂いた。
井戸の底から、黒い煙が上がる。
閃白の線が、それを少しずつ白く薄めていった。
ゴルドは小水晶を見た。
「閃白の反応が強くなっている」
「破邪に近づいていますか」
「まだだ」
「はい」
「だが、方向は合っている」
セレスティアは頷いた。
四箇所目は、地下墓地だった。
そこには、戦死者を一時的に納めた石棺が並んでいた。
だが、邪神の瘴気により、石棺の中から不死者が這い出していた。
剣を持たぬ者もいた。
ただ歩くだけの者もいた。
倒すのは難しくない。
だが、心が重かった。
セレスティアは、閃白を抜いた。
白い線を細く置く。
肉体ではなく、瘴気の縛りだけを裂く。
不死者たちは、崩れる前に静かに膝をついた。
まるで、ようやく眠れることに気づいたように。
地下墓地の奥で、閃白の永続斬撃が淡く残った。
白い線が、黒い瘴気を祓うように輝く。
セレスティアは、その光を見つめた。
「閃白」
剣が、静かに震える。
「あなたは、斬るだけでは足りません」
白い剣身に、淡い光が宿る。
「送るのです」
五箇所目は、古い補給庫。
六箇所目は、魔物化した軍馬の群れがいた平原。
七箇所目は、瘴気で黒く染まった小川。
八箇所目は、賢者団の外縁結界が崩れた陣跡。
九箇所目は、子どもを逃がすために村人が立てこもった石造りの礼拝堂。
十箇所目は、古戦場へ続く旧街道の関所跡だった。
セレスティアは、十箇所を巡った。
黒星で砕いた。
閃白で裂いた。
魔物を斬った。
不死の兵を斬った。
瘴気に囚われた人々を斬った。
そして、そのたびに葬送した。
ただ斬るのではない。
殺すのではない。
解放する。
送る。
邪神に縛られたものを、邪神から切り離す。
その意思を、閃白へ流し続けた。
日が暮れる頃。
十箇所目の関所跡で、最後の不死兵が消えた。
その兵は、門の前に立っていた。
五十一年間、誰も通さないように。
だが、もう守るべき門は壊れている。
セレスティアは、黒星で盾を崩し、閃白で核を裂いた。
不死兵が倒れる。
その瞬間、兜の下に一瞬だけ人の顔が戻った。
若い兵だった。
おそらく、二十歳にもなっていなかった。
彼は、セレスティアを見た。
口が動いた。
声はなかった。
それでも、セレスティアには分かった。
ありがとう。
そう言ったのだ。
セレスティアは、閃白を胸の前に立てた。
「どうか、安らかに」
その時。
閃白が、白く光った。
これまでの光とは違う。
ただの魔力ではない。
永続斬撃の線でもない。
もっと澄んだ、邪を祓う光。
十の瘴気溜まり。
魔物。
不死の軍勢。
かつて人間だった者たち。
それらを斬り、葬送し続けた経験が、閃白の中で一つに結ばれた。
白銀の剣身の奥に、金白の導線が走る。
閃白の永続斬撃が、ただ残るだけの線ではなくなる。
残り、裂き、祓う線へ変わる。
破邪。
邪を祓う特性。
邪神性。
瘴気。
不死の縛り。
穢れた魔力核。
それらを斬り、残さず祓う力。
閃白が、準神格位から神格位へ至った。
セレスティアは息を呑んだ。
閃白の白い剣身が、夕暮れの中で静かに輝いている。
美しい。
だが、飾りではない。
斬るための美しさ。
祓うための美しさ。
送るための美しさ。
ゴルドが、すぐに小水晶を近づけた。
水晶の中に、白い線が残った。
永続斬撃。
さらに、その周囲を金白の光が包んだ。
破邪。
ゴルドは低く言った。
「神格位だ」
セレスティアは、閃白を見つめた。
「閃白が」
「ああ」
ゴルドは頷いた。
「閃白は神格位へ至った」
セレスティアの胸が、静かに熱くなる。
黒星は、邪竜の核を貫いて神格位へ至った。
不壊。
鋭刃。
壊れず、自己修復する刃。
閃白は、十の瘴気溜まりで斬り続け、葬送し続けたことで神格位へ至った。
永続斬撃。
破邪。
斬撃が残り、邪を祓い続ける白い剣。
ゴルドは、閃白を見ながら言った。
「これで、剣は揃った」
セレスティアは顔を上げる。
「黒星と閃白が、どちらも神格位」
「ああ」
「ですが」
「分かっている」
ゴルドは言った。
「お前自身が、まだ神格位じゃねぇ」
「はい」
セレスティアは頷いた。
黒星と閃白は神格位へ至った。
大きな一歩だ。
だが、眷属セレスティアとの再戦にはまだ足りない。
邪神格を斬るには、使い手自身も神格位に近づく必要がある。
白樹の森。
精霊王の祝福。
そこへ行かなければならない。
セレスティアは、閃白を鞘へ納めた。
黒星が背で重く沈む。
閃白が左腰で澄んだ気配を返す。
二振りが、確かに以前とは違う。
ただの剣ではない。
神格位の剣。
それでも、セレスティアの心は浮つかなかった。
今日斬ったものたちの顔が、胸に残っている。
野戦病院の癒し手。
橋を守っていた兵。
村に残された魔物たち。
地下墓地の不死者。
関所の若い兵。
それらを斬った。
そして送った。
その重みが、閃白の破邪となった。
セレスティアは、関所跡へ一礼した。
「皆様の痛みを、無駄にはしません」
風が吹いた。
黒い瘴気ではない。
普通の夕風だった。
グランガルドへ戻った時、夜になっていた。
鍛冶場の前には、弟子たちが灯りを持って待っていた。
セレスティアとゴルドの姿を見て、皆が駆け寄ってくる。
「親方!」
「姫様!」
ゴルドは短く言った。
「剣炉に火を入れろ」
弟子たちの顔が引き締まる。
「閃白が神格位へ至った」
鍛冶場が静まり返った。
次の瞬間、歓声が上がりかけた。
だが、ゴルドが怒鳴る。
「騒ぐな! 記録が先だ!」
「はい!」
それでも、弟子たちの目は輝いていた。
黒星。
神格位。
閃白。
神格位。
ゴルドの鍛冶場で生まれた二振りが、ついに神格位へ至った。
セレスティアは、黒星と閃白を作業台に置いた。
剣炉の火が、二振りを照らす。
黒星は深い黒銀の光を。
閃白は澄んだ白銀と金白の光を宿していた。
ゴルドは、閃白を見て低く言った。
「特性、永続斬撃」
「はい」
「そして破邪」
「はい」
「いい剣になった」
その言葉に、セレスティアは静かに目を伏せた。
「ありがとうございます」
「礼を言うのは、斬られた連中にだ」
「はい」
セレスティアは頷いた。
その時、入口の弟子が、看板を持って現れた。
セレスティアは、疲れていたが、今回は自分から言った。
「見せてくださいませ」
弟子は、板を掲げた。
十の瘴気溜まり浄化完了。
閃白、神格位到達。
永続斬撃・破邪獲得。
バカ姫、葬送を果たす。
セレスティアは、最後の一行を見て、しばらく黙った。
バカ姫。
相変わらず不名誉な呼び名だ。
だが。
葬送を果たす。
その言葉があった。
今日の戦いは、ただの討伐ではなかった。
葬送だった。
ならば、この看板は悪くない。
セレスティアは、静かに頷いた。
「よろしいですわ」
ゴルドが言った。
「抗議なしか」
「はい」
「珍しいな」
「必要事項ですもの」
「ようやく分かってきたか」
「看板文化に染まったわけではありません」
「どうだかな」
弟子たちが小さく笑った。
だが、いつものような大笑いではなかった。
今夜の鍛冶場には、静かな敬意があった。
十の瘴気溜まり。
葬送。
閃白の神格位到達。
その重みを、皆が感じていた。
ゴルドは、黒星と閃白を見た。
「剣は揃った」
セレスティアは頷く。
「はい」
「次は、お前だ」
「白樹の森へ戻ります」
「ああ」
「精霊王の祝福を受けに」
「そこで、お前が神格位へ届くかどうかだ」
「届かせます」
「簡単に言うな」
「難しいから、やる意味があります」
「バカか」
「剣士ですもの」
「関係ねぇ」
セレスティアは少しだけ笑った。
黒星と閃白が、剣炉の火を映している。
二振りは、ついに神格位へ至った。
しかし、まだ終わりではない。
眷属セレスティア。
前世の肉体。
邪神格。
負の神格を帯びたかもしれない前世の黒星と閃白。
そのすべてを相手にするには、セレスティア自身が次の段階へ進まなければならない。
白樹の森。
家族。
精霊王。
そして、神格位への祝福。
長い旅の次の目的地が、決まった。
セレスティアは、黒星と閃白へそっと魔力を送った。
「行きましょう」
二振りが、静かに応えた。
黒星は重く。
閃白は澄んで。
その気配は、もはやただの剣ではなかった。
神格位の二振り。
セレスティアの旅は、次の段階へ進もうとしていた。




