第23話 邪竜討伐
補給陣地跡の邪竜を討つために、セレスティアは三日を使った。
すぐには向かわなかった。
向かわせてもらえなかった。
ゴルドが止めたからである。
「今行けば、勢いで斬りに行く」
「否定はしません」
「否定しろ」
「努力します」
「信用ならん」
そう言われ、セレスティアは三日間、邪竜対策に専念した。
黒星で竜息を受けない。
ただし、黒星を盾として使う。
受け止めるのではなく、角度で流す。
瘴気を真正面から受ければ、今の黒星でも負担が大きい。
だが、黒星は大剣である。
剣身は広く、厚く、重い。
盾として扱えば、竜息の直撃を避け、瘴気の流れを逸らすことができる。
黒星の中央芯で耐え。
左右芯で流し。
柄から戻る魔力で反動を逃がす。
そして、逸らした瘴気の薄い線を閃白で斬る。
それが、ゴルドの組んだ対邪竜戦術だった。
「黒星は盾じゃねぇ」
ゴルドは言った。
「だが、盾としても使える」
「黒星が怒りませんか」
「怒るなら、お前が下手だからだ」
「厳しいですわね」
「黒星に謝る前に、使い方を覚えろ」
「はい」
三日間、セレスティアは黒星を盾として扱う訓練を繰り返した。
訓練槌。
熱風。
魔力圧。
瘴気を模した黒い煙。
ゴルドが用意したあらゆる負荷を、黒星で真正面から受けずに流す。
何度も怒鳴られた。
「受けるな!」
「はい!」
「流せ!」
「はい!」
「黒星を壁にするな! 川にしろ!」
「川ですの!?」
「考えるな、流せ!」
「はい!」
閃白の訓練も続いた。
瘴気の本流を斬るのではない。
薄い線を斬る。
竜息を構成する邪神性の筋を見極め、そこだけを裂く。
閃白は速い。
だが、速さだけでは足りない。
瘴気を斬るには、斬るべき線を誤ってはならない。
広く斬れば魔力を浪費する。
深く斬れば反動を受ける。
細く。
正確に。
必要な一点だけを斬る。
セレスティアは、呼吸を整えながら白い線を置き続けた。
三日目の夜。
ゴルドはようやく頷いた。
「行くぞ」
セレスティアは黒星を背負い、閃白を左腰に差した。
「はい」
「飯は食ったか」
「食べました」
「肉は」
「食べました」
「魚は」
「食べました」
「豆は」
「食べました」
「酒は」
「飲んでおりません」
「よし」
「毎回ありがとうございます」
「感謝するところか?」
「気が引き締まりますので」
「ならいい」
鍛冶場の前には、新しい看板が増えていた。
邪竜討伐へ出立。
黒星、盾運用訓練済。
バカ姫、竜息は受けるな。流せ。
セレスティアは看板を見つめた。
「最後の一行は、今回は正しいですわね」
「毎回正しい」
「毎回ではありません」
「今回は認めるんだな」
「必要事項ですもの」
「ようやく分かってきたか」
「看板文化に染まったわけではありませんわ」
ゴルドは鼻を鳴らした。
「行くぞ」
「はい」
補給陣地跡は、前回よりも濃い瘴気に包まれていた。
黒い霧が低く這い、崩れた樽や焼けた石壁を隠している。
死者の軍勢は、まだ残っていた。
およそ二十数体。
その奥に、邪竜がいた。
腐った鱗。
骨の翼。
黒い瘴気でつながれた首。
眼窩に宿る赤黒い光。
前世のセレスティアが討ったはずの竜。
その残骸が、邪神の瘴気を浴び、死してなお補給陣地跡に縛られている。
邪竜は、セレスティアを見た。
その瞬間、咆哮した。
空気が腐る。
死者の軍勢が一斉に動く。
セレスティアは、黒星を抜いた。
黒銀の大剣が、瘴気を裂く。
左手は閃白の柄に添えるだけ。
まだ抜かない。
まずは、死者の軍勢を崩す。
「黒星」
セレスティアは静かに呼んだ。
「行きますわ」
黒星が重く応えた。
セレスティアは踏み込んだ。
死者の槍が突き出される。
黒星の面で受ける。
砕く。
横薙ぎ。
死者三体がまとめて崩れる。
閃白を抜く。
白い線が走り、三つの核を裂く。
死者が消える。
黒星で押し開き。
閃白で核を裂く。
小剣は抜かない。
投げナイフも使わない。
今回は、黒星と閃白に邪神性を刻む戦いである。
死者は次々に崩れていく。
二十。
十五。
十。
五。
最後の一体が槍を振り上げた瞬間、黒星がその胴を砕き、閃白が核を裂いた。
死者の軍勢は消えた。
補給陣地跡に、邪竜だけが残る。
ゴルドは後方で小水晶を構えていた。
「ここからだ!」
「はい!」
邪竜が翼を広げた。
破れた翼から瘴気が噴き出す。
竜の口に、赤黒い光が集まる。
竜息。
前回、セレスティアが受けようとしてゴルドに怒鳴られた攻撃。
今回は違う。
セレスティアは黒星を正面に構えた。
盾のように。
だが、壁にはしない。
黒星の剣身をわずかに傾ける。
足を開き、背中を落とし、肩を固めない。
竜息が放たれた。
黒い瘴気の奔流が、地面を腐らせながら迫る。
セレスティアは、黒星で受けた。
いや。
受け流した。
黒星の広い剣身に瘴気が当たる。
真正面から止めない。
角度で逸らす。
黒い流れが剣身に沿って右へ滑り、地面を焼きながら流れていく。
黒星の中央芯が唸る。
左右芯が瘴気の圧を流す。
柄から反動が返る。
セレスティアは、それを足裏へ落とした。
耐える。
流す。
黒星は壊れない。
まだ不壊ではない。
だが、折れない。
ゴルドが叫ぶ。
「今だ! 薄い線を斬れ!」
「はい!」
セレスティアは閃白を抜いた。
白い線が走る。
瘴気の奔流の中にある、邪神性の筋。
それだけを斬る。
閃白が白く閃く。
竜息が裂けた。
瘴気の流れが乱れ、左右へ散る。
セレスティアは、その裂け目を走った。
黒星を前に。
閃白を左に。
邪竜が爪を振るう。
黒星で受け流す。
爪を真正面から受けない。
剣身を傾け、衝撃を横へ逃がす。
閃白で関節の瘴気を斬る。
白い線が走り、邪竜の右前脚が崩れた。
邪竜が咆哮する。
痛みではない。
怒りでもない。
邪神性の反応だった。
首が揺れる。
黒い瘴気でつながれた首が、あり得ない角度から噛みついてくる。
セレスティアは黒星を盾にする。
牙が黒星へ当たる。
火花ではなく、黒い魔力片が散った。
黒星の剣身が軋む。
だが、受け止めない。
押し返さない。
滑らせる。
黒星の面を回転させ、牙を逸らす。
同時に閃白が首の瘴気を斬る。
白い線。
黒い霧が裂ける。
邪竜の首が一瞬、ずれた。
セレスティアは踏み込んだ。
黒星を振り下ろす。
邪竜の肩口が砕ける。
閃白で瘴気の筋を斬る。
黒星で骨を砕く。
閃白で邪神性を裂く。
黒星。
閃白。
黒星。
閃白。
重撃と白線が、邪竜を滅多斬りにしていく。
だが、セレスティアは燃えていない。
怒りで斬っていない。
前世で討った竜。
補給陣地を襲い、多くの死者を生んだ竜。
それでも、憎悪を剣に乗せない。
黒星には、守るために前へ出る意志を。
閃白には、邪神性だけを斬る線を。
それだけを送る。
邪竜の左翼が振るわれる。
骨の翼から瘴気の刃が飛ぶ。
セレスティアは黒星を立てる。
瘴気の刃を受け流す。
閃白で残った筋を裂く。
そのまま黒星を横薙ぎにする。
邪竜の翼骨が砕けた。
骨片が飛び散る。
黒い瘴気が噴き出す。
閃白が、その瘴気の流れを細かく斬った。
邪竜は後退しようとする。
だが、後退先はない。
補給陣地跡に縛られている。
逃げられないのは、邪竜の方だった。
セレスティアは、静かに息を吸う。
「終わらせます」
邪竜の胸の奥に、核が見えた。
黒い竜核。
邪神性と竜の瘴気が絡み合った核。
昨日の小眷属とは比べものにならない。
死者の軍勢の核とも違う。
竜の格。
邪神性。
瘴気。
戦場の怨嗟。
それらが絡まった、負の神性に近い核。
ゴルドが叫ぶ。
「黒星で行け!」
「閃白ではなく?」
「貫け! 黒星に神格を食わせろ!」
セレスティアの目が細くなる。
黒星で核を貫く。
黒星に、神格を貫く経験を刻む。
危険だ。
核の反発を、黒星と自分が受けることになる。
だが、ここが必要な一歩だ。
セレスティアは黒星を両手で握った。
閃白を一瞬、鞘へ戻す。
黒星一本。
大剣を正面に構える。
邪竜が最後の竜息を吐こうとする。
黒い光が口に集まる。
セレスティアは前へ出た。
竜息が放たれる。
黒星を盾にする。
受け止めない。
流す。
瘴気を左右へ裂きながら、前進する。
一歩。
二歩。
三歩。
黒星の剣身が黒い光に包まれる。
だが、折れない。
欠けない。
セレスティアは、黒星の中央芯へ魔力を沈めた。
怒りではない。
力任せでもない。
守るために前へ出る意志。
逃げた兵。
死者の軍勢。
前世の自分。
今生の自分。
生きて勝つという誓い。
それを、黒星へ通した。
「黒星」
セレスティアは踏み込んだ。
「貫きなさい」
黒星が、邪竜の胸を貫いた。
重い音がした。
剣が肉を裂く音ではない。
骨を砕く音でもない。
格に触れた音。
黒星の切っ先が、邪竜の核へ届く。
黒い竜核が暴れる。
邪神性が噴き出す。
瘴気が黒星を飲み込もうとする。
黒星が軋む。
だが、壊れない。
セレスティアは両手で柄を握り、さらに押し込んだ。
黒星の中央芯が、深く、深く沈む。
そして。
貫いた。
邪竜の核が、砕けた。
黒い光が爆ぜる。
竜の瘴気が空へ上がる。
補給陣地跡の黒い霧が、一気に揺れた。
ゴルドが叫ぶ。
「離すな!」
セレスティアは黒星を握り続けた。
核の中から、黒い神性の欠片が黒星へ流れ込む。
汚染ではない。
黒星が、それを砕き、飲み込み、刻印へ変えていく。
黒銀の剣身に、深い光が走った。
黒とも銀とも違う。
星のない夜の底に、ひとつだけ沈む鋼の輝き。
黒星が鳴った。
低く。
深く。
世界に名乗るように。
その瞬間、黒星の格が上がった。
通常剣の最上位から、神格位へ。
準神格位を飛び越えたわけではない。
これまでの第一刻印。
第二刻印。
三カ月の鍛錬。
セレスティアの芯。
そして今、邪竜の核を貫いた経験。
それらが重なり、黒星は神格を得た。
黒星の剣身に、二つの性質が刻まれる。
不壊。
剣が壊れない特性。
鋭刃。
不壊の性質に加え、刃が自己修復する特性。
黒星の刃に走っていた微細な傷が、黒い光の中で消えていく。
刃が戻る。
欠けない。
折れない。
自己修復する。
黒星は、神格位の剣となった。
邪竜が崩れ始める。
セレスティアは黒星を引き抜いた。
邪竜の胸から、黒い霧が空へ抜ける。
腐った鱗が灰になり、骨が崩れ、瘴気が薄れていく。
だが、まだ最後の邪神性が残っていた。
竜核の残滓。
黒星が貫いたことで砕けたが、完全には消えていない。
それは空中に細い黒い線となって漂っている。
セレスティアは閃白を抜いた。
白銀の剣が、今までより澄んだ光を帯びていた。
黒星が神格位へ至ったことで、閃白にも連動するように変化が起きている。
閃白は、まだ神格位ではない。
だが、準神格位へ至った。
白い剣身の内側に、淡い金白の導線が走る。
特性が宿る。
永続斬撃。
一度置いた斬撃の線が、消えずに残る特性。
もちろん、無限に世界を斬り続けるわけではない。
だが、閃白の斬撃は、一瞬で消えない。
斬った線が残り、対象の邪神性や魔力構造へ継続して干渉する。
邪神性を裂くには、これ以上なく重要な特性だった。
セレスティアは、その感覚を理解した。
「閃白」
白い刃が、静かに応えた。
「斬ります」
閃白が走った。
黒い残滓を斬る。
斬撃は、一瞬で消えなかった。
白い線が空中に残る。
邪神性の残滓へ食い込み、じわじわと裂き続ける。
黒い線が、音もなくほどけていく。
永続斬撃。
閃白が得た、準神格位の特性。
邪竜の最後の残滓は、白い線に裂かれ、消えた。
補給陣地跡に、静けさが戻った。
黒い水たまりは干上がっていた。
死者の軍勢はいない。
邪竜もいない。
五十一年前、邪神に操られた竜が襲い、死者を出した補給陣地。
その澱みは、ようやく断たれた。
セレスティアは、黒星を見た。
黒銀の大剣は、以前とは明らかに違っていた。
重い。
深い。
壊れないという確信がある。
そして、刃が自らを保つ感覚がある。
次に、閃白を見る。
白銀の剣は、澄んだ光を帯びている。
斬撃の線が、一瞬で消えない。
まだ神格位ではない。
だが、準神格位へ届いた。
ゴルドが近づいてきた。
表情は険しい。
だが、目は燃えていた。
「黒星を見せろ」
セレスティアは黒星を差し出した。
ゴルドは剣身を見た。
小水晶を近づける。
水晶が黒い光に染まり、その中に銀の星のような点が一つ生まれた。
ゴルドの手が、わずかに震えた。
「神格位だ」
セレスティアは息を呑んだ。
「黒星が」
「ああ」
ゴルドは、低く続ける。
「特性は二つ。不壊と鋭刃」
「不壊」
「壊れねぇ」
「鋭刃」
「刃が自己修復する。不壊の上に、刃としての鋭さを保つ特性だ」
ゴルドは、黒星をじっと見た。
「やりやがったな」
その声には、怒りではない震えがあった。
鍛冶師としての感動。
自分の打った剣が、神格位へ至った瞬間。
ゴルドは、決して派手には笑わなかった。
だが、その目は確かに笑っていた。
次に、閃白を見る。
セレスティアは閃白を差し出した。
ゴルドは白銀の剣身に小水晶を近づける。
水晶の中に、白い線が残った。
消えない。
細く、長く、静かに続く線。
「準神格位」
ゴルドは言った。
「特性は」
「永続斬撃」
セレスティアが答えた。
ゴルドは頷く。
「斬撃の線が残る。邪神性を裂き続けるには向いている」
「はい」
「だが、使いすぎるな。準神格位の特性は、今のお前にも負担がある」
「分かっています」
「本当だな」
「はい」
「顔が少し緩んでいる」
「少しだけです」
「その少しが信用ならん」
セレスティアは微笑んだ。
補給陣地跡の空気が、少しだけ澄んでいる。
完全に清浄とは言えない。
だが、邪竜の瘴気は消えた。
死者の軍勢も解放された。
五十一年前の戦争の澱みが、一つ終わった。
セレスティアは、補給陣地跡へ向けて頭を下げた。
「遅くなりました」
風が吹いた。
黒い霧ではなく、普通の風だった。
どこかで、古い兵士たちがようやく息を吐いたような気がした。
グランガルドへ戻ったのは、夕暮れだった。
鍛冶場の前には、弟子たちが待っていた。
セレスティアとゴルドの姿を見ると、皆が安堵した顔をする。
だが、次の瞬間、古参の職人が黒星を見て固まった。
「親方……その剣」
ゴルドは短く言った。
「神格位だ」
鍛冶場が静まった。
誰もすぐには声を出せなかった。
黒星が神格位へ至った。
それは、ゴルドの鍛冶場にとって、歴史的な出来事だった。
若い弟子が、震える声で言う。
「閃白は」
「準神格位」
また沈黙。
それから、鍛冶場が歓声に包まれた。
だが、ゴルドはすぐに怒鳴る。
「騒ぐな! 記録を取れ!」
「はい!」
弟子たちが一斉に動く。
水晶板。
測定具。
記録用の羊皮紙。
剣炉にも火が入る。
黒星と閃白が作業台へ置かれた。
黒星は、神格位の深い光を宿し。
閃白は、準神格位の白い線を宿していた。
セレスティアは、少し離れてそれを見る。
胸が熱い。
だが、浮かれてはいけない。
黒星は神格位へ至った。
閃白も準神格位へ届いた。
しかし、眷属セレスティアと再戦するには、まだ足りない。
相手は邪神格を宿した前世の肉体。
前世の黒星と閃白は、負の神格を宿している可能性がある。
黒星が神格位になったことは大きい。
だが、閃白はまだ準神格位。
セレスティア本人も、まだ神格位ではない。
白樹の森。
精霊王の祝福。
そこへ至る必要は、変わっていない。
その時、入口の弟子が看板を持ってきた。
セレスティアは、もはや驚かなかった。
「内容を見せてくださいませ」
弟子は、少し誇らしげに掲げた。
邪竜討伐完了。
黒星、神格位到達。不壊・鋭刃獲得。
閃白、準神格位到達。永続斬撃獲得。
バカ姫、竜息を流して成長。
セレスティアは、最後の一行を見た。
しばらく黙る。
そして、静かに頷いた。
「今回は、よろしいですわ」
ゴルドが眉を上げた。
「抗議しねぇのか」
「竜息を受けずに流しましたもの」
「ようやく覚えたな」
「はい」
「調子に乗るな」
「少しだけです」
「その少しが信用ならん」
セレスティアは笑った。
鍛冶場にも笑いが広がる。
だが、その笑いの中に確かな誇りがあった。
黒星は神格位へ至った。
閃白は準神格位へ至った。
セレスティアの道は、確実に進んでいる。
前世の剣聖を超えるために。
眷属セレスティアを解放するために。
邪神格を斬るために。
そして、命を燃やさず、生きて勝つために。
剣炉の火が、黒星と閃白を照らしていた。
黒銀の神格位の大剣。
白銀の準神格位の両手剣。
二振りは、静かに新たな格を宿していた。




