表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/108

幕間 白樹の森に届いた知らせ

 白樹の森に、その知らせが届いたのは、夜明け前だった。


 王宮の白い枝葉は、まだ薄青い朝靄に包まれていた。


 精霊たちは眠るように光を潜め、森の鳥たちもまだ声を上げていない。


 白樹の森が、一日のうちでもっとも静かになる時間。


 その静寂を破って、精霊通信の光が王宮の中枢へ走った。


 薄い翠の光。


 だが、その色はいつもの穏やかな報告とは違っていた。


 急報を示す、赤い縁取りがある。


 王宮守備の騎士が顔色を変えた。


 精霊術師が通信陣へ駆け寄る。


 次の瞬間、白樹の森の王宮に、緊急招集の鐘が鳴った。


 澄んだ鐘の音。


 だが、その響きは不吉だった。


 白樹の森の王、アルヴァレイン王は、寝所からではなく執務室から現れた。


 彼は眠っていなかった。


 第1王女セレスティアが森を出て以来、深く眠れる夜は少なくなっていた。


 銀髪を後ろへ流し、夜明け前の薄明かりの中を歩く姿は、いつもと変わらず優雅だった。


 だが、その瞳には明らかな緊張があった。


 王妃エルフィリアもすぐに現れた。


 薄い外套を羽織り、普段の穏やかな表情を保っている。


 しかし、手にした扇は開かれていなかった。


 指先が、わずかに強く扇の骨を握っている。


 弟王子ルシェル。


 妹王女ミレーヌ。


 重臣たち。


 王宮付きの精霊術師。


 そして、密偵からの通信を受けた伝令。


 王家家族会議の間に、全員が集められた。


 王は席につかなかった。


 立ったまま、通信陣の前にいる精霊術師を見た。


「報告を」


 精霊術師は、深く頭を下げた。


「陛下。グランガルド方面へ派遣していた密偵より、緊急報告が入りました」


 王妃の表情がわずかに動く。


 ルシェルが拳を握る。


 ミレーヌは、不安そうに母のそばへ寄った。


 王は静かに言った。


「セレスティアか」


「はい」


 その一言で、部屋の空気が重くなった。


 精霊術師は、通信石に手を置いた。


 中に込められた報告文を、声に出して読み上げる。


「第1王女セレスティア殿下は、前世の記憶を辿り、かつての公爵家跡地を訪問。公爵家は既に断絶しており、現地住民は理由について沈黙」


 王は黙って聞いている。


「その後、殿下は古戦場へ向かわれました」


 王妃の扇が、かすかに震えた。


 ルシェルが低く呟く。


「行ってしまったのか」


 精霊術師は続けた。


「古戦場において、殿下は邪神封印地の護り手と接触」


 そこで、精霊術師の声が一度止まった。


 言葉を選ぶように、喉が動く。


 王の目が鋭くなる。


「続けよ」


「はっ」


 精霊術師は、覚悟を決めたように続けた。


「護り手の正体は、前世の剣聖セレスティアの肉体である可能性が高い、とのことです」


 沈黙。


 白樹の森の王宮が、凍りついた。


 ミレーヌが、意味を理解できずに目を見開く。


 ルシェルは息を止めた。


 王妃は扇を落としかけた。


 王だけが、表情を変えなかった。


 だが、その瞳の奥で、何かが深く沈んだ。


「前世の……肉体」


 王妃が、かすれた声で呟く。


 精霊術師は頭を下げたまま続ける。


「報告によれば、その肉体は腐敗せず、右手に前世の黒星、左手に前世の閃白を保持。魂は確認されず、魂の座に邪神格が入っている可能性あり。封印地の護り手として、現在も剣を振るっているとのことです」


 ルシェルが椅子の背を掴んだ。


「そんな……」


 ミレーヌが震える声で尋ねる。


「お姉様が、そこにいるのですか?」


 誰もすぐには答えられなかった。


 王妃が、ミレーヌの肩に手を置く。


「今のお姉様ではありません」


「でも」


「魂のない、前世の身体です」


 ミレーヌは小さく震えた。


「それでも、お姉様の身体だったものなのでしょう?」


 王妃は答えられなかった。


 王は、静かに目を閉じた。


 長命なるハイエルフである。


 輪廻を知る種族である。


 前世の記憶を持つ者もいる。


 死した肉体と、転生した魂は別である。


 理屈では分かっている。


 だが、父としては、それだけで割り切れる話ではなかった。


 精霊術師は、さらに報告を続けた。


「セレスティア殿下は、眷属化した前世の肉体と交戦」


 王妃の顔色が変わる。


「交戦したのですか」


「はい」


「一人で?」


「はい」


 ルシェルが思わず声を上げた。


「なぜ止めなかった!」


 精霊術師ではなく、密偵がそこにいれば責められたかもしれない。


 だが、ここにいるのは通信を受けた者である。


 王が低く言った。


「ルシェル」


 ルシェルは、はっとして口を閉じた。


 しかし、拳は震えている。


 精霊術師は続けた。


「交戦時間は、およそ一時間」


「一時間」


 王が静かに繰り返す。


「殿下は今生の黒星、閃白を用いて応戦。しかし、眷属セレスティアは疲労を示さず、痛覚もなく、前世の剣技を保持。さらに前世の黒星、閃白を用いた連撃を継続」


 王妃が目を伏せた。


 精霊術師の声は、わずかに硬くなっていた。


「殿下は脇腹に軽傷。外套破損。髪の一部切断。投げナイフ三本を撤退時に使用し、古戦場に残置」


 ミレーヌが泣きそうな顔になる。


「お姉様、怪我を」


 王妃はミレーヌを抱き寄せた。


「軽傷です。報告では軽傷です」


 だが、その声も揺れていた。


 王は精霊術師を見た。


「結果は」


 精霊術師は、一度深く頭を下げた。


「セレスティア殿下は、眷属セレスティアに勝てず、戦術的撤退を選択。現在はグランガルドへ帰還し、ゴルド・ガルガンドの鍛冶場にて手当てを受けております」


 部屋に、重い沈黙が落ちた。


 セレスティアが敗北した。


 誰も、その言葉をすぐに口にできなかった。


 前世の剣聖を超えたとゴルドに認められたセレスティア。


 今生の黒星と閃白を得たセレスティア。


 ハイエルフ王家第1王女。


 そのセレスティアが、勝てなかった。


 しかも、相手は前世の自分の肉体。


 邪神格を宿した、死した剣聖。


 王妃が静かに言った。


「撤退できたのですね」


「はい」


「生きて戻ったのですね」


「はい」


 王妃は、目を閉じた。


 その表情には、安堵と苦痛が混じっていた。


「それなら、よかった」


 ルシェルが顔を上げる。


「母上」


「勝てなかったことより、生きて戻ったことが大事です」


 王妃の声は、母のものだった。


「前世のセレスティアは、戻れなかったのでしょう」


 その言葉に、部屋の空気がさらに重くなる。


 前世のセレスティアは、退路を守るために死んだ。


 今生のセレスティアは、撤退して戻った。


 それは敗北ではある。


 だが、前世と同じ過ちを繰り返さなかったということでもある。


 王は、ゆっくりと息を吐いた。


「ゴルド殿の言葉を覚えていたのだな」


 重臣の一人が尋ねる。


「陛下?」


「一人で背負うな、と。以前の報告にあった」


 王は、わずかに目を細めた。


「セレスティアは、戻った。報告するために。次に勝つために」


 ルシェルは、悔しそうに唇を噛んだ。


「しかし、姉上が勝てない相手など」


「いる」


 王は即答した。


 ルシェルが顔を上げる。


 王は厳しい表情で言った。


「強い者ほど、それを認めねばならぬ。勝てない相手がいると認められぬ者は、いずれ死ぬ」


 ルシェルは言葉を失った。


 王妃が静かに頷く。


「セレスティアは、認めたのでしょう。今のままでは勝てない、と」


 精霊術師は、報告文の続きを確認した。


「追加報告があります」


「読め」


「ゴルド・ガルガンドは、殿下の報告を受け、現段階での再戦を不可と判断。眷属セレスティアは邪神格を宿し、前世の黒星、閃白についても、五十一年間、邪神眷属や不死の軍勢、さらには公爵家関係者を斬り続けたことで、負の神格を宿している可能性あり、と見立てています」


 その言葉に、王宮の重臣たちがざわめいた。


「負の神格」


 ルシェルが呟く。


「剣に、そんなものが」


 王妃は顔を強張らせた。


 王は、鋭い声で言った。


「静まれ」


 ざわめきが止まる。


 王は精霊術師に続きを促した。


「ゴルド・ガルガンドの見立てでは、今生の黒星と閃白は通常剣の最上位ではあるものの、神格位には未到達。眷属セレスティアと再戦するには、セレスティア殿下本人、または黒星と閃白が神格位へ至る必要あり。まずは準神格位を目指し、邪神の別眷属を討伐する計画とのことです」


 ミレーヌが小さく言った。


「神格位……」


 王妃が、静かに目を閉じる。


「やはり、精霊王の祝福が必要になりますね」


 王は頷いた。


「避けては通れぬ」


 ルシェルが王を見る。


「父上。姉上を呼び戻すのですか」


 王はすぐには答えなかった。


 部屋の者たちが、王の言葉を待つ。


 やがて、王は静かに言った。


「今すぐ強制帰還はさせぬ」


 王妃が王を見る。


 ルシェルは驚いた。


「なぜです。姉上は負けたのですよ」


「だからだ」


 王の声は静かだった。


「負けてなお、生きて戻った。戻るべき場所を選んだ。ゴルド殿のもとへ戻った。それは、今のセレスティアに必要な修行がそこにあると判断したからだ」


「ですが」


「ルシェル」


 王は息子を見た。


「我らが焦って引き戻せば、セレスティアは守られるかもしれぬ。だが、眷属セレスティアを解放する力は得られぬ」


 ルシェルは黙った。


「そして、邪神の封印地の護り手が、いつまでもそこに留まる保証はない」


 王妃が低く言う。


「封印が緩めば、外へ出る可能性もある」


「そうだ」


 王は重臣たちを見る。


「これはセレスティア個人の問題ではない。邪神格を宿した剣聖の肉体と、負の神格を帯びた可能性のある黒星と閃白。もしそれが封印地から解き放たれれば、人間の王国だけでなく、白樹の森にも危険が及ぶ」


 重臣たちは顔を強張らせた。


 王は続ける。


「セレスティアは、その最前線に立っている」


 ミレーヌが震える声で言う。


「お姉様は、また一人で戦うのですか」


「一人にはしない」


 王は即答した。


「だが、今は無理に連れ戻す段階ではない」


 王妃が静かに言った。


「では、支援ですね」


「そうだ」


 王は頷いた。


「まず、グランガルドへ正式な使者を送る。名目は、セレスティアの見舞いと、黒星・閃白作剣への謝礼」


 ルシェルが言う。


「実質は」


「状況確認と支援調整だ」


 王は重臣に命じた。


「高位精霊薬を用意せよ。閃白による魔力線の傷に効くものだ」


「はっ」


「魔力回復用の白樹蜜も送る」


「はっ」


「また、精霊王への謁見準備を進めよ」


 部屋の空気が変わった。


 精霊王。


 白樹の森の根源に近い存在。


 王家といえど、軽々しく謁見できる相手ではない。


 王妃が言った。


「セレスティアが戻った時、すぐに祝福の儀へ移れるように」


「そうだ」


 王は頷いた。


「ただし、セレスティア本人が戻る意思を示すまでは、儀は開かぬ。祝福は強制するものではない」


 重臣たちが頭を下げる。


「承知いたしました」


 ルシェルが、まだ悔しそうに言う。


「私は、何ができますか」


 王は息子を見た。


「お前は、記録を整理せよ」


「記録ですか」


「前世の剣聖セレスティアに関する記録。公爵家断絶の記録。邪神戦役の記録。人間の王国に残る資料も含めて調べる」


「人間の記録は、隠されているのでは」


「だから探すのだ」


 ルシェルの目が変わった。


「分かりました」


「セレスティアが剣で戦うなら、我らは情報で支える」


 その言葉に、ルシェルは深く頷いた。


「はい」


 ミレーヌが小さく手を挙げた。


「私は?」


 王妃が優しく見る。


「ミレーヌは、祈っていてください」


「祈るだけですか」


「祈りは軽くありません」


 王妃は静かに言った。


「精霊たちは、純粋な祈りに耳を傾けます。お姉様が戻る場所を、明るく保ってください」


 ミレーヌは、涙をこらえながら頷いた。


「はい」


 その時、精霊通信の光がもう一度揺れた。


 追加の短文だった。


 精霊術師が読み上げる。


「追記。セレスティア殿下、グランガルドにて手当て後、ゴルド・ガルガンドのもとで再鍛錬を開始。現地看板には、神格位修行中、剣戟・魔力干渉注意、バカ姫再鍛錬中、と掲示」


 部屋の空気が、一瞬だけ変な方向へ揺れた。


 ルシェルが目を閉じた。


「こんな深刻な報告の最後に、看板情報が来るのですか」


 王妃が扇で口元を隠した。


 ミレーヌが小さく笑った。


「お姉様、また看板を増やされたのですね」


 王は額に手を当てた。


「ゴルド殿は、なぜ毎回看板で報告内容を増やすのだ」


 精霊術師は困ったように言った。


「現地密偵によれば、グランガルドでは既に名物化しており、情報収集上、有用とのことです」


「有用なのか」


「はい。町の者が自然に最新情報を話すため」


 ルシェルが真面目な顔で言った。


「看板による公開情報戦ですね」


「言い方を整えすぎだ」


 王が低く突っ込んだ。


 だが、そのわずかな笑いが、重く沈んだ空気を少しだけ動かした。


 セレスティアは敗北した。


 それは事実だ。


 だが、死んでいない。


 戻った。


 報告した。


 修行を始めた。


 それもまた事実だった。


 王妃は、窓の外を見た。


 夜明けが近い。


 白樹の葉の向こうに、薄い光が差し始めている。


「セレスティアは、変わりましたね」


 王が隣に立つ。


「前世なら、戻らなかったかもしれぬ」


「ええ」


「今生のあの子は、戻った」


「それが、希望です」


 王妃の声は静かだった。


「勝てなかったことではなく、戻れたことを、私は信じます」


 王は頷いた。


「私もだ」


 そして、王は精霊通信陣の前に立った。


「グランガルドへ返信を送れ」


「内容は」


 王は少し考えた。


 父としては、今すぐ帰ってこいと言いたかった。


 王としては、戦力評価と対策を求めたかった。


 だが、そのどちらでも足りない。


 セレスティアへ送るべき言葉は、もっと別のものだった。


「第1王女セレスティアへ」


 精霊術師が記録する。


「生きて戻ったことを、まず良しとする」


 王妃が静かに目を閉じた。


「敗北を恥じるな」


 ルシェルが顔を上げる。


「勝てぬと知り、退いた判断を評価する」


 ミレーヌが涙を拭った。


「傷を治し、鍛え、必要な時は白樹の森へ戻れ」


 王は一度言葉を切った。


 そして、静かに続けた。


「精霊王への道は、開いておく」


 精霊術師が、深く頷く。


「以上ですか」


 王は少しだけ迷った。


 そして、最後に付け加えた。


「父と母は、お前の帰る場所を守っている」


 王妃の扇が、そっと閉じられた。


 精霊術師は、丁寧にその文を刻んだ。


 王は、さらに言った。


「ゴルド殿へも別便を送る」


「はい」


「セレスティアを戻してくれたことに感謝する。今後の修行と神格位への見立てについて、王家は協力する用意がある、と」


「承知しました」


「それと」


 王は一瞬、ため息をついた。


「看板については、王女の名誉に一定の配慮を求める」


 ルシェルが小さく吹き出した。


 王妃も微笑んだ。


 ミレーヌも少し笑った。


 精霊術師は真面目な顔で記録した。


「王女の名誉に一定の配慮を求める、ですね」


「そうだ」


 王は重々しく頷いた。


「ただし、看板によって安全確保がなされているなら、全撤去までは求めぬ」


 ルシェルが呟いた。


「父上も妥協しましたね」


「状況判断だ」


「便利な言葉です」


「ルシェル」


「失礼しました」


 白樹の森に、朝日が差し始めた。


 夜明けの光が、王宮の白い壁を淡く照らす。


 セレスティア敗北の知らせは、王家に衝撃を与えた。


 だが、それは絶望では終わらなかった。


 敗北。


 撤退。


 報告。


 再鍛錬。


 神格位への道。


 それらはすべて、次に勝つための過程だった。


 王は、窓の外の森を見つめた。


 遠く離れたグランガルドで、娘は今も鍛え直されている。


 前世の自分を解放するために。


 邪神格を斬るために。


 そして、今度こそ生きて帰るために。


 王は静かに呟いた。


「負けたなら、強くなればよい」


 王妃が隣で頷いた。


「ええ」


「セレスティアなら、そうする」


「ええ」


 白樹の葉が、朝風に揺れた。


 精霊たちの淡い光が、少しだけ強くなる。


 まるで、遠い旅路にいる王女へ、森そのものが祈りを送っているかのようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ