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神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


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第13話 失われた公爵家

 白樹の森を出た時とは、旅の重みが違っていた。


 セレスティアは、街道を一人で歩いていた。


 背には黒星。


 左腰には閃白。


 背中の下側には、横付けされたミスリルの小剣。


 外套の内側と腰帯には、投げナイフ十五本。


 完全武装である。


 ハイエルフ王家第1王女としては、かなり物騒な姿だった。


 だが、セレスティアにとっては不思議なほど落ち着いた。


 黒星の重みが背中にある。


 閃白の気配が左腰にある。


 手を伸ばせば、必要な場所に必要な刃がある。


 前世の自分をなぞっているわけではない。


 それでも、魂の奥にあった空白が埋まったような感覚があった。


 ゴルドの鍛冶場を出てから、数日。


 セレスティアは前世の記憶を辿っていた。


 目指す場所は、人間の王国。


 前世のセレスティアが生まれ育った国である。


 そして、その国にあったはずの公爵家。


 前世の自分。


 人間の公爵令嬢セレスティアが生まれた家。


 曖昧な記憶の中に、白い石造りの屋敷があった。


 広い庭。


 薔薇の垣根。


 剣の稽古をして叱られた中庭。


 舞踏会へ向かうために支度を整えた部屋。


 そして、父と母の声。


 顔はまだ霞んでいる。


 はっきりと思い出せない。


 だが、そこに帰れば何か分かる気がした。


 前世の自分がどう生きたのか。


 どう死んだのか。


 黒星と閃白はどうなったのか。


 邪神との戦いで何が起きたのか。


 それを知るために、まずは前世の家へ向かうべきだと思った。


 セレスティアは、宿場町で道を尋ねた。


「この先に、かつてセレスティアという公爵令嬢の生家があったはずです。屋敷の場所をご存じありませんか?」


 尋ねられた老人は、最初は普通に応じようとしていた。


 だが、セレスティアが公爵家の名を口にした瞬間、顔色を変えた。


「……その名は、どこで」


「前世の記憶を辿っておりますの」


「前世?」


「はい」


 老人は、セレスティアの背にある黒星を見た。


 左腰の閃白を見た。


 そして、長い耳を見た。


 ハイエルフ。


 旅装。


 武装。


 セレスティアという名。


 老人は、何かに気づいたように目を見開いた。


 だが、すぐに視線を伏せた。


「知らんな」


 明らかに嘘だった。


 セレスティアは静かに見つめる。


「本当に?」


「知らん」


「では、屋敷の跡も?」


「知らん」


「公爵家の名も?」


「知らんと言った」


 老人の声は震えていた。


 怒りではない。


 恐れ。


 あるいは、口にしてはならないものに触れた者の反応だった。


 セレスティアは、それ以上問わなかった。


「分かりました。ありがとうございます」


 老人は答えず、足早に去っていった。


 それが、最初の違和感だった。


 次の町でも同じだった。


 前世の公爵家の名を出すと、人々は口を閉ざした。


 商人は用事を思い出したように店の奥へ引っ込んだ。


 宿の主人は聞こえなかったふりをした。


 旅の騎士は露骨に話題を変えた。


 司書は記録がないと言った。


 神殿の神官は、古いことは分からないと答えた。


 だが、誰も本当に知らない顔ではなかった。


 知っている。


 だが言わない。


 そういう沈黙だった。


 セレスティアは宿の部屋で、古い地図を広げた。


 前世の記憶と照らし合わせる。


 道は変わっている。


 町も増えている。


 川の流れも、一部変わったらしい。


 五十一年。


 人間の世界では、決して短い年月ではない。


 だが、公爵家が丸ごと消えるには、あまりに不自然だった。


 セレスティアは指先で地図をなぞる。


「この辺りに、屋敷があったはずですわ」


 薔薇の庭。


 白い石の門。


 馬車道。


 幼い自分が、ドレスのまま木剣を持って走った中庭。


 母に叱られた。


 父に笑われた。


 兄弟は、いたのか。


 いた気がする。


 だが、はっきりしない。


 記憶は霧の中だ。


 セレスティアは目を閉じた。


 前世の最期も、まだ思い出せない。


 邪神に挑んだ。


 黒星を背負っていた。


 閃白を左腰に差していた。


 ゴルドに、死ぬなと言われた。


 自分は答えた。


 あなたの作った剣がある限り死ぬつもりはない、と。


 そして、もし死んだら生まれ変わって頼みに来る、と。


 そこまでは思い出せる。


 だが、その後が霞む。


 黒い空。


 崩れる大地。


 誰かの叫び。


 折れた音。


 白い光。


 血の味。


 それ以上は、まだ届かない。


 セレスティアは目を開けた。


「まずは、公爵邸ですわね」


 翌朝。


 セレスティアは、記憶の中の道を辿った。


 王都から離れ、古い街道へ入る。


 かつては貴族の馬車が通ったはずの道。


 今は、農夫の荷車と旅商人くらいしか通らない。


 街道沿いの石碑は崩れ、草に埋もれていた。


 セレスティアは、その石碑の前で足を止める。


 苔を払う。


 かすかに家紋らしきものが見えた。


 前世の公爵家の紋章。


 剣と月桂樹。


 セレスティアの胸が、わずかに痛んだ。


「やはり、ここですわ」


 さらに進む。


 森が開けた。


 そこに、白い石の門があった。


 いや、門だったものがあった。


 片側の柱は崩れ、もう片方は斜めに傾いている。


 鉄の門扉は錆び、片方は地面に落ちていた。


 薔薇の垣根は、野生化して棘だらけの茂みになっている。


 かつて整えられていた馬車道は、雑草に覆われていた。


 セレスティアは、ゆっくりと足を踏み入れた。


 覚えている。


 ここを馬車で通った。


 ここを走った。


 ここで転んで、侍女に叱られた。


 ここで、初めて木剣を隠した。


 前世の記憶が、少しずつ浮かぶ。


 だが、目の前にあるのは廃墟だった。


 白い公爵邸は、崩れていた。


 完全に消えてはいない。


 中央の建物は残っている。


 だが、窓は割れ、屋根の一部は落ち、壁には蔦が這っていた。


 使用人棟は半壊。


 厩舎は焼け跡のように黒ずんでいる。


 庭の噴水は干上がり、中央の女神像は首から上がなくなっていた。


 セレスティアは、立ち尽くした。


 静かだった。


 あまりに静かだった。


 ここには、人がいたはずだ。


 父がいた。


 母がいた。


 使用人がいた。


 騎士がいた。


 庭師がいた。


 料理人がいた。


 笑い声があった。


 叱る声があった。


 剣を振る音があった。


 だが、今は何もない。


 セレスティアは、崩れた玄関へ向かった。


 扉は壊れている。


 中へ入ると、埃の匂いがした。


 広間。


 階段。


 壁に掛けられていたはずの肖像画は、ほとんど外されていた。


 残っている額も、絵だけが切り取られている。


 誰かが意図的に持ち去ったのか。


 あるいは、消したのか。


 セレスティアは、指先で壁に触れた。


「……わたくしの家」


 声が小さく響いた。


 今生の自分にとっては、白樹の森こそが家だ。


 父も母も、白樹の森にいる。


 弟も妹もいる。


 それでも、ここにも確かに自分がいた。


 前世のセレスティアが。


 人間の公爵令嬢だった自分が。


 広間の奥へ進むと、壊れた扉があった。


 記憶では、そこは書斎だった。


 父の書斎。


 セレスティアは扉を押した。


 軋む音。


 中には、倒れた本棚があった。


 本はほとんど残っていない。


 机は壊され、引き出しは開けられている。


 暖炉の中には、焼けた紙の残骸。


 セレスティアは、灰の中から焦げた紙片を拾い上げた。


 文字は読めない。


 だが、赤い封蝋の跡があった。


 公爵家の紋章。


 剣と月桂樹。


 セレスティアはそれを見つめた。


 なぜ、ここまで荒れているのか。


 ただの没落ではない。


 ただの放棄でもない。


 何かを消そうとした跡がある。


 公爵家そのものを。


 記録を。


 名前を。


 セレスティアは、屋敷を出た。


 近くの村へ向かう。


 かつて公爵領だったはずの場所にある村である。


 村は残っていた。


 人もいる。


 畑も耕されている。


 だが、公爵家の名を出した瞬間、村人たちは沈黙した。


 セレスティアは村長らしき老人に尋ねた。


「この近くの公爵邸について伺いたいのです」


 老人は、顔を強張らせた。


「旅のお方。あそこには近づかん方がよい」


「なぜです」


「古い屋敷だ。崩れる」


「公爵家はどうなりましたの?」


 老人は黙った。


「断絶したのですか」


 老人の手が震えた。


 それだけで、答えは半分分かった。


「なぜ断絶したのです」


「……知らん」


「本当に?」


「知らん」


 セレスティアは、静かに老人を見る。


「わたくしは、前世でその家の娘でした」


 老人の目が大きく見開かれた。


 周囲の村人たちも息を呑む。


 だが、誰も口を開かない。


「わたくしは、自分の家に何があったのかを知りたいだけです」


 老人は唇を震わせた。


 何かを言いかけた。


 しかし、周囲を見た。


 村人たちも、恐れるように視線を逸らす。


 老人は、結局首を振った。


「何も言えん」


「言えないのですね」


「……」


「知らないのではなく」


 老人は答えなかった。


 セレスティアは目を伏せた。


 責める気はなかった。


 この老人は恐れている。


 五十一年経ってなお、口にできない何かがある。


 公爵家の断絶。


 屋敷の廃墟。


 記録の焼却。


 肖像画の撤去。


 そして、人々の沈黙。


 それらが、一つの線で繋がり始めていた。


 だが、今はまだ見えない。


「分かりました」


 セレスティアは静かに言った。


「ご迷惑をおかけしました」


 老人は、小さく頭を下げた。


 その目には、怯えと同時に、かすかな哀れみがあった。


 セレスティアは村を出た。


 道端で、子どもが一人こちらを見ていた。


 十歳くらいの少年だった。


 彼はセレスティアの背の黒星を見つめ、次に左腰の閃白を見た。


 そして、震える声で言った。


「お姉さん」


 セレスティアは足を止める。


「何ですの?」


「その剣……昔の英雄の剣に似てる」


 セレスティアは静かに微笑んだ。


「そうかもしれませんわ」


「おばあちゃんが言ってた。昔、この辺にすごく強い女の人がいたって。でも、その人のことを話すと怒られるから、言っちゃ駄目だって」


「その女の人の名前は?」


 少年は周囲を見た。


 誰もいない。


 それでも、声を潜めた。


「セレスティア」


 セレスティアは、胸の奥がわずかに痛むのを感じた。


「その人は、どうなったと聞いていますか」


「邪神を倒しに行って、帰ってこなかったって」


「他には?」


「その後、その人の家もなくなったって」


「なぜ?」


 少年は首を振った。


「分からない。でも、おばあちゃんは泣いてた」


 セレスティアは、少年の前に膝を折った。


 ハイエルフの王女としてではなく、ただ一人の旅人として。


「教えてくれてありがとう」


 少年は、少し照れたように頷いた。


「お姉さんは、あの人と同じ名前なの?」


「ええ」


「じゃあ、気をつけてね」


「なぜ?」


「おばあちゃんが言ってた。セレスティアの名前は、まだ誰かが怖がってるって」


 その言葉に、セレスティアの目が細くなった。


 まだ誰かが怖がっている。


 五十一年経ってなお。


 前世のセレスティアの名を。


 公爵家の名を。


 あるいは、邪神との戦いの真実を。


 セレスティアは少年に別れを告げ、村を離れた。


 丘の上で振り返る。


 廃墟となった公爵邸が、遠くに見える。


 白い石の残骸。


 崩れた屋根。


 蔦に覆われた壁。


 あそこには、答えは残っていなかった。


 いや、残っていたのかもしれない。


 だが、人々は答えない。


 記録は焼かれ、名は避けられ、恐れだけが残っている。


 ならば、次に向かうべき場所は一つだった。


 古戦場。


 前世のセレスティアが向かった場所。


 邪神に挑んだ戦場。


 自分が死んだはずの場所。


 そこなら、何かが残っているかもしれない。


 黒星が背で重く沈む。


 閃白が左腰で静かに揺れる。


 セレスティアは、前世の記憶を探る。


 最後に見た空。


 黒く染まった雲。


 裂ける大地。


 魔力の渦。


 邪神の影。


 仲間はいたのか。


 一人だったのか。


 誰かを守ったのか。


 誰かに裏切られたのか。


 まだ分からない。


 だが、行けば分かる。


 行かなければ、何も分からない。


 セレスティアは、小さく息を吐いた。


「仕方ありませんわね」


 公爵家は断絶していた。


 人々は理由を語らない。


 ならば、沈黙している者たちではなく、沈黙した土地に聞くしかない。


 古戦場へ。


 邪神に挑んだ場所へ。


 前世のセレスティアが死んだ場所へ。


 セレスティアは、廃墟の公爵邸へ一礼した。


「行ってまいります」


 風が吹いた。


 野生化した薔薇の棘が揺れる。


 どこか遠くで、崩れた扉が軋んだ。


 まるで、誰かが見送っているようだった。


 セレスティアは背を向けた。


 黒星を背負い、閃白を左腰に差し、武器庫姫と呼ばれるほどの武装を整えたハイエルフの王女は、前世の死の記憶へ向かって歩き出した。


 公爵家断絶の理由。


 人々が口を閉ざす真実。


 邪神との戦い。


 そして、自分がなぜ死んだのか。


 それらすべての答えは、古戦場にある。


 セレスティアは、まだ知らない。


 自分の名が、五十一年経ってなお、人々の口を閉ざさせるほどの重みを持っていることを。


 そして、前世の死が、ただの英雄の最期では終わっていないことを。

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