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神剣のセレスティア  作者: 玉響すばる


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第11話 バカの剣戟注意

 翌朝。


 ゴルドの鍛冶場の前には、さらに看板が増えていた。


 セレスティアは、宿から鍛冶場へ向かう途中で、遠目にもそれが分かった。


 増えている。


 明らかに増えている。


 もう鍛冶場の入口というより、何かの注意喚起掲示場になっている。


 黒星を背負い、左腰に閃白を差し、背中の下側にミスリルの小剣を横付けし、外套の内側と腰帯に投げナイフ十五本を分散して装着したセレスティアは、鍛冶場の前で静かに立ち止まった。


 昨日までの看板が並んでいる。


 バカの剣のみゴルド対応。


 バカじゃない剣は弟子対応。


 バカ判定終了。


 黒星完成。床破壊注意。


 バカ姫、黒星試振りで床を割る。


 黒星見物不可。バカ姫が調子に乗るため。


 黒星完成祝い、酒三樽。バカ姫、作業前飲酒禁止。


 閃白、形整う。完成まで接触禁止。


 ただし、バカ姫は特に触るな。


 武器庫姫、再稼働。


 黒星、閃白、小剣、投げナイフ十五本。武装過多につき接近注意。


 そこまでは、もう見慣れた。


 見慣れたくはなかったが、見慣れてしまった。


 問題は、その横に追加された新しい一枚である。


 バカの剣戟注意。


 セレスティアは、しばらく無言だった。


 朝の鍛冶町グランガルドは、今日も騒がしい。


 槌の音。


 炉の音。


 荷車の音。


 職人たちの怒鳴り声。


 だが、セレスティアの周囲だけ、妙に静かだった。


 通りすがりの職人たちが、新しい看板を見ている。


 それから、黒星と閃白を装備したセレスティアを見る。


 そして、距離を取る。


 非常に自然に。


 非常に失礼に。


 セレスティアは、ゆっくりと息を吸った。


「……なるほど」


 入口を掃除していた若い弟子が、びくりと肩を揺らした。


「お、おはようございます、姫様」


「おはようございます」


 セレスティアは微笑んだ。


 白樹の森の王女らしい、優雅で穏やかな微笑みだった。


 弟子は一歩下がった。


「看板が増えておりますわね」


「は、はい」


「バカの剣戟注意」


「はい」


「これは、どなたの発案ですの?」


「親方です」


「でしょうね」


 セレスティアは新しい看板を見つめた。


 バカの剣戟注意。


 バカ。


 剣戟。


 注意。


 言葉としては短い。


 分かりやすい。


 そして、非常に不名誉である。


「わたくしの名前は、いよいよ省略されてしまいましたのね」


「え?」


「バカとだけ書かれておりますわ」


「あっ」


 弟子の顔が青くなる。


 セレスティアは静かに続けた。


「以前は、バカ姫と書かれておりました。まだ姫という身分が残っておりました。しかし今回、ついにバカ単独になりましたわ」


「ぼ、僕が書いたわけでは」


「分かっております」


 セレスティアはにこりと笑った。


「ゴルド親方に直接抗議いたしますわ」


「はい……」


 弟子は道を開けた。


 セレスティアは扉へ手をかける。


 すると、扉の内側にも小さな札が下がっていた。


 抗議前に装備確認。


 セレスティアは、目を細めた。


「……先回りが巧妙になっておりますわ」


 扉を開ける。


 鍛冶場の中は、すでに熱気に満ちていた。


 剣炉には火が残されている。


 黒星と閃白の作剣は終わったが、炉は完全には落とされていない。


 調整と仕上げのための火だ。


 作業台には、昨日受け取ったミスリルの小剣と投げナイフの記録が並んでいる。


 水晶板。


 測定具。


 黒星用の背負い具。


 閃白用の鞘。


 小剣の横抜き装着具。


 投げナイフ用の帯。


 すべてが整えられていた。


 鍛冶場の中央に、ゴルドが立っている。


 腕を組み、不機嫌そうな顔をしていた。


「来たか」


「来ましたわ」


「飯は食ったか」


「食べました」


「肉は」


「食べました」


「魚は」


「食べました」


「豆は」


「食べました」


「よし」


「毎朝の確認が完全に習慣化しておりますわね」


「必要だからな」


「では、わたくしからも確認してよろしいですか」


「何だ」


「外の新しい看板についてです」


 ゴルドは、まったく悪びれなかった。


「見たか」


「見ましたわ」


「ならいい」


「よくありません」


 セレスティアは一歩進んだ。


 背の黒星が、わずかに揺れる。


 左腰の閃白が、静かに光を受ける。


「バカの剣戟注意、とは何ですの?」


「そのままの意味だ」


「バカとは、わたくしのことですの?」


「他にいるか」


「せめてバカ姫と書くべきでは?」


「そこか」


「そこもですわ」


 弟子たちが、すでに笑いを堪えている。


 古参の職人は、作業台の記録を見ているふりをしているが、肩が揺れていた。


 ゴルドは鼻を鳴らした。


「今日は調整だ」


「はい」


「黒星を振る。閃白を抜く。小剣を横抜きする。投げナイフを投げる」


「はい」


「その全部を、この鍛冶場の裏手の試し場でやる」


「はい」


「危ないだろうが」


「それは認めます」


「だから注意だ」


「注意喚起としては理解できます。ですが、表現に問題がありますわ」


「分かりやすいだろ」


「分かりやすすぎます」


「じゃあ何と書く」


 セレスティアは少し考えた。


「セレスティア殿下の剣戟調整中につき接近注意」


「長い」


「正式ですわ」


「誰も読まん」


「では、王女剣戟注意」


「弱い」


「弱い?」


「お前の剣戟は、そんな上品なものじゃねぇ」


「失礼ですわ」


「事実だ」


 ゴルドは、セレスティアの背の黒星を指した。


「黒星で床を割った」


「一度だけです」


「閃白で鉄片を斬った」


「試し斬りです」


「投げナイフを見て顔を緩めた」


「それは関係ありませんわ」


「小剣を見ても緩めた」


「……それも関係ありません」


「武器を持つと顔が緩む奴の剣戟だ。注意が必要だろうが」


「理屈が雑ですわ」


「雑でも合っている」


 セレスティアは額に手を当てた。


 反論したい。


 だが、完全には反論できない。


 今日の調整は、たしかに危険だ。


 黒星と閃白は、まだ完成直後である。


 セレスティア自身も、今生の二振りを完全には使いこなしていない。


 小剣や投げナイフも含めれば、調整中に何が起きるか分からない。


 看板が必要なのは分かる。


 分かるが、バカの剣戟注意はひどい。


「では、せめてこうしましょう」


 セレスティアは言った。


「セレスティア剣戟調整中。接近注意」


 ゴルドは眉を寄せた。


「バカ要素がねぇ」


「不要です」


「看板の統一感がない」


「その統一感は捨ててくださいと何度も申し上げております」


「却下だ」


「では、折衷案です」


「またか」


「剣戟調整中。バカ姫に近づくな」


 ゴルドは少し考えた。


 弟子たちも考えている。


 古参の職人も頷いた。


「悪くねぇ」


「採用ですか?」


「だが、バカの剣戟注意の方が短い」


「短ければよいというものではありませんわ」


「いや、看板は短い方がいい」


「では併記してください」


「併記?」


「大きく、剣戟調整中。下に、小さく、バカ姫に近づくな」


 鍛冶場が静まった。


 ゴルドが、じっとセレスティアを見る。


「……お前、看板に慣れてきたな」


「不本意ながら」


「よし、採用だ」


「採用されてしまいましたわ」


 弟子の一人が、すぐに板を取りに走ろうとする。


 セレスティアは素早く言った。


「ただし、古い看板の『バカの剣戟注意』は撤去してくださいませ」


 ゴルドは少し考えた。


「裏手に移す」


「撤去ではありませんのね」


「試し場用だ」


「……まあ、表通りから見えなければ妥協しますわ」


「妥協を覚えたか」


「覚えたくありませんでした」


 ゴルドは鼻を鳴らし、弟子へ命じた。


「書き直せ」


「はい!」


 弟子が走っていく。


 セレスティアは小さく息を吐いた。


 朝から看板だけで疲れる。


 だが、今日の本題は看板ではない。


 調整である。


 ゴルドは作業台に並んだ装備を指した。


「全部付けろ」


「もう付けておりますわ」


「確認する」


 セレスティアは背を向けた。


 ゴルドが黒星の背負い具を確認する。


 肩の位置。


 背中の角度。


 魔銀線の流れ。


 黒星の柄の位置。


 次に、横付けされたミスリルの小剣を見る。


 背中の下側に、横向きに固定された小剣。


 黒星の下に隠れるように配置されているが、右手でも左手でも抜ける位置にある。


 さらに、左腰の閃白。


 鞘の角度。


 抜刀時に黒星と干渉しないか。


 腰の動きで揺れすぎないか。


 最後に、投げナイフ十五本。


 外套の内側。


 腰帯。


 太腿の外側。


 背中の下部。


 分散して配置されている。


 ゴルドは一つ一つ引き抜き、戻し、位置を確認した。


「少し右腰の三本が高い」


「そうですか?」


「抜く時、外套に引っかかる」


「では少し下げます」


「あと、太腿の二本は角度を変える」


「走った時ですか?」


「ああ。今のままだと膝を上げた時に邪魔になる」


「分かりました」


 ゴルドの手は乱暴だが、確認は正確だった。


 武器を持たせるだけでは終わらない。


 実際に動けるか。


 抜けるか。


 戻せるか。


 走れるか。


 斬れるか。


 投げられるか。


 そこまで見ている。


 セレスティアは、少し懐かしくなった。


 前世でも、こうだった。


 ゴルドは剣を打つだけではない。


 剣士がどう持つかまで見る。


 だから、ゴルドの武器は自分に馴染んだ。


「何を笑っている」


「懐かしいと思いまして」


「調整中に気を抜くな」


「はい」


「裏手に出るぞ」


 鍛冶場の裏には、石壁で囲われた試し場があった。


 剣の試し振り。


 槍の突き。


 斧の打撃。


 投げ武器の確認。


 そうした調整をするための場所である。


 広さは十分。


 地面は固められた砂と石。


 壁には傷が無数についている。


 奥には、魔力を吸収する的。


 厚い丸太。


 金属板。


 動く標的まである。


 セレスティアは、試し場へ一歩入った。


 背の黒星が重い。


 左腰の閃白が軽い。


 背の小剣が収まっている。


 投げナイフが身体のあちこちにある。


 武器庫姫。


 不名誉な呼び名だが、今の自分の姿を見ると、否定しづらい。


 ゴルドは試し場の入口に新しい看板を立てさせていた。


 剣戟調整中。


 バカ姫に近づくな。


 セレスティアは、それを見て静かに頷いた。


「まだ不満はありますが、先ほどよりは良いですわ」


「感謝しろ」


「なぜですの?」


「バカの剣戟注意を表から下げた」


「元は親方が出した看板ですわ」


「細かいことを言うな」


「細かいところが重要ですわ」


「閃白みたいなことを言いやがる」


 セレスティアは笑った。


「褒め言葉として受け取ります」


「褒めてねぇ」


「半分は」


「ない」


「残念ですわ」


 ゴルドは試し場の中央を指した。


「まず黒星だ」


「はい」


「全力で振るな」


「分かっております」


「床を割るな」


「今度は外ですわ」


「地面を割るな」


「努力します」


「断言しろ」


「断言は難しいです」


「だから看板がいるんだ」


 セレスティアは返す言葉に詰まった。


 黒星を背から抜く。


 重い。


 だが、抜ける。


 背負い具がよくできている。


 肩を回し、背中から黒星を引き出すと、黒銀の剣身が朝日を吸った。


 試し場の空気が変わる。


 弟子たちが壁際に並ぶ。


 古参の職人も見ている。


 ゴルドは腕を組み、じっとセレスティアを見ていた。


「構えろ」


 セレスティアは黒星を構えた。


 重みが身体の中心へ落ちる。


 足裏が地面を掴む。


 魔力を中央芯へ。


 左右芯へ。


 柄から戻る魔力を手の内で受ける。


 昨日より馴染んでいる。


 黒星が、自分を覚え始めている。


「一撃目。縦」


「はい」


 セレスティアは踏み込んだ。


 黒星を振り下ろす。


 重い風が走る。


 だが、地面には叩きつけない。


 寸前で止める。


 止めた瞬間、左右芯へ魔力を逃がし、反動を戻す。


 黒星の剣先が、次の動きへ向いた。


 ゴルドが言う。


「止めが甘い」


「はい」


「重さに引かれるな」


「もう一度」


「やれ」


 二度目。


 今度は、止まる。


 黒星の重みが、手の中で沈む。


 それを押さえつけず、流す。


 反動を戻す。


 次へ。


 ゴルドが頷いた。


「悪くねぇ」


 弟子たちの表情が少し緩む。


 だが、ゴルドはすぐに言った。


「横薙ぎ」


 セレスティアは構えを変えた。


 横へ払う。


 黒星が空気を裂く。


 試し場の砂が舞った。


 弟子の一人が一歩下がる。


 ゴルドが怒鳴った。


「下がるな! 見ろ!」


「はい!」


 セレスティアは黒星を返す。


 横薙ぎからの返し。


 前世なら力で戻した。


 今生では魔力で重さの戻りを調整する。


 中央芯が前へ出る。


 左右芯が支える。


 柄が余分な魔力を戻す。


 重いまま、速い。


 セレスティアの口元が、少しだけ緩んだ。


「顔を緩めるな!」


 ゴルドが即座に怒鳴る。


「はい!」


「調子に乗る前に次だ!」


「乗っておりません」


「乗りかけていた」


「……否定しきれませんわ」


 次は受け。


 ゴルドが訓練槌を持つ。


 昨日までより重い槌だった。


 黒星に合わせているのだろう。


「受けろ」


「はい」


 ゴルドが打ち込む。


 重い。


 鍛冶師の腕力と体重が乗った一撃。


 セレスティアは黒星の面で受ける。


 正面で止めない。


 角度をずらす。


 左右芯へ衝撃を逃がす。


 逃がした力を中央へ戻す。


 そこから前へ踏み出す。


 黒星の刃が、ゴルドの肩の手前で止まった。


 ゴルドは動かない。


 セレスティアも動かない。


 弟子たちが息を呑む。


 ゴルドは低く言った。


「今のは良い」


「ありがとうございます」


「ただし、実戦なら踏み込みすぎだ」


「なぜですの?」


「黒星で相手を制圧できても、横から来る敵に閃白が遅れる」


 セレスティアは、はっとした。


 黒星に集中しすぎた。


 背負っている時は二振りが一組だと分かっていた。


 だが、黒星を抜くと、どうしても黒星の圧に意識が寄る。


 ゴルドは見抜いている。


「分かりました」


「もう一度」


 黒星の調整は続いた。


 縦。


 横。


 斜め。


 受け。


 流し。


 返し。


 踏み込み。


 止め。


 後退。


 黒星を背負い直す動作。


 抜き直す動作。


 どれも細かく確認された。


 やがて、ゴルドが言った。


「次、閃白」


 セレスティアは黒星を背に戻した。


 重みが背中へ収まる。


 左手が閃白の柄へ伸びる。


 その瞬間、空気が変わった。


 黒星とは違う。


 閃白は静かだ。


 だが、抜けば一瞬で空間を斬る。


「抜け」


「はい」


 セレスティアは閃白を抜いた。


 白い線が走る。


 魔力を細く。


 外層へ。


 中層へ。


 芯へ。


 斬撃を伸ばしすぎない。


 刃筋を曲げすぎない。


 魔力を捨てずに戻す。


 閃白が、手の中で応えた。


 軽い。


 速い。


 だが、危うくない。


 黒星の重みが背にあることで、身体が浮かない。


 白い剣身が、朝日に閃いた。


 的の上を、音もなく線が通る。


 少し遅れて、木製の的の端が落ちた。


 弟子たちが声を漏らす。


「斬った音がしない」


「音が遅れたんだ」


 古参の職人が言った。


 セレスティアは閃白を見つめる。


 前世より細かい。


 前世よりよく通る。


 そして、前世より危ない。


 少しでも魔力を流しすぎれば、余計なものまで斬る。


「今のは伸ばしすぎだ」


 ゴルドが言った。


「はい」


「お前の感覚より半歩長く斬れている」


「確かに」


「閃白が応えすぎている。鞘側で少し抑えるか」


「いえ」


 セレスティアは首を振った。


「わたくしが合わせます」


 ゴルドの目が細くなる。


「言ったな」


「はい」


「なら、今の半分の魔力で同じ線を出せ」


「分かりました」


 セレスティアは、閃白を納めた。


 再び抜く。


 今度は魔力を半分。


 だが、線は同じ。


 白い閃きが走る。


 的の端が、先ほどより薄く斬れた。


 ゴルドが頷く。


「悪くねぇ」


 セレスティアは微笑んだ。


「ありがとうございます」


「顔を緩めるな。次」


 閃白の調整も続いた。


 抜刀。


 横薙ぎ。


 斬り上げ。


 斬撃の角度補正。


 魔力の戻し。


 黒星を背負ったままの旋回。


 黒星を半抜きにした状態からの閃白抜刀。


 閃白で受けずに逃がす動き。


 どれも、黒星とは違う難しさがあった。


 やがて、セレスティアの額に汗が浮いた。


 呼吸は乱れていない。


 だが、神経が疲れる。


 黒星は身体を使う。


 閃白は神経を使う。


 ゴルドはそれを見て、短く言った。


「次、小剣」


「もうですの?」


「疲れた状態で見る必要がある」


「なるほど」


「実戦で元気な時だけ使える武器に意味はない」


「その通りですわ」


 セレスティアは閃白を納めた。


 右手を背中の下側へ回す。


 横付けされたミスリルの小剣。


 黒星の下に隠れるように固定されたそれを、右手で横へ抜く。


 軽い。


 短い。


 だが、手に馴染む。


 近距離用。


 組まれた時。


 狭い場所。


 馬車の中。


 黒星も閃白も抜けない角度。


 そこを埋める刃。


 セレスティアは、小剣を逆手に持ち替えた。


 ゴルドが言う。


「右、左、両方で抜け」


「はい」


 右で抜く。


 戻す。


 左で抜く。


 戻す。


 黒星が背にあるため、角度を間違えれば引っかかる。


 セレスティアは二度目で少し詰まった。


 ゴルドが即座に言う。


「左で抜く時、肩を上げるな」


「はい」


「黒星の柄に当たる」


「もう一度」


 再び抜く。


 今度は滑らかだった。


 ゴルドが頷く。


「悪くねぇ」


 次は投げナイフ。


 十五本。


 セレスティアは、外套の内側から一本抜いた。


 軽い。


 指に収まる。


 的を見る。


 投げる。


 銀の線が走る。


 的の中央へ刺さった。


 弟子たちが息を吐く。


 ゴルドは言う。


「魔力を使いすぎだ」


「はい?」


「今の距離で軌道補正はいらん」


「つい」


「ついで魔力を使うな」


「はい」


「次。魔力なし」


 セレスティアは二本目を投げた。


 魔力なし。


 それでも的の中央へ刺さる。


 ゴルドが頷く。


「次。わざと外してから補正しろ」


「はい」


 三本目。


 わざと右へ外す。


 投げた後、ほんの少しだけ魔力を通す。


 ナイフが軌道を微修正し、的の右寄りへ刺さった。


「曲げすぎだ」


「はい」


「投げナイフは剣じゃねぇ。空中で曲芸をする道具でもねぇ。補正は最後の一寸だけでいい」


「分かりました」


 四本目。


 五本目。


 六本目。


 ナイフは次々に的へ刺さる。


 だが、ゴルドの指摘は細かい。


「抜くのが遅い」


「腰のナイフに頼るな。太腿の二本を使え」


「外套の内側は走りながら抜くと引っかかる」


「戻す動作もやれ。投げっぱなしで終わるな」


「敵は待ってくれねぇ」


 セレスティアは、汗を拭う暇もなく動き続けた。


 黒星。


 閃白。


 小剣。


 投げナイフ。


 すべてが違う。


 だが、すべてを一人で扱う。


 前世では武器庫と呼ばれた。


 今生でも、どうやらその道は避けられないらしい。


 いや。


 避ける気もなかった。


 武器がある。


 使える。


 なら、使う。


 それが剣聖セレスティアだった。


 そして今生のセレスティアも、同じである。


 最後の一本を投げ終えた時、セレスティアは深く息を吐いた。


 的には十五本の投げナイフが刺さっている。


 どれも大きくは外れていない。


 だが、完璧ではない。


 ゴルドは腕を組んでいた。


「どうですの?」


「まあ、初日なら悪くねぇ」


「初日なら」


「当然だ。完成じゃねぇ」


「分かっております」


「黒星はまだお前を引っ張る。閃白は伸びすぎる。小剣は左抜きが甘い。投げナイフは魔力補正に頼りすぎだ」


「課題が多いですわね」


「多い方がいいだろうが」


「なぜですの?」


「伸びる余地がある」


 セレスティアは、少しだけ笑った。


「確かに」


「ただし」


 ゴルドは試し場の壁を見た。


 そこには、閃白の斬撃で薄く削れた跡があり、黒星の風圧で砂が偏り、投げナイフの的には銀の刃が十五本刺さっている。


「他人が近づくと危ねぇ」


「それは認めます」


「だから看板は正しい」


「内容はともかく、必要性は認めますわ」


 その時、入口の弟子が駆けてきた。


「親方!」


「何だ」


「外の看板、書き直しました!」


「見せろ」


 弟子が新しい板を持ってくる。


 そこには、こう書かれていた。


 剣戟調整中。


 バカ姫に近づくな。


 セレスティアは、しばらく見つめた。


「……一応、約束通りですわね」


「だろ」


「ただ、下の文字が思ったより大きいですわ」


「注意喚起だ」


「上より目立っております」


「大事だからな」


「わたくしの名誉は」


「黒星に載せておけ」


「それは昨日も聞きましたわ」


 弟子たちが笑った。


 セレスティアも、とうとう少し笑ってしまった。


 疲れているせいかもしれない。


 黒星と閃白と小剣と投げナイフを一通り使った後では、看板に抗議する気力も少し削られていた。


 ゴルドはセレスティアを見た。


「疲れたか」


「少し」


「飯を食え」


「またですの」


「食って寝ろ。明日もやる」


「はい」


「あと、今日の動きを忘れるな」


「もちろんです」


「特に、閃白の伸びすぎだ」


「はい」


「黒星の踏み込みすぎもだ」


「はい」


「投げナイフで顔を緩めるな」


「そこもですの?」


「そこもだ」


 セレスティアは苦笑した。


 そして、的から投げナイフを回収した。


 一本ずつ。


 刃の状態を確認する。


 欠けはない。


 曲がりもない。


 軽いが、強い。


 さすがゴルドが用意したミスリルの投げナイフである。


 小剣も、黒星も、閃白も、すべて問題ない。


 問題があるとすれば、使い手の方だ。


 セレスティアは、静かに気を引き締めた。


 武器が揃ったから完成ではない。


 武器を使いこなして、初めて剣士として完成に近づく。


 前世の自分は、黒星と閃白を使い続けた。


 今生の自分は、それに加え、ハイエルフの身体と魔力でさらに先へ行く。


 そのためには、今日の調整が必要だった。


 看板は不名誉だが。


 非常に不名誉だが。


 注意喚起としては正しい。


 セレスティアは、試し場の看板をもう一度見た。


 剣戟調整中。


 バカ姫に近づくな。


 そして、その横に弟子がさらに小さな札を付けようとしているのに気づいた。


「待ってくださいませ」


 弟子が固まった。


「それは何ですの?」


「あ、ええと」


 札には、まだ途中までしか書かれていなかった。


 投げナイフ飛来注意。


 セレスティアは、少し考えた。


「……それは必要ですわね」


 ゴルドが鼻を鳴らした。


「だろうが」


「ただし、バカ姫要素は入れないでくださいませ」


 弟子はそっと札の下半分を隠した。


 セレスティアは目を細めた。


「何を書こうとしていましたの?」


 弟子は視線を泳がせる。


 ゴルドが答えた。


「バカ姫、投げると喜ぶ」


「不要ですわ!」


 試し場に笑いが広がった。


 セレスティアは、黒星を背負い、閃白を左腰に納め、小剣を背に戻し、投げナイフ十五本を装着し直した。


 重い。


 だが、心地よい。


 武器庫姫。


 不本意な呼び名。


 けれど、その武装は確かに自分に馴染み始めている。


 ゴルドは言った。


「明日は、全部つなげる」


「全部?」


「黒星から閃白。閃白から小剣。小剣から投げナイフ。投げナイフから黒星。流れで見る」


 セレスティアの目が輝いた。


「楽しみですわ」


「顔を緩めるな」


「無理ですわ」


「看板を増やすぞ」


「それは困ります」


「なら緩めるな」


「努力します」


「信用ならん」


 ゴルドはそう言って、試し場を出ていった。


 セレスティアは少しだけ笑った。


 鍛冶場の外では、看板がまた風に揺れている。


 剣戟調整中。


 バカ姫に近づくな。


 投げナイフ飛来注意。


 注意書きとしては正しい。


 表現には問題がある。


 だが、この町では、もうそれも含めてセレスティアという存在になり始めていた。


 ハイエルフ王家第1王女。


 前世は剣聖。


 背に黒星。


 左腰に閃白。


 背中にミスリルの小剣。


 投げナイフ十五本。


 そして、鍛冶場公認のバカ姫。


 セレスティアは左腰の閃白に手を添え、背の黒星を感じながら、静かに息を吐いた。


 まだ旅立てない。


 まだ調整が必要だ。


 だが、確実に近づいている。


 前世をなぞるのではなく。


 今生の自分として、前世の剣聖を超える日へ。


 セレスティアの剣戟は、まだ始まったばかりだった。

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