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銃殺刑当日 暁久の本心

 まだ幼い子どもの全身全霊の懇願も、個人の心情には訴えることはできたようだが、帝国海軍組織として無理は承知の上での「銃殺刑に不服あり」と異論を唱える覚悟を滾らせるには至らなかった。

 帝国陸軍の面々からひどい言葉を浴びせられて恐怖のあまりに泣きじゃくる一二三(ひふみ)の身体を優しく労わるように、暁久(あきひさ)はそっと手を伸ばす。

 肩を優しくたたき、背中を優しく撫でて。

 帝国陸軍の面々が近づいてきた時点で堀川(ほりかわ)も素早く姿勢を立て直し、自分たちを庇うように立ちはだかっているが、暁久は彼らに興味はない。

 ただ黙って目を閉じる。

 最愛の弟が父を想う気持ちを侮辱されようと、長兄として、おなじ父を持つ子どもとして……どうしてか屈辱の怒りは湧いてこない。


 ――あれらはもう()()()()()から。


 心のどこかでそう諦念しているから、感情も興味も沸かないのだろうか。

 それに万が一、一触即発の掴み合いが殴り合いに転じたとしてもきっと堀川がどうにかして自分たちを護るだろうから、それに身を構える必要もない。

 何せ堀川は、暁久の前で喧嘩に負けたことがただの一度もないのだから。

 ただ、ただ――思う。


 ――一二三の懇願でも、やはり物事を動かすことはできなかった。


 泣きながら頭を下げて周囲に父の助命を乞う弟の姿を見て、暁久はようやく自分のほんとうの本心に到達する。


 ――長兄として、弟に惨いに決まっている銃殺刑を見せるわけにはいかない。

 ――父を想う気持ちを叱られる一二三が不憫だ。

 ――母の心痛も、どうにかしてやらなければならない。


 現状を知って羅刹に転じた次兄を救うために、一二三を帝都に連れてきた。


 ――もしかすると、一二三に父の最期を見せたことで何かが大きく変わるかもしれない。


 どれもこれも暁久にとっては本心だった。

 一二三をこの施設まで連れてきたことも、ひょっとしたらそうすることで堀川が自分に対して何か答えを与えてくれるかもしれないと思ったからだ。

 心友なら是が非でも自分を見つけて、制してくるにちがいない。

 事実、堀川は自分たちの前に立ったが……その登場に期待していたはずなのに、暁久の頭のなかは混沌とした靄が深まるばかりで、自分はいったい何を探しているのだろうかと答えを見つけ出すことができない。


 ――けれども……。


 お父さんを助けてくださいと必死に懇願する一二三の声を聞いて、暁久の靄は徐々に雪のように足もとに降り落ちて、目の前に見通しのよい闇だけを広げていく。

 そこに差す光はない。

 光はとうに足もとで砕け散っている。

 破片さえ真っ黒に染まっている。


 ――ああ、そうか。私は……。


 ひょっとすると、一二三をここに連れてきた最大の目的は、


「父さんを助けてください!」


 と、自分が声に出して言いたかった言葉を一二三に言わせるためだけだったのかもしれない。


 ――そういうことか。


 これまで本音だと自身で思ってきた理由は、全部が全部建前に過ぎなかった。

 暁久はようやく自分を知る。

 自分でさえ一二三を使わなければならないところまで追い込まれ、一二三の発する声に最後のすべてを賭けた。


 ――一二三の声が自分の本心のすべてだった。


 自分はもう成人男性として、帝国海軍に所属する軍人として、それだけはどれだけ切望しようとけっして口にすることができない。

 父も息子に助命を口にさせようとはけっして願ってなどいないだろう。

 けれども暁久は――暁久こそ心底父を救いたいとずっと心中で懇願し、頭の中で何か手はないだろうかと画策していた。

 その最たる策が幼い子どもに父の助命を乞わせて、帝国海軍士官、将校、上層部の心情に訴えて、銃殺刑だけは取り消してもらおうという賭けだった。

 だが……。

 それさえ帝国陸軍に対する「面子」の前には届かなかった。


 ――一二三を使っても、父を助けることは永久不可能。


 自身に可能な万策はなく、卑怯にも幼い弟を賭けの駒にしたというのに……。


 ――父さん、無力な長兄で申し訳ございません……。


 暁久はいま、自身に対して哂っているのか、恥じているのかわからない。

 でも、あれほど深く蔓延っていた頭の中の靄はなくなってきた。

 目の前にはただ闇だけが広がっている。

 闇に限りなどありはしない。


 ――ブブーッ!


 無情にも、処刑開始を告げる合図が刑場から鳴りひびく。

 帝国陸軍の面々たちは待ち望んでいたと嬉々として、帝国海軍の面々は心臓を鷲掴みされたように目を見開いて硬直し、誰に何を詫びているのか悔しげに震えて、自身の唇を噛みしめる。


 ――いまならまだ、一二三には見せることなく引き返すことができる。

 ――でも引き返してしまったら……。


「何か」が大きく変わろうとするかもしれない、最初で最後の機会を永遠に失ってしまう。

 今度は目の前に広がる闇に対して、自分はいったい何を本音と称する言い訳を探そうとしているのだろうか。


 ――あのブザーが鳴った以上、もう誰にも父を助けることはできない。


 暁久はゆっくりと目を開けて、震えながら手のつけようもなく大泣きしている一二三にやっと声をかける。


「――さ、一二三。お父さんに最期のお別れを言いに行こう」

「お父さん……?」


 最期の別れとは、いったいどういうことだろうか?


「お父さん、ここにいるの?」


 ここを何かの会議場と思っていたのか。

 泣きじゃくっていた一二三の顔が途端に希望の何かを見つけたように目を見開くが、暁久はそれに小さくうなずくだけ。

 いつもと変わらぬ手つきで一二三の手を優しくにぎり、ついに覚悟の一歩を踏み出してしまう。


「おい、暁久ッ」

「本山!」


 堀川や周囲も止めようとして声をあげるが、どうしてか暁久に触れることができなかった。

 彼の足をこれ以上進めさせるものかと、一丸となって築いていた周囲の人の壁も気圧されるように緩み、暁久と一二三の歩みに道を開けてしまう。


 ――不徳の息子、不肖の息子。


 誰にどう思われようと、父にどうして我慢できなかったのかと叱咤されようと、そのすべてはこの長兄が受け入れよう。

 一歩、二歩と、腹を括った暁久は闇に向かって歩き出す。


「一二三、お父さんにさようならを言おう――」

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