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銃殺刑当日 堀川悌史と本山暁久・4

「……暁久(あきひさ)


 どうして……と不理解が先行し、堀川(ほりかわ)は深いため息を吐きながらうなだれて、ようやくのことで身体を起こす。


「親の死に目に合わせてやりたい、そう思っているのか?」

「……」

「――もし、いまのおまえが強く思っているのなら、それは弟たちの代表として蔽九郎(へいくろう)だけにしておけ。閣下の最期は病床で亡くなられるのとはわけがちがうんだぞ」

「蔽九郎……、やはり来ていたか」


 わずかに瞬いた暁久の表情を見て、堀川は一瞬、蔽九郎の行動を知っていたわけではないのかと怪訝に思ったが、


「どういう策を講じたのか、あいつは海軍次官にべったりと張りついている。あのようすでは何をしでかすかわからない。次官も案じられているようで、しばらく身柄を預かるようすだ」


 そうなったら当面、蔽九郎は返してもらえないぞと言外に伝えるが、暁久にとっていまは安堵する事柄なのか、わずかにほっとしながらも複雑そうな表情で目を閉じる。

 なるほど、と堀川は思った。

 最初はいっしょに住んでいるのだから家で説得、あるいは長兄として止めることはできなかったのかと問おうとしたが、いまの暁久にも羅刹に変じた蔽九郎を抑えることは困難だったようだ。

 それをここで責めるのは、さすがに酷というもの。


「――あの子は最初から、……軍法会議の決定を知らされたときから父さんの処刑を見るつもりでいた。悔しい気持ちを堪えて、純真に見取るという気持ちで。蔽九郎にとってそれが今後の成長に必要不可欠な決断ならと思い、私は容認した。息子として、おなじ帝国海軍に所属する者としてきちんと務めを果たしなさい、と」


 だから家族にこのことを伝えるときも、蔽九郎は気丈を保てた。


「でも、ほんの前のことだ」


 獄中に囚われている聯合艦隊司令長官をはじめ、帝国海軍幹部たち一二人を海軍省の職員が面会に訪ねたとき、驚愕的な現実に直面し、帝国海軍上層部たちは不愉快極まりない事態に肌を泡立てた。


「獄中の父さんたちは重責を果たせなかった罪に素直に捕縛されたというのに、いまさら尋問されるようなことなど何ひとつなかったというのに……、まるで酷い拷問を受けたように顔中が怪我だらけ、着衣も血まみれで。きっと体中に暴行を受けたのだろうね。顔はもちろん、見える範囲の手足にも酷い殴打の痣があったという」

「拷問……ッ?」


 初めて聞く堀川も刹那で肌が泡立ち、怒気が沸点に到着しかけたが、暁久が力なくかぶりを振る。

 なぜそのような暴行を受けるに至ったのかは、暁久も知らない。


 ――だが、それを管理しているのが()()()()()


「これらの軍法会議はいつのころからか、陸軍が主体となって、当然のように権限をにぎっている」


 明治海軍が身命を賭して築きあげた、誠の正義と高潔なる大日本帝国海軍のあるべき姿。

 それを暁久の父、聯合艦隊司令長官である本山(もとやま)大将は再来のように見事体現し、軍隊組織末端の兵員にまでそれを広く伝え、綱紀をととのえてきた。陸軍にとって父はよほど気に食わない存在だったのだろう。


 ――事実上、陸軍に囚われてしまっては……。


 そう言ってしまえば、どのような規律違反も暴行も不思議なほど腑に落ちてしまう。


「蔽九郎はそれを耳にしてしまったのだろうね。その日から、あの子の気配は尋常ならざるものへと変じて、とくに目つきがおかしくなってしまった。あの状態では逆に父さんの処刑を見せるべきではないと感じたが、――私の声は届かなくなってしまった」

「……」

「あの子は私にそういった気配を隠そうとしないからね。止めるな、と妖刀の刃を向けられたような気分になったよ」


 そこにきて、今度は出産のために成果に里帰りをしている母の家族、伯父や祖父から一二三(ひふみ)が手に負えないと緊急電報が入り、事態はさらにややこしくなった。


「やはり、似た者兄弟とはこのことかもしれない。一二三も父さんの処刑を見ると言い出してね、父さんを助けるんだと計画案を書いて、伯父さんの家から家で未遂まで起こして……たいそう手を焼かせたそうだ。これには十七郎(とおしちろう)の雷もまるで効かなかったらしい」

「まったく、十七郎はすぐに手を出す」

「それはおまえに似たのだよ、悌史(ていじ)

「……」


 暁久にとって伯父たちの困りごとは、母の心痛に直截ひびくことだと感じられ、同時に父を想っているのに叱られるばかりの一二三が不憫に思い、しばらく預かるしかないと即座に思った。


 ――あと数日も経たずして、自分たち兄弟は父を失う。


 年の離れた年長者として、長兄として、幼い弟たちを面倒見るためにときには父の代わりも努めなければならない。

 暁久の背負うものは一気に責任が増す。

 まず急務で取りかからなければならなかったのが、次兄となる蔽九郎のことだった。

 ひょっとすると、そばに幼い弟がいれば蔽九郎も「兄」として冷静さを取り戻すかもしれない。

 最初はそう考えて一二三の状況も踏まえて自分の手元に連れてきたのだが、家に一二三がいても蔽九郎が弟を目に入れることはなかった。

 あまりにも「個」の感情が強すぎて、逆に一二三が平九郎の気配にひどく怯えて怖がった。泣いて、暁久から手を離すことができなくなった。


 ――弟が兄を怖がる。


 それは暁久にとって、見るに堪えない状況だった。


「先に言っておくが、一二三が騒いだのは伯父さんの家でのことで、私と会ってからは一言も父さんに関して口を開いてはいない」

「……」

「たぶん、それを口にしたら蔽九郎に何かされると怯えていた面もあるだろうし、黙っていても事情を知っている私が自然と父さんのもとに連れて行ってくれるのだろうと思っていた節はあったようだけど、私もそれを口にしたことはない」


 ものの道理が理解できる年ごろの蔽九郎のタガが外れたのだ。

 捕縛以上にひどい目に遭っている父のようすや姿をどうして一二三に教え、見せることができよう。


「最初から、一二三に父さんを見せるつもりは毛頭もなかった」


 けれども、どこかの時点で一二三にも()()()()()かもしれない。


 ――そう思うようになった自分もいる。


 心のなかでは断じて見せるべきではないと思っているのに、頭のなかでは見せたことがきっかけで「何か」が大きく変わるかもしれない。

 そう思いはじめた節がある。

 何かの正体は不明だが、「弟」というよりも「何か」ちがった枠組みのなかで大きく変じる。


 ――そのために必要不可欠な最悪の記憶。


 生涯の心の傷として負わせてでも見せるべきかもしれない――その後の将来と人生に必要な、父に対する最期の凄惨な記憶。

 奇妙な直感ではあるが、見せる、見せない、どちらを選んで後悔するべきかではなく、流れに身をゆだねた末に「何か」に変じるかもしれない一二三を見てみたいと、そちらの興味を抑えることができなくなっていることに暁久は自覚があった。


 ――不可思議な期待にも似たそれは、恐ろしいほど足を前へとすすめていく。


「朝起きたら、すでに蔽九郎の姿は家にはなかった。一二三を預けるかたちでいっしょに留守番をさせようと思っていたのに、まんまと逃げられてしまった」

「だからと言って、連れてくるやつがあるか?」


 口端が引きつっているのを堀川は感じるが、暁久は変わらずかぶりを振る。


「私は所属部署の立場上、ここに来なければならない。でも、一二三はまだひとりでは留守番ができない。誰かに預けようにも、かつてのご近所はもう……」


 馴染みの顔も、親しき隣人も、あの帝都大空襲の大火で失われた。

 その地域と異なる場所での借家暮らし、大日本帝国海軍に所属していてはまだ近隣とのつき合いはほとんどない。


「それにいまは海軍関係施設や港湾、各鎮守府、海軍省、果ては南郷(なんごう)元帥のご自宅まで大変危険をはらんでいる状態だ。これで一二三の預け先で万が一にも陸軍の歩兵部隊に囲まれるようなことがあったら……」


 帝都にいる以上、一二三は自分のそばにいるのがいちばん安全だと結論づけて、それで暁久はここまで連れてきたという。


「暁久……」


 ここに一二三がいる経緯はよくわかった。

 弟ふたりの父を想う気持ちに、暁久が苦悩を抱いていることも充分理解できた。


 ――何より、いまの暁久が支離滅裂だ。


 もしかすると、本日の銃殺刑をほんとうに見せるべきではない相手は、暁久本人なのかもしれない。

 暁久が弟たち以上に父を敬愛していることを堀川は知っている。

 その父――本山大将の銃殺刑を見て、誰よりも壊れてしまうのはきっと暁久のほうだろう。


 ――こうなったら、力ずくでふたりを連れ出すしかない。


 ようやくのことで堀川は腹を括る。

 心友である暁久にどれだけ恨まれようと、覚悟の上だ。

 一二三とともに暁久をこの施設から連れ出すしか現状の解決策はない。

 一二三は幼い子どもだ。片方の腕で充分抱き攫える。

 暁久だって、一時ならば堀川の片腕で充分抑えることができる。

 そのあと暴れようが何だろうが、周囲の海軍士官や将校たちの手を借りて取り押さえればいい。

 とにかくふたりをここから連れ出すのが、目の前の難題の最たる解決策だ。

 堀川は判断する。


「暁久、――すまん」


 獲物を一瞬で捕らえるため、ほとんど殺気に近い眼光で堀川は心友に牙を剥く。

 その気配に暁久が今日初めて感情的に目を見開いたが、堀川の両の腕はすでに一二三と暁久を確実に掴もうと伸びている。


 ――そのときだった。

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