亡国の危機 日本
深淵に多くの星々が輝いている・・・
兵士はこの静寂に包まれた無重力の世界が、死と隣り合わせである事を嫌と言う程知っている。
己を包む宇宙服の外は死の世界であり、小さな穴が一つでも空けば、真空に晒された体液は一瞬のうちに気化され蒸発する。
死に至るまでどの様な苦しみに襲われるのか?それとも即死できるのか?
それを考えると兵士は発狂しそうになったが、戦後まもない荒廃した東京で頑張っている恋人を思いだし、なんとか理性をつなぎとめた。
もう何年も会えないでいる・・・
それどころかその消息すら定かではない。
無事でいるだろうか?・・・
そんな事を思う兵士の眼前に、火星の衛星の一つフォボスが宇宙の深淵に浮かんでいた。
長い所でも15km程度の小豆型の衛星である。
右に目をやると、はるかに大きい赤い惑星が静かにたたずんでいた。
人類のテラフォーミングにより濃い大気を纏った火星は、赤い大地を隠す様に所々雲が見てとれる。
スーツのスラスターを吹かしながら、衛星の巡回警備を終え帰艇しようとした。
その時!スーツの異常を知らせるアラートがけたたましくバイザーに点灯した。
熱い!まずそう思った。皮膚がしびれる様な熱さだ。
スーツのどこかに穴が空いたか?血が逆流する様な恐怖に襲われながら異常個所を探すがわからない。
熱い!熱い!
兵士は3回手をばたつかせた後、動かなくなった。
「どうして定期巡回を一人で行かせた?!」
「規定では必ず2人以上で巡回する事になっているはずだ!」
「高橋と中山が体調不良で・・定刻になってしまったので・・一人でも大丈夫だと福山が言うので・・しょうがなく・・」
福山の遺体が入ったスーツの左わき腹に、蒸発し噴出した血の跡があった。
強く詰問しているのは、この研究施設保安任務長である秋川一尉。
責められているのは香川准尉である。
「秋川一尉、それも問題ですが穴の開いた原因を調べるのを急いだ方がいいのでは」と副長の粟野二尉が横から割って入った。
何者かの侵入を許したのであれば一大事である。
「解っている!今、日本がどういう状態にあるか解っているのか?!」
「福山のスーツを調べろ!香川!お前の責任問題は後ではっきりさせるからな!」
そう言うと遺体には目もくれず秋川一尉は立ち去ってしまった。
粟野は香川の肩をポンと叩き、横に控えていた医師の石田に
「初めて下さい」と言った。
「私は医師であって検視官ではありません。スーツの異常理由までは解りかねます」
「えぇ、いっしょに診て頂ければそれで構いません」
体液が蒸発し、体内から爆発したような遺体、人間の体を構成する一部がスーツの穴を通し宇宙空間に噴出してしまった、あまりにも惨たらしいこの様な遺体を、おそらく初めてこの医師は見たのだろう。
顔面蒼白になり、立ちつくし何もしようとしない。
粟野はあきらめて隣にいた黒崎三尉と、福山を包むスーツを調べ始めた。
頭の先から始め、つま先まで入念に調べ、福山の遺体をうつぶせにする。
2人で両側から挟み込むように調べていると、黒崎三尉が背中に赤く変色した個所を見つけた。
粟野にその個所を指差し
「ここを見て下さい」と言った。
最初は小さな穴であった筈だが、スーツ内の気圧を全て吐き出してしまう際、大きくなったものと思われる。
しかし粟野は血と体液のこびりついた一部を指で拭き取ると、レーザーで焼かれた様な横に伸びる直線個所を見つけた。
「黒崎!秋川一尉を呼び戻せ!第一種警戒態勢発令が必要だと言え!」
時に西暦2052年、人類は火星の植民地化に成功し移住を始めていた。
人類が居住可能な惑星は地球と火星の二つだけだが、有人探査は木星までおよび、いくつかの国の資源採集プラントが火星外苑の小惑星帯に建設されていた。
小惑星帯はドーナツを切り分ける様に各国に分割統治され、排他的経済宙域として他国の経済活動を禁止した。
ゆっくりとだが太陽の公転軌道をまわる、これらの小惑星や岩石は、時として衝突し軌道を変える。
それが他国の排他的経済宙域内に入ってしまう事があるのだ。
莫大な富を生み出すそれらの所有権をめぐり、大国が目の色を変えるのである。
大国が利権とエゴを覆い隠す余裕もなくなり、辺境の宙域で起こった武力衝突をきっかけに、人類の火星移住が始まってから6年、世界を巻き込んだ第三次世界大戦が勃発してしまったのである。
これを後世の歴史家は太陽系戦争と呼んだ。
その当時火星は各国に分割統治されていて、二つの衛星、フォボスは日本、ダイモスはロシアに統治管理されていた。
戦前いろいろな思惑と利権が絡み合い決定された火星の領土分割は、複雑に隣国と接するモザイク世界を作り出していた為、大戦の勃発により凄まじい緊張状態に陥ったのである。
おもに戦闘行為は火星外苑の小惑星帯に集中し、小競り合いから艦隊同士の決戦まで、後に前一年戦争と呼ばれる期間に何度となく繰り返された。
そして太陽系戦争が始まって1年もたたないうちに、地球を巨大な天災が襲った。
すでに小惑星帯内にいくつかの軍事開発基地を持つにいたった各大国は、小惑星帯内の豊富な資源を背景に軍事開発が進められたが、本国の食糧不足により戦争継続が難しくなった。
最終的に戦争を止めたのは勝利や敗北ではなく、天災という母なる地球のアンガジェ(拘束)だったのかもしれない。
休戦条約が結ばれ、一時的に平和が戻ったのである。
そして3年が過ぎ、天災により荒れ果てていた地球も落ち着きを取戻し、食糧事情もよくなってきている。
大戦時日本は本土侵入を許し、いくつかの都市は壊滅状態となり、更に襲った天災により国家の体をぎりぎりのところで保っているという状態まで追い込まれていた。
休戦条約があと少しでも遅れていれば、日本という国はなくなっていただろう。
日本が誇った宇宙艦隊も壊滅状態にあり、戦闘できる状態ではない。
そして今、火星の衛星の一つフォボスには研究施設という名目の日本の軍事施設がある。
休戦条約が破棄されるのも時間の問題と言われている世界情勢で、日本が生き残りをかけて最後の戦いをしていた。
秋川一尉が第1種警戒態勢を指示した時、日本のフォボスニュートリノ圧縮技術研究所(NPT)のホストコンピューターは深刻なハッキングを受けていたのである。
公式発表さてれいる圧縮ニュートリノ技術とは、ニュートリノにヒッグス粒子をぶつけて、質量を生み出しそれを倍加させてしまおうという乱暴な技術である。
ニュートリノは新生爆発した巨星から発せられ、この宇宙では採取が容易な素粒子である。
そしてヒッグス粒子は近年、CERON研究所から始まった研究が実を結び、比較的小さなプラントでも取り出す事が可能となっていた。
宇宙は今も膨張を続けている。
その膨張をささえる膨大なエネルギーを取り出す技術とも言える。
太陽をリンゴ程に縮めるとブラックホール化するらしが、神の粒子と呼ばれたこの粒子は一つ間違えると大変な事が起きてしまう。
人為的にブラックホールを作り出せる恐るべき技術でもあるのだ。
しかし事がなった場合、ほぼ永久的に無尽蔵のエネルギーを得る事が出来る両刃の剣でもある。
また質量化したニュートリノを圧縮、結晶化させると、ダイヤモンドより硬い物質を短時間作り出す事もできる。
そのあまりにも危険性が高い事から、研究施設を火星、それもその衛星のフォボスにしか建設する事が出来なかったのだ。
そのフォボス研究開発基地の一室に一人の男がいた。
一人しかいない薄暗いその研究室の一角で画面に向かい、眉をひそめて考え込んでいる。
どうやら完全に独立している筈のホストコンピューターに誰かが侵入しようとしている。
中年はとうに越しているであろうこの男は、精力的に研究に没頭してきた。
こけた頬とたえず貧乏ゆすりをしているのが印象的な、いかにもといった学者肌の男で名を鷹森と言った。
しかしこの分野における第一人者ではなく、圧縮ニュートリノの父と呼ばれたのは、中岡達也という研究者だった。
中岡という男は天才肌の男で、圧縮ニュートリノ研究から宇宙船の設計開発にいたるまで、さまざまな事に革新的な考えを持った男で、生前は精力的に活動していた。
研究を共にしてきた鷹森は、圧縮ニュートリノ研究はもちろん、あらゆる分野に精通し、人体から、はたは外洋宇宙船の設計まで幅広く活躍していた中岡教授を、様々な分野で天才的な才能を開花させたレオナルド・ダ・ヴィンチの再来であるとさえ思っていたものだ。
裏では捲土重来を願う日本政府から極秘裏に巨大戦艦の設計、建造を依頼されただのされていないだのと噂されていた程だ。
戦災、天災に見舞われた日本には人材が不足していた事も事実ではあるが、一人の人間に一国がそこまで依存するのか?と多くの人々は考えていた事だろう。
共に研究を続けてきていた鷹森だったが、気難しい中岡とは親しく話をした事は無かった。
何年も一緒にいたのに趣味どころか家族構成すら知らなかった。
しかし今気がかりなのは、このハッカーである。
完全に独立しているホストコンピューターへハッキングしているという事は、このフォボスにその侵入者がいる。という事である。
しかし、鷹森はたかをくくっていた。
ハッカーの存在は通報済みだし、日本が誇るホストコンピューター”草薙”のファイヤーウォールを突破する事は到底できまいと思っていたからである。
その時、施設全体に警報が鳴り響いた。
ホストコンピューターが危険と判断したのである。
真っ赤に明滅するスクリーン群に、けたたましくなり続けるサイレンは、ふと鷹森に火事を思わせた。
「メインホストコンピューター草薙に違法アクセスするプログラムが存在します。現状の維持とプログラム排除を行います。至急関係各位は持ち場に復帰してください」
関係者全員に連絡がいくアラートだ。
「第2級非常事態です。セキュリティの強化を要請します。物理的な施設の占有が憂慮されます」
「火星方面軍に至急アクセスしてください。第1級非常事態に移行します」立て続けにコンピューターの危険を知らせるレベルが上がっていく。
鷹森は顔面蒼白となった。




