旅立ち
ビーン家のWRより3倍程大きい4本脚のWRが、トレーラーを引っ張りながらビーンのランドローバーに横付した。
オーソンはランドローバーを持っていない。
生活の拠点は4本脚のWRで、これで農作業から移動まで全てこなすのだ。
窓を開けて首を出すとオーソンは
「おはよう!酒は残ってないか!?」と揶揄した。昨日さんざん呑んだからである。
荷台で作業していたアルフレッドが
「あんなのは呑んだうちに入らんよ!そういうお前こそどうなんだ?」と答えた。
「あんなのは食前酒みたいなもんだ!」
「はっはっはは、まぁそういう事にしとくか!」
「用意が出来てるはずだ!朝飯を食おう!」
「すまん!今行く!」彼等の朝食はキッシュとスクランブルエッグ、パンに珈琲とサラダである。
珈琲のいい香りが室内に漂い、気持ちのいい朝の陽ざしを受けながら朝食を食べた。
「目的地まで3,000km、およそ12日の行程だ。とりあえず急ぐ旅でもなく、北へ向かう訳でもない。安全第一でのんびり行こうじゃないか」とアルフレッド。
「あぁ、そうだな。それとアリソン。俺の食糧を後で全部持ってくるんで、これから食事の方、頼めんかな?」とオーソンがアリソンに頼むと、
「お安い御用よ、まかせてください」と答えた。
「酒は渡せんがな」
「それこそ持ってこいよ。飲み過ぎは体に毒だぞ」
「何を言ってる。俺には百薬の長さ」
「はっはっはは、そう言うと思ったよ。出発の用意は出来てるのか?」
「あぁ、今すぐでも構わんぞ」
「よし」と言って、テーブルの上に地図を広げた。
この時代の火星にGPSは存在しない。
大戦時ほとんどの衛星が失われた事と、現在火星の人口が極めて少なく、衛星を打ち上げていては採算が合わない為である。
街と街を結ぶ道路はほとんどなく、轍は砂嵐ですぐに消えてしまう。
だから目的地に向かうには綿密に計画を建てる必要があるのだ。
「パボニス山とアルシア山の間は標高が高くなるから雪が心配だ。南に迂回しよう」と言うアルフレッドに
「いや南はタルシス台地を外れる恐れがある。お前さんのランドローバーなら問題ないが、俺のカーネリーでは踏破できなくなる可能性がある」
「そうだな、一番の近道でもあるし直線コースを行こう」
「すまんな」
「いや、大して変わりはないし、なるべくなら距離をとりたくない」などと打ち合わせを済ませるとオーソンは自分のローバーに戻り、2台は仲良く併走する形で出発した。
隣を走っているオーソンのWRを見てベティが言った。
「ワークローバー(人型)と言っても4本脚なのね。初めて見たわ」
「カーネリータイプだな。オーソンの様な一人者だと小回りが利いてなにかにつけて便利なんだろう。安上がりだしな」
「ふ~ん。引っ張ってる後ろのトレーラーを切り離して仕事するの?」
「あぁもちろんさ。あんなの引っ張りながら農作業はできないよ」
ケイティがなんとか外を見ようと後ろ足で立って、窓の外を覗き見ようとしているが届かない。
ペグが後ろから抱え上げてやった。
「あっ!オーソンさんが手振ってる!」ベティとペグは手を振りかえした。
2時間ほど東に走り続けるとケイティがそわそわし始めた。
「あら、おしっこかしら?」とアリソン。
「きっとそうよ」とベティ。
室内でされたらたまらん。とアルフレッドは無線でオーソンに話しかけた。
「そろそろ小休止しよう」
[了~解]ノイズのないクリアーな答えが返ってきた。
ローバーから降ろしてやると2mほど腰をおろしながら進み、しゃがみこむとケイティはおしっこをした。
「我慢してたのね。おりこうさんだわ!」とペグはケイティの頭をなでてやった。
するとケイティはローバーの周りを全力で走り回り始めた。
「運動会でも始まったのかい?」とWRから降りてきたオーソンが言った。
「珈琲でもいかが?」とアリソン。
「うれしいな、ちょうど飲みたかったとこだ」
時間は10時をちょっと過ぎたぐらいだった。
アルフレッドとオーソンは周囲の景色を見渡し、珈琲をすすりながら地図に目を落とすと、
「あれがアルシア山だな。そうすると今ここらあたりか・・・」と地図の一点を指差した。
「今日はアルシア山の裾野ぐらいまでは行けそうだな」とオーソン。
「順調に行けばそこで宿泊だ」
「まだケイティは回ってるのか?」と足元を駆け抜けて行ったのを見てアルフレッドは言った。
「よっぽど嬉しいんだろうな~目が爛々としてるよ」ケイティを追う様に山へ目を移したオーソンが、
「なんだぁ!雲行きが怪しくなってきたな。山にどす黒い雲がかかってやがる」そういえばどことなく湿った風が吹いてきた。
ケイティがローバーから駆け離れて行く。
「ケイティ!戻ってきなさい!」とペグが呼ぶと、踵を返してケイティは戻って来た。
「本当におりこうさんだわ、ケイティ」と頭をなでてやった。
「こりゃ~一雨きそうだ。行けるとこまで進んでおこう」とオーソン。
「この暖かさだったら雪にはなるまい」
今日は比較的暖かい。それでも冷たい雨になるだろう。
オーソンとビーン一家は、各々のローバーにもどり再出発した。
予想は的中した。5分もしないうちにぽつぽつと雨が降りだしたかと思うと土砂降りになった。
「本当に火星の大気は不安定なんだな・・・」とアルフレッドが一人ごちているとオーソンから無線が入った。
[やむをえん。高台を見つけてやり過ごそう]
不安定な火星の大気は、どこで局地的な豪雨にみまわれるか解らない。
低地を走っていると、いつ鉄砲水に襲われるか知れたものではないのだ。
ランドローバーに乗っていても濁流にのまれる事は致命傷になる。
「了解、10時方向に比較的高い丘陵がある。あそこに上ろう」
アルフレッドはふと思い出した。ある一家の末路を。
それはビーン家と同じARR(水陸両用のローバー)が、ある晴れた日に突然鉄砲水に流され横転、水没し一家全員助からなかったという事件だ。
それは20km離れた土地で降った豪雨が鉄砲水になり、晴天だった土地に流れ込み悲劇を生んだというものだ。
”今、我々は雨が降り始めてから避難している。間に合うのか?”と内心焦っていたアルフレッドだったが、妻も娘達も安心しきっている。
わざわざ心配させる必要もない。焦る気持ちを抑えながら丘陵地へ急いだ。
アルフレッドの危惧をよそに無事高台へ逃れる事が出来た。
なんでもない顔をよそおい。オーソンに無線をいれる。
「オーソン、問題ないか?」
[あぁ、まったく無い。でもしばらく動けんな。俺は昼寝でもするよ。晴れたら起こしてくれ]
「分かった。昼飯の用意が出来たら連絡する」
[もぅそんな時間か?すまん!アリソンに宜しく言ってくれ]
「分かった。いい夢を」
[はっはははは]と大笑いして無線は切れた。
昼飯にはまだ時間がある。雨に煙る大地を眺めて内心ホッとしていたアルフレッドにペグが話しかけた。
「とぉさん、この雨はいつ止むの?」とんだ立ち往生に暇を持て余したペグとベティが聞いてきた。
「どうだろうな、火星の神様に聞くしかないな・・・」と言ってからアルフレッドは後悔して言い直した。
「火星はね、まだまだ環境が整ってないんだよ。人間が勝手に環境を変えてしまったのだから、人間は我慢して待つしかないんだよ」
人生は思い通りにいかない事のほうが遥かに多い。そんな時はくさる事なく希望を捨てず、耐えしのぶ大切さを教えなければならない。
持つ事がどんなに難しくても、心に余裕を持つ事の大切さを教えたい。
そんな彼の気持ちが言い直させたのだ。
「よし、荷台に屋根をつくるか!」と言って、アルフレッドは雨の中でも娘達と犬が遊べる様に、荷台の床面に収納されている荷台をすっぽり覆う事のできる頑丈な屋根を設営する事にした。
普段はクレーン作業の邪魔になるので収納されているが、猛烈な砂嵐や危険な雹などから荷物を守る重要な物だ。
ほとんど自動で設営できるが、クレーンのフックを荷台の後方にある引掛けに、人が手で玉掛けしなければならない。
アルフレッドはカッパを着込むと土砂降りのなか荷台へと出て行き、いくつかの安全装置を外しフックを引掛けた。
クレーンの付け根にある操作パネルのスイッチを入れると、クレーンのアームが大地と水平に伸びていき、それに引っ張られて床面に収納されていた屋根がでてきた。
屋根全体が出ると今度はクレーンアームが立ち上がり2箇所のヒンジが折れ、くの字に曲がっていく。
クレーンがやや前方に向け回転すると、荷台を覆う様に屋根がおりてくる。
ちなみにこの屋根は荷物を荷台から降ろす際のスロープにもなるものだ。
屋根がおりきるのを確認し、屋根の隙間からフックを外す。
操作パネルの終了ボタンを押すと、クレーンアームは縮みながら元の場所に戻って固定された。
外から扉を開け
「御嬢さん達、よろしいですよ。雨で床が滑るからお気を付け下さい」と声をかけると、わーっと娘達とケイティが飛び出してきた。
ケイティはあちこちクンクンと嗅ぎまわっている。
荷台のあおりに手をかけ、娘達は外を見ながら手を伸ばし土砂降りの雨を体感している。
「砂嵐になってみたり、雪が降ってみたり、どしゃ降りになったり、本当に火星の天気は忙しいのね」とペグ。
「きっと火星の神様はきまぐれなのよ!」とベティ。
「きっとそうね」と2歳年上のペグが話を合わせる。
「あっ!オーソンさんがこっち来るわ!」土砂降りの中こちらに向って走ってくる。
ローバーの左側面にある階段で荷台に上がってきたオーソンは、
「いや~ひどい雨だ!流されちまうかと思ったよ!」オーソンの冗談を真に受けたペグが
「オーソンさんの大きな体が流されるほどじゃないわ」
「いやいやわからんぞ、もう少しですっ飛ばされるとこだったんだから」
さすがにそんな訳はないと分かった二人は声を上げて笑った。
「昼寝するんじゃなかったのか?」とアルフレッド。
「いや~さすがにランドローバーだな。こんな便利な物がついてるとは・・ちょいと見学に来たのさ」カッパを脱ぎながらオーソンが言った。
「オーソンさん、うちのボリスよ!」とベティがWRを指差して言った。
「ボリス?なんでボリスなんだい?」
「この子の名前なの!」
答えにはなっていなかったが、なんとなく察したオーソンは
「そうか、ボリスよろしくな。ちょっとカッパをかけさせてくれ。すまんな」と言ってWRの人差し指を握って握手した。
「中にどうぞ!」アリソンが室内から声をかけた。
昨日と同じ窓側の席にオーソンが座ると、娘達もケイティも戻って来た。
コクピットを覗き込む様に見ていたオーソンは
「すごいな、この席からなんでもできそうだ」
「あぁ、それが設計コンセプトだ。見えるか?」と言ってパネルの右側を指差した。
オーソンは立ち上がると、
「あ~掘削ドリルのコントロールパネルか?」パネルの下に並ぶスティックやレバーを見て言った。
「あぁ、全てここから操作できる」
「これで水源まで掘り進めるのよ!」とベティ。
そんな事は百も承知だが素知らぬ顔で
「そりゃすごいな、あっという間に井戸が掘れそうだ」と言った。
それに水陸両用だろう。俺も欲しくなってきたな。高かったろう?」
「あぁ今もローンで汲々(きゅうきゅう)だよ。でも無理してでも買って良かった。こいつがなかったら・・と思うとぞっとするよ」
このランドローバーは掛け値なし、ビーン一家の火星での生命線であるのだ。
ローンの支払いが滞り、このローバーを取り上げられてしまう事は、ほぼ死を意味する。
ケイティの元の飼い主が辿った道を彼等も辿るのだ。
火星も政府も決して入植者にやさしくはなかった。
「プラントに行って、稼ぎまくって俺も買ってやる。待ってろよ!」と誰に向ってとも取れない言い方をオーソンがした。
そんな底抜けの明るさで言う彼がアルフレッドには頼もしく見えた。
本来アルフレッドは楽天家である。だから火星に来たとも言える。
が、それに輪をかけてオーソンは楽天家であった。




