第1話 進路希望調査
「神代、お前、異世界で勇者になりたいのか?」
「え、いや、その……」
(やっぱり、この話か……)
一学期の終業式が終わった日の放課後。
進路指導室に呼び出された神代悠真は、居心地の悪さに肩を縮めた。
テーブルの向こうでは、担任のヤマさんが真顔でこちらを見ている。
山科桂吾先生、通称ヤマさんは、今年着任したばかりの若い物理教師で、いつも白衣を着ている。
十六歳で海外大学を卒業し、博士号を三つ持つなど、どう考えても普通の県立高校にいるような人物ではない。
なぜこんな人がここで教師をしているのかは、学校の七不思議の一つになっていた。
だが、そのせいか、みんな山科先生のことを『ヤマさん』と敬称付きで呼んでいた。
そんなすごい担任だけに、こんなおふざけみたいなことで呼び出されるのが肩身の狭い思いだった。
「で、どうなんだ? 異世界で勇者になりたいってのは本当なのか?」
ヤマさんが、おもむろに手元のファイルから一枚の紙を取り出して、悠真の前に置いた。
確認するまでもない。今朝、悠真が提出した進路希望調査用紙である。
しっかり希望欄(しかも第一希望欄)に、
『異世界で勇者』
と書いてある。
「うぅ……」
『希望』なんてないから書きようがない。
しかし、『なし』はダメと言われたので、今の自分では絶対になれないものを書いてみただけだ。
だから後悔はしていない……が、早くこの場から逃げたかった。
「どうなんだ?」
「いや、あの、その……」
ヤマさんの声には責める響きはないが、なぜか目がガチ過ぎて余計に縮こまってしまう。
「こ、これは、その……、なんというか、つい出来心っていうか、先生が、な、何でもいいからしたいことを書けって言ったんで、ちょっと書いてみただけで……」
焦って早口になるのが分かる。
教師に言い訳するなんて、悠真にとって高難度なクエストなのだ。
「……そうなのか」
「も、もちろんです。そ、そりゃ、やりたいかやりたくないかって言われたら、やりたいですけど、小さい子供じゃないんで、さすがにそれを目指そうとかは思ってないです……」
とりあえず言うだけ言って息をついた。
「うーん、そうかぁ……」
なぜかヤマさんはがっかりした顔で肩を落とした。
「あ、あれ?」
今のやり取りに、失望されるところがあっただろうか。
というか、てっきり叱られると思っていたのだ。
戸惑っていると、ヤマさんはすぐに気を取り直したように、面を改めた。
「実はな」
「はい」
「ある会社というか組織が、異世界で勇者をやれる人物を募集していてな。お前なら適任だと思っていたんだよ」
「……はい?」
悠真は、呆けた表情で担任の顔を見た。
(何を言っているんだ、この人は……?)
からかわれているのかと思ったが、ヤマさんの目は相変わらずガチである。
「ほら、こないだ、お前にゲームのテストプレイ頼んだろう?」
「ああ、なるほど」
ようやく話が見えた。
新学年早々、悠真はヤマさんからRPGのβ版を渡され、極秘のテストプレイを頼まれていた。
『アヴァロン』という名のファンタジーもので、なんでも、知り合いの会社が作ったらしい。
教師が生徒にゲームを渡すなんて妙な話だが、こんな優秀な人がゲームオタクの自分を当てにしてくれたことが嬉しく、悠真は喜んで引き受けたのだ。
「もしかして、あのゲームの新しいテストですか?」
「いや。本当に勇者を探しているらしいぞ」
「……はあ、そうなんですか」
全く納得はしていなかったが、ヤマさんは、こんなところで悪い冗談をいう人ではない。
それでも、テストプレイですらないなら、話自体が壮大な勘違いか、胡散臭い話にしか思えなかった。
「まあ、とにかく話だけでも聞いてやってくれよ」
ヤマさんは、シャツのポケットから無造作に一枚の小さな紙片を取り出して、悠真の前に置いた。
名刺だ。
「これが連絡先だ。興味があったら電話してみるといい」
「分かりました……」
たぶん連絡なんてしないが、とにかく受け取って眺める。
そこには、
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ロストサイエンス社
主任研究員 秋月薫
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とあった。
確かに社名とロゴは、ゲームの起動時に表示されるものと同じだ。
だが、「研究員」という肩書からみると、勇者募集というのは、ゲームの制作ではなく科学研究の一環なのだろうか。
「あれ?」
ふと研究員の名前を見て、気がついた。
秋月という名字はそこまでありふれたものではない。単なる偶然とは思えなかった。
悠真の表情を見て、ヤマさんが答えた。
「ああ、この人は秋月遥のお姉さんだよ」
「そ、そうなんですか?」
名前を聞いた瞬間、悠真はものすごい勢いで顔を上げた。
「お、おう」
その勢いに、ヤマさんがたじろぐ。
「遥ちゃんのお姉さん……」
悠真は、もう一度名刺に視線を落とす。
さっきまで胡散臭い目で眺めていた紙切れが、急に特別なものに見えてきた。
秋月遥――席が隣で、悠真がまともに話せる唯一の女子である。
ただ、国の留学プログラムとかで、先月から休学している。
「先生は、遥ちゃん……じゃない、秋月さんがどうしてるか知ってますか?」
ミディアムショートのボブカットに、控えめではにかんだ笑顔が可愛らしい彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
「さあ、元気にしてるんじゃないか? 何かあったら学校に連絡があるはずだしな。国から派遣されているんだ、いろいろ忙しいんだろう」
「そうですか……」
悠真の気落ちした様子を見て、ヤマさんが励ます。
「まあ、留学は夏休み終了までだ。二学期には元気に戻ってくるさ、きっとな」
「え、あ、ああ……そうですね」
どこか引っかかるものを感じたが、遥がいない寂しさに引き戻された。
夏休みは始まったばかりで、あと40回近くは寝て起きてを繰り返さなければならない。
しかも何の嫌がらせか、今年の9月1日は日曜日である。
「……とにかく、お前の進路希望は、このまま受け取らせてもらう。夢が叶うように願ってるよ」
「え、あ、ありがとうございます」
「大丈夫だ、お前ならやっていけるさ」
「はあ……、それはどうも……」
何がどう大丈夫なのか、今ひとつ腑に落ちないまま席を立ち、礼を言って指導室を出る。
結局、『異世界で勇者』という進路希望は受理されてしまった。
自分で書いておいてなんだが、これでいいのか、うちの学校?
指導室を出た悠真は、手に持った名刺をもう一度眺めた。
――ロストサイエンス社 主任研究員 秋月薫。
(遥ちゃんのお姉さんが、なんで勇者なんか探してるんだ……?)
(ていうか、勇者を探すって何の話なんだろう?)
釈然としない気持ちのまま名刺をポケットにしまい、悠真は教室へ向かった。




