第六十四話 欲しかったのにー
ブティックの中に逃げ込むと、そこにいた二人の女性店員が、無感情な瞳でじっとこちらを見つめていた。
次の瞬間──
一人が近くのマネキンを台座ごと引っこ抜き、入り口へ向かって全力で投げつけてきた。
「危ない!」
俺はとっさにリラの前へ飛び出し、マネキンを体で受け止める。
ズンッ!
想像以上の重さ。腕に鈍い痛みが走り、痺れた。
その隙に、もう一人の店員がディスプレイ用の鉄パイプを手に、バットのように振りかぶる。
それがリラへ横薙ぎに迫った──が。
リラは、ひらりと舞うようにバックステップで回避し、振り抜かれたパイプを軽々と奪い取る。
続けざまに二人の肩を正確に叩き落とした。
店員たちは膝から崩れ落ちる。リラは額へそっと触れ、短く呪文を唱えた。
すると二人は、そのまま糸が切れたように眠り込んだ。
──さすが戦い慣れている。
後方支援専門の聖女だと思っていたが、完全に勘違いだった。
魔王と戦った勇者パーティのメンバーは伊達じゃない。
「……これは、少々厄介ですね」
振り返ると、店の入り口にすでに数人の男女がなだれ込み、虚ろな目でこちらへ手を伸ばしている。
リラは右手を前に突き出し、再び呟いた。
次の瞬間、手のひらから突風が巻き起こり、迫りくる人々を紙くずのように吹き飛ばした。
「シュシュの見よう見まねですが……うまくいったようです」
そう言って、彼女は俺に手を差し伸べる。
「さ、今のうちに!」
風がこじ開けた道へと、俺たちは一気に駆け出した。
まるでヒーローに手を引かれて逃げるヒロインの構図だが──今のヒロイン役は俺だ。
中年オヤジのヒロイン……絵面が相当ヤバい。
──仕方ないだろ!
修羅場の経験なんて、忘年会で若い奴らの喧嘩を止めたくらいしかないんだから。
脳内にふっと妄想が浮かぶ。
「僕が守る!」
……いや、守られる側だったわ俺。
自分で自分に即ツッコミを入れ、ぶんぶんと首を振って追い払う。
そのまま店内を縦横無尽に逃げ回り、
“関係者以外立ち入り禁止”の札をくぐってバックヤードへ滑り込み、
通路の奥の小さな休憩室に身を潜めた。
「これ、どうぞ」
ドアの脇にあった自販機で、俺は急いでペットボトルを二本買ってきた。
それは、以前ルーリと飲んだホットのミルクティーとは違う、冷たいアイスバージョンだった。
「ありがとうございます」
椅子に腰掛けたリラは、ホッとしたようにそれを受け取ると、こくり、と喉を鳴らした。
「……おいしいです」
そう呟くと、彼女は俺を見てふわりと微笑む。
その不意打ちの笑顔に、心臓が一拍遅れて跳ねた。
慌てて向かいの椅子を引き、自分も座る。
……落ち着いて、ようやく起きたことを振り返る。
一体、何が起きているのか。まだ見当もつかない。
リラの説明によれば──このモール内の人間は、俺たちを除いて全員が『傀儡の術』とやらにかかっているらしい。
ただ、仕組みの話は難しすぎて半分も理解できなかった。
それでも、逃げ回る中で俺にも分かったことがある。
一つ。このモールにいる全員が敵になっている。
若いカップルも、ベビーカーの母親も、警備員も店員も。
子供から老人まで例外なく、俺たちを見つけると無言で襲いかかってくる。
素手で殴りかかってくる者もいれば、食品売り場の菓子パンを全力で投げつけてくる奴までいた。
中でも一番ヤバかったのは、レストラン街の調理服の集団だ。
包丁や熱々のフライパンを手に、感情の死んだ目で追ってくる姿は、B級ホラー映画そのもの。
そしてもう一つ。
奴らは“距離”に反応して襲いかかってくる。
その距離は、だいたい半径三メートル。
逆に言えば、三メートル以上離れていれば安全だが、一度でもその範囲に入ってしまうと、どこまでも執拗に追いかけてくるのだ。
「……まいったな」
俺が呟くと、リラも同じように深く息を吐いた。
「ええ……本当に、まいりました」
その弱音に、思わず俺は眉を上げた。
逃げている最中、彼女の動きは一切ブレなかった。
常に冷静で、判断は正確無比。
“勇者パーティの要・聖女リラ”という肩書きそのままの頼もしさだったのに。
なのに、今漏れたのは意外なほど素直な弱音だった。
「……あれ、可愛かったのに」
ぽつりと落ちた言葉が、脈絡なさすぎて一瞬固まる。
「え? 可愛い? 何のことです?」
「あのマネキンが着ていたワンピースです」
リラはぎゅっと拳を握りしめ、悔しそうに俺を見る。
「とても素敵な浅葱色で、一目で気に入ったんです。
なのに……あの店員さん、よりによってあのマネキンを投げてくるんですもの。
破れてしまったじゃないですか!」
──いや、怒るポイントそこ!?
常に冷静沈着な聖女様だが、そこまで冷静なのも、逆にどうなんだろうか。




