第六十二話 迷子
『ノア・クロモール』は、この屋敷の近くに最近できたばかりの大型ショッピングモールだ。
その人気は凄まじく、土日ともなれば広大な駐車場も朝から満車。
公道にまで溢れた入場待ちの車列で、付近一帯が機能不全に陥るレベルで渋滞する。
地元民の知恵として、この怪物を攻略するにはただ一つ。
開店前の朝八時から駐車場に乗り入れ、先手必勝を仕掛けるしかない。
つまり、屋敷を出るのはさらに早い。
「七時半には出陣よ! 各自、準備万端整えておくように!」
昨夜の夕食後、アンジュは高らかに拳を振り上げ、皆に行動計画を発表した。
「我々の最初の標的は、開店直後のタイムセール品!
迅速果敢なる諸君らの働きに期待する!」
「……それ、一番の懸念材料はアンジュ本人でしょ。俺はいつも六時には起きてるけど、アンジュが起きるのって正午過ぎだってリラさんから聞いたぞ」
俺の冷静な指摘に、アンジュは「何を小賢しい!」と一喝する。
「戦のためとあれば、夜明け前の奇襲とてドンとこいよ!」
──いや、戦じゃなくてショッピングだから。
あと、その自信はどこから来るんだ。
車は、屋敷の車庫にあった高級セダンを借り受け、
一緒に行くことになった九頭竜さんの車と二台に分乗する予定だ。
バイトで忙しいソニアとルーリ以外の全員で向かうことになった。
ちなみに、バイトを終えて泊まりに来る二人も加え、
その日の夜は盛大な歓迎パーティが開かれるらしい。
いったい誰の歓迎なのかはいまだ不明だが。
そして、翌朝──。
案の定、大寝坊をかましたのは、作戦司令官のアンジュだった。
「私のことはいい……。この屍を乗り越え、先へ進むがいい……」
またしても訳の分からないことを呟きながら、
リラとシュシュに両肩を担がれ、ゾンビのように引きずられて車に乗り込んだ。
聞けば、アンジュのこの妙な言葉遣いは、
最近サブスクで見まくっている時代劇の影響らしい。
一部では異世界人用の言語変換システムのバグも疑われているが、
十中八九、彼女のテキトーな性格のせいだと俺は思っている。
すでに入場待ちで出来上がっていた車列の後ろにつき、
じりじりと前進を繰り返している、その時だった。
後部座席から、唐突にリラの静かな声が響いた。
「……シンは、アンジュのことは『アンジュ』と呼び捨てにするのに、
私のことは、いまだに『リラさん』と呼ぶのですね」
バックミラー越しに視線を送ると、
リラがじっと、射抜くような目つきでこちらを見ている。
その隣に座るシュシュは、必死に窓の外を眺めているが、口元がむにゅむにゅと動いている。
間違いなく、腹筋崩壊寸前で笑いをこらえている顔だ。
確かに、頭の中では皆を呼び捨てにしているのに、いざ口に出すとなると、なぜか「さん」付けになってしまう。
自分でも、理由はよく分からない。
「あー……アンジュからも聞いたかもしれませんが、実は、皆さんと一緒に旅をしていた頃の記憶をなくしていまして……。皆さんの英雄譚を聞けば聞くほど、なんだか恐れ多くて、呼び捨てにしにくいというか……はい」
「活躍したのは、主にシンですよ」
「その肝心な時の記憶がないものですから。はい」
バックミラーを覗くと、リラの眼光がさらに鋭くなっている。
その横では、シュシュがもはや隠すこともせず、ドアをバンバン叩いて爆笑していた。
やがて、リラは深いため息をつくと、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で宣言した。
「……分かりました。
次にまた私のことを『さん』付けで呼んだ時は、罰として、
シンに一日中、私達が夫婦になっている幻覚魔法をかけます」
──この聖女、もはや罰でも何でもなく、ただ自分の願望をぶつけてきたぞ!
俺としても、その状況がうれしいのか、はたまた、恐ろしいのか訳が分からない。
「ぶっふぉ! 待った待った!
リラ、シンは勇者なんだから、状態異常系の魔法は効かないって!」
とうとう耐えきれず、腹を抱えて笑い転げるシュシュ。
しかし、リラは表情一つ変えずに答えた。
「大丈夫です。先日、試しに寝ている時にかけてみたら、うまくいきましたから」
──おい! 俺が寝ている間に一体何をしてるんだ、この聖女様は!
「いや、もう要石通り越して星ごと乗ってるね」
シュシュが、ほとほと呆れ返ったという顔でリラを見た。
「シュシュだって嫌でしょう? 他人行儀に『シュシュさん』なんて呼ばれたら」
「まーね。しかも、シンが言うと噛みそうで、こっちがヒヤヒヤするし。じゃあ、私が『さん』付けされたら、罰としてメテオ・クラッシュね」
──それ、問答無用で死ぬやつです。
「大丈夫よ。その後に、私が蘇生魔法をかけてあげるから」
リラが、さも当然のように付け加えた。
──さすが異世界パーティ!って感心できるか!
連携が殺害前提なんだよ!
まさにその時だった。カーラジオから、午前八時を告げる時報が軽快に鳴り響いた。
その音に反応し、後部座席で屍と化していたアンジュが、ガバッと覚醒した。
「やばい! 朝市限定セールの芋焼酎が!!」
そう叫ぶやいなや、アンジュはドアを開け、まだ動いている車から飛び出すと、女神のなせる身体能力を十二分に発揮し、一目散に入口へと駆け出していった。
良い子はまねしちゃダメな奴だ。
「ちょ、アンジュ! 一人で行くと絶対に迷子になるって!」
俺の制止の声など聞こえないフリで、彼女は雑踏の中へと消えていく。
「もう、しょうがないなあ! 心配だから、私が追いかける!
何かあったら念話で知らせるから!」
そう言い残し、今度はシュシュが風のように後を追って飛び出していった。
後続の車を運転していた九頭竜さんも、何が起こったのか分からず、大口を開けて呆然としている。
やがて心配になったのか、巨漢──ガースとキリが車から降りて、こちらへ走ってきた。
「おい、シン! 何があったんだ!」
切羽詰まったようなガースの問いに、俺は一言だけ答えた。
「……セールです」
「セール?」
「はい。タイムセールです」
俺の言葉に、歴戦の戦士であるガースは、完全に固まった。
俺はもう何も言えず、
「とりあえず危ないので、車に乗ってください」とだけ伝えたのだった。




