第五十六話 interlude 聖女リラ3/3
その日は朝から、王都全体がごった返すような人であふれていた。
今夜──『女神チャンネル・シーズン2 地球編』が放送される。
その告知が、各地の教会に届いたのだ。
女神チャンネルは、『祈りの宝珠』を設置した場所で放映される。
だがその宝珠は高価で、小さな村では手に入らない。
一方、王都では広場や公園に臨時の宝珠が設置され、中空に映像が投影される仕組みが整っていた。
そのため、近隣の村々からも人々が押し寄せ、街は祭りのような熱気に包まれていた。
屋台が並び、子どもたちの笑い声と焼き菓子の匂いが風に流れる。
私は、そんな賑わいを横目に王城へと急いでいた。
地球へ行くことになれば必要になるであろう薬や衣類を、朝から買い集めていたのだ。
仲間たちには「準備が遅い」と笑われたけれど、今日のこの日まで、私はどこか現実味がなくて──ふわふわと、地に足がつかないままだった。
やっと、シンに会える。
そう思うだけで、胸の奥が熱くなり、何も考えられなくなる。
自然と浮かびそうになる笑みを必死に抑え、人の波をかき分けて王城の門をくぐった。
王城の周囲は警備兵で囲まれ、厳重な体制が敷かれている。
なにしろ、国家の威信をかけた壮大な実験が行われるのだ。
──逆召喚魔法。
本来、召喚とは“地球からこちらの世界へ”人を呼び寄せるもの。
だが今回はその流れを逆転させる──こちらから地球へ渡るための術式だ。
今も実験棟では識者たちが詠唱を整え、魔法師団の面々が魔力を供給している。
まるで王都全体の息づかいが一本に束ねられたような、張りつめた空気だった。
「リラ!」
実験棟に入ろうとしたところで、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこに立っていたのはかつての仲間──シュシュの夫、キリだった。
「キリ! 久しぶりね」
声をかけると、彼は懐かしそうに笑った。
「忙しそうだな。それ、持っていく荷物かい?」
私の抱える袋を見て、彼は可笑しそうに笑う。
「キリは? 持っていくものはないの?」
尋ねると、彼は腰の刀を軽く叩きながら言った。
「これだけだよ」
今回の逆召喚魔法に参加するのは、シンの勇者パーティの元メンバーだけ。
それでも、王都中の魔力が枯渇するほどのエネルギーが必要になる。
私はキリの顔を見つめた。
「ねえ、怖くないの? 後悔してない?」
地球という、誰も知らない異世界へ行くのだ。
最悪、帰ってこられないかもしれない。
「怖い? まさか。正直、今でも心臓がバクバクしてるよ」
キリは笑いながらも、瞳は真剣だった。
シュシュが地球行きを決めた瞬間、彼も迷いなく同行を決意したらしい。
「そんななまくら、持っていっても役に立たないんじゃないか?」
背後から低い声が飛んだ。
振り向くと、巨大な盾を背負った男──ガースが立っていた。
「ガース! 奥さんと喧嘩したって聞いたけど」
私は彼の表情をうかがったが、すぐに視線をそらす。
けれどガースは、まるで気にも留めず笑った。
「正直、迷ったさ。でもな……シンが困ってるなら、行かなくちゃだろ? それがパーティってもんだ」
ガースの妻、ジルはかつて勇者パーティで共に旅をした仲間だった。
彼女は“怪力の加護”持ちで、荷運びの要として私たちを支えてくれた。
旅の途中、二人は恋に落ち、やがて子を授かる。
ジルは子を堕ろしてでも旅を続けると言ったが──シンの言葉が彼女を止めた。
「俺たちが救った世界を作るのは、子供たちだ」
あの時の彼の声が、今も耳に残っている。
「カムイちゃん、かわいい盛りでしょ? 離れたくないんじゃない?」
そう言うと、ガースは苦笑いを浮かべてうなずいた。
「ほんと、それなー……。でもな、迷ってるってジルに言ったら、こっぴどく叱られてな。
“親友を見捨てるような奴は、この子の父親失格です”って、蹴り飛ばされたよ」
お尻をさすりながら笑うガースに、皆が吹き出した。
「ま、先のことはどうあれ──今、あいつが困ってるなら行くしかないよな」
そう言って、彼はニッと笑う。
その時、息を切らせたシュシュが駆け込んできた。
「何やってんの! もう始まるわよ、位置について!」
彼女にせかされ、私たちは実験棟の奥へと向かった。
中は、昨日までとはまるで違う光景だった。
四つの魔法陣が淡く光を放ち、周囲を取り囲むように数十人の魔法師たちが詠唱を続けている。
空気が震え、床が脈打つ。
まるで、世界そのものが呼吸を始めたかのようだった。
私は見送りに来てくれたお父様とお母様、そして妹のサーリアに別れの挨拶を告げ、静かに魔法陣の中へと足を踏み入れた。
シュシュ、キリ、ガースもそれぞれの位置に立ち、互いに短くうなずき合う。
その時だった。
天井近くの空間に、突如として光が走った。
そして、中空に巨大な映像が浮かび上がる。
──『女神チャンネル・シーズン2 地球編』が始まったのだ。
実験棟の中から、大きなどよめきが起こった。
まるで地響きのように床が震える。
きっと、この声はここだけではない。
いま、王国中が同じ映像を見て歓声を上げているのだ。
映像は、夜の森のような場所を映し出していた。
霧の漂う木々の間で、若い女性が三人、そして一人の男性が何やら真剣な顔で打ち合わせをしている。
小さな声でナレーションのように説明が入る。
おそらく、声の主は──女神ソニアだ。
「こちらは異世界“地球”における勇者パーティ。その名も《チーム・ルーリ》!」
次の瞬間、映像がズームし、三人のうちのひとりが大きく映し出された。
肩までの黒髪、明るい瞳──
「……ルーリ?」
思わず声が漏れる。
同時に、周りの人々もざわめいた。
「おい、あれ……ルーリじゃないか?」
「そうだ! 第八騎兵隊のルーリだ!」
どうやら、この世界から召喚された彼女が、地球で勇者を務めているらしい。
と、その瞬間──映像が切り替わった。
見慣れた、けれどもどこか違う顔。
柔らかな笑み、そして異国風の服装。
「アンジュ……?」
息を呑む。
そう、間違いない。女神アンジェリーナ──私の友。
そして、その隣に立つ──
「……シン!」
思考が一瞬、真っ白になった。
ほんの一瞬だけ、映像に映ったその姿。
けれど、見間違えるはずがない。
声も、仕草も、あの肩のラインも、全部覚えている。
「シンよ! シンだった!!」
気づけば、私は叫んでいた。
胸の奥が熱くなり、何かが弾ける。
だが、隣のシュシュたちはぽかんとした顔で映像を見ている。
「え? 今のシンだった?」
「いや、違うんじゃないか?」
「なんか普通のおっさんだったような……」
──違う。違う違う違う。
あれは、間違いなくシンだ。
あの人が、生きている。
地球で、戦っている。
目の奥が熱くなり、滲んでいく。
涙なのか、光なのか、自分でもわからなかった。
けれど、確かに心の奥で──
凍りついていた時間が、音を立てて溶けていく。
あの人に、もう一度会える。
そう確信した瞬間、胸の奥で何かが光を放った。
王都の鐘が鳴る。
祈りと魔力が共鳴し、光が世界を包み始めた──。
次回『第五十七話 interlude 聖女リラ -約束-』




