第五十五話 interlude 聖女リラ2/3
孤児院の子供たちに配る菓子をバッグに詰め、部屋を出ようとした、その時だった。
階下から、マーシャの少し慌てたような声が聞こえてきた。
「聖女さまー! お客さまですよー!」
その声に重なるようにして、よく通る快活な声が響く。
「上にいるの? 隅の部屋ね、了解!」
言うが早いか、今度はドタドタと無遠慮な足音が階段を駆け上がってくる。
そして、ノックもなしに勢いよく扉が開け放たれた。
そこに立っていたのは、長い間会うことのなかった、かけがえのない親友の顔だった。
「いた!」
彼女は獲物を見つけた狩人のようにそう叫ぶと、ずかずかと部屋に上がり込んできた。
──この子は、本当に昔から変わらない。
「シュシュ。人の部屋にノックもせず入ってくるなんて、即死魔法をかけられても文句は言えないわよ」
懐かしい顔を呆れたように睨みつけてみせるが、彼女には全く効き目がないらしい。
それどころか、満面の笑みを浮かべてみせた。
「アハッ! 本物のリラだ! 相変わらず一言多いし説教臭い!」
そう言って、シュシュは勢いよく私に抱き着いてきた。
その勢いに、思わずよろめきそうになる。
私も苦笑しながら、その背中にそっと腕を回した。
「元気そうでよかった。ずっと塞ぎ込んでいるんじゃないかって、心配してたんだから」
「あなたが飛び込んでくるまでは、十分に感傷に浸っていたところよ」
私の憎まれ口に、シュシュはぱっと体を離すと、からかうように笑った。
「ぜんっぜん変わらないじゃない!」
「どの口が言うのかしら」
軽口を叩き合いながらも、胸が温かくなるのを感じる。
すると、シュシュは両手を大きく広げて宣言した。
「さあ! あまり時間はないわよ。荷物をまとめて、すぐに出発するわ!」
「出発って……どこへ?」
「決まってるでしょ! 王都よ!」
シュシュは悪戯っぽく片目をつむり、にっこりと笑った。
「あなたの実家、お城に帰りましょ!」
▽▽▽
シュシュに急かされるまま、慌ただしく荷物をまとめる。
この宿には三か月ほど滞在したが、元より私の荷物などたかが知れている。
シュシュはそれを手当たり次第、私のバッグに放り込んでいった。
その間も、私は何度も何があったのかと尋ねたが、返ってくる答えは「説明はあと!」の一点張りだ。
それどころか、「あんた、最近ちゃんと教会に通ってないでしょ」と、逆に鋭い視線で睨めつけられてしまう。
図星だった。
あの日以来、教会に足を運んだのは数えるほどしかない。
理由は……分かっている。教会へ行けば、いやでも女神アンジェリーナの像が目に入るからだ。
自分でも勝手な言い分だとは思う。それでも、今はアンジュの顔を見たくなかった。
「聖女のくせに、不信心にもほどがあるわよ」
呆れたように言うシュシュに、私は誤魔化すようにへらりと笑ってみせることしかできなかった。
外に出ると、栗毛と葦毛の二頭の馬が繋がれていた。
シュシュは慣れた様子で栗毛にひらりと跨ると、「まずは隣町の教会に行くわよ!」とだけ言い放ち、さっさと馬を走らせてしまう。
私は宿屋のマーシャに残っていた手持ちの金貨を全て渡し、「今までありがとう」とありきたりな礼を告げると、慌ててその後を追った。
教会に着くと、司祭が出迎えてくれ、奥にある大きな広間に通された。
そこには、床一面に複雑な紋様の魔法陣が描かれている。
「リラ、急いで魔法陣の中に入って!」
シュシュがそう叫ぶと同時に、懐から銀色に輝く結晶を取り出した。
──転移石!?
「ちょっと、待ちなさい! 王都に帰るだけなのに、どうして高価な転移石を使うのよ! もったいない!」
私の抗議をあざ笑うかのように、シュシュは口の端を吊り上げた。
そして、躊躇なく転移石を魔法陣の中心に叩きつける。
視界が真っ白に染まり、一瞬の浮遊感とめまいに襲われる。
次に目を開けた時、私は見慣れた王城の一室に立っていた。
目の前には、父である国王と母である王妃、そして愛しい妹のサーリアが、心配そうな面持ちで私を見つめている。
「リラ!」
お母様が駆け寄り、私を強く抱きしめた。
隣ではサーリアが「お姉様……」と呟きながら、そっと私の手を握る。
しばらく二人の温もりに包まれた後、私は視線だけでシュシュを探した。
彼女は少し離れた戸口の近く、壁に背を預け、静かに私達の様子を眺めている。
「……そろそろ、話してくれてもいいんじゃないかしら」
私がそう言うと、シュシュはやれやれと肩をすくめ、「そうね」と悪戯っぽく微笑んだ。
「二日前、教会の祭壇に飾られている『祈りの宝珠』に、一枚の画像が映し出されたの」
「祈りの宝珠? ……ああ、あの『女神チャンネル』の時に使っていた、映像を映す魔法具のことね」
「そうそう!」
シュシュは楽しそうに頷く。
「で、そこに何て書かれてたと思う?」
「また意地悪を言う。降参よ、早く教えてちょうだい」
私がため息交じりに言うと、彼女はフフンと得意げに鼻を鳴らし、懐から一枚の羊皮紙を取り出して読み上げた。
それは、宝珠に映った内容を書き写したものなのだろう。
『緊急告知! 女神チャンネル・シーズン2、制作決定!』
『舞台は異世界──地球! 魔王軍との最終決戦を見逃すな!』
『そして、あの伝説の勇者が電撃参戦! 近日配信開始! 絶対見てね!』
『監修:地球の女神ソニア』
──シーズン2? 伝説の勇者? 地球?
あまりにも突飛な言葉の羅列に、思考が完全に停止する。
シュシュが目の前で「おーい、リラ?」と手を振っているが、声も聞こえない。
やがて、バラバラだった単語が頭の中で一つの線を結んだ時、私は我に返って叫んでいた。
「どういうことなの! それもアンジュのお告げなの!?」
「それが、どうも違うっぽいのよね」
シュシュは肩をすくめる。
「『監修:ソニア』って書いてあったでしょ? おそらく、地球を管理してる女神じゃないかって話よ。そして、地球って言えば……」
シュシュの言葉に、私ははっと息を呑んだ。
「……シンが、住んでいた世界」
「そ。そして、シンが還って行った場所でもある」
シュシュはニヤリと、面白いものを見つけた猫のように笑った。
「じゃあ……この『伝説の勇者』っていうのは……」
「たぶんね」
私の震える声に、彼女は確信を込めて頷いた。
「十中八九、シンのことよ」
胸が、ドクンと大きく鳴った。
四年間、凍りついていた何かが、音を立てて動き出す。
▽▽▽
シュシュに導かれ、私は王城の離れに立つ実験棟へと向かっていた。
ひどく、懐かしい場所。そして、思い出したくもない場所。
シンが消えてからの一年間、私はこの実験棟に籠もりきりだった。
眠ることさえ忘れ、来る日も来る日も、シンが還って行った世界──『地球』への転移魔法を完成させることだけを考えて実験を繰り返した。
いつしか王城の内で、私は『聖女』ではなく『狂える魔女』と呼ばれるようになった。
やがてその噂は王都にも広まり、いつしか新たなあだ名で呼ばれるようになる。
──『要石の女』。
王都教会に鎮座する、決して動くことのない、大きく重いあの石。
故郷に帰った男を、見えない鎖で繋ぎとめようと執拗に追いかける、重い女。
そんな揶揄が込められていることは、痛いほど分かっていた。
それでも、私は研究を止めなかった。
時には、パーティ解散後に王都騎士団の要職に就いていたシュシュやキリ、ガースの伝手を頼り、騎士団員たちを総動員して実験に付き合ってもらった。
その結果、分かったこともある。
膨大な魔力さえ注ぎ込めば、転移魔法の発動自体は可能である、と。
私自身を被験者にした最終実験も、辛うじて成功した。
ただ、それはあくまで『転移』魔法が、だ。
シンのいる世界へ渡るには、その更に上位に位置する『召喚』魔法の理論が必要不可欠だった。
そして、私は一つの残酷な結論に辿り着いてしまう。
『召喚』とは、読んで字の如く、呼ばれて初めて成立する魔法。
つまり、転移先の世界から、明確な『召喚の意思』がなければ、決して渡ることはできない。
シンは、私を呼んではくれない。
その事実が、私の心を完全に折った。
あの日以来、私は二度とこの実験棟に足を踏み入れることはなかった。
重い扉を開けると、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
埃っぽい匂い。あの日以来、誰も立ち入らなかった証拠だ。
壁には、びっしりと魔法陣の設計図や、転移理論を記した羊皮紙が貼られている。
床には、黒く焦げた跡。何度も失敗した実験の痕だ。
すべてが、あの日のまま、止まっていた。
足が、竦む。
「……大丈夫?」
シュシュが、心配そうに私の顔を覗き込む。
私は首を横に振り、努めて笑顔を作った。
「ええ。大丈夫よ。それで……何をしに来たの?」
「これよ」
シュシュは部屋の奥を指差した。
そこには、巨大な魔法陣が床一面に描かれている。
私が一年をかけて完成させた、世界を渡る転移魔法陣。
「まさか……」
「そのまさかよ」
シュシュはニヤリと笑った。
「地球で魔王軍との戦いが始まるなら、私たちも行くべきでしょ? シンが戦ってるなら、放っておけないわ」
「でも、召喚の意思がなければ──」
「あるわよ」
シュシュは羊皮紙を掲げた。
「『近日配信開始』って書いてあるでしょ? これ、つまり『見に来てね』ってことじゃない?
少なくとも、地球の女神ソニアは、私たちに呼びかけてる」
「それは、こじつけよ……」
「こじつけでもいいじゃない」
シュシュは真剣な目で私を見つめた。
「リラ。あなたは四年間、ずっとシンを待ち続けてきた。
でも、待っているだけじゃ何も変わらない。だから──」
彼女は私の手を取り、強く握った。
「今度は、私たちから会いに行くのよ」
その言葉に、胸が熱くなる。
凍りついていた心が、少しずつ溶けていくのを感じた。
「……シュシュ」
「うん?」
「ありがとう」
私がそう言うと、シュシュは照れたように顔を逸らした。
「別に。あたしだって、シンに会いたいだけだし」
そう言いながらも、彼女の目は優しかった。
私は深く息を吸い、覚悟を決めた。
「分かったわ。行きましょう──地球へ」
世界が、彼女を祝福しているように、古い魔法陣が静かに光を放ちはじめた。




