第五十二話 勇者誕生
前に出ると、キリが背中を預けるように並んだ。
「まったく手間のかかる奴だ!」
背中合わせのキリが、横薙ぎの斬撃でグールを両断しながら毒づく。
「で、どうする?」
「あの先読み能力が厄介ですね」
俺は言いながら、足元から突き出す触手をマグナフォルテで叩き斬る。
「あれさえどうにかできれば、ルーリさんが突破口を開いてくれると思うんです」
だが、薙ぎ払っても叩き斬っても、黒い触手は尽きない。
まるでこちらの動きを読まれているように、常に二手先を塞がれていく。
「おーっと! 中古の勇者までお出ましですか! しかし残念、あなたのデータはとっくに解析済みですよ! 我々が行う“勇者狩り”の、輝かしい基礎データですからねぇ! アハ、アハハハ!」
アナウスが甲高い声で笑う。
その言葉に、キリが「何のことだ?」と顔を歪めた。
「彼ら、“勇者狩り”というゲームの最中だそうで……その対策に、俺たちのデータが使われているみたいなんです」
「ゲームだと?」
「はい。ご丁寧に、俺たちの動きを解析して対策済み、だそうです」
「……なるほどね。だからさっきのあたしの魔法がすぐ潰されたってワケね!」
右手側から、会話に割って入ったシュシュの声。
ファイアーウォールで周囲に炎の壁を作り、殺到する触手を焼き尽くしていた。
「ええ、たぶん」
俺は炎の壁を抜けてきた一本を、マグナフォルテで弾き返す。
左ではキリの斬撃が、右ではシュシュの火球が飛び交っていた。
「でも、たぶん大丈夫です」
「何言ってやがる」
キリが訝しげに俺を見る。
「……黙っててすみません。俺、シンだった頃の記憶がないんです。正直、皆さんのことも、まだよく分からなくて」
「はぁ? マグナフォルテ使ってるじゃん?」
「体が覚えている、としか言えません。だから……」
俺は息を吸い、覚悟を決めて告げた。
「今の俺は、皆さんが知っている“シン”じゃない。だから、たぶん——今の俺には、奴らの対策は通用しないんじゃないかと」
キリが呆気に取られたように俺を見た。
そして、口元をくくっと歪める。
「なるほどな……面白い。で、お前は誰なんだ?」
言われて、少しだけ心臓が跳ねた。
伝説の勇者たちを前に、なんと情けない自己紹介か。
「……山川新次郎と申します。しがないサラリーマンです。皆からはヤマさんと呼ばれています」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、シュシュが腹を抱えて爆笑した。
「ブッファ! アハハハ! いいじゃん最高! ツボった! よっしゃ、それで行こう! 勇者ヤマさん!」
キリも嬉しそうに俺の肩を叩く。
その目には、呆れと面白さ、そして——昔と変わらない信頼の色があった。
──笑われた。
でも会社で向けられる、あの心を抉るような嘲笑じゃない。
温かい笑い声。
馬鹿にされたんじゃない。
これは……“受け入れられた”んだ。シンじゃない俺自身が。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
「で? ヤマさん。策はあるのかよ」
キリの言葉に、俺は頷いた。
「はい。──逃げます。俺が囮になって逃げまくります。それで奴の先読みを撹乱します。ですから、その隙に……皆さんで、何とかしていただけないでしょうか?」
体力もない。記憶のない俺に、シンの技なんて使えるはずもない。
でも——逃げ回って場をかき乱し、時間を稼ぐことならできる。
理不尽な上司の追及をのらりくらりとかわし、会議を時間切れに持ち込む。
あのスキルだけは、サラリーマンとして嫌というほど叩き込まれてきた。
「なんとかって……丸投げ? アハハ! あんた最高!」
シュシュの笑いが止まらない。
「わかった! じゃあ、逃げて逃げて逃げまくれ、ヤマさん!」
キリが一転、鋭い視線をアナウスに向ける。
「カバーは任せて! ヤマさんには指一本触れさせないわ!」
シュシュが杖を振り、背後に迫っていた触手を焼き払う。
その時、俺たち三人の体がボワッと青い光に包まれた。
体の芯から、不思議な力が湧き上がってくる。
足が羽のように軽くなる。
視線の先で、リラが目を閉じ、俺たちに手をかざしていた。
「フン、リラも相変わらず過保護だな。だが、悪くない」
キリが肩を回し、不敵な笑みを浮かべる。
「じゃあ、始めようぜ。伝説の……勇者パーティ『ヤマさん』の初陣だ!」
その言葉を合図に、俺は床を蹴って駆け出した。
マグナフォルテをこれ見よがしに振りながら、できるだけ派手に。
「ハッ! 情けない! 勇者シンともあろうものが逃げ腰ですか!」
アナウスの嘲笑が聞こえるが、かまやしない。俺はヤマさんだ。
背後の触手は、シュシュが次々と火球で焼き払ってくれている。
俺は剣を振って、こっちこっち! と叫びながら逃げまくった。
なんだかちょっと、マグナフォルテに申し訳ない気もするけど——仕方ない。
と、逃げる視界の端から、触手が鋭角に曲がり眼前に迫る。
その勢いにビビって、足が絡まり盛大に転んだ。
──ヤバイ。やられる!
瞬間、右手が引かれる感覚。
いや、違う。マグナフォルテが、俺の腕を引っ張った——?
俺の転倒に合わせるように、マグナフォルテの豪炎が螺旋を描き、触手を粉々に焼き切った。
顔面から床に突っ込み、衝撃で息が漏れる。
「いってぇ……!」
でも、間違いない。今、確かにマグナフォルテが、俺を助けた。
勘違いしてた。
──あなたとシンの信頼は、俺なんかの想像よりずっと深かったんですね。
いや、違う。
──あなたは、シンじゃなくても、俺を認めてくれるんですか?
俺はマグナフォルテを強く握る。
剣身が、ほんのり温かく感じた。
「力を貸してください。マグナフォルテ」
そう告げ、俺は再び立ち上がる。
視界の奥——崩れた柱の陰に、ルーリが膝をつき、ソニア、九頭竜さん、和泉さん、サキコちゃんが彼女を囲んでいた。
彼女の瞳は、迫る触手をただ呆然と見つめている。
そんな彼女たちを守るように、ガースが盾で触手を防いでいた。
「ルーリ! まだ終わってない!」
俺は叫ぶ。
「この世界を救うんでしょ! それなら、死ぬまで諦めるな!」
色を失っていた彼女の瞳に、光が戻るのが見えた。
「シン……さま」
「シンじゃないです! ヤマさんです!!」
俺は叫びながら、その脇を駆け抜ける。
「勇者ルーリ! さあ、後についてきて!!」
立ち上がる彼女の姿が見えた。
その瞳は、確かに——勇者のそれだった。




