第五十話 変わらないもの
「しかしシンッ! てめぇ、今まで何してやがった!」
蓬髪の筋肉だるま——ガースに首根っこをつかまれ、俺の足は情けなく宙をぶらぶらしていた。
だが、ガースはすぐに言葉を切り、じっと俺の顔をのぞき込む。
「……あれ? おめぇ、ほんとにシンか?」
「……ちょっ……息が……でき……」
俺は必死にその丸太みたいな腕をタップした。
「こら、ガース! シンが死んじゃうでしょ!」
シュシュが持っていた杖の柄で、ガースの頭を思いきりぶっ叩く。
「お、おう。わりぃ、わりぃ」
ガースはあっさりと俺を解放した。
俺は床に崩れ落ち、肺いっぱいに空気を吸い込む。
「……にしても、これ、マジで変装?」
今度はシュシュが、俺の顔を興味津々にのぞき込んできた。
「いや、俺は山川新次郎で……。たぶん、シンでもあると思います」
「何よ、その面倒くさい言い方。……ねぇ、リラ! あんたなら見間違えたりしないでしょ?」
シュシュがソニアに肩を貸しながら歩いてくるリラに声をかける。
リラは静かに俺を見つめた。
その、まっすぐで温かい視線に耐えきれず、俺が目をそらすと——彼女はなぜか、クスッと楽しそうに笑った。
「ええ。間違いなく、シンですよ。……昔と、何も変わっていません」
「「えぇーっ!?」」
ガースとシュシュの、納得いかないという声が綺麗にハモった。
「間違いなくシンよ!」
今度は凛とした威勢のいい声が上がる。
さっきは何度呼びかけても、応えることのなかった声。
「……アンジュ!」
見ると、彼女がいつの間にかサキコちゃんに支えられ、上体を起こしていた。
「こいつはね、シンの時の記憶はないけど、間違いなく本人。……まぁ、ちょーっと残念なことには、なってるけどね!」
アンジュは「イテテ……」と肩を押さえながら苦笑する。
「アンジュ様! もう、無理はなさらないでください! 先ほどは本当に死にかけていたんですよ!」
ソニアをルーリに預けたリラが、アンジュを注意する。
「ありがと。リラが来てくれなかったら、マジで死んでたかもね。感謝するわ」
「ちっ、女神のくせに何やってやがんだ」
ガースが心底呆れたように鼻を鳴らす。
その言葉に、アンジュは本当に嬉しそうに笑った。
「でも、みんなが来てくれて、本当に助かったわ」
「何言ってるんですか。どうせ、これもアンジュの思惑通りなんでしょ?」
シュシュが呆れ顔で言うと、アンジュは「へへっ」と笑ってごまかす。
「……とにかく、通常の転移とは違うから、加護は言語理解だけで精一杯よ。みんなの能力は変わってないはずだから、油断しないでね!」
「問題ない。あれが相手なら、何とでもなるさ」
キリが前を見据えたまま、低く言った。
その視線の先では——穴臼の下半身から、ブクブクと肉塊が盛り上がり、すでに顔の半分まで再生を終えようとしていた。
「聞きてぇことは山ほどあるが……まずは、あいつを黙らせてからだな」
ガースがなぜか楽しそうに笑いながら、仲間たちの顔を見回した。
「おいキリ。おめぇ、その双剣を振るうのは何年ぶりになるんだ?」
「ぬかせ。さっきは奴の触手にビビって固まってただろうが」
お互いニヤニヤしながら軽口を叩くガースとキリ。
「あー、もう! やめやめ! とりあえずチャチャッと片付けるわよ!」
シュシュが二人の間に割って入り、無理やり引きはがした。
「まったく……ライデンがいれば、こういうの止めてくれたのになー」
「あいつは立場がある。今は動けんよ……」
「あ、あのっ!」
そんなマイペースな三人の間に割って入ったのは、ルーリだった。
「私たちは……どうすれば?」
「無理はしないで。まだ完全には回復していないのだから」
リラが優しく諭す。
「そうそう! ここは先輩たちにドーンと任せときなって!」
シュシュも笑いながら親指を立てた。
それでも、ルーリは一歩も引かない。
「でも! それでも! この世界の勇者パーティは、私たちなんです!」
その隣に九頭竜さんと和泉さんがすっと並び立ち、アンジュに肩を貸すサキコちゃんも力強く頷く。
ただ一人、ソニアだけは——二つのパーティの間に挟まれ、あわあわと右往左往していた。
ルーリの瞳、まっすぐな視線。
そこには絶対に譲らないという、意志の輝きが灯っている。
その姿を見て、キリがどこか眩しそうに目を細め、フッと笑った。
「……分かった。好きにやってみろ。俺たちが完璧にバックアップしてやる」
ルーリが本当に嬉しそうに、深々と頭を下げた。
「……! よろしくお願いします! 先輩!」
それに倣い、九頭竜さんたちも慌てて頭を下げる。
温かな空気が流れる中、キリが俺のもとに歩み寄り、低くつぶやいた。
「……手ぶらじゃ戦えんだろう」
そして、自分の両手に握られた刀の一本を、すっと俺に差し出す。
「おまえ、マグナフォルテは呼べないんだろう?」
ズバリと核心を突くその声に、俺は言葉を失った。
「『炎の臥竜』は、『戦う意思』なき者の声には応えないからな」
——“戦う意思”なき者。
……なるほど、だから呼べなかったのか。
「とりあえず、これを使え」
キリは俺の手に無理やり刀を握らせる。
「で、でも、これはキリ……さんの、大切な——」
俺の他人行儀な呼び方に、キリはククッと喉の奥で笑った。
「……『キリさん』、ね。お前が昔くれた刀だ。気にするな」
そう言って、まだ笑っていた。
その刀はずっしりと重く、確かに“本物”の重みがあった。
——その時だった。
「いやはや。さすがに、私も油断しましたよ」
いつの間にか完全に再生を終えた穴臼が、肩を回しながらこちらを見ていた。
「まさか、“中古”の勇者パーティまで出張ってくるとは」
その口元が、いやらしく歪む。
「で? どちらが来るんです? まぁ、数だけは増えたようですが……こちらも少しは、趣向を凝らしましょうか」
そう言って、彼が指をパチンと鳴らす。
次の瞬間——
床に散らばっていた黒い触手の残骸が、ぞわりと蠢きだした。
それが倒れていたグール化した重役たちの体にまとわりつき、口や耳、目といった穴という穴へと潜り込んでいく。
そして、彼らの体は膨れ上がり、骨が軋む音とともに禍々しい異形へと変貌した。
——十体の怪物。
腕はすでに触手と化し、空気を切り裂くようにブンブンと振り回される。
「……趣味が悪ぃぜ」
ガースが顔をしかめ、吐き捨てるように言った。
その横で、ルーリが唇をかみしめ、前を見据える。
彼女の《ルーガライガ》に、紫電が走った。
——戦いが、再び始まろうとしていた。




