第四十九話 勇者パーティ
「……聖女、リラ……」
自分でも不思議なほど、その名を呼ぶ声に、どうしようもない愛おしさが募るのを感じた。
「馬鹿な……! 『エクストラ・ヒール』だと……!? どういうからくりだ!」
背後で、穴臼の初めて聞く狼狽した声が響く。
額の目が赤く不気味に光り、驚愕に見開かれた。
「……貴様……! まさか、聖女リラ……なのか!?」
その醜く歪んだ叫びにも、彼女は振り返ることすらない。
ただ、俺にそっと手を差し伸べた。
「シン。……皆が、待っていますよ」
彼女は腕の中のアンジュを、まるで赤子のように抱きかかえながら、穏やかに微笑む。
そんな俺たちの様子などお構いなしに、穴臼は興奮と怒りで体を震わせていた。
背中から無数の黒い触手が、蛇のように湧き出す。
そして、その全てが一斉にこちらへと向けられた。
「さあ、シン。皆の名前を——あなたのかけがえのない、盟友たちの名を」
……俺には、何も思い出せない。
だけど——。
熱い何かが、体の底から沸き立つように噴き上がってくる。
そうだ。
かけがえのない、俺の仲間。俺のパーティ。
「ガース……! キリ……! シュシュ……! ライデン……!」
口が勝手に、その名を叫んでいた。
魂が覚えている——その名を。
「……お前たちの力を、貸してくれッ!!」
瞬間、空間が青い輝きで満たされた。
三つの光がふわりと床に降り立ち、それぞれに青く輝く魔法陣が広がる。
一方、そんなことお構いなしに、穴臼の触手が俺を貫こうと迫る。
——もう、鼻先まで来ていた。
ガイン。
だが、その禍々しい触手は進むことを許されなかった。
分厚い壁が、俺たちの前に立ちはだかっていた。
「なんだ!?」
穴臼が首を傾げる。
そう、突貫不能の不動の壁。
そして、その壁が低く、不敵に笑った。
「シン。ずいぶん大人しくなったじゃないか」
太い声。
蓬髪の隙間から覗く屈強な顎がニッと笑う。
固く彫刻のような筋肉の束。
畳一畳ほどの盾を軽々と構えるその姿は——まさに黒鉄の城塞。
勇者パーティ最堅の盾、ガース。
その後ろにいれば何も恐れるものはないという絶対的な安心感。
その絶対障壁が、穴臼の触手を全て受け止めた。
「キリ。全部、やれるか」
筋肉の塊——ガースが呟くと、視界の隅から黒い影が弾丸のように飛び出した。
「……誰に言っている」
影は宙を駆るように高く跳ね、まるで風と戯れるかのように、くるりと回転した。
その回転に合わせ、鞘から抜き放たれた白く光る二本の刃。
——まるで風そのものが、切っ先を持ったかのようだった。
刃が描く円弧が触手の束を易々と両断する。
熱したナイフがバターを切るように、何の抵抗もない。
軽やかに着地する黒い影。
蒼白に光る双剣。高く束ねた黒髪。
その姿は、美しく、獰猛な黒豹のようだった。
勇者パーティ最速の剣士、キリ。
息を呑む俺の耳元で、鼻にかかった声が響く。
「男ども、対処しかしてないじゃん」
振り返ると、紅玉の杖を持つギャル風の女性が立っていた。
杖をバトンのようにくるくると回し、ヘッドを穴臼に向ける。
目を閉じ、空いた手で印を結ぶように指を立て、
一言、低く——
——アストラル・ノヴァ
一瞬の浮遊感。
次の瞬間、穴臼の頭上に漆黒の真球が出現した。
「まさかそんな……最上位特級魔法だと……!」
逃げようとするが、黒球は生き物のように追尾する。
「無駄だよ。とっととはじけちゃいな」
シュシュが、いたずらっ子を叱るように言った。
——爆音。
穴臼の上半身が一瞬でかき消える。
そして彼女は俺を見て、にっこり微笑んだ。
「なんだ、意外に元気そうじゃん」
「シュシュ! このシンを見て“元気そう”って言えるあなたが羨ましいわ」
気を失ったアンジュを抱えながらリラが睨む。
「なんでよー。だってまだ手も足も、首までついてんじゃん」
「怖いこと言わない! ほら、女神様を頼んだわよ」
そう言って、胸の中のアンジュをシュシュに託す。
「なに、アンジュってばボロボロじゃん。珍しー」
リラはアンジュを預けると、静かに立ち上がる。
両手を広げ、目を閉じて俯いた。
——エリアヒール。
その言葉とともに、金色の雫が空間に降り注ぐ。
さっきまで倒れていたルーリが「うぅん……」とうめき声を上げ、
九頭竜、和泉、サキコの三人も次々と上体を起こした。
うつ伏せに倒れていたソニアも、ゆっくりと体を起こし、周りを見回す。
「え……? 聖女リラ……大魔法師シュシュ……?」
ソニアが呟く。
「誰だ?」と呟く九頭竜に、ルーリが言った。
「伝説の勇者パーティ、です」
和泉は「え? え?」と混乱し、
サキコは「やっぱり! 誰かなーって思ってました!」と元気に跳ねた。
——よかった。みんな、生きてる。
「勇者さん! ソニア様! 皆を安全な場所に! 今はまだ動けてるだけです!」
リラが言うと、ルーリが「はい!」と姿勢を正し、皆を先導した。
その時、ガースが盾を掲げ、前へ出る。
「おい。まだ終わっちゃいねぇぞ」
前方に目をやる。
——穴臼。
上半身を吹き飛ばされてもなお、
下半身から肉がブクブクと盛り上がり、形を取り戻していく。
「チッ。しつこい男は嫌われちゃうぞー」
シュシュが杖を回し、肩に担ぎながら顔をしかめた。
その時、キリが俺の横に立つ。
「シン。戦えるか?」
鋭い眼光で俺を見つめ、しゃがみ込む俺に手を差し出した。
俺は目を逸らす。
——俺が、戦う? 何もできないこの俺が?
「戦えないなら、後は俺たちに任せて逃げろ」
彼の声は静かで、真っ直ぐだった。
気づけば、ガースも、シュシュも、リラも俺を見つめていた。
俺は戸惑いながらも、声が出ない。
「シン。戦う意思がなければ戦うな。
俺たちの仲だ。誰もお前を責めたりはしない」
そう言って、初めてキリが柔らかく笑った。
再び皆を見る。
シュシュが微笑み、ガースが「任せろ」と親指を立てニッと笑う。
リラは、まるで母親のようにちょっと首を傾げながら「大丈夫。任せて」と呟いた。
——戦う意思。
俺に、それはあったのか?
仲間を失わず、生きて帰ることだけを考えていた。
そのためには、悪魔に頼ってさえ許しを請うことさえもいとわずに。
そんな思いがずっとあった。
けれど——ここは命をやり取りする戦場だ。
戦う意思のない者に、立つ資格はない。
——そっか、俺は最初からここにはいなかったんだ。
俺は右手を見る。
剣がない、力がない、だから戦えない——
じゃなかった……
戦う意思が、なかっただけだ。
俺はキリの目を見た。
。
俺が迷う間も、じっと手を差し出し彼は待っていてくれた。
迷いはなくなっていた。
俺は差し出された手を、ぎゅっと握る。
彼がその手を力強く引き、俺は立ち上がった。
そして、仲間たちを見渡し——言った。
「もちろん。戦うさ」
——前を向く。
「お前たちと一緒に」
——アンジュも、リラも、皆が見ている。
俺は胸を張った。
穴臼を、その醜い姿を、真っ直ぐに見据えて。
「さあ、俺たち——勇者パーティの反撃だ」




