第四十七話 勝利の静寂
完全な、勝利の静寂だった。
ついさっきまで、このフロアを埋め尽くしていたはずのグールたちの呻き声も、
ルーリが放った紫電の轟音も——今は、もうない。
ただ、床に転がる、真っ二つになった穴臼の体だけが、
先ほどの戦いが現実であったことを、静かに物語っていた。
「よし!」
いつもは冷静な九頭竜さんが、心の底から嬉しそうに、ぎゅっと拳を握った。
サキコちゃんと和泉さんは、ホッと力が抜けたように顔を見合わせ、微笑み合っている。
ソニアが、ルーリの元へと駆け寄っていく。
「やったね! ルーリ!」
泣きながら歓声を上げるソニアに、ルーリも、最高の笑顔で頷き返す。
その二人の元へ、九頭竜さん、和泉さん、サキコちゃんが自然と集まっていく。
「……本当に、すごいな」
俺とアンジュは、少し離れた場所から、その光景を見ていた。
つい先日まで、これがチームなのかと疑うほど、バラバラだったのに。
今、そこにいるのは——紛れもない、本物の『勇者パーティ』だった。
ルーリがこちらに気づき、誇らしげに拳を上げる。
他の四人も、はち切れんばかりの笑顔で、こちらを見ていた。
俺も……結局、何一つ役には立てなかったけれど。
それでも、固く拳を握りしめ、笑顔で応えた。
嬉しい。本当に、良かった。
——けれど。
その心の奥、ずっと深い場所で。
一抹の寂しさと、どうしようもない羨ましさが、チクリと胸を刺した。
そうだ。俺は、もう、勇者パーティじゃない。
途中で逃げようとした、ただの臆病者だ。
役立たずの、中年男だ。
……でも。
俺は、その黒い感情を打ち消すように、強く首を振った。
だとしても——今は、彼らの健闘に、心からの賞賛を送ろう。
そう、思った。
「ねぇ、アンジュ! みんな、本当に、やり遂げましたね!」
興奮気味に声をかけた俺に、
アンジュはじっと、表情を変えないまま前を見つめていた。
……いや。
勇者パーティじゃない。
その、向こう側。
床に転がる、穴臼の——崩れた亡骸を。
アンジュの不穏な視線を追い、俺も、そちらを見た。
肩口から腰まで、真っ二つに斬り裂かれた穴臼。
その亡骸が——今、ぴくりと、脈打った。
そして、まるで逆再生の映像のように。
裂かれた切り口が、ずるりと塞がっていく。
血に濡れたスーツまでもが元に戻り、
彼は、ありえない体勢のまま、ぬるりと立ち上がった。
そして、まるで凝った肩をほぐすかのように首を左右に振り、
ポキリ、ポキリ、と、気味の悪い音を鳴らす。
「いやはや、素晴らしい! ……一瞬、本気で、死ぬかと思いましたよ」
穴臼は、首を鳴らし終えると、にっこりとこちらに微笑んだ。
最初にその異変に気づいたのは、サキコちゃんだった。
「……うそ。うそだ……! 私、こんな未来、見てない……!!」
彼女の悲鳴に、ルーリたちもはっと振り返る。
そこには、ニヤニヤと笑う、無傷の穴臼が立っていた。
「ほう。あなたが、このパーティの『星読み』——未来視の能力者ですか。
……だとすれば、少々、力不足のようですね」
穴臼の顔が、一瞬で無表情に変わる。
そして、その眉間——いや、額のあたりの肉が、もぞもぞと蠢き始めた。
やがて、皮膚がばっくりと縦に裂ける。
その裂け目から現れたのは——もう一つの、巨大な、血走った『眼』だった。
ぎょろり、と、その三つ目の瞳が、あたりを見回す。
「実は、私も、少々『星読み』の才がありましてね。そして、この目に映るのは……」
穴臼が、己の額を楽しそうに指さす。
「……あなた方の、『死ぬ姿』ですよ」
「ヤバい! みんな、下がって!」
サキコちゃんが絶叫する。
同時に、アンジュも叫んだ。
「攻撃が来るわよ!」
穴臼の背後——その空間が、ぐにゃりと歪む。
そこから、黒く、先端の尖った、無数の『尻尾』のようなものが蠢きながら現れた。
それは、あの倉庫で戦った、黒い触手だった。
「我々、魔王様の配下は、この“魔王様の手”を、その身に移植する栄誉を賜るのですよ」
その言葉と同時に、触手の一本が槍のようにルーリたちへ伸びた。
とっさに全員が飛び退き、距離を取る。
さっきまで立っていた場所には、深々と触手が突き刺さっていた。
二本目が、空中のルーリを襲う。
それは、まるで鬱陶しい蚊でも払うかのように、
いとも容易く、彼女の体を地面へ叩きつけた。
「……ウソ……」
ソニアが、固まったまま、呟く。
地面に叩きつけられたルーリは、一度、大きくバウンドすると、そのまま、俺たちの足元まで、力なく転がってきた。
そして、俺たちの目の前で、ぴたりと止まる。
その体は、もう——ピクリとも動かなかった。
「ふざけるなッ!」
雄叫びを上げ、九頭竜さんが腰を落として穴臼へと突き進む。
だが、触手の反応の方が、速い。
横薙ぎの一閃。
九頭竜さんの体が、壁まで吹き飛ばされた。
壁に叩きつけられ、ずるずると崩れ落ちる。
「九頭竜さん!」
和泉さんが駆け寄ろうとするが、その頭上を別の触手が襲う。
「ダメ! 和泉さん、伏せて!」
サキコちゃんの叫び。
和泉さんは咄嗟に頭を押さえてしゃがみ込む。
だが触手は、狙いをサキコちゃん本人に変え、眼前へ迫った。
「……うそ。そんな……」
彼女が呟いた瞬間、その小さな体は、見えない力で後方へ吹き飛ばされた。
「サキコちゃん!」
和泉さんが障壁を張ろうと手をかざす。
だが触手は、その障壁が完成するより速く、地を這うように伸び、
彼女の足首を捉えた。
そして——無慈悲に、中空から床へ叩きつける。
最後に残ったソニアが、ルーリの元へ駆け寄り、必死に回復魔法を唱えようとする。
だが、横から薙いだ一本の触手が、いとも簡単に彼女の体を弾き飛ばした。
この間——ほんの、数十秒。
ついさっきまで、勝利の歓喜に包まれていたはずの空間は、
今や、完全な絶望に染まっていた。
「あらら? ……随分と、あっけなかったですね」
穴臼が、にっこりと微笑み、俺とアンジュを見た。
アンジュが、穴臼から目を離さないまま、
俺にだけ聞こえる声で呟く。
「……シン。マグナフォルテを、呼び出せない?」
俺は、小さく頷き、目を閉じ、心の底から念じた。
ガッ、と体中の血が沸騰する。
その熱が、右腕へ奔流のように集まっていく。
俺は、目を見開き、右手を天へ掲げた。
「頼む! 顕現せよ——マグナフォルテ!!」
一瞬、右手が炎に包まれる。
だがその炎は、一瞬で、まるで幻だったかのように霧散していった。
——クソッ!!
「おーっと。あの剣を出されては、少々厄介ですね。……では、あなたにも、死んでいただきましょうか」
その言葉と同時。
槍のように鋭利な黒い触手が、俺の心臓めがけて突き出された。
もう——避けられない。
「シンッ!!」
その触手が、俺の胸に触れるか触れないか——その刹那。
俺の体は、強い力で横へ突き飛ばされた。
顔に、生温かい液体が降り注ぐ。
「……ア……アンジュ……?」
俺を押し倒していたのは、アンジュだった。
そして——。
彼女の華奢な肩から、血に濡れた黒い触手が突き出ていた。
それは、アンジュの体を貫通し、俺の目の前で、ぴたりと止まっていた。
「アンジェリーナ!!!」




