第四十五話 アナウスの罠
「なによ、こいつら……」
アンジュが忌々しそうに周囲を見回し、銃を構え直す。
そんな彼女を見て、穴臼は心底楽しそうに笑った。
「我が社の優秀な重役連中ですよ。……まぁ、今は少々“夢見心地”のようですが」
穴臼は口元に手を当て、クククと喉を鳴らす。
「我が社の重役たちはね、全員が“特別な処置”を受けていましてね。ちなみに、お気づきでないようなのでお教えしますが──その拳銃、もう弾切れですよ」
アンジュがピタリと動きを止めた。
「……え、マジ?」
俺をじろりと見て、小声で聞いてくる。
——いや、今さら気づくんかい。
「はい。さっき全部、撃ち尽くしました」
「マジで?」
「マジです」
「……じゃあ弾ちょうだい」
「持ってるわけないでしょう」
そんなふざけた会話をしている間にも、重役たちはじりじりと距離を詰めてくる。
男が七人、女が二人だ。
みな焦点の合わない虚ろな目で、ふらふらと体を揺らしながら近づいてきた。
「重役とはいえ、まだまだベンチャーですからね、そんなに高給取りではありません。ですが──あなたよりは、遥かに貰っているでしょうね」
「……だから? それが、何か?」
「つまり──安月給のあなたが、自分より価値の高い人間を傷つけられるのか? いや、むしろ……そんな彼らが妬ましいから、ためらいなく“処分”できるのかな?」
彼はアッハッハッ、と腹の底から高らかに笑った。
「シン! 奴の戯言に気を取られるんじゃないわよ!」
アンジュが叫ぶ。
「人はお金じゃない! ましてや、他人が決めるもんじゃないからね」
その時だった。
ズゥン……!
ビル全体がわずかに揺れるような、低い地響きが伝わってきた。
俺たちは思わず、空中の映像へと視線を向ける。
そこには──。
さっきまで防塵服の集団に囲まれていたはずのルーリたちが、今はその中心で光に包まれ、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「……どうやら、ルーリが覚醒したみたいね」
「……勝った、ということですか?」
「『当面は心配ない』ってこと。……こうなると、本当に心配しなきゃいけないのは、私達の方ね」
穴臼は空中の映像を見つめ、感心したように呟いた。
「ほう。この土壇場でさらに成長する。……それこそが、『勇者』という存在か」
その、どこまでも上から目線の態度にカチンときたのだろう。
アンジュが彼を指さして吠えた。
「あんたねぇ! さっきから聞いてれば、他人を操るだの、人の価値がどうだの、金だの地位だの……!」
そして、ぐいっと俺の肩に腕を回す。
「うちのシンはなぁ! こう見えて、見た目通りの最底辺の中年サラリーマンだけど! たまには酒飲んで騒いで、夜の公園で年頃の子と缶コーヒーでお茶したり、ファミレスで仲間とうまいもん食ったり……」
「ちょ、アンジュさん! はずいっす」
「あーん? とにかくだ! 立派に毎日食っちゃ寝して、しっかり生きてるんだよ!」
——庇ってくれてるんだろうけど。
なぜだろう……何一つ、褒められてる気がしない。
そしてアンジュは、ふいに俺の耳元へ顔を寄せた。
「……ヤマさん。喧嘩、得意?」
「……見ての通りです」
以前見せた腹部をチラリと見るアンジュ。
「よし」
彼女はニッと悪戯っぽく笑った。
「三秒後にダッシュ! 逃げるわよ。3、2、1……」
「アンジュさん、後ろ!」
俺の叫びと、彼女のカウントダウンが重なった。
背後から、スーツ姿の男が無音で飛びかかってくる。
アンジュは反射的に振り向きざま、手にした拳銃をハンマーのように振り下ろした。
鈍い音とともに、男が崩れ落ちる。
「おおーっ!」
思わず拍手している俺に、アンジュが叫ぶ。
「シンの後ろ!」
反射的に振り返ると、俺と同年代くらいの男が、歯を剥き出しにして飛びかかってきた。
慌てて後ろに下がる俺。
その隙に、アンジュが俺の腰のホルスターから後藤のSFP9を抜き取り撃った。
バンッ、バンッ、バンッ!
男の足に弾丸が突き刺さり、膝から崩れ落ちる。
それでも、地を這いながらウーウーとうめき、歯を鳴らして迫ってくる。
「くそ! これでも人間か!」
俺の叫びに、穴臼が嬉々として手を叩いた。
「そうそう! うちの重役連中はねぇ、長年わたしの下で働いてたら、ちょーっと人間やめちゃってグール化しちゃいましてねぇ! そんな弾じゃ、死にませんよ!」
「シン! グールに噛まれるとそこから腐っていくから気を付けて!」
——驚きの新情報だ! マジかよ!
奴らはもう目と鼻の先。
たたき上げ風の女性が、歯をむき出しにして突っ込んでくる。
俺は反射的にアンジュを抱え、横に跳んだ。
女性は足を取られて転び、すぐにこちらへ手を伸ばしてくる。
その手が俺の裾を掴み、ずるずると引き寄せようとする。
「動くな!!」
アンジュが叫び、女の手首に立て続けにSFPの9ミリ弾をたたき込む。
バンッ、バンッ、バンッ!
どす黒い血が吹き出し、女の手首が千切れ飛ぶ。
「走れ!」
アンジュが叫び、その勢いのまま、俺たちは立ち上がって出口へと駆けだした。
だが、行く手を塞ぐ重役たち……いや、重役だったものたちか。
「ちょっとヤバいかも」
アンジュが息を呑み、銃を構える。
俺は右手に意識を集中させた。
「来い……! マグナフォルテ!!」
だが、指先にチロッと火が灯るだけで、剣の姿は現れない。
「おやおやぁ? これでおしまいですかー? あっけなかったですー」
背後で、馬鹿にしたように揶揄う穴臼のっ笑い声が高らかに響く。
——万事休すか。
そう思ったその瞬間、アンジュが前に出た。
俺を庇うように立ち、銃を構えたまま叫ぶ。
「諦めるなシン! 絶対!ぜーったいに! 死ぬまであきらめちゃダメ!!」
そして、前を向いたまま、俺に向けてぐっと親指を立てる。
——なぜだろう。彼女が言うと、不安が消える。
俺が薄く笑い、
頷きかけたその時。
扉を叩く音が響いた。
がやがやと騒ぐ声がする。
「シン様! ここにいますか!」
「ヤマさん! いるのか!」
「扉あきません!」
「けってみよーよ」
「せんぱーい、あけてー!」
この声、聞き覚えがあった。
そう。何よりも頼りになる声
そして、一瞬の静寂。
「ドアから離れてください!」
鋭いく叫ぶ声。
次の瞬間──。
「——ブレイブスラッシュ!!」
爆発のような衝撃が走り、扉が吹き飛んだ。
紫の閃光が走り、グールたちが次々と吹き飛ばされていく。
舞い上がる煙の中から、紫電を纏う剣を構えた少女が現れた。
「「勇者ルーリ!!」」
俺とアンジュは同時に叫んでいた。




