第四十四話 勇者覚醒
【勇者ルーリ】
「ルーリ、後ろ!」
ソニアの悲鳴に振り返ると、白い防塵服の影が鉄パイプを振りかざして迫ってきた。
バイザーの奥は見えない。だが、そこから滲む冷たい殺意だけは、はっきりと感じられた。
私は愛刀ルーガライガで、その一撃を辛うじて受け止めた。
ズンッ——手首に骨の芯まで響く衝撃。
——重い。これは、人間の力じゃない。
「ルーリ! 見ろ!」
今度は、九頭竜さんの鋭い声。隣に目を遣ると、彼は片手に『九頭竜血』を下げたまま、もう片方の腕で防塵服の男を押さえつけていた。
外れたヘルメットの下、剥き出しになった男の顔。
目は半眼でうつろ、口の端からはだらしなく涎が垂れている。
「こいつら、完全に正気を失ってる! ……それでも、殺すなってのか!」
九頭竜さんの苦悩に満ちた訴え。その叫びに、私は首を横に振るしかなかった。
——自分だって、本当は殺したくないくせに……。
それでも、そう確認したくなる彼の気持ちは痛いほど分かる。
このままでは、ジリ貧だ。
「早く! ヤマさんたちと合流しないと!」
サキコちゃんの叫び。
だが、和泉さんが荒い息をつきながら答える。
「サキコちゃん、ヤマさんは……もういないのよ!」
「知ってる! でも、“いる”の! ここじゃない、どこか暗い部屋で、私たちと戦ってるの!」
——シン様と、一緒に戦う?
サキコちゃんは、少し先の未来を見ることができる「先読み」の能力者。
彼女がそう言うのなら、それはこれから必ず起こる未来の光景。
——そっか。シン様は、来てくれるんだ。
じゃあ、こんな所で止まっているわけにはいかない。
「……なるほど。なら、とっとと、ここを切り抜けるしかない、というわけか!」
九頭竜さんも同じことを思ったのだろう。
私と彼は目で頷き合い、正面の敵の群れをまっすぐに見据えた。
シン様が待つ、その場所へ。早く、行かなくては!
「みんな! こっちの壁沿いに進んで、右手の扉から脱出するよ!」
ソニアが片手でヘルメットを押さえながら、必死に指さす。
しかし、その方向はいまだ防塵服の群れで埋め尽くされていた。
「無理だ! 壁際に追い詰められたら、余計に逃げ場がなくなる!」
九頭竜さんが鞘で迫りくる敵を突き飛ばしながら叫ぶ。
「大丈夫! なんか……加護の力が湧いてくるの! 片側だけなら、絶対防げる……気がする!」
ソニアの声は震えていたが、その眼差しは確信に満ちていた。
——加護が湧く? まさか、『女神チャンネル』の影響……?
「……行こう! ここにいても、いずれやられるだけ! ソニア、道を!」
私はルーガライガの腹で、目の前の防塵服を殴り飛ばしながら叫んだ。
「やるしかない、か!」
九頭竜さんも腹が決まったのか、私の隣に並び、鞘のままの刀で片っ端から敵を打ち据えていく。
壁際にたどり着いたところで、ソニアがヘルメットから手を離し、両手を前に掲げた。
「我、トラッグリアの女神、ソニア・ランジュリカが命ずる! 地球の理よ、全ての邪を払い、我らに道を開き給え! ルーカ、ルーデロンギメリア……!」
彼女が詠唱を始めると、その両手に淡い光が灯る。
やがてそれは光り輝く巨大な壁となり、壁沿いに群がっていた防塵服の集団を一気に弾き飛ばした。
そこに生まれたのは、片側をコンクリート壁、もう片側を光の障壁で守られた、扉まで続く一本の道。
「さあ、みんな、早く!」
ソニアが扉へと駆け出す。
私は殿を務めるべく、振り返って皆を誘導しようと手を出した。
——その時だった。
サキコちゃんの背後から白い腕が伸び、彼女を光の壁の向こうへ引きずり込む。
「サキコちゃん!」
和泉さんが手を伸ばす——が、逆に掴まれ、彼女も飲み込まれる。
「いかん! ルーリ! お前は先に行け!」
九頭竜さんが叫び、敵の中へ飛び込んだ。
だが、鞘に収めた刀では限界がある。白い波が彼を飲み込んでいく。
「ルーリ、早く! この障壁、いつまでもたないよぉ……!」
ソニアが泣きそうな声で、扉の前から叫んでいる。
「待って! 今——!」
振り返った瞬間、扉がギィ、と開く。
中から伸びた無数の白い手が、ソニアの身体を掴んだ。
「や……っ! やだ、離して——!」
その体はあっけなく、扉の向こうの闇へと引きずり込まれていった。
背後からは、サキコちゃんと和泉さんの絶叫が聞こえる。
九頭竜さんの上には防塵服の山ができ、もうその姿は見えない。
たった、一人。
私はその地獄の中心で、立ち尽くしていた。
——みんな、私のせいで……。
折角、一緒に来てくれたみんな。
勇者だからって、私がわがままを言って……それに、みんな頷いてくれたのに。
九頭竜さんは、大事な立場を捨ててまで来てくれた。
「勇者パーティだから」って……。
和泉さんも、そうだ。
自分の意志で、ここに来てくれた。「戦いたい」って……。
サキコちゃんだって。
怖い思いをしながら、それでも当たり前のように、来てくれた……。
それなのに、私は。
両側から、無数の白い手が伸びてくる。
その手が私の体に絡みつき、まるで引き裂くかのように闇の中へと飲み込んでいく。
「この世界を救う」
そんなことを、軽々しく口にしていた自分。
「それが、勇者の責任だから」
言葉だけが、空っぽのまま独り歩きしていた。
その実態は……。
仲間一人、守れなかった。
——守れ、なかった?
ドクン。
心臓が、大きく鳴った。
握りしめた愛刀、ルーガライガにビリッと紫電が走る。
熱い。だが、痛くない。力が、体の奥から湧き上がる。
まだだ。
まだ、何もできていない。
まだ、何も終わってなんかいない!
体中の血が沸騰する。
勇者の誇りが、仲間への想いが、私の体を内側から突き動かす。
——まだだ。終わってない。
バチッ! バチチッ!
帯電するかのように、紫色の閃光が体中を駆け巡る。
絡みつく白い手が弾け飛び、足元から巨大な光の柱が天へと昇った。
『——さあ、始めようか』
愛刀、ルーガライガの声が聞こえた。
私はそれを、思いきり足元のコンクリートに突き刺した。
そして、この身に集う全ての力を、その一点に注ぎ込む!
「いけぇぇっ!
ブレイブ・インパクトッ!!」
紫電の閃光が広がり、空間を飲み込んでいく。
一瞬の、目が眩むほどの白い輝き。
そして——。
完全な静寂が訪れた。
煙が晴れていく。
「これが……本当の、勇者の力……」
見渡すと、私を囲んでいたはずの白い防塵服の集団は、一人残らずその場に倒れ伏していた。
「……ゴホッ、ゴホッ……!」
瓦礫の山から、サキコちゃんが咳き込みながらはい出してくる。
その隣で、和泉さんも顔の前で手をぱたぱたと振りながら、呆然とあたりを見回している。
そして、九頭竜さんが刀を杖のようにして、ゆっくりと立ち上がった。
「……何? 何が、起きたの……?」
ひょっこりと、扉の向こうからソニアが恐る恐る顔を覗かせている。
……みんな、無事だ。
私はその扉の前に歩いて行くと、ソニアの腕を掴み、ぐいっと立ち上がらせた。
そして振り返り、立ち上がった仲間たちに宣言した。
「さあ、行こう! ……仲間が、待っている!」




