第四十三話 勇者ゲーム
穴臼の体がガクンと後ろにのけぞった。
ガクガクと小刻みに震え、やがて、ゆっくりと上半身をこちらへ向ける。
両目の間にぽっかりと赤い穴が開き、そこからどくどくと血が噴き出している。
それでも、穴臼は笑顔を絶やさず、アンジュを見つめていた。
彼は、まるで汗を拭うように白いハンカチで顔をぬぐった。
次の瞬間——血も穴も、跡形もなく消えていた。
スーツまでもが、まるで新品のように元通りになっている。
「ねぇシン」
アンジュが耳元で囁く。
「あいつの服、あれ……肉体の一部じゃない?」
「……だから、何なんです」
「ってことはさ。今、あいつ実質マッパってことじゃない? キッモ!」
——心底どうでもいいっ!!
「いやはや……女神ともあろうお方が、拳銃とは。無粋にもほどがありますね」
「うっさい! この後は伝説の“女神パンチ”と“女神キック”で、あんたをミンチにしてあげるわよ!」
——その技名、全然カッコよくない……。
「なるほど。やはり、ご自身の管轄外では、その程度のことしかできない、と」
そう言うと、穴臼はパチン、と指を鳴らした。
途端に、何もない空間に巨大な映像が浮かび上がる。
そこには、白い防塵服の集団に囲まれ、苦戦するルーリたちの姿が映し出されていた。
ルーリは必死に指示を出し、九頭竜さんは腹を押さえて苦しみ、和泉さんの障壁にはひびが走っている。
俺とアンジュは、その映像から目を離すことができなかった。
——俺が、逃げずに一緒に戦えてれば……。
穴臼はそんな俺たちを見て、心底楽しそうに笑う。
「……どうやら、こちらが『本物』の勇者パーティ、ということでしたか」
「なんであんたが『女神チャンネル』を受信してんのよ」
アンジュが低い声で睨む。
「おや? 気になりますか?」
「気にならなくもないわね」
「どっちです?」
「気になる、って言ってんのよ」
「では、お教えしましょう」
穴臼はにっこりと笑った。
「私もね、あなた達と同じ、トラッグリアから来たんですよ」
——え!?
「あの勇者と同じ。私も、この世界に『召喚』されましてね。……だから、知っていますよ。トラッグリアのことを、女神アンジェリーナのことも、そして……勇者シン、あなたの輝かしい伝説もね」
彼は空中の映像を指し、唇を三日月のように歪め笑った。
知性的な風貌なだけに、背筋が寒くなるほど不気味だった。
「……何のために、こんなことを」
俺が思わず問うと、穴臼は意外そうに眉を上げた。
「あなたが、それを言いますか? ああなたも、見知らぬ世界へ来て、“魔王”を討ったんでしょう? ある意味、私と同じですよ」
俺は返す言葉を失った。
彼の言葉の意味にではなく、その記憶がないため答えられなかったからだ。
「全然違うわね!」
俺に代わりに、アンジュが言い放つ。
「シンをトラッグリアの世界に連れて行ったのは、私。そこで彼は、苦しむ人々や、涙を流す仲間を見て、自らの意志で魔王と戦うことを選んだの。……あんたみたいに、遊びで命を弄ぶのとは違うの」
穴臼は一瞬、驚いたような顔をしてから、大げさに肩をすくめた。
「つまらない。実につまらない答えだ。私はね、もっと自由にやらせてもらってますよ。何しろ、トラッグリアよりも人間が多いですからね、この世界は」
彼はネクタイをゆるめ、笑う。
「この世界の人間は、実によく動く。たかが『金』でね。今だってそうだ。トラッグリアなら皆が寝る時間に、この世界では金さえ払えば人は集まる。そして、その人間に他の人間を操るための機械を作らせる。……傑作でしょう? これほど、気の利いたジョークはない」
そして、両手を広げて叫んだ。
「それの何が悪い! 私は、この世界のルールに従って、ただ『遊んで』いるだけだ! さあ、女神よ! そんな私を、撃てるのか?」
「ええ」
アンジュは即座に引き金を引いた。
だが、穴臼は首を傾けるだけでかわした。
弾丸は後方のガラス小さな傷をつける、白い煙だけが残る。
「……チッ」
アンジュが舌打ちする。
俺は深く息を吸い、もう一度穴臼を睨んだ。
「……あなたは、この世界を支配するために?」
「違いますよ」
彼は薄く笑った。
「これはただの“ゲーム”です。……『勇者』を殺す、というね」
——なっ……!
勇者を、殺すゲーム?
「私の他にも、何人か来ていますよ。この“勇者ゲーム”を楽しむために」
「何がしたいんだ」
「知りませんよ。そんなことは魔王様か……そこの女神が知ってるんじゃないですか?」
パンッ!
アンジュが再び引き金を引く。
だが、その弾も軽やかに避けられた。
まるで弾道を——“予測している”かのように。
これでアンジュは全弾撃ち尽くした……結局効果はなかったが。
「……そちらの女神様は、随分と血の気が多いご様子で」
穴臼はスーツの裾を払いながら笑う。
「それで? 本来は部外者であるあなたが、一体何のご用で?」
「用があるのはこっち!」
アンジュがニヤリと笑い、俺の背中をポンと叩いた。
「ほら、シン。土下座しなさい!」
「……は?」
「あの伝説の勇者シンが土下座すんのよ!? 最高に笑えるじゃない! 早く早く!」
——この女神、マジで俺をどうしたいんだ。
俺はゆっくりと膝をつき、頭を下げた。
「……頼む。彼女たちを、見逃してくれ」
額を、毛足の長い絨毯に擦り付ける。
そして僅かに顔を上げ、伺うように穴臼を見上げると、奴は肩を揺らして、くすくすと笑っていた。
「あなたの、その無様な態度は評価できます。ですが……お隣の女神様の態度は、いただけませんね」
アンジュを見ると、彼女は腰に手を当て、さらに胸を張っていた。
「なによ。見とれてるの?」
「……アンジュさん、頼む。ここは、譲ってくれないか」
「いやよ。私は天下無双、唯我独尊、唯一無二、威風堂々たる存在の女神様よ。こんな変態マッパの前で、1ミリだって頭を下げる気はナッシングよ」
——もはや語彙が迷子だ……。
「いい? ぶっちゃけ、土下座なんかで、こいつが助けてくれるほど甘くはないわよ。こいつは“勇者を狩る”ために来てんのよ」
「ほう。それで、どうするおつもりで?」
穴臼が、空中の映像に視線をやる。
「あなた方の仲間——もうすぐ終わりのようですよ?」
映像では、白い防塵服の集団に囲まれ、今にも倒れそうなルーリたちの姿があった。
「そして、あなた方も、ここでさようなら、です」
ハッとして周囲を見回す。
いつの間にか、部屋の柱の陰から黒いスーツを着た男女が何人も現れていた。
ゆっくりと、じりじりと、俺たちを取り囲んでいく。
逃げ場は——どこにもなかった。




