第四十一話 なんでもない
俺は何度も、何度もハンドルに拳を叩きつけた。
自分への絶望感。仲間への罪悪感。
ぐちゃぐちゃになった感情が、行き場を失って溢れ出す。
その姿は、きっと駄々をこねる子供のようだっただろう。
そんな俺の拳を、アンジュの手がぎゅっと掴んだ。
「……もう、そのへんにしなさい。そんなことしても、何も変わらないわ」
止める彼女に、俺は叫んだ。
「じゃあ、どうすれば良かったんだよ! 俺みたいなクズに、一体何ができたって言うんだ! 何もできない! 毎日の生活すら、まともに送れない俺に! 最初から……全部、無理だったんだよ!」
アンジュは俺の手を掴んだまま、ただじっと俺を見つめている。
「勇者だなんて、調子に乗って……! 『シン様』だなんて、おだてられて……! 身の程知らずの俺が、結局みんなを殺すんだ!」
「……あなたが殺すわけじゃない」
アンジュが諭すように言う。だが、溢れ出した自己嫌悪はもう止まらなかった。
「俺だ! 俺のせいだ! 俺がみんなを死なせるんだ……!」
俺はそのままアンジュの手を握り返し、縋るようにして泣き崩れた。
もう片方の彼女の手が、壊れ物を扱うようにそっと俺の頭を撫でる。
「あなたのせいじゃないわ、もともとは……」
ドオォオオーンッ!
心臓が跳ね上がった。
後ろ——工場の方角から、何かが爆ぜた音がする。
「なに?」
慌ててバックミラーを見る。白い建物の上に、黒煙が渦を巻いていた。
「みんな!」
思わず車を飛び出す。
白い壁がくすぶり、星空に混ざって黒と灰の煙が立ちのぼっていく。
「ルーリが『ルーガライガ』を顕現させたみたいね」
「わかるのか?」
アンジュは肩をすくめた。
「それくらいはね」
焦げた匂いが鼻を突く。煙は夜空を覆い隠すように広がっていた。
「もう始まったんだ……魔者との戦いが」
「違うわね」
アンジュがこめかみを押さえ、目を閉じる。何かを読み取るように。
「会社の社員たちに囲まれてる」
「社員に!?」
「……あーそうか。社員を洗脳して差し向けてきたんだ」
アンジュの表情が険しくなる。
「見えるのか?」
「ソニアのカメラが、私の神界ネットワークに繋がってるの。ぼんやりだけど、映像が流れてくる」
彼女は唇をかんだ。
「みんな、相手が人間だから手を出せないの。逆に社員はどんどん集まって……完全に囲まれてる」
——ツッ!
俺はギュッと拳を握った。
「このままだと、みんな……」
アンジュが目を開け、煙の上がる工場を見つめる。
クソッ、クソッ、クソッ……!
こんなことって——!
俺は再び運転席に飛び乗った。
「なにする気!」
助手席のドアを開けたアンジュが俺を睨む。
「お願いする! あの……穴臼とかいう奴に! 頼んで止めてもらう! それなら、俺にもできる!」
「はぁ!? 自分で言ってて意味わかってるの!?」
「わかってる! わかってるけど、俺にはそれぐらいしかできないんだ!」
俺はハンドルを両手でたたく。
「頼むんだ! 土下座してでも、縋り付いてでも! もうやめてくれって頼む!」
アクセルを踏もうとした瞬間、アンジュが助手席に乗り込んできた。
「降りてくれ。アンジュは行かなくていい!」
「私はシンの女神よ! 仲間のいないあんたについて行ってやれるのは、今は私だけ」
「ダメだ! この戦いではアンジュは加護を使えないだろ!」
アンジュが目を吊り上げる。
「女神アンジェリーナ様をなめんじゃないわよ! 加護なんかなくたって、この震えるほどの美貌と、ナイスバディな腕と足があるのよ!」
その迫力に、一瞬言葉を失う。
「ほら! 行くならさっさと行きなさい! 死に水は取ってあげる!」
その、どこで聞いたのかもわからない間違った日本語を言う女神にフッと笑みがこぼれた。
そんな俺に、「なによ!」とアンジュは怒って前を向く。
俺はもう一度ハンドルを切る。
今度こそ、白いその悪魔の城へ。
「……まったく、勇者ッていう奴らは……」
アンジュが何かつぶやいた気がした。
「なんて?」
彼女は少しだけ間を置いて、叫んだ。
「なんでもなーい!!」




