第三十八話 魂の選択
腰に差した『九頭竜血』の柄を、九頭竜さんがゆっくりと握り込む。
そして、静かに腰を落とした。
目の前には幹の太い大木が、静かに聳え立っている。
九頭竜さんは深く息を吸い、刀の柄をしっかりと握り目をつむった。
ヒュッ——。
足元から小さな風の渦が立ち上がる。
まるでその風を刀身にまとわせるように、彼は刀を薙いだ。
……静寂。
ズ、ズ、ズズズ……。
大木の幹が、まるで精巧な切り絵細工のように、ゆっくりと真横にずれていく。
九頭竜さんは静かに息を吐くと、刀身を鞘へと納めた。
カチン、と涼やかな音が響いた瞬間——
切断された幹の上半分が、轟音を立てて地面に倒れ伏した。
ズウゥン……!
後ろで見守っていた俺たちから、「おおぉ……!」と感嘆の声が漏れ、それが次第に大きな拍手へと変わっていった。
「すごい! すごいですよ九頭竜さん! ついさっき発現した力とは思えません!」
ルーリが満面の笑みで手を叩く。まるで自分のことのように嬉しそうだ。
「……まだまだ、掴みきれていないな」
九頭竜さんはぶっきらぼうに言うが、口元は隠しきれないほど緩んでいた。
「まあ、初めてにしては上出来じゃない? その力はあなたの腕の延長みたいなものよ。自分自身を信じて、想いを込めるのが使いこなすコツね」
腕を組み、どこか教師ぶった口調のアンジュ。
だが九頭竜さんは、その言葉を真剣に聞いていた。
「……そうか。自分を、信じる……か」
彼は自分の手のひらをじっと見つめ、何かを確かめるように呟いた。
「いやはや、お見事です! さすがは九頭竜家の当代当主! ……しかし、そのようなお力を隠されていたとは、随分と意地がお悪い」
いつの間にか隣に立っていた後藤が、嫌味な笑みを浮かべながら言った。
九頭竜さんは、キッと睨み返す。
「あんたも見てただろう。この力は彼女が呪詛を解いてくれたおかげだ。俺自身、ついさっきまで気づいてもいなかった」
「ほう。それが事実だとすれば、随分と胡散臭い話ですねぇ」
後藤は、さも心配そうな顔をするが、声にはニヤニヤが滲んでいる。
九頭竜さんは「フン」と鼻を鳴らすだけで取り合わなかった。
アンジュが悪びれもなく言う。その酷いあだ名にも、後藤は動じない。
「まさか! 私も今、初めて拝見しましたとも!」
と、わざとらしく両手を振ってみせた。
「そう? “過剰脅威対策室”の言うことなんて、どこまで信用していいやらねぇ」
アンジュの言葉に、後藤は慌てて両手に合わせ首をぶんぶん振る。
「ぜひ信用してください! これでも親身に皆さんをサポートしているんですよ!」
「……親身、ねぇ」
アンジュが目を細めて後藤を見る。間違いなく、心の底から疑っている目だ。
「さて、それでは皆様にこちらをお渡ししておきます」
後藤はジュラルミンケースを取り出し、中から小型インカムを取り出した。
「この一帯であれば通信に問題はありません。作戦時の連携にお役立てを」
彼が一つずつ配ると、皆が耳に装着していく。
ただ一人、ソニアだけがヘルメットの上からつけようとしてもたついていた。
「それで皆様、どこから侵入されるご予定で?」
後藤の問いに、ルーリが胸を張って答える。
「それは当然、正面から……」
「まさか、『正門から堂々と』なんておっしゃいませんよね?」
後藤が食い気味にツッコミを入れる。
「いくらなんでも、それは無策がすぎますよ」
「え……な、なし、ですか……?」
なぜか本気でしょんぼりするルーリ。
——そりゃ、なしですよ、勇者様。
「一応、こちらで工場の警備システムを一時的に無力化する手筈は整えています。ただ、正面突破では意味がありませんからね」
「そっかぁ……」
ルーリはソニアと顔を突き合わせ、何やら相談を始める。
「あー、ちょっといい?」
アンジュが手を上げた。
「私とシンは、正面から行こうと思ってるの」
「「「へ?」」」
俺とルーリとソニアの声が、綺麗にハモった。
「なるほど。陽動と本隊、二手に分かれるわけですね」
後藤が納得したように頷く。
「なるほど。陽動と本隊。チームを二手に分ける、というわけですか」
「そういうこと。どうせ相手は、こっちが来るって分かってる。だったら、正々堂々と挨拶してあげるのも礼儀でしょ?」
——嘘ですよね、アンジュさん。その笑顔、最高に楽しそうですけど。
▽▽▽
結局、アンジュの提案が採用された。
俺とアンジュが正面から陽動をかけ、その混乱の隙にルーリたち本隊が裏口から侵入する——そんな作戦だ。
ターゲットは、オークランドベル社の代表・穴臼。
後藤の話では、彼は都内に豪邸を持ちながら、常にこの工場に寝泊まりしているらしい。
今日も出入りの記録はなく、どうやら中にいるのは確実のようだった。
もちろん。まともな人間じゃないのは、もう分かりきっている。
そして今——
俺とアンジュはレンタカーに乗り、工場の正門が見える位置まで来ていた。
「……シン、ちょっと。車、止めてくれる?」
正門まであと数十メートルというところで、アンジュがぽつりと言った。
俺は言われるまま、路肩に車を寄せる。
エンジン音が静まると、夜の冷たい空気が車内に満ちた。
「どうしたんですか。もう目の前ですよ」
そんな俺を、アンジュは真っ直ぐな瞳で見つめ返した。
「シン。この戦い……あなたは逃げてもいいのよ」
——は?
「……戦いたくないんでしょ? だったら、今すぐここから逃げてもいい」
その言葉に、思わず息をのむ。
喉の奥が熱くなり、視線を逸らした。
けれど、アンジュはそれを許してくれない。
「もし逃げるための言い訳が見つからないなら、『私が無理やり連れて逃げた』ってことにすればいいわ」
「な、何を言ってるんですか! こんな直前になって……!」
「……怖いんでしょ?」
その一言に、胸の奥がぐらりと揺れた。
——そうだ。怖い。
死ぬのが、怖い。
「だったら、逃げなさい」
アンジュはまるで心を見透かすように、静かに言った。
「あなたが勇者パーティに入ったのだって、ただの成り行き。
あなたが全部を背負う義理なんて、どこにもない。
ここはこの世界の勇者——ルーリに任せて、私たちは来月、トラッグリアに帰ればいいのよ」
「そんなことをしたら、この世界はどうなるんですか!」
「どうもこうも、ないわ。あなたは来月には別の世界に行く。この世界が滅びようと、もう関係ない」
「でも、それじゃあルーリたちは……! 仲間たちはどうなるんですか!」
「仲間? ……どうせ、もう二度と会うことはないわ」
——それって……。
「シン。あなた、この作戦で勝てると思ってるの? 魔王も言ってたでしょ。ここにいる奴は、前の雑魚とはレベルが違う。正直に言うけど——勇者パーティに勝ち目は、ないわ」
アンジュはふっと俺から視線を外し、シートに深くもたれかかった。
「それに……あなたは、もう“シン”じゃない。ただの『ヤマさん』なのよ」
アンジュは視線を前に向けたまま、静かに言った。
「シン……いいえ、“ヤマさん”。
あなたは、ここで逃げるべきよ」
今まで見たこともない真剣な眼差しで、彼女は俺にそう告げた。
夜の光がフロントガラスに反射して、彼女の横顔を淡く照らしていた。




