第三十七話 血の導くもの
『女神チャンネル』の放映に一旦の理解を示した俺たちは、それぞれの準備を始めていた。
和泉さんは車の中で、『神明国教会連盟』から支給された白い戦闘服に着替えている。
九頭竜さんはSUVのリアハッチを開け、豪華な錦の布に包まれた長い筒状のものを取り出した。
中から現れたのは──刀だった。
俺が思わず見入っていると、彼はその鞘をこちらに掲げて言った。
「実は、これを実家に取りに戻っていてね。少し遅れてしまったんだ」
「それ……日本刀ですよね?」
「ああ。手ぶらで行くよりは、マシだろうと思ってね」
そう言って、九頭竜さんは少し照れくさそうに笑った。
そんな彼に、アンジュが「ちょっといいかしら?」と手を伸ばす。
「ッ、と……な、なんですか?」
九頭竜さんは訝しげに眉を寄せ、反射的にその手を避けた。
アンジュは肩をすくめて一歩下がり、腕を組んで彼の全身をじろりと見つめる。
「……あなた、強力な“呪詛”をかけられてるわね」
「「はぁ!?」」
俺と九頭竜さんの声が、見事にハモった。
だが、アンジュの顔はいつになく真剣だった。
「呪詛って……“呪い”ってことですか?」
俺が聞くと、アンジュは視線を逸らさずに九頭竜さんへ問いかけた。
「何か心当たりはある?」
「心当たり……ですか? たとえば?」
普段は落ち着いている彼が、どこかオドオドしている。
「例えば……そうねぇ。何かこう、特定の欲求が湧いてこないとか、逆に妙にムラムラするとか」
——アンジュさん! 何を聞いてるんですか!
案の定、九頭竜さんは顔を赤くし、恥ずかしそうに目を泳がせた。
「そ、それは……まぁ、人並みに感じることは、ありますけど……」
アンジュは大げさに手を振って、「あー、そういうことじゃない!」とあきれる。
——いや、あなたがそういう聞き方したんでしょうが!
「なるほどね。自覚がないなら、生まれた時からかけられてるタイプかも」
「……呪詛が、ですか?」
「ええ。あなたの本来の素質が表に出ないように、分厚い蓋をされた感じ」
アンジュは九頭竜さんを見つめながら、言葉を続ける。
「生まれた時からなら、犯人は家族か、それに近しい誰かね。そのせいで、あなたは“本当の力”をずっと封じられてきたの」
「じゃあ、その呪いを解けば……?」
俺が口を挟むと、アンジュはちらりと俺を見て言った。
「解けば? まあ、昔のシンよりは強くなるでしょうね。……たぶん。知らんけど」
——「知らんけど」は女神が言っちゃダメでしょ!
九頭竜さんは俺をちらりと見る。
いま、彼の頭の中では、きっと先日マグナフォルテを振るっていた俺の姿が浮かんでいるのだろう。
「どうする? 今なら無料で解呪してあげるけど?」
無料……。いちいち、この女神は一言多いな。
「なんで、こんな間際に! この前会った時に言えばよかったじゃないですか!」
俺が抗議すると、アンジュは唇を尖らせた。
「だって、今まで分かんなかったのよ。刀を手にした瞬間、その刀に宿る“念”と共鳴して初めて見えたの」
「九頭竜さん。その刀、何かあるんですか?」
俺が尋ねると、彼は静かに刀を見つめた。
「……我が家に代々伝わる名刀で、『九頭竜血』と呼ばれている。
名刀とはいえ、銘も何もないがな」
彼は鞘を抜き、刀身を月光に翳した。
淡い光を反射する刃には、不思議な赤い筋が浮かんで見える。
「ご先祖たちは命を懸けて戦う時、己の血をこの刀身に塗り込み、常に傍らに置いたそうだ。……まあ、本当かどうかは分からんが」
そう言って、彼は少し照れくさそうに鼻の頭をかいた。
「いいね、そういうの。私、好きよ」
アンジュは優しく微笑む。その表情は、珍しく“女神らしかった”。
九頭竜さんは刀を鞘に戻し、静かに尋ねた。
「……解呪すれば、どうなる?」
「うまくいけば、あなたの“本当の力”が目を覚ます。ただし、失敗すれば──」
「失敗すれば?」
「体中の穴という穴から血を噴き出しながら、数時間のたうち回って死ぬ」
──ヤダ、怖い!
「分かりました。やってください」
九頭竜さんはあっさり答えた。
「ちょ、ちょっと待って! 下手すれば死ぬんですよ!?そこまでして力を手に入れなくても──」
気づけば俺は叫んでいた。
いつの間にか、俺たちの周りにはルーリや和泉さん、サキコちゃんにソニアまでが集まり、その成り行きを固唾をのんで見守っていた。
遠巻きには後藤もいて、腕を組んだまま、じっと九頭竜さんを見つめている。
俺の制止に、九頭竜さんは穏やかに微笑んだ。
「心配してくれてありがとう。でも、やるよ。今のままじゃ、また後悔する気がするから」
その笑顔は、どこか吹っ切れたようだった。
彼はアンジュに向き直り、深く頭を下げる。
「……頼む。やってくれ」
アンジュは静かに頷き、差し出した手をそっと九頭竜さんの前に伸ばした。
俺はもう何も言えず、ただ二人を見守ることしかできなかった。
アンジュがその手を彼の頭に添え、目を閉じる。
彼女は小さく呟きながら、意識を集中させているようだった。
やがて、アンジュの手が淡く光り始める。
その光はゆっくりと脈動し、まるで生きているように震えた。
九頭竜さんは頭を垂れ、拳を固く握りしめながら静かに耐えている。
二人の姿は──まるで神に祝福を受ける儀式のようだった。
だが、次の瞬間。
九頭竜さんの体が小刻みに震え始め、苦悶の色が浮かぶ。
額の血管が浮き、唇が震え、目尻に一筋の赤い線が伝った。
鼻からも細い血の筋が流れ、拳の隙間からは滲む血が滴る。
アンジュの言葉が脳裏によみがえる。
──“体中の穴という穴から血を噴き出し、死ぬ”。
ヤバい。
俺は思わず止めに入ろうと一歩踏み出す。
……が、それを止めたのは意外な人物だった。
「ルーリ!?」
彼女は俺の腕をつかみ首を振る。
「大丈夫です。彼ならきっと」
ルーリの瞳はまっすぐで、二人から片時も目を離さない。
まるで、この瞬間を見届けることが自分の使命だと言わんばかりに。
そんな願いを裏切るかのに、彼の出血は止まらない。
耳の奥からも赤黒い血が滲み、口元を伝って地面に落ちる。
その体はがくがくと震え、まるで見えない鎖に縛られているようだった。
「アンジュ! やめろ! もう限界だ!」
俺の叫びに、アンジュは苦しげに首を横に振る。
汗がこめかみを伝い、唇をかすかに噛んでいる。
──やめられないんだ。もう、始まってしまった。
「ソニア!」
凛とした声が響いた。ルーリだ。
「回復魔法を! 彼に!」
「わ、わかった!」
ソニアは慌てて駆け寄るが、どこから手をかざせばいいのか分からず、九頭竜さんの周りをぐるぐる回る。
ルーリが素早く駆け寄り、彼女の手を取った。
「後ろから! 背中に、一緒に手を当てて!」
二人の手が九頭竜さんの背に触れた瞬間、柔らかな光が広がった。
淡く、温かいその光が、血に濡れた彼の体を包み込む。
光と血と祈りが交じり合う静寂。
誰もが息を止め、その光景を見守っていた。
どれほどの時間が経ったのか分からない。
やがて、アンジュがふっと手を離した。
糸が切れたように、九頭竜さんの体が前のめりに倒れかける。
その体を、ルーリがしっかりと抱き留めた。
サキコちゃんと和泉さんも駆け寄り、彼を支える。
「アンジュ……どうなった?」
俺が問うと、アンジュは疲労の色を浮かべたまま、ふらりとこちらを見る。
そして、口元にかすかな笑みを浮かべ、ぐっと親指を突き上げた。
「……成功よ」
その瞬間、誰もが一斉に息を吐いた。
夜の静けさの中に、仲間たちの安堵の吐息が広がった。




