第三十五話 肝試し?
闇に沈む山道は、思った以上に不気味だった。
車二台が余裕ですれ違えるほどの道幅に、舗装もガードレールもきちんとしている。
それなのに、なぜか言いようのない「怖さ」がある。
民家が消え、深い森に囲まれた道を走り始めて、もう二十分。
ヘッドライトに照らされた木々の影が、風もないのにゆらりと揺れているように見え、心臓がときどきドキリと鳴る。
まるで、この世ではないどこかへ連れて行かれているような、不安がじわじわと募っていった。
「なんか、不気味なとこですねぇ」
「夜の山道って、ほんと嫌い……」
後部座席から、サキコちゃんと和泉さんのひそひそ声が聞こえる。
「ねーねー! 肝試しみたいで楽しくない?」
助手席のアンジュだけが、無邪気にはしゃいでいた。
肝試しどころか、本物の魔物の巣に向かってるってのに……。
俺は、違う意味で冷や汗をかく。
「あ! あそこに、白い服の女の人が!」
アンジュの叫びが車内を突き抜けた。
心臓をわしづかみにされた俺は、「えっ!?」と声を裏返し、前方を凝視する。
一瞬、息が止まる。
ヘッドライトの先には──なにも、いない。
「……うっそー! ねえ、びびった? 今、おしっこ漏らしそうになった?」
──この女神……本気で、殴りたい。
「もう、アンジュさん! シン様の運転の邪魔をしちゃダメですよ!」
後部座席からルーリが真面目に叱る。
なぜか俺は「様」付けで、アンジュは「さん」付けだ。
まあ、当の本人は、アハハと腹を抱えて笑っているだけだけど。
「そうですよ、先輩。魔王を斃しに行く途中で、事故って崖から転落、勇者パーティ全滅……なんて、シャレになりませんから」
ハハハ……。
──ソニアさん、それ一番言っちゃダメなやつ。
俺は、そんな会話を聞き流しながら、曲がりくねるカーブを慎重に進む。
「そろそろ目的地も見えてくる頃だと思うので……」
そう言いかけた、その時──言葉が止まった。
カーブの先に、
本当に、白い人影が見えた。
──嘘だろ!?
「ぎゃー! なんかいるーっ!」
アンジュが、今度は本気で絶叫した。
すぐ後ろでソニアが、「で、出たーっ!」と俺の耳元で叫ぶ。
ふわっと甘い香りがした。……って、そんな場合じゃない!
俺はブレーキを床が抜けるほど踏み込んだ。
ABSが作動し、車体がガガガッと揺れながら、なんとか停止する。
そして、そのフロントガラスの向こうに現れたのは──
満面の笑みで手を振る、『過剰脅威対策室』の後藤だった。
「……なんだ。ゲコ2(ツー)じゃん」
アンジュが、心底がっかりしたように、ひどいあだ名で呟いた。
▽▽▽
運転席側に駆け寄ってきた後藤に、俺はウィンドウを下げて挨拶した。
「後藤さん。こんな所で、どうしたんですか?」
彼は、悲しそうに眉を下げ、「皆さんを、お待ちしていたんですよぉ」と、妙に甘えた声を出した。
「何しろ今回は、我々からの情報で動いていただくわけですから。不肖・後藤、全力でバックアップさせていただきます!」
そう言って、彼はあまり厚くない胸をドンと叩く。
「この先の坂を下ると、すぐに敵地『オークランドベル・相模原工場』です。その手前の側道を入ると、目標を見下ろせる高台があります。まずは、そこへ移動しましょう」
指さした先には、ガードレールの切れ目から続く獣道のような坂道があった。
「……まさか、このまま正面ゲートに乗り付けるつもりじゃ、ないですよね?」
後藤が、いやらしい笑顔で、こてんと首を傾げる。
「も、もちろんです! その高台で、まずは一旦、偵察する予定でしたとも!」
「でしょうね! よかったです。その高台、地図にもナビにも載っていないので、皆さんが気づいてらっしゃらないかと心配しておりました」
「し、知ってますって! 何しろ、こっちは『勇者パーティ』ですよ! 全てお見通しです!」
「では、参りましょう! すぐそこです!」
後藤は軽快に側道を駆け上がっていった。
俺はエンジンをかけ直し、バックミラーを見る。
後ろの九頭竜さんのSUVが、俺の急ブレーキにギリギリで止まっていた。
……危うく、追突されるところだったか。
俺は、誰も見ていない山道で、律儀にウインカーを出すと、ゆっくりと側道へとハンドルを切った。
隣で、アンジュが「……嘘つき」と、呆れたように呟いたが、俺はそれを聞こえないふりをした。
──そして、後部座席から突き刺さる、声なきプレッシャーにもただ耐える。
ヘッドライトに浮かび上がったその道は、まさに獣道と呼ぶにふさわしく、両側から木々が覆いかぶさり、その間を、車一台分だけの土くれの道が、頼りなく続いていた。
先に走っていった後藤の背中を追い、慎重に進む。
やがて、五分ほどで視界がぱっと開けた。
広い空き地。黒いセダンの横で、後藤が手を振っている。
「ここに車を停めましょう」
彼はセダンの隣のスペースを示した。
「ここから高台までは歩いてすぐです」
そう言って、一度背を向けかけた後藤が、ふと振り返る。
「……ちなみにこの場所、地元ではちょっとした自殺の名所らしいですけどね」
──その情報、今いります?
俺が車を停めると、後ろから九頭竜さんのSUVも静かに滑り込んできた。
車を降りると、後藤がわざとらしく驚いた声を上げる。
「おや、和泉さんに九頭竜さんまで! どうなさったんですか、こんな所で!?」
九頭竜は、その芝居がかった調子を、ぶっきらぼうに一蹴した。
「どうしたもこうしたも、ない。……俺たちは『勇者パーティ』だからな」
その横で、ルーリが本当に嬉しそうに頷く。
一瞬、固まっていた後藤だったが、やがて、ふっと息を吐くと、「……なるほど」と、静かに呟いた。
「では、参りましょう」
彼に続き、俺たちは空き地の奥にある、木の階段が整備された山道を登っていく。
息が切れる間もなくたどり着いたその場所には、屋根が朽ちかけた東屋が、ぽつんと建っていた。
そして、その向こう側。
眼下の闇の中に、煌々と光を放つ、巨大な建物が見えた。
想像していたよりも、遥かに大きい。近代的な、巨大工場だ。
まるで真昼のように照明で照らされた広大な駐車場には、まばらではあるが、ざっと三十台以上の車が停まっている。
工場の外壁は、どこまでも真っ白で、夜の闇の中に、まるで蜃気楼のように浮かび上がっていた。
思わず呟いた俺に、後藤がにっこり微笑む。
「ええ。ようこそ。ここが、今回の『戦場』です」
その言葉に、夜風がひゅうと鳴いた。




