第三十一話 モノクローム
ファミレスの広い店内。
さっきまで、忙しくフロアを動いていた店員たちは、アンジュが『過剰脅威対策室』の人たちを追い払ってからいつの間にかいなくなtっていた。
今ここにいるのは、俺たち四人と──魔王を名乗る配膳ロボットだけ。
静寂の中、かすかに聞こえるのはロボットの駆動音と、ピ、ピ、ピ……という電子音。
俺たちもかたずをのんで魔王の言葉を待っていた。
「目的。それは、人類を滅ぼし、全てを食らいつくすこと」
その言葉に、ソニアが口を押さえ、目を見開く。ルーリはギュッと拳を握りしめた。
俺は言葉を失い、アンジュはスッと目を細める。
「……とでも言えば、君らは納得するだろう?」
納得、だと!?
「魔王は邪悪な存在。人を残忍に殺し、喰らい尽くす。そしてこの世界を支配し、しもべのように人間を蹂躙する。──そんな存在を打ち破るのが勇者。どうだい? わかりやすいだろう」
「何が言いたい」
やっとのことで声を絞り出す。自分の声がかすれ、震えていた。
この時すでに、嫌な予感が全身を這い回っていた。
「元・勇者シン。君に問おう。異界の魔王を倒し、この世界に戻った君は──今、何を目的に生きている?」
俺は言葉を失い、ただ茫然とその問いを聞いていた。
じっとりとした冷や汗が背中を伝い、シャツを濡らしていく。息が苦しい。呼吸が浅くなる。
まるで、頭の中に熱い鉄の棒を差し込まれたかのように、ズキズキと痛む。
カラフルだった店内がモノクロのように色を失っていく。
──俺は……一体、今まで、何を……。
静まり返った店内で、自分の心臓の音だけがやけに大きく響く。
──何を目的に、生きている?
その言葉が頭の中で反響する。
そうだ。俺には、目的がない。
会社と家を往復するだけの毎日。
かつて抱いた夢も、情熱も、全部色褪せた。
俺は、ただ息をしているだけの、空っぽの器だ。
魔王の言う通りだ。
俺は、あの“シン”とはもう別人なんだ……。
意識が遠のく。もう、どうでもいい。
このまま、この静かな暗闇に沈んでしまえたら──。
「シン!」
凛とした声が、俺の意識を無理やり引き戻した。
隣を向くと、アンジュがまっすぐ俺を見つめていた。
いつもの尊大さと、人懐っこい光を同時に宿したその目で。
「しっかりしなさい! 敵の術中にハマるんじゃないわよ!」
その瞳は、まるで悪戯っ子を叱る母親のように、優しくも強かった。
「こんな奴の話、真面目に聞く必要なんてないわよ。勇者二人の前に、ビビって機械越しにしか話せない腰抜けなんだから」
彼女は、ロボットを軽蔑の眼差しで睨みつける。
「いいこと? この世界の魔王とやら。この“超絶美人な女神アンジェリーナ様”が、代わりに答えてあげる」
アンジュは満面の笑みを浮かべ、胸を張って宣言した。
「シンの目的は──1か月後、私と一緒に“トラッグリア”に帰ること! ……分かったか、この××××野郎!」
そう言って、ロボットのモニターに手を伸ばし、デコピンの要領で軽く弾いた。
「とっとと消えなさい。料理が冷めちゃうでしょ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、色を失っていた世界が、ふっと鮮やかさを取り戻した。
周囲を見渡すと、アンジュが笑っていて、ソニアとルーリが心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
俺はロボットに視線を戻した。
「ハッハッハッハッ!!」
今度は、鼓膜を破りそうな大音量の笑い声。
スピーカーが音割れを起こし、ビリビリと震える。
「いやはや、さすがは女神アンジェリーナ! かつて勇者パーティを“引き連れて”いただけのことはある!」
「“引き連れて”じゃなくて、“率いて”よ! しかも単なる女神じゃなくて、“超絶美人な女神”! そこ、一番のポイントだから、はしょらないように!」
「これは失敬。超絶美人な女神アンジェリーナよ。……では、最後に連絡事項だ」
声のトーンが一段、低くなる。
「女神ソニア、勇者ルーリ。次の目的地には、私の直属の配下がいる。君たちを“手厚く歓迎”してくれるそうだから、せいぜい楽しんでくれたまえ。……では、また会える日を心待ちにしているよ。諸君に、良きディナーを」
そう言い残して、モニターが暗転する。
そして、再び光が灯った時には──。
「お料理ヲ、オ持チシマシタ」
と、ただ淡々とした合成音声が流れるだけだった。
料理を受け取ると、ロボットは何事もなかったかのようにテーブルを離れていった。
俺たちは、しばらくの間、誰も口を開かなかった。
あの冒涜的な声も、あの視線も、今はもうない。
だが、この店の空気には、まだ奴の存在の残り香が、べったりと貼り付いていた。
「……今の、本当に魔王だったんでしょうか」
最初に口を開いたのはソニアだった。
「さあね」
アンジュは腕を組む。「ただ……とんでもない情報量だったわね。あいつ、私たちのことを、ほとんど全部知ってた」
「はい……。私のチーズインハンバーグの好みまで……」
「……奴の目的は、何なんでしょう」
俺が呟くと、アンジュは真っすぐ俺を見た。
「知らないわ。でも、一つだけ確かなことがあるわ」
「……?」
「あいつは、戦いを楽しんでる。チェスみたいに、私たちという駒をどう動かし、どう追い詰めるか……。そのゲームを心底楽しんでる、歪んだ知性体よ」




