第二十五話 神
「俺たちが、魔王と同じ……?」
一瞬、思考がフリーズした。
確かに、炎の剣を振り回す中年男など、怪しすぎて脅威以外の何物でもないかもしれない。
しかし、勇者が脅威だなんて、あり得るのか!?
彼女は、この世界を救うために戦っているんだ。仲間に誠意を示すため、身を粉にしてバイトまでして。そんな彼女が、脅威であるはずがない。
俺の目は、きっと憎悪に燃えていたことだろう。
だが、鏡室長は、そんなことなどお構いなしに続けた。
「あなた……山川さんは、日本人でしたわね。なら、分かるでしょう? この世界に、『魔王』なんてものは存在しない、ということが」
「いや、しかし、それは……」
言葉に詰まる俺を、彼女は嘲笑うかのように見た。
「『隠蔽されているから』? 誰に? それとも、『魔王が隠れている』? 人間ごときでは太刀打ちできないほどの力を持つ存在が、なぜ隠れる必要があるのかしら」
彼女は、手元に積まれた書類をパラパラとめくりながら、まるで子供を諭すように、しかしその顔には薄笑いを浮かべている。
「仮に、『魔王』と呼ばれるほどの恐ろしい存在がいたとしましょう。その存在はなぜ、さっさとこの世界を滅ぼしてしまわないのかしら?」
「だから、それを防ぐために、勇者たちが……!」
「勇者たちが? 先日、ようやく初討伐に成功したと報告は受けていますが、それまでの結果は、惨憺たるものばかり」
鏡室長は、パタンと書類を閉じると、眼鏡を外して俺たちをじろりと見つめた。
「討伐に出た回数は都合八回。全戦全敗。負傷者は十二名、現在も三名が入院中です」
鏡室長は、パタン、と書類を閉じると、眼鏡を外して俺たちをじろりと見つめた。
「この状況について、新しくパーティに加わったお二人は、どうお考えですの? ぜひとも、ご意見を伺いたいものですわ」
「それは……」
俺は、何も言えずに黙り込むしかなかった。
自分のことで手一杯で、これまでの経緯や、魔王の存在についてなど、まだ何も知らないのと同じだったからだ。
「いったい『魔王』とは、どんな姿で、どこにいるというのです? なぜ、この世界を滅ぼそうとしているのかしら。滅ぼして、何がしたいのかしら?」
彼女は、くだらないジョークを鼻で笑うように、肩をすくめた。
「魔王は、人を殺すの? 確かに、この騒動が始まってから、行方不明者が増えているというデータはある。でも、それは本当に『魔王』のせいかしら? ちなみに、この国では、その行方不明者の数を遥かに上回る人々が、毎年、自殺や交通事故で命を落としているのよ。……まさか、これも全て『魔王』のせいだ、なんて言い出すんじゃないでしょうね」
そこで彼女は、ふぅ、と大きく息を吐いた。
「とはいえ、あなた達が『勇者』で『魔王』と戦うというのなら、一応、成り行き上はバックアップもしましょう。……でも、一つだけ、確認させてちょうだい」
彼女は、俺たちの心の奥底を見透かすように、静かに、そして鋭く、問いかけた。
「本当に、あなた達は『正義』なの? そして、『魔王』とやらは、本当に『悪』なのかしら?」
その最後の言葉を口にした時だけ、彼女の顔から、一切の表情が抜け落ちていた。
まるで、感情というものが存在しないかのように。
俺は、隣の後藤に視線を向ける。
助けを求めた訳ではない。だが、この膠着した空気を、彼なら変えてくれるかもしれない。そんな淡い期待があった。
しかし後藤は、少しだけ首を傾げ、口元に小さな笑みを浮かべるだけだった。
パンッ!
突然、乾いた拍手の音が響いた。
驚いて音の発生源に目を向けると、アンジュが、満面の笑みを浮かべて手を叩いていた。
「なるほどね。ええ、分かったわ。あなたがそう思うのも、仕方のないことかもしれない」
アンジュは、まるで子供の素朴な疑問に答えるように、明るく言う。
「で、今のその考えは、あなた個人のもの? それとも、この世界の『代表』としての見解かしら?」
鏡室長は、わずかに眉をひそめて答える。
「世界の代表などと、大それたことを言うつもりはありません。ただ、当案件の責任者として、この国を代表してお答えしているだけです」
「ふーん」と、アンジュはつまらなそうに頷く。
「じゃあさ、あなた達は、そう思っていればいいんじゃない? 実際、魔王なんて言われても、ピンとこないものね。分かるわー、その気持ち」
そう言って、アンジュは、今まで見たこともないような、深い慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「でもね、後になって『助けて』って騒いでも、私は知らないわよ。『神は、信じる者だけを救う』なんて言うけど……私は、もっと自由でいいと思ってるから」
アンジュは、じっと二人を見つめた。
「その代わり、私も好きに選ばせてもらう。……救うべき、人間をね」
そう告げる彼女の唇が、再び弧を描く。
だが、それは先ほどとは全く違う、見る者の背筋を凍らせるような、ゾッとする笑みだった。




