第二百十一話 己が歩みで
『いい経験をしましたね。あれが不可侵領域に住まう思念体というやつですか!』
『しかし、何が良くてあんなものに判断を委ねてしまうのでしょう。ムッシュにはわかりかねます』
『生命維持とは大変なことですね。感心します』
さっきから延々と続くムッシュの講釈。
俺と町田は、人型に戻ったやっくんの手を引き、淡い月光を頼りに夜道を歩いていた。
すでに二時間以上、歩き続けている。
足は重く、息も上がっていた。
「もーやだ! 歩くの疲れた!」
叫ぶなり、ぺたんと地面に座り込む町田。
「こんな事なら、さっきの村で一泊すればよかったじゃん!『俺たちは俺たちの道を行く』なんて意地張らずにさー!」
ご丁寧に俺の声真似までして、手足をジタバタさせている。
……ついさっきまで『見ないふりなんてしない』と切実に叫んでいた女と、本当に同一人物だろうか。
「お前、あんな気味の悪い連中の村で一泊できるのかよ」
「それはムリ」
即答だった。
「それにさっきから、そのおしゃべり野郎の声が癪に障るんですけどー」
『失礼な! 皆さんを励まそうと声をかけてるんですよ!』
「うっさいんじゃ! ばーか、ばーか!」
『バカっていう方が馬鹿ですー。バーカバーカ』
──こいつ、ホントにAIか?
「そもそも、その座標ってのはホントにあってんの!?」
『あってるもなにも、ムッシュは提示された座標に向かって進んでいるだけですー』
「ケッ! 言われたこと真に受けてるAIってどーなんでしょーね!」
くだらない応酬を聞き流しながら、俺は問いかける。
「ムッシュ。GPSもないこの世界で、どうやって座標を割り出してるんだ?」
『山川さん、座標というのは絶対位置だけではありません。先ほどの通信パケットの末尾に、ゲートから発信され続けている微弱な指向性ビーコンが紐づいていたんです』
「つまり?」
『電波が一番強く反応する方角へ歩き続ければ、勝手に着くというわけですー。ホット・アンド・コールドの要領ですね!』
「なるほどな」
やっぱりコイツ、ただもんじゃないな、と感心したところで、町田の鋭いツッコミが入る。
「で、あとどれくらい歩けば着くのよ」
『……電波が一番強く反応する方角へ歩き続ければ、勝手に着くというわけですー』
「だーかーらー、距離! あとどれくらい?」
『電波が一番強く反応する方角へ歩き続ければ……』
「あー! こいつ分かってないよー!!」
「ムッシュ」
俺が低い声で問い詰めると、珍しく言葉を濁した。
『……正直に申し上げますと、距離は把握していません。ただ、先ほど「上空から海が見えた」と仰っていたので、歩いて行けない距離ではないと推測したわけですが……。もしよろしければ、別のご提案を』
「提案?」
『はい。ここはひとつ八咫烏様にお願いして、乗せていただくよう交渉されてはいかがでしょう』
確かに。神様にお願いするのは心苦しいが、背に腹は代えられない。
「それいーじゃん! 私、やっくんに乗せてもらってないし!」
町田がノリノリで身を乗り出し、人型のやっくんに目線を合わせて頼み込む。
「ね、お願い! 何なら私だけでもいいから乗せてよー」
清々しいほど身勝手な交渉術だ。
だが、すんなり乗せてくれるかと思いきや、やっくんはぶんぶんと首を横に振った。
「えーなんでー! 私だけ乗せてもらってないんだよー!」
しつこく食い下がる町田をよそに、やっくんは困ったように眉を下げ、俺を見て自分の足をポンポンと叩いた。
足?
そこで、あの花魁風の声が脳裏をよぎった。
『あとは自分たちの足で歩きなんし』
確かに、そう言っていた。
「歩いて行かなきゃダメなのか?」
そう尋ねると、やっくんはパッと顔を輝かせ、にっこりと頷く。
誰かの力に頼るんじゃない。自分の足で行け、ということだろう。
俺は小さくため息をつき、しゃがみ込んだままの町田の腕を引いて立たせた。
「えーなんでー? やっくんのイジワルー」
「やっくんのせいじゃない。自分の足で行くこと自体に意味があるんだよ」
不平を垂れ続けていたが、やがて諦めたのか、のろのろと足を動かし始めた。
『全く理解できませんね』
胸元からムッシュの呆れたような声が響く。
『いわゆるそれは「苦労は買ってでもせよ」「苦労さえすればいいことがある」という、人間の不合理な幻想ではないでしょうか』
「そうかもな」
俺は否定せず、静かに夜風を吸い込んだ。
「でも、俺たちにはその不合理が必要なんだよ」
──自分で選んで、自分の足で歩く。その重みが必要なんだ。
「言ってろ、ポンコツ」
『ポンコツとは心外です!』
俺たちは再び、月明かりの落ちる夜道へと歩き出した。




