第二百九話 戦うという事、守る事
「ねえねえ、今の発言お聞きになりましたか? 山川どん」
町田がすり寄ってくる。
内緒話でもするような仕草のくせに、声は部屋中に響くほどでかい。
──山川どんって誰だよ。
彼女はくるりと村長へ向き直り、両手を腰に当てて言い放った。
「真に平等な社会だとか言っておきながら、結局あんた、ただの私利私欲の権化じゃん!」
ビシッ、と人差し指を突きつける。
「それを『神の力』とかいうパワハラで平伏させるなんて最低の極み! ギッタンギッタンにしてやる!」
威勢よく啖呵を切った次の瞬間、くるりと反転して俺の肩をぽんと叩く。
「はい、選手交代」
言うが早いか、そそくさと俺の背後へ回り込む。
しかも両腕で俺の腕をしっかり掴み、盾として固定し始めた。
「おい」
「適材適所です」
即答だった。
「き、きさまぁ……っ! 少し小綺麗だからと図に乗るなよ! 貴様こそ、ぐちゃぐちゃの肉片にしてやる!」
村長が異様に長い舌をべろりと出し、爬虫類のようにチロチロと動かす。
粘着質な漆黒のオーラが、さらに悍ましく膨れ上がった。
「ひっ、キモっ!」
町田が素早く俺の背中へ隠れる。
「だから選手交代って言ったでしょ! 続きはうちの元勇者がやります! ヨロシク!」
背中から顔だけ出して叫ぶ。
──おい。勝手にハードルを上げるな。
小さくため息をつき、肩に担いだマグナフォルテを構え直した。
「きさまが元勇者だと!?」
そう唸る奴の体から、どす黒い瘴気が溢れ出し、部屋全体へ広がっていく。
だが俺を中心とした一定の距離で、その瘴気は見えない壁に弾かれるように遮られていた。
『神の代行者と言えど、八咫烏様を穢すことはできないようですね』
ムッシュの分析にちらりと振り返る。
やっくんがコクリと頷いた。
その横では、黒い羽毛に埋もれるように隠れている町田が、腰を引かせたまま口だけ達者に村長を罵り続けている。
挙句の果てに、その矛先が俺へ向いた。
「ほら、早くやっつけちゃってよ! 勇者ラベルが泣いてるわよ!」
──勇者ラベルって。
安物の服についた下げ札みたいに言いやがって……。
ま、いいだろう。
構えたまま、一つだけ確認しておく。
「ここに来る前、神楽から百人以上をこっちへ送ったと聞いた。村人のほかに、どこかの集落に住んでるのか?」
村長が一瞬、言いよどむ。
「……ほかの集落のことは知らん。私が管理しているのは、ここだけだ」
目を逸らしながら言うその姿に、すべてを察した。
「殺したのか?」
俺の静かな問いに、村長はいらぬ弁明を始める。
「この地は豊かなようでいて、土地は痩せ、天候だって晴れてばかりだ。今いる人間が食っていくだけでも、何かを犠牲にしなくてはいけない」
嫌な予感がした。
開拓地の肥料。犠牲。消えた百人以上の人間。
「お前ら……まさか、食ったのか?」
村長は答えない。
ただ粘つくような薄笑いを浮かべるだけだった。
背後で、町田が「ヒッ」と小さく息を呑む。
「神は……神はそれを許したのか?」
村長は薄く笑った。
「神?」
その笑みがゆっくりと歪む。
「神の代行者は私なのだ。私が望めば、それが答えとなる」
ぞわり、と。
奴の体から黒い靄が立ち昇る。
どす黒く、粘りつくような瘴気。
無数の怨嗟が形を持ったようだった。
『もはやあれは神威というより呪いですね』
ムッシュが淡々と言う。
『まるで奴に食われた者たちの怨念です』
AIが言うと妙な説得力があるな。
『私は超クレバーな存在ですから、人の思念くらい解析できますよ』
呪い──か。
なら遠慮はいらない。
俺は高らかにマグナフォルテを掲げ、その瘴気へ向けて振り下ろした。
炎が爆ぜる。
一瞬、黒い靄を呑み込むほどの勢いで燃え広がる。
瘴気は尽きない。
無限に湧き出し、炎を呑み込み、塗り潰していく。
「それが勇者の力か?」
村長が嘲笑う。
「笑わせるな! 神の意を纏う私に効くはずがなかろう! しょせん作り物風情にはな!」
黒い瘴気が広がる。
ぬめぬめと床を這い、異臭を放ちながら侵食していく。
対する炎も負けじと燃え盛る。
終わりのない綱引きだった。
『どうします?』
ムッシュが気安く言う。
『作り物のあなたが炎を振るうだけでは、人の憎悪は消せないみたいですよー』
作り物。
その言葉が、ひび割れたガラスのように胸の奥へ突き刺さる。
握りしめたマグナフォルテの柄が、じっとりと冷たい汗で滑った。
元勇者。英雄。救世主。
そんな立派な肩書は全部、他人が勝手に貼り付けた『ラベル』だ。俺自身の本質じゃない。
誰かを助けたい。
社会に認められたい。
歯車から外れた自分に、もう一度居場所が欲しい。
そんな見え透いた願望を、正義という言葉で誤魔化していただけなのかもしれない。
焦げるような赤い炎の熱が、急に息苦しく感じられた。
喉の奥に、泥を飲み込んだような苦い唾液がこびりつく。
己の保身のために神を騙る目の前の男を、俺は笑えるのか。
「……結局俺も、奴と同じなんだな」
『なんか言いました?』
「いや。何でもない」
奥歯をきつく噛み締めた。
他人に与えられた『勇者』のメッキなんざ、この怨念の底なし沼の前じゃすぐに剥がれ落ちる。
不意に、あの女神の言葉が脳裏をよぎった。
──あなた自身の魂の炎。
そうだ。この炎は、一度使ったことがある。
勇者だから戦うんじゃない。
誰かに褒められたいからでも、承認欲求を満たすためでもない。
俺はただ。
目の前のふざけた理不尽が、ひどく気に入らない。
俺の意志で、俺が守りたいものを守る。
それだけだ。
肺の底に溜まっていた澱を、長く細く吐き出す。
心拍音が、耳の奥で静かに、力強く脈打ち始めた。
俺はマグナフォルテを逆手に持ち替え、渾身の力を込めて地面へ突き刺した。
「──蒼き共鳴 Azure Resonance!!」
蒼い閃光が奔る。
巨大な闇を呑み込み、無数の怨嗟を切り裂き、部屋を満たしていた瘴気を一瞬で消し飛ばした。
蒼い閃光が奔る。
透き通った青。
力強く、儚くもある輝き。
村長の悲鳴さえ、その中へ呑まれて消えていった。
残心。
俺は深く息を吐き出し、マグナフォルテを消散させた。
「……終わった、の?」
背後から町田が恐る恐る顔を出す。
その時だ。
俺たちの足元から、ふわりと白粉のような甘い香りが立ち昇った。
『はいはいー。いやあ、うちの子がえらい迷惑かけたわねー。ごみーん』
ぽつん、と。
何もない空間から、気の抜けたような、それでいて妙に艶のある声が響いた。
「は?」
思わず間抜けな声が漏れる。
ついさっきまでの緊張感が、一瞬でどこかへ吹き飛んだ。
『この子は妾が責任持って回収しておくさねー。じゃ、おつかれさーん』
次の瞬間。
気絶した村長の体が、ズブズブと床に沈み始めた。
「なっ──」
止める間もない。
黒い泥に呑まれるように沈み込み、跡形もなく消え去った。
静寂。
「……」
「……」
誰も口を開かない。いや、開けなかった。
俺が命懸けで戦って。
町田が死にかけて。
村一つひっくり返る騒ぎになったというのに。
その結末が。
『じゃ、おつかれさーん』
で終わったのだから。
「……ねえ、山川どん」
町田が引きつった顔でこちらを見る。
「今のは」
「……言うな」
俺は額を押さえた。
「俺の今のこの達成感を、どうしてくれんだ」
『あれが神の実態ですかね』
胸元からムッシュの声が響く。
『ほんと不可侵で、無遠慮な存在ですね』
ひどく平坦な分析だった。これ以上なく的確でもあった。
静寂を取り戻した部屋の中で。
俺は深く、ひたすらに重いため息をついた。
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次回投稿は明日18時10分となります




