第二百八話 それが理由
「いいか。俺は仲間を助けるためなら何でもする」
怯えるように後ずさり、背中を壁につける岡田の息子。
俺はマグナフォルテを振りかぶり、奴の顔の真横の壁に深々と突き立てた。
ジュワァッ!
木材が焼け焦げ、圧倒的な熱気が青年の顔を炙る。
「共生棟ってのはどこにある」
「ひっ……! 言えない、研修中は立入禁止なんだ」
「嫌がってる奴を囲って、神様ごっこしてる連中のルールなんざ知るか」
柄を握る右手に力を込め、さらに炎を強める。
噴き上がる炎が、奴の頬を舐めた。
「どこだ」
恐怖の涙で顔をぐじゅぐじゅに歪めながら、岡田の息子は唇を震わせて答えた。
「村長の家の隣にある……村で一番大きな、建物……」
壁からマグナフォルテを引き抜き、外へ出る。
静かな夜だ。
さっきまでの喧騒が嘘のようだった。
岡田の息子は泣きながら、よたよたとついてくる。
「行っても無駄だ! 村長は御神様の代行者なんだ。俺なんかじゃ太刀打ちできない力を使うんだぞ」
俺は立ち止まり、夜空を見上げた。
大きな月が出ていた。
そこだけ見れば、いつもの現実と何も変わらない。
一瞬、月を遮る黒い影が走る。
月の光を弾く、巨大な翼。
俺は振り返る。
後を追ってきていた青年も、同時に歩みを止めた。
「他人の言う通りに生きて後悔するのだけは、やめとけ」
青年が、びくりと肩を揺らす。
「死ぬほど惨めだぞ」
俺の背後に、漆黒の神獣が音もなく舞い降りた。
『なんだか、いいこと言った気でいませんか?』
胸元のムッシュが平坦な声で言う。
『あまりにも含蓄のない言葉を急に吐くから、演算回路がショートするかと思いましたよ』
「……うるせえ」
俺は前を向き、やっくん──今は八咫烏に近づく。
その威容は、鉄橋で救った時よりも何倍も大きくなっていた。
「お前なら、あいつに何て言うんだよ」
『そうですねぇ。人間の感情というものは、脳内における単なる化学反応に過ぎず──』
「あーもういい! 聞くんじゃなかったわ!」
ベラベラと話しだすムッシュを遮る。
「とにかく今は町田を迎えに行くぞ。死地に赴く俺を勇気づける言葉の一つでも言ってみろ」
『あいにく、身内を気遣うほどメモリーに余裕がないのでパスしておきます』
──ったく。ツンデレが。
自分で「身内」って言ったこと、自覚してんのかね。
俺は、やっくんの黒く艶やかな首に手を当てた。
「町田のとこまで、乗せてくれるか?」
巨大な八咫烏が、コクリと頷く。
俺はそのまま、高く広い背に跨った。
やっくんが巨大な翼を広げる。
二、三歩の短い助走。
周囲の空気を爆発的に巻き上げながら、漆黒の神獣は真っ直ぐに夜空へと舞い上がった。
村の中央には、まだくすぶる篝火が点々と燃えていた。
それを眼下に、村長の家の上空へ向かう。
家と繋がる、倉庫のような大きな建物。共生棟だ。
最上階の奥の窓から、ぼんやりとした灯りが漏れていた。
その窓を外から覗き込むように、男たちが数人、身を屈めて群がっている。
気味の悪い連中だ。
「やっくん! あそこだ!」
一度上空を素通りし、大きく弧を描いて灯りの漏れる部屋の真上につける。
『ま、彼女ならきっと……きっと、大丈夫ですよ』
AIのくせに、その声はまるで自分自身に言い聞かせるようだった。
「ああ!」
短く叫び、急降下するやっくんの首にしがみつく。
「行くぞ! 野良勇者のお通りだ!」
▽▽▽
共生棟の奥。豪奢な装飾が施された特別室。
町田は部屋の中央に置かれたアンティーク調の椅子に座らされたまま、指一本動かすことができなかった。
物理的に縛られているわけではない。
目の前に立つ村長から発せられる目に見えない重圧──『神威』によって、身体の自由を完全に奪われているのだ。
「素晴らしい。君のような若く美しい個体は、我が村の未来に多大な貢献をもたらすだろう」
村長はねっとりとした視線で町田を舐め回しながら、一歩、また一歩と近づいてくる。
「神は私に、この理想社会を導く『代弁者』としての力を与え給うた。この絶対的な力は、私が誰よりも強く、上位の存在へ信仰を捧げたからに他ならない」
村長の呼吸が荒くなる。
その目には、広場で見せていた崇高な理念など微塵もない。
ただの俗悪な色欲が浮かんでいた。
「さあ、服を脱ぎなさい。代弁者たる私自ら、君に神威を分け与える神聖な儀式を行おう」
「……は?」
身体は動かせなくても、口は動く。
町田は心底見下したような、氷点下の視線を村長に浴びせた。
「要するに、愛人になれってことでしょ? キモっ」
「なっ……」
村長の口元が、かすかに引きつった。
すぐに取り繕うように笑みを戻す。
「君は……誤解をしている。これは神聖な──」
「言葉だけ綺麗に取り繕ってんじゃねーよ」
町田は畳み掛ける。
「地位と力を使った完全なセクハラだからね。あんたのそのキモい発言、全部頭ん中にメモしたから。ここを出たら労基と警察の両方に突き出してやるわよ、このエロ親父」
沈黙。
村長は目を細め、ゆっくりと首を傾げた。
まだ笑っている。
穏やかに、慈愛を装って。
「……不良品というのは」
一歩、近づく。
「どれだけ丁寧に扱っても、規律を理解しないのだね」
穏やかな声だった。
なのに、さっきより遥かに怖い。
「ならば仕方がない」
村長の目から、光が消えた。
穏やかさの仮面が、音もなく剥がれ落ちる。
「力ずくで、その肉体に村の規律を刻み込んでやる」
村長が獣のような声を上げ、動けない町田へ覆い被さろうと手を伸ばした。
その時だ。
ズドォォォォンッ!!!
部屋の天井が、爆発したかのように吹き飛んだ。
窓の外から覗き見をしていた男たちの短い悲鳴が上がり、暴風と共に夜の闇へ消えていく。
「な、なんだ!?」
村長が悲鳴を上げて後ずさる。
粉塵。瓦礫。
天井に開いた大穴から差し込む月明かり。
夜空から舞い降りた漆黒の神獣が、部屋の床を大きく陥没させて着地した。
巨大な三本の鉤爪。
部屋の調度品をすべて吹き飛ばす圧倒的な暴風。
その背から飛び降りた男が、燃え盛る炎の大剣を肩に担いでニヤリと笑う。
「待たせたな、町田」
「……おっそい! ていうか、何その鳥!? もしかして、やっくん!」
「細かいことは気にするな。助けに来てやったぞ」
マグナフォルテの切っ先を、腰を抜かしてへたり込んでいる村長へと向ける。
「さてと。うちの頼もしい秘書に、ずいぶんと生臭い『検品』をしてくれていたみたいだな」
村長はワナワナと震えながら立ち上がった。
その顔は、屈辱と怒りでどす黒く染まっている。
「おのれ……おのれぇぇ! 代弁者たるこの私に逆らうか、無能な個め!」
村長の全身から、先程までとは比べ物にならないおぞましい魔力が噴き出し始めた。
上位存在への異常な執着が具現化したような、粘つく漆黒のオーラ。
その重圧だけで、床の絨毯が黒く変色し、腐っていく。
「ただの肥料では済まさん。この私が自ら、貴様らを肉片に変えてくれる!!」




