第二百六話 相容れない境界
広場を埋め尽くす村人たちの顔が、篝火の赤光を浴びて不気味に揺れていた。
いや。
あれは“感情”じゃない。
まるで、与えられた表情を表面だけなぞっているようだった。
彼らは本気で笑っていない。怒ってもいない。
ただ、村長の言葉というシステムに反応しているだけだ。
判る。判ってしまう。
乾いた笑みを貼りつけて生きてきた俺には、それがニセモノだとすぐに分かった。
「さあ、みんな! 我々のユートピアに、新たなメンバーが加わります!」
村長が壇上で杖を鳴らす。
にっこりと慈愛に満ちた笑みを浮かべ、こちらへ手を広げた。
「さあ、三人ともこちらへ」
周囲を囲んでいた屈強な男たちに腕を掴まれ、俺たちは広場中央の木組みの台へ上げられる。
「なになになに、なんなのこれ?」
背後で町田が、壊れたオウムみたいに小声を繰り返していた。
村長は壇上で両手を広げ、村人たちを見渡す。
「神の加護のもと、理想社会の実現を目指す同志諸君! 今また新たな仲間を迎え、我々の理想はさらに前進するのだよ!」
その声は、ひどく朗らかだった。
まるで温かな家庭の団欒でも語るかのように。
だが、言葉の内容と、集まった者たちの虚ろな目を見れば分かる。
──ここには、“人間”がない。
この光景には、見覚えがある。
必要とされない人間は、いつだって“部品”として扱われる。
「さあ、新たな仲間の『検品』を始めよう」
──検品。
その瞬間、村長の顔から慈愛が消えた。
瞳に宿ったのは、壊れた機械を選別するような冷徹な管理者の光。
そして、自らの欲望にどこまでも忠実な、粘つくような嗜虐の笑みだった。
「そうだな……」
村長は町田を頭の先から爪先まで、ゆっくりと眺める。
「女は共同生活棟へ。村の維持に必要な労働を、存分に担ってもらおう」
「は……? 労働? ちょっと待って、話が違──」
町田の言葉を遮るように、男たちがその腕を掴んだ。
彼女は即座に踵を振り下ろし、爪を立てて抵抗する。
だが男たちは痛覚すら存在しないかのように無言のまま、構わず引きずっていく。
引きずられながら、町田が俺を振り返った。
「絶対助けに来い! 山川!!」
その目は、泣いていなかった。
「っ、おい! 町田を放せ!!」
飛び出そうとした瞬間、横腹に重い衝撃が叩き込まれた。
視界が白く弾ける。
呼吸が潰れ、俺は地面へ膝をつく。
「騒ぐな。これぞ、社会を共有するということなのだ」
村長がしゃがみ込み、俺の顔を覗き込む。
「個の欲望は格差を生む。格差は支配者を生み、社会を腐らせる」
狂信的な瞳が目前まで迫る。
「だから我々は断ち切るのだ。“個”という病を。神の御心のもと、真に平等な社会を築くために」
その声音は、どこまでも穏やかだった。
だからこそ、狂っている。
「そして、お前に残された役割は──ただ一つ」
村長は地面に這いつくばる俺を見下ろした。
不要になった部品を見るような目で。
「明朝、開拓地の肥料として土に還れ。それがこの全体主義社会における、無能な個の唯一の供物だ」
「……っ、ふざけ、んな……!」
視界の端で、やっくんが暴れていた。
だが、小さな手足でどれだけ抗おうと、多数の大人たちには敵わない。
「子供は生産部へ。次世代の労働力として、“村の理想”を徹底的に叩き込む」
大人たちが、やっくんの細い身体を乱暴に引きずっていく。
やっくんは抵抗しない。
ただ、俺だけを真っ直ぐ見つめていた。
俺は足掻く。
全身に力を込め、必死に身体を起こそうとする。
だが、広場の中央で待ち構えていた若い男が、冷え切った目で指を鳴らした。
「ごめん……お休み。ここは、僕たちの場所だから」
その瞬間。
視界が、泥を流し込まれたみたいに濁っていく。
瞼が重い。
思考がまとまらない。
意識が沈む。
遠くから、町田の叫び声が聞こえた。
くそ。
奥歯を噛み締める。
口の中に、鉄錆びみたいな血の味が広がった。
また、失敗したのか。
暗く沈んでいく視界。
意識が冷たい底へ落ちかけた──その時だった。
──バザァッ!!
空気そのものを引き裂くような轟音。
広場を囲む篝火が、一斉に激しく揺らいだ。
村人たちがどよめく。
その中心で。
連行されかけていたやっくんが、ふらりと立ち止まっていた。
小さな背中から、黒い羽根が舞う。
一枚。
また一枚。
夜に溶けるような、漆黒の羽根。
──バキ、バキバキッ!!
小さな身体が急速に膨れ上がった。
衣服が裂ける。
黒い羽毛が噴き出す。
骨格そのものが、神話の姿へと組み替わっていく。
「な……」
「ま、待て……!」
「神の使いだと……!?」
初めてだった。
感情を失ったはずの村人たちが、明確な恐怖を浮かべたのは。
巨大な黒翼が広場を覆う。
三本の鋭い鉤爪。
篝火を呑み込む闇。
夜空そのものが羽ばたいたみたいな威容。
黄金の双眸が、静かに村人たちを見下ろしていた。
八咫烏──。
それはもはや、“やっくん”ではなかった。
神話そのものが、そこにいた。
轟ッ!!
巨大な翼が打ち鳴らされる。
吹き荒れる暴風。
村人たちが悲鳴を上げ、地面へ叩き伏せられた。
その瞬間。
胸ポケットが弾けるように震えた。
昨晩から沈黙していたスマートフォン。
絶望の底へ沈みかけていた意識へ、電子音が突き刺さる。
『……敵性空間防御システムの停止を確認。これよりステルスモードを解除。ダンジョンコア、メインフレームを再起動します』
"Confirmed shutdown of hostile airspace defense system."
"Disengaging stealth mode."
"Dungeon core mainframe... initiating full boot."
"Boot sequence complete."
泥のように沈んでいた意識が、聞き慣れた電子音に強引に引き上げられる。
……あいつ。
こんな時にまで、相変わらずふざけたノリで。
──待たせたな! 我が友!
『心の友・ムッシュだよーん!!』




