第百九十五話 やっくん
「結局、いい人なのか、ただのお節介なのか、よくわかんなかったよね」
真夜中のバス停ベンチ。
やけに黄ばんだ街灯の下で、町田がポツリとこぼした。
鏡は俺たちをここへ降ろすと、奪った軍用車に乗り込んだ。
「すぐ迎えを寄越す。ここで待っていてくれ」
囮になると言い張り、止める俺の声を「任せとけ!」と一言で押し切って、夜の山道へ走り去っていった。
「どんな事情があるにせよ、いい人なのは間違いないさ」
「そうかな? どうなんだろーねー?」
俺の言葉を軽く流し、町田は膝に乗せた小さな男の子に話しかける。
言葉の意味が分かっているのかいないのか。彼はきょとんと首を傾げていた。
▽▽▽
チカ、チカチカ。
頭上の電灯が、さっきから不規則に瞬いている。
ソーラーパネルで蓄電して光る仕組みらしく、バッテリーが切れる寸前なのかもしれない。
心細くなるような明滅。
俺は、今下ってきたばかりの暗い山道へ視線を向けていた。
追手が来ないとも限らない。警戒を解くわけにはいかなかった。
「迎え、まだ来ないねー」
町田がぼやく。
男の子の姿になった神様は、退屈そうに大きなあくびをした。
町田の胸元へすりすりと顔を寄せ、目を閉じる。
「もーやだー! この子かわいすぎー!」
町田は男の子をぎゅっと抱きしめ、その黒い髪に自分の頬をすりすりとしている。
ついさっきまでは、黒い羽をもつカラス──八咫烏だった。
車の中でウトウトして目を覚ますと、男の子の姿に変わっていたのだ。
「……その子、本当に八咫烏様なんだよな」
改めて、まじまじと見つめる。
少し長めの黒髪に、大きなクリッとした瞳。
男の子か女の子か見分けがつかないほど、中性的で整った顔立ち。
服だけは、俺たちと同じスプリングコートを羽織っていた。──真っ黒の。
俺の呟きを受け、町田が男の子の頭を優しく撫でる。
「やっくんは、どうして男の子になったのかなー?」
「……やっくん!?」
思わず聞き返した。
「ヤタちゃんじゃなかったのかよ。てか、さっきまで神様だったよな?」
「今さらそこですか? ゴロが悪いじゃないですか! やっくんの方が、人間の男の子っぽいでしょ」
「ねー」
当の本人に同意を求め、無邪気に笑う町田。
何だかすごく自然な光景で、つい思ったことが口をついて出た。
「まるで、ホントの親子みたいだな」
「それを言うなら、『私たち』、でしょ」
一瞬、ドキリとしてしまう。
慌てて言い訳するように口を開いた。
「いや、俺は違うだろ。年も取りすぎてるし……親って感じじゃないだろ」
焦る俺をからかうように、町田が面白そうに笑う。
「えー、どー見ても親子でしょ? お父さんが迎えをソワソワ待ってて、奥さんが寝ぼけた息子を膝の上で寝かしつけてる」
町田は男の子の黒髪を優しく撫でながら、楽しげに続けた。
「『実はこの三人、全くの赤の他人です』っていう方が変だよ。そりゃ事案だね!」
──まあ、言われてみればそうか。
「なんか……すまん」
なぜか謝ってしまった俺を無視して、町田は「何言ってんでしょ。お父さん変でしゅねー」とやっくんの頭を撫でる。
俺はといえば、なんだか酷くむず痒くて、居心地が悪かった。
正直言って、彼女の言う通りだろう。 年の差がある、夫婦なんて珍しくない。俺くらいの年齢で子どもがいても、少しも不自然じゃない。
──俺が、家族持ち?
想像ができない。
ついこの間まで、勇者がどうだとか、魔の手から世界を救うだとか言っていた。
自分が「家族を持つ」というごく普通のことにこれほど抵抗を感じているのが、ひどく滑稽に思えた。
結局、俺は自分の面倒を見るだけで精一杯だったのだ。
誰かを守るだのなんだのと言いながら、ずっと独りよがりな生き方しかしてこなかったのではないか。
チカ、チカチカ。
暗闇の中、不安定に明滅する街灯。
こんな夜だから、余計なことを考えすぎるのだろう。
▽▽▽
迎えの車は、さっき爆破された白いワゴン車と同型のものだった。
ヘッドライトが暗闇を照らし、ゆっくりと坂道を近づいてきた時は、一瞬追手かと思い、思わずマグナフォルテを顕現させそうになったほどだ。
車は音もなく、俺たちの前で停まる。
運転席のウィンドウが下がり、表情のない丸眼鏡をかけた男が顔を出した。
「……田中さん?」
ぶっきらぼうな声。俺は黙って頷く。
あらかじめ、鏡からは偽名で通してあると聞いていた。
「後ろ、乗って」
言葉少なな男に、「はい、すいません」とつい条件反射で謝ってしまう。
町田の膝の上で眠るやっくんを抱き上げ、俺たちはいそいそと後部座席へ乗り込んだ。
「話は聞いてるから」
走り出してすぐ、男はそれだけを言い、完全に口を閉ざした。
二十分ほど、山道を下った先。
古びた小さな旅館の前で、車は静かに停まった。
くすんだ白壁。看板は何もない。
木造りの外観は、どう見ても旅館風の建物だ。
玄関口が赤茶けた街灯にぼんやりと照らされ、そこはかとなく不気味なムードを漂わせている。
車を降りると、町田は無言で俺のコートの袖口をギュッと掴んだ。
男はさっさと玄関をくぐり抜けた。
一瞬、ピタリと足を止め、振り返る。
「いらっしゃい」
暗がりの中で、男の唇だけが──ニッと吊り上がった。




