第百九十四話 真夜中の逃走
「ちょいと遅れたが。よかった、無事で」
爆炎を背に夜の山道をかっ飛ばしながら、鏡太洋はバックミラー越しに笑った。
「それはこっちのセリフですよ。鏡さんこそ、大丈夫だったんですか?」
「それがさ、恥ずかしい話。あの電話の直後、どっから湧いて出たのか、治安部隊の連中に囲まれちまってな」
トホホ、と片手で頭を掻く。
猛スピードでカーブを曲がりながらやる仕草ではない。
「さっき移送されてる途中、巨大な『黒い影』が車の前にバサッと現れてね。驚いた運転手がガードレールに突っ込んだんだ。その隙に連中を叩き出して、慌てて戻ってきたってわけさ」
鏡はハンドルを軽く叩き、「これ、奴らの車!」と無邪気に笑う。
「なかなかに豪快な人ね。顔も態度も」
町田が八咫烏様を撫でながら、俺の耳元で囁く。
「あなたが、藤堂くんの同僚の町田さん?」
急なご指名に、町田がビクリと肩を揺らした。
「ずいぶん綺麗な人だ。話には聞いていたけど……いや、女神さまじゃないよな」
「あら! 女神だなんて! お上手なんだからー!」
照れながら、手をひらひらさせる町田。
チョロすぎる。さっきまで「絶対首謀者だ」って言ってたのに。
「で、その黒い鳥は? 君のペット?」
鏡がバックミラー越しに、町田の胸元へ目を向ける。
「ヤタちゃんです!」
……。
ヤタちゃん!?
「神様なんですよー」
「神様?」
鏡が不思議そうに首を傾げた。
神様を抱くチョロい秘書。
敵の軍用車を奪って爆走する元対策室トップ。
それを後部座席で眺める、元・野良勇者。
話がディープなんだか、ひどく軽いんだか。
とてつもなく迷子になりそうな予感がする。
「それはそうと。この軍用車で市街は走れないでしょ」
話に割り込むと、鏡は「それは大丈夫」と笑った。
「ふもとに隠れ家を用意してある。そこに代わりの車もあるから、乗り換えよう」
その言葉に頷きかけた。
その時だ。
『あまりお勧めできませんね。街に出れば人の目だけじゃなく、監視カメラの網にも引っかかります』
──ムッシュ!
俺は慌てて、耳のイヤホンに手を当てる。
『彼には過剰脅威対策室の内部に協力者がいるようですが……さっきの襲撃のタイミングからしても、その協力者から情報が漏れている可能性が高いです』
なるほど。鏡の動きは、敵に筒抜けかもしれないってことか。
俺は短く息を吐いた。
「鏡さん。さっき助けてくれたことには、感謝します」
俺はバックミラー越しの鏡の目を、まっすぐに見つめ返した。
「でも、これ以上一緒にいれば、鏡さんにまで迷惑が掛かる。……街に出たら、俺たちは別れましょう」
車内に、妙な沈黙が落ちた。
「えー、鏡さんに協力してもらおうよー」
女神と褒められて気を良くした町田が、不満げに口を尖らせる。
そんな俺たちを、鏡は薄く笑って見ていた。
「わかってる。今回の件で俺も気づいたけど、どうやら俺にも紐が付いちまってるようだな」
どこか寂しげな横顔だった。
思わず「一緒に──」と声をかけかけた俺を、イヤホン越しのムッシュが冷徹に制止する。
『彼とあなたが追われる理由では、背負うものが違いすぎます。彼のためを思うなら、ここで解放してあげるべきです』
……分かっている。
俺はふと、隣へ視線を移した。
巻き込んだと言えば、この秘書ほど理不尽な巻き込まれ方をした人間もいない。
『彼女には、このまま同行してもらいましょう。いま別れても手遅れです。むしろ一人で捕まれば、酷い扱いを受ける可能性が高い』
……だよな。
じっと見つめていると、不意に町田がムッと顔をしかめた。
「この子は渡しませんからね!」
俺から隠すように、胸に抱いた八咫烏をギュッと抱きしめる。
──いや、鳥の話じゃないんだけど。
「ま、いずれにせよ、言い出しっぺが身を引くのもなんだからな。できる限り、力にならせてほしい」
そう言って、鏡は片手でハンドルを握りながら、あちこちへ電話をかけ始めた。
「この電話は特殊回線を使ってるから、傍受の心配はない。ちょっと待っててくれ」
『そんな特殊回線、私以外には存在しませんけどね。人類にはまだ早い技術です。……ま、通信経路を偽装して何とかしておきましょう』
相変わらず自慢げだ。
ツンツン。
不意に、隣の町田が俺の脇腹をつつき、身を寄せてきた。
「ねえ、あれ大丈夫? スマホかけてるけど」
声をひそめる町田。
警戒しているらしい。感心しかけた、その時。
「運転しながらのスマホ操作! ダメ、ぜったい!」
──いや、そっち!?
……まぁ、正しいけど。
▽▽▽
鏡の遠縁が営業している一軒宿がふもとにあるらしく、俺たちはそこへ向かうことになった。
ずっと極限状態の連続だったせいだろう。
心地よい車の振動と、一定のリズムを刻むエンジン音に包まれて。
俺と町田は、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
鏡の叫びで、目を覚ました。
「な、な、誰だよその子は!?」
車はすでに停車していた。
運転席から身を乗り出し、バックミラー越しではなく、直接こちらを振り返って震えている鏡。
寝ぼけ眼をこすりながら、その視線の先をたどる。
俺と町田の間。
後部座席の真ん中に──小さな男の子が座っていた。
年は、五、六歳くらいだろうか。
男の子は眠たげに目をこすりながら、俺と町田を交互に見つめている。
「ど、どこから……幽霊? オカルトか!?」
鏡が身を乗り出したまま、固まっている。
だが、なぜか町田だけはすました顔で、その男の子をギュッと抱き寄せた。
そして、鏡をキッと睨みつける。
「オカルトじゃありません!」
彼女は得意げに胸を張り、高らかに宣言した。
「これぞ、神のみ技です!」
得意満面の町田の腕の中で、男の子は眠そうにあくびをした。
「……ぱぱ?」
──なんて!?




